胃腸風邪というものに初めてかかって
暖かい国に4年もいたからか、日本で今猛烈にはやってる胃腸風邪というものにぜんぜん免疫がなかったようで、生まれて初めて病気で死ぬかも、と思うくらい患わせてもらった。
医者いわく、「今はそれしかない、っていうくらい多いよ」とか。。なんという。
確か、4年前に日本を立つ前には、あんまり聞かなかったような。
わき腹が痛いって、(食後に走ったとか以外では)過去に経験がなかったから、最初は何か別の病気なのかと思ってものすごく焦って、病院で一通りの検査もしてもらった。
レントゲンも血液検査も検○検×の検査もぜんぶ問題なかった。ないけれどやっぱりわき腹がキリキリ痛い。
胃とかおへその周りが痛いっていうのはありがちだから、痛くても不安になることがないけど、このわき腹痛っていうのが、本当に検査が正しいんだろうか、と不安になってそれが病気の辛さに輪をかける。
一ヶ月近く続いて精神的ダメージ大。
人生について考えた。
これからの生き方についてこうありたいっていう純粋な願いをもった。
今までだって、私の場合は特にこの過去数年、心理カウンセリングとかヒーリングを勉強して、実践しながら新しい生き方をずっと見続けてきたつもりだったけれど、それとはまったく違ったもので驚く。
生と死に、より近いところで考えてみる、とでもいうのかな。
いつもだったらぐるぐるし始める思考というか理屈というかが、体がしんどくてその先に行かないみたいで、なんというか、より原始的な感覚っていうのかしら。
このとき、そんな感覚だからなのか、好き嫌いの好みがものすごいことになって、それはそれでひとつ大発見だと思った。
それまで、それほど好きじゃないけど、嫌いでもないな、とか思っていたもの。
考え方とか人とか物とか場所とか、それが ま っ た く 受け付けない。
ええーそれって大っ嫌いなんじゃん→自分!って自分で驚く。
ネットで購読していたある一定の人達の記事がまったく読めなくなった。
社会の悪を告発する!みたいな暴露記事は見るだけで右わき腹が痛くなって読めない。
フェイスブックの海外の友人対する見方がかわった。
親しいと思っていたはずの人達の事を考えるだけで、悪寒がしてまたしてもわき腹が痛くなる。
そんな中で、あまり深く付き合いがあったわけではないものの、顔が思い浮かんでくると、ああまた会いたいな、思える人がいて、他の人達と明確に体の感覚が違っていたこと。
人生の師(の一人)と思っていた人のことを考えたらわき腹が痛くなって、それが悲しい気づきとなったこと。
ビデオづくりをはじめ、やりたいと思っていたいくつかの事がどうでもよくなっていたこと。
本が読めた。最初からSNSがまったく受け付けなくなったぶん、その間は本を楽しめた。
でも風邪が悪化してきたらもう読み物はまったくだめで、寝続けるのが辛くて、仕方なく起きているときだけ、アマゾンプライムの映画見放題をただただ見続けるだけだった。
このときは音楽もダメで、映画しか見られなかった。
ネットで野生動物や、保護動物をあずかる施設のライブ映像はいつでも唯一の楽しみだった。
今日、一ヶ月ぶりくらいに、やっと痛みも倦怠感も、本当にやっとひと段落して、どうやら回復してきたみたいだ。
この痛みは一生続くのか、とか思ってたところが、やっとやっと軽くなってきただけで、こんなに嬉しい。
やっぱり風邪だった可能性大っていうのがなによりほっとして嬉しかったのと、しみじみ健康でいるってなんて素晴らしいことなんだろうって、身をもって実感する。
こればかりは自分で経験しないとなかなか分からないんだろうな。
私、分からなかったもの。
そして、まだまだ私の中にたくさんある(あると分かっていても見つからなかった)「~でなければならない」や「~な人でなければならない」が、いっぱい出てきたんだ。
体力が回復してきた今、またひとつひとつ吟味していこうと思う。
今回は、私の体が身をもって教えてくれたって思う。
痛いとか痛くないで教えてもらった貴重な経験だったのかもしれない。