とうとう結婚への...!part1
兄が死に、月日が経ち、DV君と別れ、人生の目的を見失った私は、仕事から帰宅すると速攻で飲みにくりだしていました。留学費用として貯蓄していたお金も、ぱぁ~っと飲み代で散財です。
貯めるのは、大変だったのに、使ったらあっけないお金...。たった2か月ほどで、使い切りました。最初は立派なお食事処、そのうち居酒屋、最終的に今は無きステーションビルの3階のちょっとボケてる(?)お婆さんがやってる一杯飲み屋で飲むようになってました。そのお婆さん、生ビール1杯の値段で、頼みもしないのに酒の肴を次々だしてくれるとっても気のいい方でした。あつかましく、ほぼ毎日通っていた私。あの店を潰したのは、私?|д゚)
24歳あたりには、すでに中年のおじさんみたいな飲み方をしていました。
2千円握りしめ!これで飲めるところはどこだ‼?とウロウロと...家で飲んだほうが安付くのに、やっぱり人恋しいというんでしょうか?誰でもいいから、私をあっためてほしいっって感じだったなぁ
たいして好きでもないのに、あっためてほしいという理由だけで、好きなふりして色んな男に近づいて...冷たくされて、傷ついて...本当に馬鹿だよね~(笑)
あのころの自分に言ってやりたい。
『大丈夫だよ、そろそろあなたにピッタリの彼がやってきますよ。飲み歩いていないで、本でも読んで待っていなさい...』と。
遠い記憶...あれは、小学5年生くらいかな、友人の家で、友人の姉の『バイオレットフィズ』をこっそりいただいていたのが、懐かしい。
『バイオレットフィズ』が美味かったのが、ダメだった!
『バイオレットフィズ』こそが、酒飲みになるきっかけだった!
でも今となったら、『バイオレットフィズ』ありがとう!!
君が居たから今の私がいるんだよ( *´艸`) バイオレットLove
何故ならば、『酒』こそが、ダーリンとのキューピット!なんです。
たしか、24歳の夏...自宅に一本の電話がかかってきた。このころでは、黒電話はなかなかレアになってきつつあったが、実家は黒電話でした。おまけに携帯嫌いの私は携帯も持ってなかったのです。
ジリリーン ジリリーン 『〇〇さんのお宅ですか?僕、△△ですが、✕✕さんいますか?』
高校時代に一年近く付き合った彼からの電話だった。
本人であることを告げると、ほっとした口調で『あ~よかった...✕✕が死んだ夢を見ちゃって、居てもたっていられなくて、電話した!』
と新手の口説き文句のような、電話の内容だった。
そのまま、近況を話して、お互い恋人もいないし、飲みに行こうということになった。
私は、と~ても軽いのりで、彼と飲みに行った。
だって!だって!お金も教養も美貌もない、ないないづくしの私に、ご馳走してくれる男性が目の前に現れたんですよ!!!飲みに行くっきゃないでしょう(笑)
単純な私です。ただ、酒が飲みたいだけで...
でもさ~酒飲まない自分であったなら、今さら、なんで昔の男と飲みに行く???
と、あっさり断っていたと思う。( *´艸`)
これが『酒がとりもつ縁』というやつです。
バイオレット神様です。(笑)
兄のせい...親のせい...?
インド留学、一人暮らしもできず、悶々としていた頃に、例の(笑)DV君と出会いました。DV君は『誰かのせい』にするのが得意でした。
私も、留学や一人暮らしが出来なくなったのは、『兄が死んだせい(兄ごめんなさい)子離れできない両親のせいだ』と『人のせい』にしていました。
そして、後悔していました。
類は友を呼ぶとは上手く言ったものです。
DV君と私は、『人のせい』にして自分を正当化していたのです。人のせいにすることは、人の不幸を聞くようにそれはそれは、甘美なものでありました。
親が泣こうがわめこうが、非常識と言われても留学し、やりたいことをやっても良かったわけです。結局、私自身の留学への決心が弱く、覚悟ができていなかった...だけなのです。
今は、わかります。
『今の自分は、自分が今までの人生で、選んできた結果だって...』
『小さな選択を毎日重ねた結果が今の私だって...。』
『人のせい』にすると、とっても楽ちん!
