藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『思っていることを出す』ということ。”

私は早口というか、
とても喋りが 相手にしてみれば聞き取りづらいと思うのですが、

思ったのは、
『思ったことを全部一気に出したい為に、言葉が渋滞を起こしている』
って感じなんですよね。

だから早口になる。

思っていることを口から出力するのに、口がついていかない感じになる。

ある程度意識して整理しながら喋ればゆっくり喋れるんですけど
突発的なことであったり、思ってるほうの容量が大きいと

出力する出口のほうが狭いので
うまく言葉が出せなくて、詰まってしまうんですよね。


私の中で、早口とかどもりとか詰まりとかがよくある
と下げて表現することがあるんですけど、
原因はこれですね。

全部 わーって言いたいのに
口がついていかない。

で、まぁ、今のところ
一番思ってることを出力するのに一番早い
スピード感が脳内と出力を合わせやすいのは
こうやってキーボードを叩いているときなんですけど、

たまにパソコンの処理速度が遅いときがあって
(このPCも結構長いこと使ってますので)
その時間の遅さが気になって、タイムラグが起きると気になってしまうし、
誤変換が多いと、
思っていることをうまく出せていない という
若干のストレスにはなります。

テキストだとある程度ばーって書き出したあと
少し落ち着いたときに修正も出来るので
『公開する』前に『ツイートする』前に
一拍置くことが出来るので、相手に伝える上でも
そんなに迷惑をかけることにはならないと思うんだけど、

喋る ってなると、
一回口から出してしまったものを修正する って時間のロスになりますし。
一回 伝わってしまってますからね、
早口で聞き取りづらい状態のものを相手に与えてしまっているので。

相手にとっても迷惑ですし、
こっちも「そういう伝え方をしたかったんじゃなかった」と
思ってしまうので。


パソの処理速度に関してはどうしようもないところはありますけど、
キーボード操作に関しては叩き続けていれば慣れで
思っていることのタイムラグを減らすことは出来ているので

喋ることでもそれが出来たら とは思うんですけど、
喋る速度、つまり 聞いてる側の伝わり方として
早口で伝わったほうが適切 ということもあるかもしれないんですけど、
私にとってはそれが不向きなこともあって

喋ることで思っていることと伝え方の齟齬をなくすことが
私にとってはうまくいかないんですよね。

訓練すればなんとかなる とも思いにくい。
(なんとかなるかもしれんけど、今更感ある)



で、
これは絵にも言えることなんだけど、
たまに絵も描くんだけど、思ったとおりにいかないんですよ。
ほんとはこう描きたかったのに ってことが多々ある。

それに関しては慣れとか回数をこなすしかないと思うので

怠惰な私は取り敢えずその回数を重ねて
反復練習するしかないな とは思っています。

生成AIじゃダメなんですよ、
AIが考えていることと私が思ってることは違うんですよ。
AIの解釈じゃなくて、私の思ってることでやりたいので
技術は利用したいとは思うし
技術を利用することで私の思ってることがシームレスに出力できたらいいんですけど、
思ってることと違うもん出力してもらっても適わんので
結局私がどうにかするしかないというね。

“2024/2/29”

特になにも無いんですけど、なんか書くかー、ってなったので書いてます。

 

2月29日だし。

 

生存報告みたいなものですけど、はてなはずっと生きてるので。
noteもアカウント持ってるけど、こっちのほうが書きやすいし。

twitterも最近は昔ほどツイートしてませんけどね。
(昔が過剰にツイートしてた っていうのはあります。)

なにかしら続けることが難しい中、続けていける ってことが有難い ってのもありますからねぇ。
普通に生活してるだけでも有難いものですよ。

 

