妊娠中〜染色体検査結果がでるまで(カカ)
こんにちは。
はじめまして。
ももちゃんのカカです。
トトが連投してくれたので、今回はカカが書きます。
トトが前の記事にも書きましたが…
このブログを始めるにあたり、
ももちゃんの誕生について触れないわけにはいきません。
ブログを更新しようと思っても、出生時のこととなると…なかなか内容がまとまらないですね💦
前回の投稿から、かなり長い時間があいてしまいました😢
ひとまず…
『妊娠中・出産時・染色体検査結果がでるまで』について、
特に印象に残っている出来事や感じたことを書いていこうと思います。
出産からだいぶ時間が経ってしまっているので、記憶があやふやになっているところがありますが😅
以下、長文になります。
(そして、暗い内容になります⤵)
【妊娠中】
簡単に言えば…特に異状なし(笑)
強いて言えば、羊水が多めだったくらいでしょうか?基準値内でしたが。
お腹が張りやすくて、張り止めの薬を飲んでいました。
少し子宮頚管が短くなった時期がありましたが、その後は特に問題なし。
妊婦検診でも、心臓や発育に特に問題はなく、順調に育っていました。
【出産時(出産中〜直後)】
出産時は無事、旦那にも立ち会ってもらう事ができました。
まさに"赤ちゃんが出てくる"というときには、
自分が産んでいるというより、
自分ではない他の大きな力で『産まされている‼』という感覚があったことを覚えています。
(別に、なんの宗教を信仰しているわけでもないのですが。。子供が出てこようとする力かな?)
赤ちゃんは助産師さんに取り上げられて、第一声!大きな産声をあげました。
やっと生まれたという安心感と、「疲れたー!やりきったー!」という達成感に包まれました。
そして、わたしの胸のところに生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきてくれたとき、
「ん?あれ?なんか思ってたのと違う顔…」と思いました。
体重、頭囲、腹囲などを測って、そのあとは赤ちゃんも旦那も別室へ…。
私は体を休めるために、LDRにそのまま残りました。
そのとき、ケアしてくれた看護師さんと色々お話する中で…
私:「生まれた赤ちゃんをみて、なんか違和感があって。ダウン症なんじゃないかって思うんですけど…」
看護師さん:「(ダウン症のこと)よくご存知ですね。医療関係の方ですか?」
私「いえ、全然違いますけど…なんとなく。」
看護師さん:「気になるようでしたら、検査ができる病院を紹介できますよ」
私:「あー、そうなんですね、わかりました」
実際に話した言葉とは多少違いがあるかもしれませんが、大体こんなような会話がありました。
よくご存知ですね、と驚かれたことにこちらも驚きました。
否定されなかった時点で、「やっぱりそうなのかな…」と。。
産後すぐだったし、あまり実感もなく、ぼんやりとそんなふうに思ったのを覚えています。
でも産後にハイな気分だったのか、「大丈夫、どんな子でも育てられる!」とも感じました。
【出産後(入院中)】
産後、私も赤ちゃんも個室に戻りました。
赤ちゃんは赤ちゃんらしく泣きません。
しばらくすると、「心拍数がやや少ないため、様子を見る」ということで、ナースステーションへ連れて行かれました。
数時間で部屋に戻ってきて、その後は退院まで、黄疸などの検査時以外はずっと一緒にいました。
相変わらず、全然泣かない、起きない。
最低でも3時間毎には授乳しなくてはいけないけど、とにかく何をしても起きない。
看護師さんでも起こすのが難しい。
また、私が初産だというのもあって、おっぱいをうまくあげられないというのもあったと思いますが、赤ちゃんもうまく吸えない。
泣きまくって寝ない子も大変だろうけど、
起きずに、しかも授乳に時間がすごくかかるのも本当に大変でした。
「3時間」が守れない事が何度もありました。
出産翌日、院長先生がやってきて
「昨日、お母さん(私の事)も言われていましたが、確かに見た目の特徴でダウン症の可能性があります。ただ、ダウン症の子と見た目が似ているだけの場合もありますので、検査をしてみないとわかりません」
と言われました。