でも『人のせい』にしているうちは、自分の人生を歩んでないっていうこと。
自分の人生を人にゆだねているのは、カッコ悪いということに30歳すぎてから気付きました。
遅いっっ???
いやっ気付いただけでも今の人生での収穫は大きいと、思っています。
20代前半はずっと、何でもかんでも、家が貧乏だから、環境が悪かったから、勉強が嫌いなのは、先生の教え方が悪かったから、頭が悪いのは遺伝だから、顔が悪いのは親に似たから、スタイルが悪いのは親のせい...ぶつぶつぶつぶつ...
今思い出すと、笑っちゃいますが( *´艸`) 当時は本当にこんな感じでした。
なんでもかんでも、人のせい、たいした努力もせずに...
兄のせいではなく、親のせいでもない。
全ては自分が選んできたこと。
DV君と出会い、歪んだ愛(歪んでる時点で、愛と言えるのか疑問ですが)の中で恋愛ごっこを営み、そのままDV君の求婚を受け入れていれば、きっと今頃『2人で地獄に落ちていたか、離婚に至っている...』だろうな。
このDV君、今は実業家として成功していて、ブログなどで、豪遊っぷりを見せている。たまに、こやつと一緒なら贅沢な暮らしだったのかな?と思う。
庭に設置された、子どものプールが6畳くらいあった |д゚)(プール作ったほうが早くない?と一人突っ込み)プールの趣味で喧嘩しそうだ(笑)
反面、贅沢でも、本当の私を押し殺し、彼の母親の穴埋めのために、自分自身を捧げることは、やはり無理があっただろうな~と思う。
そのまえに、他力(夫)ではなく、自分で稼ぐことが、自立の第一歩!ですよね。じゃないと、心の自由は手に入れられません。
でもね、今は、理解できる。
DV君も被害者だと。
だからといって、一緒に地獄に落ちることはできない。
ここで私の教訓
『人生、出会ってはいけない人が居る!』
『やばいかな?とちょっとでも嗅覚で感じたら、獣のように本能のあるがまま、逃げるべし!逃げてもい!危ない奴からは、バックれるべし!!』(笑)
怖い思いや理不尽なことが沢山あったけど、DV君との3年間があったから、今の私がいる。勇気をだして、別れることができ、DV君から解放された。
DV君と付き合っていた頃は、兄や親を恨んでいた。DV君(人のせい)から解放されることによって、兄や親への恨みからも徐々に解放されていった。全機種開放( *´艸`)みたいに一気にはこなかったけど(笑)
『ひとのせい』にすることは『他人に依存』しているということ、DV君とさよならできたことで、『他人への依存』を少しずつ解放することができるようになった。
『自分らしく生きる』ということは、自分を大切にすること。
それが、心の平和につながって、人にも愛を送れるんだと思う。
自分の精神安定が、自分にとっても、周囲にとっても一番大切なことだと、少しずつ気付き始めた20代後半でした。
今回、支離滅裂な文章でした。まとまり悪くてすみません。
いつ結婚話がでてくるの?と思われていますよね?
もう少々お付き合いくださいませ(∩´∀`)∩
兄が死んだあと...
