2016年1月17日について綴る②

ここから開演するわけだが私は他の方のように一曲づつ細かく書くことはできないので、覚えている限り、また印象的なところのみ綴っていこうと思う。

いつもの大正駅からの映像に始まり、円陣のシーンがきた。「大倉の分も声出して!」と言って円陣に私達を加えてくれるような形にしLIVEが始まった。

そこからはもう全員ががむしゃらだった。キングオブ男では亮ちゃんとすばるが歌詞を「愛する大倉のためだけ」などと大倉くんに変えて歌ったり、へそまがりでは安田が大倉くんのうちわをだして歌ったり。がむしゃらで丸が「そんなんじゃ大倉に届かないでしょ!もっと!!!」と言ったのに対して声を振り絞る私たち。

みんなが大倉くんのうちわを持って歌い、大倉くんの分まで、大倉くんのために、ファンのためにと必死になっていたように感じた。

バンドのセクションでは真ん中に誰も座らないドラムセット。これを見たときやっぱりとても悲しかった。あー夢じゃない、大倉くんはいないんだって感じさせられた。そんな空気を感じてか全く関係ないかはわからないが突然ドラムセットに座るよこ。「え、まじでまじで?できるん?」と思っているとなんだかシャンシャンと鳴らし「こんなん大倉しとったよな〜へへへ」と言いながらいつもの場所に戻った。「そらそうだ。」と思わず笑ってしまった。

バンドではサポートの方がいるのはわかっていたのでその方がドラムを叩くのだろうとは思っていた。しかし素人にもわかるほどやっぱりいつもとは違ってきこえた。サポートの方はもちろんプロなのだ。そんなことはわかっているがいつもと違う音に「あぁ大倉くんがいないとだめだなあ」と思ってしまったのも事実である。

言ったじゃないかが始まった。いつものセリフの所で思い思いに大倉くんに対してのセリフを言うメンバー。「腸閉塞にならないって言ったじゃないか!」「昨日まで元気やったやないか!」「いっぱい食べたらお腹詰まるよって!」「言わんこっちゃない!」という見事な関ジャニ∞のオチぶりに私は思い切り笑った。大倉くんのばかやろうと思いながら笑ったのだ。

キャンジャニでは倉子がいないぶん安子が二重人格になったり、倉子がいないことが関係してるのかいないのか村子がいつも以上に盛り上げてくれた。相変わらずブスだな〜と思いながら私も笑っていた。

そしてMCがはじまった。
仕事の話以外ほぼ大倉くんの話をしてくれたメンバー。なによりMCはじまってすぐ「やっぱりめっちゃ緊張してたんやろな、、、フリとかいっぱい間違えた」と苦笑いで話す亮ちゃんに私はなんともいえない気持ちになった。これまで彼はいろんな経験をしてきた。ファンが知ってることだけでも数え切れない。しかし1度も弱音をはくようなことはなく、常にみんなの前に立ちなんでもないことのようにこなしてきた印象がある。その彼が少し笑いながらであるが話していて私はとても胸が苦しくなった。思えば大倉くんのパートの多くは彼が歌っていた。やはり場数を踏んでるだけあり、こういう時動じることなくすぐにフォローに入れるのはやはり彼なのだと勝手に考えていた。しかし彼なりに当然感じることがたくさんあったのだと思い知らされた。
ただメンバーが笑って大倉くんのことを話す姿に、会場にいるファンは皆安心したことだろう。「元気が出るLIVE」と銘打ってやっているにも関わらず最後の最後に病気になった大倉。「盛大なコントや」と言いながら思わず笑ってしまうメンバーの姿に救われた。


2016年1月17日について綴る①

この日のことをどこかに残しておきたいそう思い、久々にブログを開いた。はじめに言っておくがこれは私の勝手な見方や考え方によるものなので、人によってこのLIVEの感じ方はそれぞれである。そのあたりはご了承願いたい。

2016年1月17日。この日は2015年12月13日から始まった、『関ジャニ∞の元気が出るLIVE』のツアー最終日であった。今回初日の札幌から参戦した私は、横山担の友人とおわっちゃうね、バナナジュースも最後かあとか言いながら京セラドームに向かった。開演前いつも通り用意をしながらライブについて話をしていた。ふと時計をみると16時である。「あれーーまた機材かなんかトラブルかなー、」とか思いながら呑気に待っていると突然舞台に現れる黒い服を着た集団。悲鳴のような声が一瞬あがるがすぐに止んだのではなかっただろうか。正直ここからのことをあまり詳しく覚えていない。ただ私たちは瞬時に気づいた。1人足りない。金髪がいない。つまり大倉がいないということに。その瞬間一気に体温が下がるのを感じるとともに目のあたりだけが異様にあつくなった。お揃いのパーカーになぜか私服の6人。ああやってしまったのか?これは関ジャニ∞おわったのか?急に出れなくなるということは何か大倉くんが起こしてしまったのか?と正直不祥事かと考えてしまった。その点については大倉くん、ごめん。ただメンバーが欠けるということに非常に敏感になっていた錦戸担の私はもう耐えられなかった。お願いだから夢であってくれ、ここから先のことを聞きたくない、見たくないと思った。