院長先生のお話のあとも、私は子供がダウン症ではない可能性を見つけたくてスマホでずっと調べていました。
そもそも産後は授乳をしなくてはいけないから睡眠時間が少ないけれど、不安で熟睡できないし…
そういう睡眠不足な状態が続くと、気持ちもますます不安定になっていきました。
特に何が起きたわけではなくても、突然泣けてきてしまうことが何度もありました。
周りの個室からは、赤ちゃんの泣き声がぎゃんぎゃん聞こえる。
他の産婦さんの身内の方やお友達がお見舞に来て「元気な赤ちゃんでよかったねー!」とか、嬉しそうな声が聞こえる。
そのたびに
「うちは泣かない、元気じゃない…」
そう思えて、辛く苦しい気持ちがずっと続いていました。
本当にダウン症だったらどうしよう。
ていうか、多分ダウン症だと思うし。。
旦那や旦那の両親や親戚はどう思うだろう…期待を裏切ってしまったのではないか。
私の身内や友人たちはどう思うだろう…。
受け入れてくれるだろうか。
もしダウン症だったとしたら、私は死ぬまで、この子の面倒を責任もってみなければならない。
一生下ろせない重荷を背負わされたようで、気持ちがどんどん沈んていくのを感じていました。
旦那の両親がお見舞いに来てくれたときに、ダウン症かもしれないと伝えました。
そしたら、お義母さんが「ダウン症でもいいじゃない」と言ってくれました。
今でもこの言葉が忘れられません。
それまで、いろんな人が色んな言葉をかけてくれました。
一緒に育てていこう、とか。力になるよ、とか。
でも、お義母さんのこの言葉が一番心に響きました。
ダウン症かもしれない我が子と、そんな子を授かった私を、まるごと受け入れてもらえた気がして、本当に救われました。
お義母さんの言葉があって、やっと私も、子供の存在をほんの少しずつ受け入れ始める事ができました。
恥ずかしいことですが、
それまではなかなか受け入れる事ができずいにました。
順序が逆なような気がしますが、周りが受け入れてくれて、やっと私自身が受け入れられるようになっていきました。
【出産後(退院後)】
退院する頃になっても、赤ちゃんの様子は相変わらず…。
でも、特に退院日を延期することもなく、通常通り退院できました。
退院までに、ダウン症検査のための大きい病院を予約してもらいました。
親しい友人たちには、早々にダウン症の可能性を伝えました。
あとから言うと言いづらくなりそうだし、とにかく早く言いたかった。堂々と生活したかったので。
とはいえ、退院後もスマホ検索が日課のわたし…まだまだ不安定な気持ちが続く日々。
そもそもはじめての育児でうまく行かないことばかり。
里帰り中の実家で、母親に八つ当たりすることもありました。
寝ているときが唯一、現実から逃れられました。
そして起きるとまた、暗く沈んでいることもありました。
産院での10日後検診。
体重が思ったように増えておらず、さらに1週間後にフォローの検診。
そこでは少し体重も増加。
そうなるまでに、私の姉や母親にたくさん助けてもらいました。
少しずつ、脚がよく動いたりと、赤ちゃんの成長が見られるようになってきました。
少しずつ、少しずつ…
わたしの気持ちが安定することが増えてきました。
【染色体異常の検査(生後11 日)】
染色体異常の検査のために、私の母親に付き添ってもらって大きい病院にいきました。
まずは先生の診察。
今まで出会ったことがないくらい、優しい女医さんでした。
診察では子供の発育状態を診てもらい、
その場で結果の出る「腹部レントゲン」と「心臓の超音波検査」をしてもらいました。
腹部レントゲンは異状なし。
心臓は、卵円孔がまだ空いている(この時期はみんなまだ空いている)ことと、肺動脈が細いことが原因と思われる雑音があるため、経過観察ということになりました。
最後に、染色体検査と血液検査のための採血をして、その日は帰りました。
普段は全然泣かないのに、採血のときに大声で泣いているのを聞いて、
私の母は「ももちゃん、大きい声で泣けるじゃん」と涙ぐんでいました。
【染色体異常の検査結果(生後1ヶ月)】
ももちゃんは、日増しに脚がよく動くようになってきたし、
少しずつ顔つきも変わってきて、
