目に砂

人生の人生

映画感想:エマ デッド・オア・キル

好きな映画ジャンルはアクションとホラーですってこれから言おうかな……

学校の先生をやっている主人公のエマが一人暮らしの父親が住む実家への里帰りの途中に犯罪者集団(薬物の密輸かと思ったんですが映画のあらすじによると強盗団だったっぽいです)が警察官を殺害する場面を目撃してしまい、口封じのために追跡されるのをどう返り討ちにしていくかという話です。

直前まで電話で話していた一人娘が帰ってこないなんて父親も気が気じゃないだろうなとか思っていたんですが見ているとどうも幼少期の父の教えの様子がおかしくて……? 途中でもぬけの殻になったエマの車を見つけた父の知人が引き気味のリアクションをしていたのにすごく共感しました。

悪いやつの中でも明らかにクズな人間と日和ったことをいう人間とがいたのですが、前提として犯罪に手を染めることを厭わなかったのでエマからの扱いは皆等しいものだったのでよかったです。

父親は知人の前でこそ娘の無事を確信しているかのような態度を崩しませんでしたが、娘が帰還しなかったらおそらく命を経っていたであろうことや終盤の場面など人間らしさがないわけでもなく、ギリギリ渋いで留まる程度のキャラクターになっていたと思います。

実は生き残るための英才教育を受けていたクソ強い女性主人公というと映画「サプライズ」を思い出しますね。こちらのほうが悪人ではない被害者が少ないし、血がドバーてなる描写も過剰でないので気軽に観られると思います。

こういう作品を観ると筋肉って大事だなあと思います。いまヨボヨボですけど。

映画感想:モンタナの目撃者

アマプラ見放題が終わるというインターネットの導きによって観ることに。女性主人公ものということもあったし。

森林消防隊の主人公は過去に風向きを読み違えたことで救えなかった命があることがトラウマになっている女性。父親が掴んだとある汚職の証拠を託された少年が逃げてきたところに遭遇して、彼を守り抜くことを通して過去をたぶん乗り越えたと思う……みたいな。

登場人物に妊娠6ヶ月の人がいて、戦闘力がないかと思ったらものすごい度胸と機転と行動力と愛情があってかっこよかった。いちばん好き。

ただ、ことの起こりがクズのやったクズ行為だし、そのために何人もの善良な人々の人生と森林の命が台無しになってしまったわけなので当事者にとってはたまったものじゃないけれど外から見るとしょうもない顛末! という印象が強いかもしれない。

悪役がわりと普通にカスだったのでめちゃくちゃ苦しんでほしかったけれど(ひどい言い草)、わりとあっさりやられてしまってカタルシスは特になかった。最後に制作者インタビューがあって、暴力シーンもあくまでリアリティを追求した結果であるみたいな感じのことが語られていたので、やたら劇的にされなかったのだと思う。

ドキドキしたし感動した場面もある一方で、全体的に淡々とした印象でもある。それがリアリティなのかもしれないけど、だからこそ悪役のしょうもない割に邪悪なところが気になって観たあとの感情を微妙なものにしているかもしれない。

映画感想:ジーサンズ はじめての強盗

アマプラ見放題が終わりそうだったので観ました。年をとっても深い縁の続く友人が2人もいるの羨ましすぎるんですけど!

 

勤め先から年金を打ち切られることになった大親友の高齢男性3人が銀行強盗で生活資金を工面しようとするお話です。

家のローンが払えなくなって娘と孫と暮らす家が差し押さえられそうなジョー、腎臓が悪くて手術しないとまずいウィリー、独り身で切羽詰まった事情はないけれど年金となるはずだったものが会社の負債に充てられることとなってキレたアルの3人はそれぞれの目的のために銀行を襲うことを決めます。練習のためにスーパーマーケットで万引きを試みますが失敗。プロの手引きがいると考え、身内の伝手で犯罪の心得がある人物から訓練を受けます(犯罪者に伝手のある身内?)。念入りなプランニングにシミュレーション、身体のトレーニングを続けてついに迎えた決行日、彼らの計画はうまくいくのかってそれは当然うまくいく話なんですけどね。

孫娘をはじめとした小さな女の子たちがいい子すぎて絶対にムショ入りして悲しませるようなことすんなよじいさんたちって思いました(絶対にそうはならない)。犯罪が題材なので登場人物は悪事こそ働いているのですが、性根が悪党みたいな人物は登場しない(三下みたいなのはいますけど)から気楽な気持ちで観られてよかったです。主人公たちは周囲の人間に恵まれているし、その人たちみんなハッピーな感じで終わるのもいいですね。FBIと銀行は泣き寝入りですが。あと捨て犬が保護されて飼い犬になるよ、最高だね!