そんなことを考えていると、村上が「大倉は急性の腸閉塞になり、直前まで出たがっていたがドクターストップになった」といったようなことをファンに伝えた。私は正直ホッとした。ホッとしてよいのかわからないが、正直のところ安心したのだ。今日だけ大倉くんは出れないのであってまた7人の姿にすぐ戻るのだということにとても安心したのだ。

すばるだっただろうか、「今日6人でやってもいいかどうしようかということをみなさんと決めようと思った」と話した。こういう時にその場にいるメンバーとそしてファンと話し合って決めたいと言う関ジャニ∞をみて、とても関ジャニ∞らしいなと思った。

「6人でやってもいいですか」「やらせてもらえるなら俺らは全力でやる」と言ったメンバーにファンは大きな歓声をあげた。しかし喜びの歓声というよりは、私たちも全力で受け止めるといったファンの想いのようにも感じた。

こうしてメンバーは一度はけ、会場にはいつもの映像が流れ始めた。しかしこの映像をいつものように見れた人はほとんどいないだろう。大倉くんを心配する人、大倉担を慰める人、泣きだしている人、複雑な想いをしたまま会場を見渡す人、、、それぞれがいつもと違う想いを持ちながら開演を待っていたあの空気は異様なものだった。

2016年1月17日について綴る③

ユニットコーナー
最後の『渇いた花』。とってもいい雰囲気だった。とってもいい顔をしていた。最後「ありごがとう、ひな」と言って握手する2人にただただ拍手を送った。

『バナナジュース』
思い返せば初日の札幌公演。突然サックスを吹く自担の姿に私は腰を抜かした。その時のことを衝撃すぎてあまり覚えていない。ただただ楽器を奏でる2人の姿に釘付けになったのだ。そんなバナナジュースも最後を迎えた。やっぱり最後もかっこよくて素敵だった。そして「よっしゃ!!!」と言いながら
がっちりと握られた手と手。2人のいつもの距離感は相変わらずだったがそこにはやりきったという、清々しい顔の2人の姿があり、私は隣の横山担とハイタッチをした。

『my store』
丸とやすの2人でするのかなあと思っていた
ら現れた3人の姿。今から思えばこのタイミングでステージに立てるのはすばるしかいないがその時はだれ!!!っとなった。歌もダンスもはちゃめちゃだった。それでもがむしゃらに動き回るすばるに、そのすばるをフォローする丸とやす。会場はその3人の姿に歓声をあげた。なにより普段ぴっちぴちの大倉の衣装は当然すばるにはだぼだぼで、まるで
コナンくんであった。かわいい。

『KING』ではその3人がそのまま残り、はちゃめちゃであったがそれはそれで愛おしくみえた。このあとのWASABI』で私は再び大倉くんの抜けた穴の大きさを知る。大サビで亮ちゃんと大倉くんの2人で歌う場面があるが、当然この
日は亮ちゃんのみであった。いつもは下ハモを大倉がし、あつみのあるそこはやっぱり物足りなさがあった。亮ちゃんはいつも以上に力を込めて歌っていた。とても伝わった。それでも大倉くんの抜けた穴は大きかった。

『韻フィニティ』ではなにより大倉くんのセリフである「俺んとここいや」を亮ちゃんが言った。大倉くんと大倉ファンのみなさん申し訳ない。ごちそうさまでした。最高。悲鳴ものでした。

ここから曲は進み再びバンドセクションに入った。『High Spirits』からの『勝手に仕上がれ』。かっこよすぎた。会場内のヴォルテージは異常なほどに上がっていた。どう言葉にしていいかわからないが、6人とそこにいるファンのみんながただただ1人のことを思いながら声をあげたように感じた。これまで感じたことのない雰囲気がそこにはあった。


いろいろな所ですばるの涙については言われている。ただ号泣という言葉だけは否定したい。悲しい想いをしたファンのこと、ここには大倉くんがいないこと、この時すばるの中にどれだけの想いがあったのかわからないがとにかく堪えきれずにただ涙を流しのだ。思わずその姿に涙を流すファンも多くいた。あついものを感じずにはいられなかった。「、、、ごめんなさいね」と小さな声で言ったすばるを見てあついものを感じずにはいられなかった。誰よりも不安だったのは、悔しかったのは間違いなく7人だったのだ。


『侍唄』
いつも以上に力強いギターと優しい亮ちゃんの歌声ではじまった。わたしはこの曲を聴きながら、彼らが私たちの前にいるのは当たり前ではないのだといつしか感じた想いを思い出していた。

アンコールの『元気が出るSONG』では大倉くんのパートをファンが歌うことになった。いつもは少し離れて立つメンバーも大倉うちわを囲んで真ん中に集まって歌っていた。大倉くんのパートは予想通り低く途中ほとんど歌えなかったが、それをにこにこと聞いているメンバーを見て私は思った。なんだよ最高かよ。だいすきだよと。そして最後は「呼べるまで」の歌詞を「お大事に」と変えた錦戸によって関ジャニ∞の盛大なコントは終わりを告げた。

