問題山積 さらにどん!

観劇とか、自分のすきな役者とか、すきな舞台とか

舞台の神様

私は常日頃から「舞台の神様教」を信仰しています。

いつでも入信お仲間ウエルカム!

簡単です。何事も「舞台の神様の思し召し」って思うだけです。

○チケットがとれなかった…!

 →その日になにか舞台に行けない用事があるのかも。もしくは別の手段でチケットが入手できるかも。

○チケット申し込むの忘れた…!

 →その日に私がチケット申し込まないほうがいいのかも(友達と協力しててそっちがあたるとか)

○端っこばっか!

 →端っこだと出やすいし、イベントだとデハケの役者がみやすいね。

○後ろばっか!

 →舞台全体をみたほうが面白い舞台だったし、推しは後ろをうごきまわってた。下手に前より後ろの方がみやすかったし視界良好!

○上手(下手)ばっか!

 →もしかしたらそっちで推しのおいしいシーンがあるのかも。

 

…まあ、よかった探しをすればそれなりによいことはあるもので。

何より、闇をためないですむのでおすすめです。自分の努力でどうも成らないのは神様の差配。人事を尽くして天命をまつ。

 

 

2017年をふりかえる

2017年、どんだけ舞台をみたのかはあとでふりかえりますが、

ぱっとおもいついた「これがよかったよ!」作品をぱぱっと挙げます。

理由はまた後日!!

基本的には、「これはできるなら見てほしい!」っていうおすすめ舞台です。

 

○これぞ「2.5舞台と原作の幸福な出会い」だと思う ※DVD発売済み

 →ミュージカル「スタミュ

○1回みたら癖になる。結局四枚増やしました ※DVD発売予定

 →ライブミュージカル「SHOW BY ROCK!」

○地味なスパイの世界を世界観維持+スタイリッシュ増しで表現 ※DVD発売済み

 →舞台「ジョーカーゲーム

○おとぎ話と宇宙のコラボレーション。見終わったあとに明るい余韻が残る ※三月DVD発売

 →「モマの火星探検記」

グリーフケアとして最高。特にセットで見てほしかった作品

 →朗読劇「旅猫リポート」

 →「ボクの死んだ日はハレ」

○タンゴの調べとともに紡がれる人生。愛と信念の物語 ※2018年1月宝塚SKYSTAGEで放映

 →「ラストダンス―ブエノスアイレスにて」

○作品世界を見事に体現。夢うつつの世界へ ※DVD発売済み

 →「陰陽師

○渋さと実力がかみ合った2.5でありながら2.5らしからぬ舞台 ※DVD発売予定

 →「ACCA13区監察課

 

ファンのカースト(お金を落とすのが正義なのか?)

微妙なタイトルになったけど、

ここでは、舞台俳優に関してと話を限定しておく。

テレビを主戦場にしている俳優は話がややこしくなるから、比較としては出すけど、今からの話には想定していない。

 

さて、ずーっと永遠に繰り返される話題で、

「舞台見に行けないけど、●●への愛は誰にも負けません」

「歴=ファン」「お金落とす(グッズかう、舞台通う)=ファン」じゃない!

 

っていう発言と、

 

それを「茶の間がなにいってんの」と見下す古参ファン…というのはたぶん、

ずっと相容れないんだろうな、と思う。

もうイスラムキリスト教の聖戦みたいなもので、己の信じるものがまったくちがうのだから相容れない。

 

ただ、この場合ちょっと面白いのは「宗旨替えはありうる」ということ。

お金の問題と歴の問題はちょっとちがうんで、わけて考えないとややこしいことになるんだけど、特に「歴」はいつのまにか、「歴=ファンじゃない」っていってた子が、「にわかが」って古参側にいたりする。

 

歴だけでいったら、とにかくいつから知ってるかっていうシンプルな部分だからわかりやすいんだけど、実はここも複雑。

昔から知ってた、と言う人も、間は全然ノータッチとかもいたりする。

そこでもちだしてくるのが、「どんだけ現場にいたか」っていう尺度なのかなあと。

歴はねつ造しない限り、最初からきまってしまっているけど、どれだけ熱心に応援してるか、どれだけ通っているかというのは今後の努力次第でなんとでもなるわけで。

 

さて、

私はいろんなモノに優先して見に行く推しが二人いる。ジャンルは違う。

若い推しのほうは、ほぼデビューから見てる。公の席という意味では、お披露目のイベント見てるからまちがいない。

そのあとも、なんだかんだで舞台作品はほぼ全部みてるし、映画も大概みているしで、そういういみではかなりの濃いファンだろうと思う。

…まあぶっちゃけいえば、「見てはいたけど一押しではなかった」期間は結構長い。自分で認めてなくて、でも推しだったよ、っと言われ初めてから自分が認めるまで三年かかったけどね。

