およげたうなぎくん

日々の雑感

雑談

最近、中華服にハマっているたうなぎです。

 

中国でも着る人がいるデザインだったみたいです。

 

Amazon楽天で買えます。

 

中国からの発送のためまだ届いていませんが、太極拳の服が特に着やすそうで楽しみです^^

 

 

今日はPCの授業がありました。ポートフォリオを作るのですが、Photoshopillustratorを使わなくてはならず、Adobeが嫌いな私には無理です。この先どうなるんだろう...と思っちゃいます。Wordで作るのはダメなんですかね??

 

 

最近は新しい絵を進めています。久しぶりにグリザイユ(もどき)をやろうと思って。

 

普段から、人の顔、特に自画像を描いているのですが、何故描いているのか、考えるたびに変わってきます。

 

最近気づいたことは、この世界はないかもしれないし、自分もいるかどうか分からないけど、ここにいるよって証明をしたいのだと思います。andymorinoの「宇宙の果てはこの目の前に」みたいな感じがする~。私は自分を肯定したいのだと思います。あの歌詞、「自分」やな~って感じがしますね。

 

歌詞、動画のURL。

https://www.uta-net.com/movie/148492/

 

 

この曲は最高傑作と言われていますが、ボーカルの合法ハーブ事件、自殺未遂事件の時期と公開時期が被っているんですよね。それから解散したんでしたっけ。

 

曲を聴いてから知ったことでした。(あ~、あの騒動ってこのバンドだったんだ!的な。)

 

それだけ思いつめながらつくった曲だったんだ...と感慨深くなったのと同時に、私もヤバいな、同じじゃイケないんじゃないかな、とか思っちゃいました。

 

だから、今はもう楽しいから描いてるとか、理由ってそれだけでいいんじゃないかなとも思います。表立った理由はやっぱ作らなければならないのですが...‼

 

 

 

 

あ、けもフレ3をやっていたらもうこんな時間に...!初回ガチャはみんな同じキャラなのかな?私はシマウマが出ました。かわいい!

 

おやすみなさい!!

啓発の矛盾

公開メモ。 

 

 

 

 

昨日、Twitterを見ていたらある種の虐待啓発動画が流れてきました。ある種の虐待を受けると苦しみが一生つきまとうという様が、生々しく表現されていました。

 

明るみに出る虐待が増えているのでしょうか。最近は虐待を防ごうという動きがあるみたいです。

 

被虐待児の目線になって見るVR動画が話題になっていました。被虐待児は被害を周りに主張できないという内容の動画も拡散されていました。男性が腹話術をしながら人形を操っているが、人形は何も語らない。実はその男性が虐待者で、操り人形が被虐待児であるという内容です。皮肉が効いていますね。

 

知らないところで起きていることをみんなが知ることが大事だと思います。

 

 

 

しかし、それらの動画を見て、啓発動画って誰が作っているんだろう?という疑問が浮かびました。

 

おおげさな表現かもしれませんが、虐待のサバイバーは殺人未遂の被害者です。

 

被害者はPTSD心的外傷後ストレス障害)になります。トラウマが当然あります。そんな人が、啓発動画が作られるとは当然思いません。啓発すらできない精神状態だと思います。被虐待児ばかりか、サバイバーまでもが主張できないのです。

 

 

だから、動画は(表現方法は特に)ほとんど妄想でできているのでは、と疑っています。

 

 

おそらくですが、被虐待児が主張できないという啓発動画は、被害者ではない人が作っています。サバイバーはほとんど語りません。動画は被虐待児の代弁にもなりません。(助けて!という声はどこから聞こえているのでしょうか?私には分かりません。)

 

誰が何のために作ったのでしょう。啓発動画を作るだけでは、誰も助からないどころか、分断が生まれることもあるだろうし...。被害者がフラッシュバックして二次被害に合うこともあるだろうし。製作者がその加害者の男性なのです。

 

 

 

とても皮肉めいた動画です。

 

 

 

 

生は有限か?

 こんばんは。

 

今日は、雨が降りそうで降らない不安になる天気でした。ですが、初めて話した人も何人かいて、幸せなひとときを過ごしました。

 

 

美大に所属している私ですが、今、大学の授業でドローイング課題をしています。

 

ドローイングとは一般的に、線で形をかたどったりすることだと思いますが、私は何でもいいかなと思います。このブログを始めた理由も、そういった一面があります。思考をまとめてるしブログをそのまま出しちゃえばいいかな、みたいな。

 

大学のシステムが変わってからというもの、出席管理が厳しくなったこともあり教室が人でごった返していてかなりつらい。場所がないしうるさい。絵が描けない。油彩じゃなければ家でも描ける!ということで一応、授業中ですがPCを開いてドローイングという体でブログを書いていました。ブログの書き方も分からなくてデザイン性もないたうなぎですが...、

 

 

 

ということで、今日書き溜めたものを投下します!!