 

しかしこの邦題マジでどうにかならなかったのか? なぜ邦題ってダサいのか? 我々のセンスが侮られているのか?

ゲーム感想:even if TEMPEST 宵闇にかく語りき魔女

語りしじゃないの? タイトルの文法これ本当にあってるやつ? 古文とかもうわすれちゃって自信ないけどどうにも違和感がある……英語の部分もおかしいよねこれ。なんの意図があるのかクリアした今もわからずにいます。

なおネタバレを含む感想ですし、それなりに腐しているとも思います。

 

私がインターネット掲示板を見ていたころに生息していたスレッドで名前がちょいちょい出ていたのでセールの時に買っていたのです。乙女ゲーで有名なボルテージが出しているし恋愛要素もあるけど乙女ゲーとは銘打ってないみたいなそういう。なんか続編が出るようなのでセールだったみたい。なんならあらすじも登場人物もわからない状態で買いました。キャストもスタッフもエンドロールまで不明。ギャンブル……!

 

主人公は貴族の家に生まれ、幼くして母を亡くしました。父は後妻を迎えましたがこの後妻がなんでか主人公に厳しく、きたねえ屋根裏部屋のようなところに幽閉して折檻したりしていました。理由はわからん。腹違いの妹は心配するふりをして虐めようとしてきます。父もカスなので見て見ぬ振りをします。唯一心配してくれていたのは亡き母に大恩があるというメイドひとりなのですが、立場が弱すぎてほとんど手出しできませんでした。で、すっかりボロボロにやつれた主人公に婚約の申し入れがあり、やっと外に出られたので相手のためにも頑張るぞと思っていたら相手がとんだクソ汚職野郎だと知ってしまい、突き出すための証拠を集めていたらバレてなんか魔女裁判にかけられてあっという間に火刑されます。グッバイ人生……と思ったら死後の世界でもないところに放り出され、そこで魔女を自称する男から「死に戻り」の力を与えられて生き延びつつ復讐もするためにあれこれ試すぞー! というところから始まるお話です。こういう表現はあまりよくないと思うけれどなろう系の流行り要素のキメラだなあと。特に思うのが虐げられた姉とカスの妹の組み合わせ。私は姉と毎年誕生日プレゼントを贈りあう仲なので、妹が姉を嫌っている設定の流行ははやく終わってほしいとずっと思っています。なかよし姉妹の時代、来い……!

 

で、結論からいうと私向けのストーリーではなかったです。攻略対象にはいまいちときめかなくて、涙腺にくるシーンもあったんですがそれはすべて主人公の身の回りの世話をしてくれる女性(前述のあらすじで唯一主人公を案じていた年上のメイド)に関わるエピソードのみ。ループするという物語の構造上彼女との関係性だけが一貫して変わらないため、愛着を抱きやすいのです。

 

よかった点とよくなかった点をそれぞれ。まずはよかった点から。魔女裁判がちょっと楽しかったです。最初に火刑されたときのものとは違い、この世界には由緒正しいほうの魔女裁判があるのです。魔女であるかを明らかにするのではなく、魔女が人間に課す試練のようなものです。魔女は人間をこっそり眷属のようなものに変え、夜間に人を殺させます。翌朝、本人を含む5人を容疑者として、人々に誰が本当の眷属かを当てさせるのです。当たっていても間違っていても得票の多かった人物は裁判場の下の火の海に投げ込まれます。眷属が残ってしまった場合はその夜に新たな殺人が起こり、人間と眷属のどちらかがいなくなるまで裁判が繰り返されるんですね。ルートによってさまざまな立場で裁判に関わることができるので(事件も違いますし)常に新鮮な気持ちでした。

 

よくなかった点はいろいろあります。好みの問題もあるんですがそれだけでもないと思うんですよねー。

まず現実世界のさらに現代の用語が出てくる点。作中用語として「死に戻り」が出てくるんですが、これって近年の創作物に登場する概念を指すオタク用語なのでは? こういう表現はあまりよくないと思うのですがこの作品はいわゆるナーロッパが舞台で、文明の進歩段階としては現代に遠く及びません。近代的なオタク用語が用いられることに首を傾げました。これだけなら好みの問題の範疇でしょうけれど、さらには登場人物が用いる比喩のなかに「アメフト」という単語まで出てきます。この世界にはアメリカがあるのかよ! 本作には諸事情により現実世界の知識を持った人物も登場するのですが、問題の発言は正真正銘作中世界の人物ですので。