「もしかしたら、ダウン症じゃないんじゃないか!?」と思ったりしていました。
そんな中、検査結果を聞くために再び病院を訪れました。
血液検査の結果は異常なし。
染色体検査については結果用紙を見せてもらいながら、21トリソミーということの説明を受けました。
先生のお話は続きますが、涙をこらえるのに必死でした。
先生の言うことを理解しようとしても、もはやほとんど頭に入ってきませんでした。
かろうじて、他の科の受付で次回の診察を予約することだけを覚えて退室…。
予約をしに行く前に、ミルクをあげるために授乳室に入って授乳の準備を始めたところで、もう涙をこらえきれませんでした。
ボロボロ泣きながら、授乳をしたのが忘れられません。
ミルクを飲むももちゃんは、診断がつく前もついた後も、何一つかわらないいつものももちゃん…。
そんなももちゃんを見て、なぜだかますます涙が止まりませんでした。
病院からの帰路、早速、親しい友人たちに子供のことを報告しました。
ーつづくー
ももえ誕生 ~立ち合い出産はするべき~
娘の誕生話を書きます(トト記)
2017年9月の大型台風がまさに日本へ上陸する頃の話です。
台風の低気圧の影響で出産が多くなる話はよく聞きますが、私の娘もその1人でした。
当時の私は埼玉県で働いており、妻は愛知へ里帰りしていました。
ももえ誕生の前夜(22時頃だったか)。
妻の母から、生まれそうだから入院しましたとの知らせが。。
「今日は遅いから、明日の朝に移動してきてください」と。
頭は真っ白。「はい」といったものの、よくよく考えれば台風で電車動いとるんかいと思い直し、深夜バスなどの移動手段を模索しました。。。
まぁ、ないですね。
とりあえず、泊りの支度だけすませて、何も考えずに車を走らせていたことは覚えています。
途中の神奈川あたりで深夜の0~1時だったか、、、かなりの豪雨でした。
沼津あたりからは雨はないものの、風はすごかったこと、とにかく眠かったことしか記憶になく朝の5時くらいに産婦人科に到着していました。
(本当に事故してしまうんじゃなかって、、台風時の運転はもうしたくないです。)
眠気のピークでしたが、やっとの思いで妻の分娩室へ到着。
ちょっと休めるかな?という甘い気持ちで部屋に入るや、
妻のこれまで見たことのない形相と声(痛いを超えた痛さ)と対面し、
「これは、、、△×■*」という感じ。
助産師さんからは、「はい、旦那さんこられたので、手伝ってもらいますよ~」と、
お父さんへの気遣い一切なく「お尻をぐっと押さえていてくださいね~」の指示。
(「いやいや、なんで押さえるの?、「え?え?」)という私の疑問は
妻の野生の叫びにかき消されました。
立ち合い出産をされた事がある男性はわかるかもしれませんが、この場で男の立場はないです。
何かに疑問を抱いても、聞ける雰囲気でもなく、スマホで悠長に調べる暇もありません。
ただただ、指示された事を成し遂げる!それしかありません。
お尻を押さえる→妻「そこじゃない!もっと手前」→位置修正して押さえる
→妻「もっと強く!」→私「グオォォ」(と言ってはいるが、すでに限界)
この繰り返し。地獄。いや、命削って子供のためにできる最初の仕事でしょうか。
最後には、出口が小さいので、股をメスで切るという判断で、外科医?が到着し、
執刀しました。
妻が自分の血をみて倒れたことがあると聞いていたので、このタイミングで失神はさすがにまずいということで、私は妻の頭に立って、励ましていた半分、自分も気を失いそうになりました。本当に怖かった~
子供はギャーっと生まれて、その時の喜びと感謝(妻と子供と産婦人科のみなさんに対して)は忘れません。
立ち合い出産できたというのは、私にとって本当に貴重な経験
『これから娘をしっかり育てていこう』と強く決心できたのも、妻がつらい経験をして、狭い道を力のない子が一生懸命に生きようと出てきた場面に遭遇したからだと思います。
長ったらしくて、結局何が言いたいのかわからない文章になってしまいましたが、
読者の方に、立ち合い出産は大事なことだということだけ分かっていただければ幸いです。
次回からは、もっと明るい話題を目指します!