 

 

 

 

 

 

 

昨日はワンネス思考の話に少し触れました。http://monopterus.hatenablog.com/entry/2019/10/01/213633

 

もし私と宇宙がイコールで結ばれるのなら、宇宙にも死があるのか、それとも私に死がないのか気になるところですね。

 

言い換えれば世界が有限なのか無限なのかということになります。

 

今日は、ワンネス思考を前提にして、世界が有限なのか無限なのか考えていきましょう。

 

その前にまず、「世界」という概念を再定義しなければなりませんね。昨日の最後の問いにもつながります。私の知覚したものが世界なのか、それとも私の知覚外にも世界はあるのか。

 

 

ワンネス思考を極めていくと、私の知覚したものが世界であるという場合に辿り着くのではないかと思います。何故かというのはまた後日記述します。

 

 

その場合、主体は脳や神経細胞になると思います。生物に死は訪れるから主体の脳が死んだところで世界は終わります。

 

と、私は断言できません。

 

私の知覚したものが世界である場合、私の知っていると思っていることは全部私の生み出した「妄想」です。

 

すべてのものごとがひとつであるというワンネス思考を究極的に考えると、相対的な概念が存在しないので他者が存在しなくなります。私というものも存在しません。他者が存在しないということは、物事がない(すべての出来事に前例がない)ので主体に死があるかどうかも分からないとも言えます。また、私という主体までも存在しないので、そもそも既に究極の無であるとも言えるでしょう。つまり、ワンネス思考を前提にすれば世界は無限なのです。

 

そもそも既に私は無であると想像してみてください。どう思いましたか?

 

 

寂しいですか?怖いですか?

 

 

 

 

 

 

 

しかし、時間という概念を思い出してください。時間が存在しないというのはどういうことでしょう。

 

 

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時間は存在しない

 

 

 時間が存在しないと考えると、有限であるとか無限であるとかそういったことも想像できなくなりました。世界が最小時間(プランク時間)単位でぶつぶつと途切れながら動いているとすれば、瞬間瞬間が死なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、多元宇宙論というものがあります。この宇宙以外にも複数の宇宙があるという考え方です。

 ワンネス思考を前提にすれば、私以外にも私がいるということになりますね。トランスワールドアイデンティティーという概念があります。簡単に言えば、ひとつの物体が複数の宇宙に存在するという考え方です。ロマンがあって素敵だな、と思いました。

 

神は孤独じゃないんだね。よかった!

 

 

 

それでは。ありがとうございました。

 

神は孤独だ。

今日は大雨で、雨が上がるまで待とうと思ったけど結局傘を借りて微妙な時間に帰ったたうなぎです。

晴れるのを待つあいだ、こんなことを考えていました。

 

 

ワンネス思考って、突き詰めればめっちゃ孤独なんじゃない!?

だって、神って絶対的な存在なんだから!!

 

 

急に意味の分からないことを言い出した。大丈夫か?と思ったはずですので、説明します。

 

そもそもワンネス(oneness)ってなに?

 

ワンネス思考というのは、調べてみると...引き寄せ?とか、愛?とか、スピリチュアル?な説明が多いですね。わかりにくいので英語の辞書で調べてみましょう。調べましたか?「同一性」「1つに統合されている性質」「唯一」などと出てきました。日本でワンネス思考という場合、一番近いのは「唯一」だと思います。

簡単にいえば、ワンネスとはすべての物事がひとつであるということだそうです。つまり、私も宇宙も同じってことですね。私の生誕はビッグバンと同義なのでしょうか。

 

以下、私の解釈です。私もそこらへんの雑草も虫も、全部土に還ります。土は、地球です。地球は宇宙が始まったからこそ在るわけです。つまり、我々個人が宇宙に還元されるということがこの考え方の基盤にあるように思います。

 

梵我一如という言葉があるように、ワンネス思考を深めれば、自己=宇宙になることがわかりましたね。私は森羅万象を知っていて、私が万物を創造したかのようです。そこで、私が神だ!という錯覚に陥ります。ワンネスです。唯一なんです。唯一だと、比較対象のない絶対的な存在であるため孤独だと思いませんか?

 

 

ところでみなさん、絶対的な世界に住む人(神?)っていると思いますか?

 

自己の知覚が生み出したものを世界と呼ぶのか、自己が知覚しているのは世界の一部に過ぎないと思うのかで、あなたがどちらの住民であるかが変わってくるかと思います。普段の生活で、意識的にどう思っているのか考えてみましょう。

この話はまた後日しましょう。

 

それでは、ありがとうございました!