★なかなか、結婚がなぜ異文化交流なのかっちゅう話まで辿り着きませんが、気長にお待ちください。現在、一歳になったばかりの子育て中で、睡魔に勝てず、ブログ更新もちんたらしています。(*ノωノ)★
兄が死んでからというもの、両親の安定剤替わりになった私の生活は一転しました。そして、二人兄妹の片割れが死んでしまったため、たった一人の子である私に両親の注目が集中するようになったのです。
当時、私はインドの美術大学に留学する計画を立てており、インド人の友人にインドでの留学先を探してもらっていました。留学費用も貯まり、そろそろ親に話して、計画を実行させようかというときの『兄の死』でした。
とてもじゃないけど、ぼろぼろになった両親を置いて、インドへ旅立つことはできませんでした。夢よりも親を選んだわけです。
兄の死から半年ほど経ったころに両親の心が落ち着いてきたように思い、家を出ることを両親につげました。
父は好きにしなさいと言ってくれたが、母は泣いて私にすがりました。
インド留学計画と共に、私の独り立ち計画もぽしゃりました。
泣かれると弱い私...。男に生まれていたら、女のウソ泣きにコロッと騙されるタイプになっていたと思います。(笑)
妹である私。という身分から、親から放任されていた(と思っていた)私。
兄が死んだことによって、『家を継がなければならない?孫の顔を見せてやらなければならない?ご先祖様の墓守は私?...私がやらなくちゃなんねぇべ!』
責任ある立場になってしまったと悟った20歳の夏であった。
兄が死んだ
ジリリーン ジリリーン
夕方、黒電話が鳴り響く。(当時、自宅電話は黒電話が主流)
私は、電話にでた。
『警察です。Mさんのご家族ですか?Mさんは、自動車事故に合われ、現在病院に居ます。すぐに病院まで来てください』
私は、頭が真っ白になりそうだった...
しかし、あの兄のことだ(体格が良かった...)たいしたことはないだろうと思い、母に電話の内容を伝え、父が丁度帰宅したので、3人で病院へ向かった。
家族全員が、たいしたことはないだろうと思っていた。
病院につくとしばらく待たされてから、救急センターの医師の説明があった。
医師はCT撮影の結果、大動脈が事故の衝撃で損傷していて、そこから出血しているので、緊急手術をすると...今は奇跡的に意識があるが、この状態で意識があるのが不思議で、とても危険な状態だといった。父は蒼白な顔で手術に同意した。
医師の説明のあと、兄に会えた。医師の説明からひどい状態を想像していた私だが、兄に外傷はほとんどなく、体のどこからも出血していなかった。
医療知識のない私たちは、大動脈からの出血が、どれほど大変なものか、理解できていなかった。
ただ、外傷がなく、普通に話せている兄がここにいることに安堵した。
それでも兄は『背中が痛い、背中が痛い』としきりに言っていた。
私は、兄のコンタクトを外しながら『痛いっていうことは、兄ちゃん!生きてる証拠だよ!頑張れ!』と兄に言った。
それが、兄にかけた最後の言葉となった。
兄は手術室へ
その頃、兄には結婚を約束していた恋人がいた。妹からみても素敵なカップルだった。この人がお姉さんなら嬉しいなと思っていた。
いずれ、兄が結婚して子どもを作り、両親に孫の顔を見せてくれるのだろうと勝手な想像をしていた。その頃の私は、両親や家に対して、責任感というものが、まるでなかった。
その恋人と私たち家族と親戚が長い長い手術時間を待った...。
手術が終わったと家族の呼び出しがあり、兄が死んだことを手術の執刀医から聞かされた。
まさか...まさか...うそでしょ?
執刀医が言うには、手術が始まってすぐに、大動脈が破裂して大出血したと。
人口心臓も当時はなく、とにかく血管を閉じたがうまくいかず、1時間以上医師が交代で心臓マッサージを試みたが、意識も戻らず、心肺停止から回復させることはできなかったと伝えられた。
兄が安置された部屋に通された。そこには、血の気の引いた真っ白な顔の兄が居た。まだ少し温かかった。
痛みと恐怖のなかで、どんなにか、辛かっただろう。なのに最後の言葉が、あんなに乱暴な物言いで終わった私自身に後悔の念が残った。
父は兄にすがり、泣き叫んだ。
『おい!!M!!起きんか!!帰るぞ!!おい!!!起きんか!!!早く家に帰るぞ!!!おい!!起きんか...』
その後は、お通夜、お葬式と、たんたんと儀式が私たち親子の前を通過していった。
母は泣いて過ごすことが多くなり、父は兄にやってやれなかったことを一つ一つ声に出しては、毎夜後悔していた。そして、親よりさきに死んだ兄に怒っていた。
精神的に危ういとこにいた両親をなんとか、日常につなぎとめることが、私の役目になっていた。
兄が死んだのは、9月1日 19歳になっていた私に人生の転換期がやってきた。DV男と出会う2年前の出来事だった。
結婚...?そのまえにpart2
『お前、俺と別れたいんなら、俺の3年間返せよ~!!!』
とK君。
いやいや、あんたこそ、私の3年間返してよ!!と心で吠えたが、穏便に済ませたい私はひたすら謝った。(既に穏便ではないが...)