次に音楽。本作は音楽を担当するのがあのプロキオン・スタジオ(光田康典さんが代表を務める会社ですね)に所属するコンポーザーなのですが、なんでか教会で流れるBGMがバッハの「小フーガト短調」です。パイプオルガンは確かに教会っぽい。とはいえあえてそこでこの選曲でなくてもよかったではないですか。これ音楽の授業で扱われるような名曲ともなるといかにも空想から現実に引き戻される感がありますし、さらにいうと「あなたの髪の毛ありますか?」を思い出す人もいるでしょう。ますます謎の選曲です。これのインパクトが強すぎて詳細を忘れたのですがもう一曲クラシック音楽が使用されていました。悪いとはいいませんがなぜあえてそれにする必要があったのか。

最後に登場人物の役割というか設定。登場人物にひとりだけ「なんでか現実世界から作中世界に転移させられたバスケットボール選手」が登場するのですが、その設定の必要性が特にない。その人のルートの終わりには元の世界に返してあげることになるのですが、なんでか戻ってきます(主人公のためなのですが、それはそれとしてどんな原理で異世界転移キャンセルされたのかは不明のまま)。

全体的に世界観の構築がふんわりしていて、物語に説得力が欠けているのではないかと感じました。その、申し訳ないんだけど本当に流行りの要素をなんとなく継ぎ接ぎしただけみたいな。これ誰が悪いんだろうな。ディレクター?

 

余談ですがルートが独立していない物語の構造、神秘の螺旋(遙か4)を思い出す……! 本作には真ルートこそあれ真のヒーローはいないのでそこは大正解です。

 

映画感想:デンデラ

アマプラで配信されてたんですね。サンキューTwitter! 数年前にTwitterで見かけて気になってたやつだ!

覚悟がガンギマリの老女たち(そうでない人もいる)のストーリーで、かっこいいでも片付けられないし不思議な気持ちになりました。

姥捨山をモチーフにしたであろう話で、70になった女性はお山に入って極楽浄土へ行く……雪深い山奥に捨てられる決まりの村で、主人公のカユがまさにお山に入る直前のところから物語が始まります。

カユは村の掟を受け入れており、先に親友が待っているはずの極楽浄土へ行けるよう手を合わせて祈っています。けれど極寒の山の中でそのようなことを続けられるはずもなく、ついに意識を失ってしまいます。待っていたとばかりにカラスたちが体を啄もうとする……のですが、運よくお山に入った女性たちによって作られた集落「デンデラ」に引き入れられたのです。

で、価値観を揺るがされる出来事を多数経験し、控えめだったカユはたくましく勇敢な性質を得るようになっていくわけです。その流れは抑圧からの解放というか、晩年の成長といった感じで好ましくもあります。

ただデンデラの生活は厳しいし、老女たちの置かれた立場がそもそも厳しい。襲いかかる困難も厳しい。デンデラの創設者やその存在に気づかず一年間自力で山を生き延びた女性、いくじなしと蔑まれようとも仲間の生存のために自らの信念を貫く女性など生命力と意志力に満ちたかっこいい老女は多数出てきます。捨てられたものたちの絆はじんわり沁みます。けれど人間の団結は自然の脅威のまえには時に無力で、それがやるせない。

舞台設定のために登場人物の口調は荒めで、なおかつ二人称代名詞がないのが新鮮でした。カユはデンデラの50人目の構成員です。つまりほかに50の登場人物がいるわけですが、互いに名前で呼び合っているため名前がわからないということがなくて便利でした。

女性たちの連帯が見られる作品は好きですし、本作も観てよかったと思いますが、次はもうちょっと爽やかな印象の作品を観たいです。

映画感想:ブラック・フォン

去年観そびれた映画「ブラック・フォン」がプライム会員特典になってたので観ました!犬が出てきますが元気です! ただし片方はおそらく劣悪な飼育環境のもとにあるものと推測され、ちょっと気になります。

ここ最近、巷を戦慄させている連続少年誘拐犯に拐われてしまったいじめられっ子の少年が、閉じ込められた部屋で鳴らないはずの電話が鳴るのを聞きました。彼に語りかけてきたその相手は一体誰で、なにを伝えようとしていたんでしょう? そして少年の運命は? といったあらすじです。結末はなんとなくわかると思うのですが、少し意外なところもあったので全部がぜんぶお決まりのパターンということでもありません。

「ハウンター」という映画があってこれがよかったのですが、本作にはこれに通じるものがあると思いました。つまり死者が生者にメッセージを届けてくれる話。ハウンターは少女たちの話で、こちらは少年たちの話。立ち向かいかたも違えば主人公の属性も違います。エンディングを迎えた時の心境はこちらのほうがすっきりしました。