 舞台も相当通っているし、グッズも買ってる。そういういみでは金を落として現場にいってる。かなり昔から。

 

もうひとりの推しは、大ベテランのおじいちゃんだ。

私が生まれる前から芸能人で、とにかく、まだ活躍してくれてる間は(年齢的にもういつやめてもおかしくない)追いかけたいとおもって追いかけている。

幸いまだまだお元気なので、当分は見られるだろう。

こちらの歴は全然短い。

デビュー当時のファンのおねえさまだってごろごろいる中で、うん十年前から存在はしってるけど実際においかけはじめてまだ一〇年未満なんて、にわかもいいところ。

 でも、ベテランのファンのおねーさまがたには大変おせわになっている。

 

この二者では、まさしく私は聖戦の反対側に位置しているのだ。

だからこそ、私は言いたい。

金を払うからファン、払わないからファンじゃない、お金払ったほうが偉い、とは思わないけど、

いままで推しの芸能活動をささえてきたのは、古参のファンがお金落としたからだよねと。

 

そこを「無価値」のようにあつかう新規ファンの発言にむかっぱらがたつ古参の気持ちは正直わかる。

まあでも、おかねはらったから偉いわけじゃないとほんとに思います。ファン活動はそれぞれで、状況も環境もあるでしょう。なのに、そこにカーストを作ろうとしたり、そのカーストを打破しようとするからそんな話になっちゃうんだろうなと。勝手な推察です。

 

つづくかもしれない。

 

 

 

 

2.5舞台とはかくあるべき、とは

2.5舞台とはかくあるべき、とはいわないけれど

 

この春、私は二つの対照的な舞台をみた、と思う。
それは「ミュージカル『スタミュ』」と「舞台『ジョーカーゲーム』」である。

この二つは、つまるところ自分が推し俳優のためにかなりの回数通ったのだけれど、いろんな意味で対照的だなと思っている。

変なたとえなんだけれど、関数のイメージ。

原作×[演劇手法]=評判のよい2.5舞台

あくまで舞台に通う中で感じた体感にすぎないのだけれど、「スタミュミュ」も「ジョーカーゲーム」も、原作に根強い人気(ぶっちゃけでいうと、濃いファン)がある。そのうえで、その原作ファンの、舞台化の評判はとてもよかったと思っている。

上の関数(この場合は本来の「函数」のイメージなのだけれど)では[演劇手法]の部分が、スタミュミュとジョカゲでまったくといっていいほど違う。
それなのに、評判がいい。
それはつまり、「評判がいい」という手法はなにも一つではなくて、正解があるわけではない、ということだ。

あたりまえのことなのだけれど、作品によって演出のあうあわない、は明らかに存在する。

またもおかしなたとえになるけれど、ふわっふわの少女漫画(自分年寄りだからネタが古いけど、たとえばときめきトゥナイトとか)を、さいとう・たかを(ゴルゴ13ね)の絵柄で描かれても、まったく萌えない。
反対に、ゴルゴ13のストーリーを、池野恋の絵柄でやられても困る。
少女漫画のきらきらした絵には、たとえば「エロイカより愛をこめて」とか「ツーリング・エクスプレス」みたいに、同じスパイものでも華やかな部分を前面にだしたストーリーがあってくる。
エロイカに関しては、少女漫画とはいいながら、人物造形はおっさんのかき分け含め、少女まんがらしからぬ絵柄であることはこの際おいておく。華やかなキャラクターがいて、華やかな部分があるのは事実だからだ)

ものすごく余談だけれど、あわない作風なのに、力業でなっとくさせてしまったのが、立原あゆみだとおもう。あのシュガーテイストでかわいらしい絵柄で、一貫してヤクザモノを書き続け、結果それで納得させている。すごい。(大昔は、彼は少女漫画誌で書いていた。当時の漫画は結構好きだった)


まあ、ちょっと話がずれたけど、作品にあった作風、演出技法というのがそれぞれ異なっている、というのは考えてみれば当たり前の話だ。

だから結果的に「アニメファンがすごく楽しんでくれた舞台」と一口にいっても、その表現方法は全然違っても当然なのである。

だから、2.5はこうやればいい、っていう正解は正直ない。

 