『ごめんね。ごめんね。K君が悪いんじゃないの!私が全部悪いの!本当にごめんね』
確かに、全部ではないが、彼のDVを受け止めてしまった私、どこかで共依存していたのかもしれない。だから半分は自分の責任。
ひとしきり、泣いて、吠えて、平手打ちして、ハサミをもって振り回し、体力が尽きたのか...。
『俺のこと、そんなに嫌なのか?もうダメなんか?』
と甘いマスクで、甘い声で、つぶらな瞳に涙をいっぱいためて私に聞いてくる。
これに弱い...もういっそのこと、別れ話なかったことにしようかと思う。『君のこと嫌いじゃないよ、むしろとっても愛おしいよ。でもこのままじゃ私がダメになる』と心の中で言った。
この期に及んでも愛おしいだなんて、弱いK君を見て、いてもたってもいられらくなるなんて、どう考えても、おかしいよ。母親だよ。これじゃ...。
これに毎回、騙されてきたんだ。
私は心を鬼にして言い放った。
『うん!もう嫌!!もうダメ!!』
こういった後、わんわん泣いたよ。二人で...不思議、なんで二人で?
この後、しばらくは、彼からの電話や待ち伏せ攻撃など続いたけど、なるべく知らんぷりしていたら、いつの間にか、もう私のところにはやってこなくなった。
風の噂で、新恋人ができたと、その恋人も私のようになっていると、友人から聞いた。
K君、新しいママを見つけたんだね。K君の母親探しはきっと一生終わらないのかな。
『ばいばい、K君』
『ばいばい、狂気の世界。』
『こんにちは、非服従非暴力の世界』ガンジーかよって?(笑)
結婚...?そのまえにpart1
もう、彼との付き合いはやめにしなければ、私が私でなくなる。私がK君のものになってしまうと悩んでいた時に妊娠が発覚した。
K君の陰謀だった。
後でわかったのだが、コンドームにワザと穴を開けてセックスしていた...。
『子どもが出来たら、君と早く、結婚できると思い、いつもしてたよ...穴あけてたよ』と聞いたとき、なぜ気づかなかったのだろう、自分って本当におバカだと思った。
私は、望んでいない妊娠だといっても、自分の子宮に宿った命を簡単に殺してもいいのか!?と悩んだ。K君は私との結婚を強く望んでいたので、産んでくれと毎日せがむ...。
私は、まだ母になる心の準備が出来ていなかった。何より、K君にこのまま支配された結婚生活を送ることが怖かったし、その中で、赤ちゃんを守っていく覚悟もなかった。
罪悪感で一杯だったが、堕胎を選んだ。
K君には、まだ二人で居たいからとか嘘をついて、納得してもらった。
あの時の子どもを産んでいたら、もう成人になる。あのままK君と結婚していたら、私はどうなっていたんだろう。ゾッとする...と同時に子どもには可愛そうなことをしたと思う。ごめんなさい。許してね。
子どもを堕胎したあたりから、この関係に決着をつけねば、と思うようになった。
ある夜、思い切って、別れを切り出した。
『もう、別れよう』とストレートに言った。K君の表情がサッと変わり、目が座った。
『なんで、わかれなきゃならないの?俺たち愛し合ってるんじゃないか?もしかして好きなやつでもできたか?俺は絶対に別れんからな!!!』
と言ったあと、彼の自慢の高級スポーツカーのフロントガラスがビシッと音を立ててひび割れたっっ!彼の鉄拳が直撃!