ダブルアンコールも出てきてくれたが関ジャニ∞は歌わなかった。これが男の美学だと頑なに首を振る亮ちゃんに、他のメンバーにかっこよすぎかよと私は惚れ直していた。その想いをファンもみな受け止めた。必ず7人の姿をみせてくれると信じて。

この日のことを私は2度と忘れないだろう。楽しかった。たくさん笑った。でもやっぱりずっと悲しかった。切なかった。メンバーが1人足りないことが辛かった。メンバーが欠けるということに敏感な私はあの時のことを思い出さずにはいられなかった。2度と見たくない光景だと心から思った。それでもただ、大倉くんのために、大倉くんのファンのために、ここにいるeighterのためにがむしゃらになるメンバー、そしてそんなメンバー6人を支えるために必死に答える会場。互いの想いが、熱が爆発していた。大倉くんはこの場にいなかったが大倉くんの存在を1秒たりとも忘れることのないLIVEだった。

大倉忠義の腸よ、はやく元気になってくれ。そして大倉よ笑ってへらへら帰ってきてくれ。それで今回のことは水に流そう。もちろん大倉くんはなにも悪くない。誰も悪くない。ただしばらくの間は腸のことをいじられるだろう。それくらいは大倉くんよ我慢してくれ。これは盛大なコントだったのだから。


NEWS錦戸亮が消えた日

ふと4年前のことを思い出した。そこで今感じていることを書き留めておくことにした。いつかこれを振り返る時が来るかもしれないし、書いたことさえ忘れてしまうのかもしれない。それならそれでいいだろう。しかしこれから書くことは、あくまでそのへんのただの錦戸担が錦戸亮を中心にみた勝手なものなのでご了承願いたい。

4年前の10月7日。突如ネットニュースにあがった『山下智久錦戸亮脱退』の文字。この時の衝撃は今でも忘れられない。これが事実なのか嘘だと信じたい。認めたくない。その一心であったが、そんな願いも虚しく、無情にも彼らの名前はNEWSの中から消えてしまった。
あの時の気持ちをなんと言い表したらよいのか、今でも分からない。ただ切なさ、悲しみ、やりきれない気持ち、驚きいろいろな気持ちが入り混じっていた。そこに怒りという気持ちが無かったのは、やはり私が錦戸担だからだろうか。裏切られたと言う人が多い中、私はそんな気持ちにならなかった。
錦戸に関しては擁護する声も多かった。「いつかはこうなると分かっていた」そんな声も聞かれた。しかし錦戸亮という人間を常に中心に捉えていたはずの私は「まさかこんなことになるとは」の一言だった。今から思えば非常に浅はかな考えである。ただ、前例のない2つのグループの中心に立つ彼が、誇りだったのだ。自慢だったのだ。だからこそこんな日が来るとは考えていなかった。いや、考えようとしてなかったのかもしれない。

脱退してから5人はあらゆる場面で脱退に関する話をした。私は話を聞くたびになんとも言えない気持ちになった。4人は脱退した2人を今も仲間だと話したかと思えば、違う所ではまるで裏切者かのように話をする。恐らく言い方や受け取り方でも大きく変わるのだろう。しかし、錦戸担である私には理解し難い発言も多かった。8年間センターに立ち続けたのは紛れもなくあの2人である。結局8年たっても世間からは『◯◯と愉快な仲間たち』と見られていたのも事実である。
なのに、なぜそんな風に2人のことを言えるのか、私はこの脱退の一件から一度もなかった怒りという気持ちが初めて芽生えたのだ。そしてその度に何度も思った。彼の口からも聞きたい。話をしてほしい。

しかし彼は脱退後のコメントを最後に、一切その話をしなかった。その時何を想い、どう決断に至ったのか。一切語られていない。今後語られることも恐らく無いだろう。語る必要がないと考えているのかもしれない。もしくは抜けた側が話せることはないと考えているかもしれない。その真相はわからないが、ある時私は気付くのだ。「あぁ、私が好きになった彼はそういう人だった」と。そういう所も好きだったのだ。そして今も結局そんな彼がかっこいいと思ってしまうほど、私は錦戸亮という名の底なし沼にはまってしまっているのだ。

私は未だに6人のNEWSが好きだ。あのきらきらした6人を忘れることができない。6人のあの儚さが好きだった。今ほど仲の良さはなかったかもしれない。それでもあの6人が創るNEWSという作品が大好きだったのだ。

あの時どうするのが正解だったのか。誰もが一度は考えたことがあるのではないだろうか。私は何度も考えた。考えた所で何も変わることは無いが、それでも懲りずに考えた。そして未だにその答えを出すことができていない。しかし6人がそれぞれの道で笑えている4年目の今、これも1つの正解だったのだと心から言いたい。