少年たちの話といいつつ、主人公の妹も活躍を見せてくれます。彼女は時々夢でお告げを得ることがあります。兄妹の母親にも備わっていた力で、母親はこのことを苦にするようになって最終的に自らの命を絶ってしまいました。父親はそれを機にか酒に逃げ、兄妹に暴力を振るうようになってしまいました。特に母と同じ力を持つ妹には否定的です。支え合う兄妹は絆が強く、兄は妹を暴力から遠ざけようとし、妹は兄を傷つけるものに立ち向かおうとします。父親には「おまえの夢はただの夢だ、余計なことは言うな」と強く言われている(叩かれてもいる)妹ですが、いなくなった兄を助けたい一心で積極的にお告げを得ようとします。脱出しようとする兄と探そうとする妹がそれぞれ霊的なアプローチを得たり試みたりして、結末に近づいていくんですね。

映画公開時に読んだあらすじからは妹の活躍が多めの印象を受けており、女性主人公だったり女性の登場人物が活躍したりする作品を追って生きている私としては「あ、思いの外妹は出てこない」という印象があったかなかったかで言えばあります。しかしながら(犯人といじめっ子を除いた)人が人を思う気持ちとか、自分がたどり着けなかった場所に未来の人はたどり着いてほしいという切実な気持ちが満ちた作品だと感じたので、結果としては観てよかったと思います。

自分が得られなかったものを次のあなたは得られたらいいとかそういう気持ちってとても大事だと思っています。そういうふうに生きたいとも。自分が苦労したのだから他人も苦労してほしいとか、他人が楽をするのはずるいとか、そういう考えかたはよい未来をもたらしません。苦しみはより明るい未来への糧にしたいし、そこに自分がたどり着けなかったとしても無意味ではありません。

本作の死者たちは必ずしも善人や普通の人ばかりではなく、悪党に分類される人物も存在します。純粋に人を思う心からの行動ではなくても、よりよい未来へ進むために誰かにバトンを渡す、助けになるものを残していくという結果は変わりません。利己が利己のみにとどまらず、利己でありつつ利他であるのはかなり理想的だと私は思います。

映画感想:かもめ食堂

感想とはいうものの7割自分語りでした。私のブログだからかまいませんね。

片桐はいりさんはくすんだ色とかぼんやりした色とかじゃないやつが似合うっぽいことが最大の気づきです(初登場のシーンが最も健康的に見えたと思いませんか)。これがパーソナルカラー案件ってやつだな……! と私は進研ゼミのまんがに出てくる子どもの気分になりました。この気分になると楽しいです。かつて蓄えた知識が生きた時の気分、インプットが実際の現象と結びついた瞬間の気分。

観ると決めていたので観ました。パンとスープとネコ日和とは原作者が同じで監督が違うのですが、私は本作のほうが好きだと感じました。主要な登場人物の関係が対等に近いからかもしれません。あと女性の比率が高い。登場人物のなんというか……湿度のようなものがこちらのほうが低いようにも思います。最近の気分の問題か、ウェットな感情をあまり望まないのでちょうどよかったです。もっとも、そもそもパンとスープとネコ日和では冒頭で主人公の母親が亡くなっているわけですから、しんみりした人が出てくるのは当然のことです。好み以前に観るべきタイミングではなかったのかもしれませんね。物事にはそれにふさわしいタイミングというものがあるので。

母の好みという点ですが、主題歌まで含めなんとなく母の好みというのに納得がいった気がします。母は井上陽水が好きです。曲はいつでも、歌いかたは若くまだそこまで癖の強くなかったころが。おそらくパンとスープとネコ日和を母にすすめてもそこまでなのではないかと思います。あちらはやはりウェットですし。

私は食事をしているところを見られるのが苦手で、それというのもなんだか食べているときの人の顔ってまぬけに見える気がするからなんです。それを思うようになったきっかけが(申し訳ないけれど)兄が食事をしているときの顔がなんかものすごくまぬけに見えたからです。兄とは歳が離れているので一緒に暮らしていたのは小学生の終わりごろまでくらいだったはずで、だからおそらくかなり小さいころにそう思い始めたのでしょう。刷り込みですね。今も親しくない人と食事をするのはかなり気が引けて、眠くなるのが嫌だからということにして職場では昼食をとりませんし(付随して生活リズムを保つために休日も昼食はとらずにいます)、飲み会も不参加を貫いています。テレビでの食リポも好きではないし(特に女性タレントなどが高い声で「んー!」というのが本当に無理です。ご本人の心からの反応ではなくその場で要請されることであろうとはいえ無理です)。それというのに食にかかわる映画やドラマを観るのは嫌いではないのです。まぬけじゃないからだと思います。もっと深掘りしてもいいかもしれませんけれど、今はその時でもないように思うので、それはまたいずれ。

来週は何を観ようか悩ましいです。「めがね」はレンタル可能ですが借りてまで……という感じなので今後機会があれば。去年観そびれた映画がサブスク対象になっていたのでひとまずウォッチリストに入れておきました。気分次第でそれを観るかも。