自分の前世はなんだろう 抹茶か?

 自分の過去に書いた記事をふと眺めていて、RADWIMPSの「前前前世」を再び聴いた。相変わらず野田洋次郎の言葉の詰め込み方はすごいやと関心しながら「前世」のことを考えた。 

 「前世」一般的か知らないが、「理由は分からないけど妙に好きなもの」が前世である可能性があるとどこかで読んだ。君の名は。の瀧君が妙に風景画に惹かれるように、何気なく興味が湧くもの。

 それで自分がなんとなく好きなものを考えたら、まず浮かんだのは「言葉」だった。言葉遣いが人となりを表し、人を人たらしめると思っていて、昔から人が使う言葉にはなぜか興味があった。とりあえず当てはめると、前世が「言葉」になる。言葉が前世ってなんだ。僕は書物か?原稿用紙に書かれては丸めてポイか?ありふれてどこにでも埋もれているってか?それは現世でもだぞってやかましいぞ。悲しいぞ。

 

 言葉が前世は意味が分からないので、次。「抹茶」だ。僕は抹茶が好きで、どこいっても緑のものがあったら食い付く。問答無用で「抹茶ああ」と脳内で叫びながら擦り寄る。別に家に茶室があるわけでも、茶道部に入っていたわけでも、お家柄が由緒正しいなんて事もない。

抹茶味の何かが好き。点てる抹茶も機会があれば好んで飲む。利休せんきゅう。そうなると前世は抹茶か。うーむ、摘んで摘まれて粉にされてるわけか。シュレックみたいに緑色をしていたわけか。綺麗な緑色だといいな。美味しいと思われ、茶碗を回されていたわけか。

 

 なんでこうも無機物ばっかりなんだ。生き物で好きなものはいないのか。動物動物、猫かな。猫が一番好きだ。造形美、自分勝手な所、鳴き声。どれをとってもパーフェクト。フッキンハイキンスベテキタエレば、キミもperfectbody。パーフェクトと発すると脳内でケイン・コスギが再生される病を誰か直してほしい。

 

 何はともあれ、猫が好き。自分がなんとなく好きなものって中々言葉に出しづらい。最後まで動物が出ずに最終的に文房具にでも行き着くんじゃないかと考えたので、猫が出てきたよかった。

褒め言葉のつもりでも安易に「似てる」と言わないほうがいいと思った話

 先日、あるライブハウスに行った時のこと。友人のバンドが出ていて、それを見に行った。終演後その友人と話しているところに、女性が来た。どうやら演奏がよかったのでCDを買わせてほしいとのことだった。自分もそのバンドが好きなので、自分のことのように嬉しかった。確かに嬉々に溢れていたのだ。この時までは。

 その女性は、キラキラとした目で友人に感想を述べる。ライブはたしかにかっこよかった。またファンが出来たと、なぜか自分が誇らしげになっていた。

 そのまま女性は、僕の顔をじっとみる。感想を述べるときのキラキラした目でそのままこちらを見る。僕の顔に何か付いてますか?と聞きそうなった瞬間、こう言われた。

「なんかめちゃくちゃ好きなバンドのボーカルに似てるんですよね、でもここにいるわけないしこんなに背高くないし違う人でした」

 なるほど。だから目を輝かせてこちらを見ていたわけか。「もう答え出てますけど、別人ですね」と当たり障りのない返しをし、軽い世間話や音楽の話に興じる。

 この時点では悪い気はしなかった。問題は家に帰ってからだ。

 ふと気になったので、そのバンドをYouTubeで探してみた。サムネイルの時点で嫌な予感がした。バンド名は伏せるが、それが絶妙に自分の苦手な顔だった。

 人の顔をとやかく言うつもりはない。ただ苦手な顔というのはどうしても存在する。自分はよくバンドのボーカルに似てると言われることがある。いつも名前が上がるバンドは自分が好きなバンド達であることが多いので、たいして嫌な気はしなかった。 

 しかし今回まったく知らないバンドのボーカルに似てると言われ、それが自分の苦手な顔だった。「これが同族嫌悪ってやつなのか」と深い溜息をついて、むき出しの鏡にそっとシートをかけた。

 褒め言葉のつもりで、自分が「かっこいいかわいい」と思っている人に似ていると、他人に言うことがたまにある。けど、それは受け手からしたら褒め言葉でない可能性がある。そもそも似てると言われることを嫌うひともいるし、似てるとされる対象の顔が好きじゃない可能性も高い。自分だってあまり似てると言われるのは好きではない。今まで上がっていた「似てるのリストが」自分もたまたま好きな顔だっただけだ。

 ある人に、無視「◯◯に似てるは、褒めてるつもりでも言われてる方はあまり良い気がしない」言われたのを思い出し、「あぁこういうことね」と改めて反省した次第。

 その人の顔が好きだったり人間性が好きなら、その人自身が好きだとどうにか伝えたほうが幾分かマシだ。僕も気をつけようと思った。

 

お腹が減ってないのにファミポテを注文していた

ファミポテ。

 

 最近、Twitterのタグで「#ファミポテ」と呟くことでファミポテが当たるキャンペーンをしていた。Twitterのトレンドにも載っていて、2日くらい否が応でも目に「ファミポテ」という言葉が飛び込んできた。

 

 ついさっき、コンビニに寄って明日の朝のパンでも買おうとしていた。なのにレジ前で「ファミポテ下さい」と言っている自分がいた。晩御飯を食べた帰路でのこと。お腹はパンパンで全く食料を欲してない。なのに、注文していた。

 

 「あ、ファミポテある買おう」とノータイムで考えてしまった。否、考えてなかった。

 

 新しいファミポテの謳い文句としては、「北米産ポテトの新しいホクホク」が一つ上がっている。楽しみだ。ホクホクという擬音は湯気を連想させとても暖かい。

 

 家に着き、食す。食べた感想は「イモだ」という情けないものだった。

 

「あ、イモだこれ。イモだ、紛れもない、IMOだ」

 

 パンパンのお腹、ゆっくりと腸へとたどり着くイモ。でんぷんがお腹の中で返り咲いてる気がする。頭はもうチンプンカンプン。

 

 しかも、公式には「シーズニングやケチャップなど4種類が選べる!」とアナウンスされていた。一言も店員からそんな言葉なかった。

 

「ファミポテください」

店員「はい」

 

以上。選べるどころか、聞かれてすらいない。どこに選べる要素があったのか。

 

 もちろんケチャップすら入っていない。塩も薄く、ほとんど味がしない。たしかにホクホクしている。あまりにもヘルシー。しかし味はしない。もう一度言う。ケチャップすら選ばせてくれなかった。鬼畜か畜生。

 

 たった2日程のハッシュタグだけで、頭の中にファミポテという言葉が瞬時に浮かんだので、巧みに言葉を誘導されると、変な壺でも買ってしまう恐れがある気がする。どうか売りつけに来ないで下さい。

 

 満腹状態のときはゆっくり作業なり対話なりを楽しもうと改めて思いました。