スタミュとジョカゲで、原作ファンの満足する部分は明らかに違う。

基本的には、「キャラクターがそのまま舞台にいる」という感動は必須だと思うのだけれど、(そこには、トータルで「らしさ」が表現されていることが必須)
その上で、「スタミュミュ」は「アニメがそのまま舞台になった」という感動があった。
対してジョカゲの場合は「みたかったD機関員」という部分が大きいような気がする。
スタミュミュでも、「ここのダンスの振り付け見たかった」っていう部分はあったろうし、ジョカゲでも「このシーンがまんま再現されている! 仕草がまんま○○! ○○が生きてる!!」という感動はたしかにあったと思う。でも大きな感動ポイントはそんなふうに対照的だった。

 感動ポイントがちがうなら、当然、そこを演出するアプローチだって違う。だから、それぞれが全然ちがった舞台だったけど、2.5舞台として成功した、といっしょくたにしていいんだと思う。

 

そのうえで、この2作品に共通する部分はたしかにあった。

一番大きいのは、「原作(アニメ)へのリスペクト」だと思う。

そして、原作スタッフの全面的協力。実際どのぐらい協力しているかはわからないけれど、スタミュもジョカゲも、公式や関係者が舞台についてずっとつぶやいてくれているのはそれだけ注視しているからだろうし、それが原作のイメージをそこなうものであったら、そこまでつぶやかないと思う。とくに終わった後に。

(始まるまえは宣伝の問題もあるから、つぶやくのはまあ…ビジネスとしても大事なことですよねうん…)

2.5でも、原作陣ノータッチってけっこうあるけれど、この2作は、たとえばスタミュは原作のスタッフがかなり名前を連ねているし、ジョカゲもどうやらかなり原作側と協議した形跡がみられる。

 

変ないいかたになるけど、原作を尊重し、原作スタッフと交流があるというのはものすごく大きなことだと思う。特にスタミュでそれを感じた。

ランズベリーアーサーという、アニメも舞台も関わっている役者、共通でかかわっている振り付け者。

舞台が独自解釈だけで完結せずに、(そのままうけいれるかは別として)原作側の人間に、意見を求めやすい環境というのはそれだけで貴重だし、「…どうしてこうなった」がすごくすくなくなると思う。(なにごとにも例外はあるけれど)

 

ふるまいや声音をトレスするのが2.5だとは私はおもわないのだけれど、でも、やっぱり原作あってこその2.5で、演劇なり、役者が演じるなりの独自性はあっても、そこの根底に原作へのリスペクト、キャラクターへの理解がないと成り立たないとは思っている。

 

disるけど、映画とかドラマはどうしてもそこがおろそかにされがちなのが、原作ファンの怒りをかうのだと思う。キャラクターの位置づけ、性格、容姿をキャスティングした役者にあわせて安易に変更する。ストーリーもそれにあわせて変更する。

その変更の割合が、原作好きには容認しがたいレベルであることに気づかない。

 

個人的に、実写ヤマトはキムタク除いてかなり健闘した方だとおもうのだけれど(ただし、キムタクには原作への敬意はちゃんとあったので、それなりに評価はしている)映画やドラマでは、真田さんのイメージはぎばちゃんのあれが精一杯なのはよくわかる。2.5舞台だとたぶんもうちょっと似せられるような気はするけれど。

 

実写ヤマトは、キメラのような作品で、アニメが好きすぎる出演者は、本当にリスペクトしたキャラクターを演じていたけれど、そうでない人との差がいちじるしかった。でもその差が、ふつうの実写化と、2.5舞台化の違いにちかいように私は思っている。

 

勝吾くんは、「役者めあてできた人が、原作に興味をもてるように。原作ファンが、今後自分たちの舞台に興味をもってもらえるように、その間をつなぐかけはしになりたいと思ってます」といった意味のコメントをしていた。

彼は2.5系の舞台に出るときはいつもそういうコメントをしている。でも理想として、そうなってほしいなと思うし、ある程度、スタミュとジョカゲはそれに成功したんじゃないかなあという気がしている。特にスタミュの双方向交流っぷりがすごいと感じている。

 

スタミュって、ほんとうに光のアニメで、舞台もまた幸せしか生まなかった。

100%満足はしないだろうけど、でも圧倒的に「楽しかった」と楽しい気持ちで帰ることのできた舞台。

本当にすてきだなと思っている。

 

まとまらないけど、この辺で。

個人的には、しょーごくんの役作りについて、ちょっとつっこんでかいてみたいところである。

 

スタミュミュはいいぞ

スタミュミュが終わった。

4月1日から、全16公演、東京12公演、大阪4公演。

 

私は、東京9公演、大阪3公演みた。おや、けっこう見たね。

 