『ひっ』と私は声をあげた、しかしここでひるんでは、絶対に別れられない。
『好きなやつはいない!ただ、もうK君に愛情はないし、これ以上付き合ったら、私が私じゃなくなる!もう限界なの』
と絶対に別れたい私は、頑張った。
でもね、その時もK君のことが凄く愛おしかった...。
別れたくない自分をなんとか振り切った。
その瞬間左の頬に衝撃が...。
今まで、肉体的な暴力は受けたことがなかったのでビックリした。(仕組まれた妊娠は肉体的暴力かな)
K君のタガが外れたようだった。プツンと決壊した。何度も殴られた。
男性からこんなに殴られたのは、生まれて初めてだった。痛さより、あんなに強固なフロントガラスが割れたことが衝撃的だった。
彼はボクシングジムにも通っていたので、手加減しなければ、私の顔は顔面崩壊していたと思う。手加減してくれた(この考えが既に支配された人間だよね)といっても顔には大きな紫色の痣が!
顔の痣を隠すためにしばらく。でっかい絆創膏が必要だった。
とりあえず、その日は家に帰してくれた。
次の日にまた話し合おうとK君が言う。で、のこのこと私は、また彼の車に乗り込んだ、(台車だった)おバカ。
『お前、どうしても俺と別れたいんだったら、俺を殺せ!』
とハサミを私の手にもたせ、自分を刺すように迫ってきた。
それで、とにかく車の中でハサミをもちながら、揉み合った。
その日は、K君は泣き喚いた。それでもって、私の顔を今度は平手打ちした。痣の上からの平手打ち...。痛かった...。これも人生初(笑)だった。
結婚なんて...
結婚なんてするもんか!幼気な私が(笑) 22歳で、当時の恋人との間に授かった子を(その恋人を仮にK君と呼ぼう)堕胎したのも、結婚したくなかったから...。
というか、K君とは、絶対に結婚したくなかったから。
K君とは笑いのツボも合い、毎日、合わなければお互い気が済まないくらいに恋していた。さかりの付いたオスとメスだった。
K君は仕事の出来る男で、男友達からも『男らしい』と言われ、私もK君は、いわゆる『男らしい』やつだと思っていた。
今となれば、『男らしい』の定義も問題だが、当時は気前もよく、体も逞しく、生活力のあるK君を愛していた。22歳なりに...今思えば、本当に幼い恋物語。
3年間付き合う内に見えてきた、彼の暴力性。簡単に言えば、母親へのねじれた愛を持ったDV男だった。
K君は、いつも私に『恋人と母』を求めてきた。
K君は『幼いころに両親が離婚して、本当は母親について行きたかったけど、よそに恋人を作った母親を許せなくて、父親と生活することを選んだ。どっちと暮らしたい?って酷だよな。俺、母親のこと大好きだったのに、裏切られた気持ちで一杯だったよ。もう母親には二度と会いたくないし、あんなやつ母親じゃない』
と口癖のように私に話した。
それは、母親を心底で求めるK君の心の裏返しであった。
母親に執着していた。母親をとっても必要としていた。
それに私が、築いたころには、私はK君の恋人兼母親になっていた。
少なからず、男性というものはどこかで、女性に母親像を求めるものだとは思う。しかし、K君のは度が過ぎていた。そして、母親がよそに男を作ったことが、影響しているんだろうか、異常な嫉妬で、だんだん、私を支配するようになった。
ある日、町で従兄弟のお兄さんに偶然あったので、挨拶を交わすと、『自分以外の男と話すな!』と突然怒り、帰ってしまった。
あまりにも理不尽で意味不明な態度にきょとんとなった私は、町中で一人、取り残された。
またある日は、海水浴場で、私の同級生の男女がBBQしているところに偶然居合わせてしまい。その中の同級生に声をかけられただけなのに、これまた突然怒り、私を置いて帰ってしまった。ポツンとなった私は、騒々しい浜辺に一人取り残された。
外出先やアパートで二人っきりだと、失った母親を取り戻すかのように甘えてくる。
『母親はプリンがとても上手だったから、作って。母親は...』
母親のようになんでもやってくれる恋人を求めるようになった。
あんなに憎んでいる?母親なのに、車で母親の実家の前まで行き、私にまた母親の悪口を語る。
私は、K君と別れたほうがいいと思うけど、別れられない状態になった。
K君の心の闇を見てしまった自分...私しか彼を守ってあげられないとまで思うようになった。
完全に彼に支配されていた。