ぶっちゃけ話、開演前は不安で不安でしょうがなかった。

事前情報がほぼない。

ちむらぎはいっぱい情報も写真もあがるのに、ほぼちむとりはなし。

稽古してるの?レベル。

実際、稽古期間の三月は、勝吾くん、毎週のようにイベントゲストに個人イベント…稽古できてる?と不安に思うレベルで。そのくせ、ほんとにブログでスタミュミュの話がでてこない。

もしかして、スタミュミュに出るって言うのが誤情報じゃなかろうなとおもってしまうほどでしたわ。

 

なんにもわからない。でも、勝吾くんが、ダンスが苦手なのは周知の通り。

(素人に教え慣れている振り付け師が、カウントで教えるのをあきらめた(歌で教えた)というのは密かに有名な話)

アニメのスタミュは、あらすじをざっとみて、歌は全部聴いて(一挙放送をとばしながらみた)、タヴィアンを捜索する回はきちんとみた。それぐらい。

 

スタミュミュがものすごくダンスの多い舞台だろうことは、アニメ見ただけでわかってた。

さてどうなる?

不安とともに始まった初日マチネ。

鳳先輩に目が釘付けになった。

キャリアで想像してたけど、やっぱり上手い。

「たかが2.5」という言葉はすきじゃないけど、

コスト・パフォーマンスの関係において、東宝ミュージカルとかブロードウェイミュージカルの輸入物とかと、2.5の舞台にはあきらかな差がある。

それは、稽古に割ける時間、舞台を作り上げるスタッフの数、手間が全然違う、いわゆる「お金の差」ってやつだ。

たとえば、大戸屋と和食5000円の夕食をくらべて、5000円のほうがおいしい!っていうのは当たり前の話。

この値段で食べられるにしては、大戸屋はおいしい、ということであって…。

まあ、チケットは2.5も最近は高騰していて、このレベルにこの値段つけるのかよ、と思うことはままありますが。

まあ、ただ、2.5といわれる舞台のパッケージトータルにかけられる費用、人材というものを考えた上で、おのずと、出演する俳優の格というか、レベルが決まってくる。

鳳先輩役の丘山さんは、正直、わかっていたけど、「なんでこの人が?」という格のキャストだった。

ただ、先走るけど、このミュージカル「スタミュ」を成功させたかなりの割合は、この丘山さんが演じる鳳先輩の存在感によるところがおおきいんじゃないかと思う。

主役が引っ張るという意味ではなくて、うまくいえないんだけど、バックグラウンドっていうか、世界観の醸成にものすごい力をもっている。

ミュージカル学科を目指す一年生たちのあこがれの先輩。それも鬼才といわれるようなきわだった才能を持つ鳳樹。

丘山さんの歌とダンスは、その「あこがれ」を観客に率直に訴えかけてきた。

綾薙学園の一般生徒と同じように、あこがれる相手としての華桜会をみせつけられた。

この説得力はものすごい。

 

今回、スタミュミュのキャスティングはものすごく上手いと思っていて、

推しの勝吾くん、たぶんオファーだけど、彼も制作にとっては肝いりのキャスティングだったんじゃないかなと思っている。

チーム鳳のキャストは、正直あまり歌がうまくない。

そのなかにぶちこまれた鈴木勝吾は、キャリアも、チーム内では上。歌もうまい。

梨園の御曹司、物心ついたときからプロの役者をやっている存在感、という意味で説得力のあるキャスティングだった。

ずっと薄ミュで着流しの殺陣をやってきているから、着物の身ごなしも、まあふつうの若い俳優よりは慣れている。

今までの勝吾くんをしらない人が、「天花寺が、和装をしてるようにみえることがままあった」と感じたのは、すごい褒め言葉だと思う。おしえられてできるものでは、多分ない。

 

さていったん中断。

 

 

 

ココア男。(そのいち)

今日で、ココア男。が解散して5年。

活動期間2年、もう解散してからのほうが長いのに、なんだかとても印象的だったグループ。

 

わたしも、たぶんココア男。の活動がなかったら、ここまで勝吾くんを応援してなかっただろうなと思う。 

 

一時期、ココア男。の活動は、勝吾くんの役者人生を考える意味で回り道だったんじゃないの?と思っていたんだけど、(でも好きなんだけど)

でもいま思うと、あの回り道は、たぶん彼にとってものすごい意味のある回り道だったんだろうなと思う。役者の経験値はたしかにおくれをとったかもしれないけれど、シンケンジャーおわった直後にそのまま放り出されてたら、へたするといま、勝吾くんは役者やってなかったんじゃないの、とさえ思う。

 

 

シンケンジャーの直後から、勝吾くんが、バンドを組むことになったのは知っていた。番組企画で、本人弾いたこともないのにギター担当!
「帰ってきたシンケンジャー」のメイキングで「俺弾いたことないのに、ギターなんだよ」ってりんちゃんに言ってるのは多分この話。

まあでも、チェックはしてるけどそんなに興味はない、そんな状況だった。メイン関西だったし。

ただ、東京のお披露目イベントが、サンシャインであると聞いて。長い友人(いま一緒にぶたいにいってる人です)と、別舞台に夜に行くことになっていて、その前にのぞけるからどうかしら?と誘われて、せっかくだしとその気になった。

あのサンシャインがなかったら、私は鈴木勝吾にここまではまっていなかったかもしれない。

ココア5人のうち、知っているのは勝吾くんだけ、という状態なのに、このおひろめイベントのトークがまた面白かったのだ。

自由気ままに動き回るイデタク。
となりの人一番ちびちゃいこーちゃんの上着の裾をにぎってた(いやほんとなんだよ!)細貝のけいちゃん。
トークがむっちゃおもしろかったケンケンとこーちゃん。
ウリがかわいい笑顔しかなかったしょーごくんが気の毒なぐらいだった。

とりあえず、CD買おう、活動チェックしよう。
そういうふうに一緒にいった友人と決意して、みれなかったヘブンズロックの集中上映にも行って。

これがまた面白かった。
まあ中身はくっだらないコメディだったんだけど、とにかく前後のトークが面白い。
ココア男。といえばやっぱりトークなんだけど、私がココアが好きになった最大の理由はやっぱりケンケンを中心とするトークだなあとしみじみ思う。

あと、曲が基本的にものすごく好みだった。
これは私がよく聞いてた時代のシンプルなロックにテイストが近くて、たぶん曲だけ聴いても「好きだ」ってなってたと思う。この曲でどかんとおちたのは「リバース」なんだけどそれはまた後の話だ。

ココアの衣裳は、1年たったころから吉田ナオキさんがトータルで手がけるようになった。今でも、ココアの元メンバーがなんかおしゃれな格好をするときはナオキさんのスタイリングなことが多い。あのときの信頼関係が今もつづいてるんだなと思う。
とにかく、ココアのかっこいい衣裳といえばナオキさん。
ほんとにあのテイストがすき。今でも、ココアメンバーで、「お?!」と思うカッコのときって、ナオキさんだーってあとでわかってすごく納得する。

同じく、ヘアメイクも、薄ミュの加奈子さんが手がけてると、半分ぐらいの確率でそうだな、と解る。これはもうほんとに面白い。
(みわけるポイントは、でこをかくさない・である)

共通認識の強さ(おもに災害について。でもドラえもん)

生き残るための知恵として、日本の防災教育は本当に素晴らしいと思う。
とっさのとき、どう動くのか。頭のいい人、訓練をうけている人は状況を素早く判断して最適の行動を取る。
でも、ふつう、自分の想像の外のことが起こったらどうすればいいのか、途方にくれるのが普通。

その点、日本の防災教育はすごい。ぐらっときたら、頭をまもるために机の下へ。扉があかなくなるかもしれないから扉を開ける。落ちてきたもので傷つけないように靴を履く。
なにかあったときの避難所も設定されている。
子供の時から繰り返したたき込まれているから、とっさに体が動く。そのときうごかなくても、周りがそうやったら、ああそうか、と追随できる。

あくまで日本の環境に最適化されたものではあるけれど、子供の時から避難訓練を続けているのはだてじゃない。

これがうまく働くためには、「避難の先がちゃんと避難所として機能している」「他の大勢も同じような行動をとる」ことが必須(とくに後者は必須だと思う)なのだけれど、なにもかんがえなくても最低限の身を守る行動に移ることができるというのは、これだけ災害が多い中では必要なことだよね。

地震、台風にかんしては、毎年のように起こる。それをテレビが報道する。
どうなんだろう。小さな規模であったとしてもこんなにひんぱんに災害が起こる先進国って他にあるんだろうか。
ニュース報道は、いきすぎのものもあって、眉をひそめるものもあるけれど、こういうときはこうする、という情報を与えてくれている面はたしかにある。
日本のどこかでひんぱんにこういうことが起こってるんだよという実感をどこまでもてるかは人それぞれだけれど。

ちなみにこんなことをかんがえたのは、こないだ見た舞台版ドラえもんをみたから。
どの年代にも最低限「ドラえもんとはこういう話だ」っていうのと、どこでもドアとかタケコプターがわかるっていうのは、作劇上、すごい強みだなって思った。