そりゃあ社会保険料引かれ過ぎだろ とか、政治家が「納税は個人の自由」とか言ってるのまじクソだと思ってるので、まぁそこはアレですけど。

 

news.yahoo.co.jp




取り敢えず、自分とその身の回りが平穏に過ごせているので
そこは安心です。


なんかあったら呪詛化しますけど。

そこは変わってませんけどね。




能登地震から2ヶ月経って、、、今日は千葉で地震が続いてたり、

大谷翔平選手が今日 結婚の報告をされていて、SNSやメディアが湧いている中、



特に何も変わらずに過ごしていけてる というのは有難いものです。
願わくば、もうちょっと… いや、もっと 収入があれば とは思いますけどね。

“怒っている人は勝手に怒っている。”

一方的に怒っている人、

怒ってきた人 についてはこれまでもつらつら書いてまいりました。

心が大事だと言ってご高説申し奉られた方が、大層 怒りの感情を大事にして 一方的に怒ってこられたこと。

それを向こうさんは肯定して、こちらを否定してこられたり。

 

一方的に で。

思い込み で。

 

それを受けたこちらは一方的に悲しくなったり、腹立たしくなったりしたものです。

なんでそんな一気呵成に、烈火の如く怒ってくるのか と。

なんで、なんで、と、

何かあからさまに悪いことしたのなら それは怒るのも無理ない とは思うけど。

そうでないハズなのに なんで?

と、自分を責めたりしたものです。

 

 

で、まぁ 表題に結論を書いてるんですけど、

勝手に怒ってるんですわ。

勝手に怒っている。

向こうさんが 勝手に。

知らんけど。

 

だから その “怒り” と、私は 関係ない。

知らない。

 

けど、いちいちギャーギャー言われるのもうるさいですし、こっちも毎回受け流さなきゃいけない労力が面倒なので、

一方的な物言いで勝手な感情をぶつけてくるような人とは 関わらない ってのが一番ですけどね。

前も似たようなオチを書いた気がするけど。

 

勝手に怒ってて下さい。

あなたが一方的にそういう感情をぶつけてくる ということは、あなたはそういう人なんだ とわざわざ自己紹介なさっていらっしゃる ということですので、

こちらは距離を置かせて頂きますので。

“特別お題「今だから話せること」”

特別お題「今だから話せること

 

イロコイ的な意味での「好き」ってよくわかりませんよね。
10代の頃とか、誰かが好きと言っていた人を好きになっていた気がする。

でもそれは、私が 好きなんじゃなくて、
誰かに好きを主張されてしまったら、私はもう その好きにありつけないような気がするから、私も好きだと言いたかった のかもしれない。

取られたくなかった。

最近もツイッターで見たけど、
それは「支配欲」とか「所有欲」とか、そっちに近いかもしれない。
モノと同じように。
評判のものを手に入れて、自分もそこと同じ輪の中に入りたい。

ほしいのは好きなものじゃなくて、そこに付随する共感とか共調とか、仲間みたいなものだったかもしれない。
仲間みたいな、友達みたいなものは欲しい って思うけど、それを望もうとすると、
偽るというか、繕う っていう自分が容易に目に浮かぶ。

うまく振る舞おうとするに決まっている。

好きなものが本当に好きかどうかなんて自信がない。

自身がない。


独善的で、
自分は間違ってない ということに縋ってばかりで保守的な私。
損得で考えて、どうせダメだろう と何も行動を起こさず安牌で攻める。

安牌がダメではない。
私の性格的に、安定とか安心とか土台がしっかりしてないと、不安に溺れる。
明日の生活がちゃんと送れないと不安で余計なことばっかり考える。


生活を踏み外したくない。
外したくない っていうのがある。
好き が『当たり』であってほしい というような。

私が好きなものはあなたも好きだよね? ね?

同好の士 を求めるし、共感も求めたいし
『いいね』が欲しいけど、
『いいね』を求めるとマジウザいのも知ってるから主張したくない
けど『いいね』が欲しいし。

いつまでもね、自分が誰かから安全に構ってもらえる存在では無い ってことを自覚しないといけないんですけどね。
いつまでも褒められることばかり求めているけど、知らずに褒めるべき立場になっていたりね。


人の目ばかり気にするから、自分を出す なんてやるワケがない。
私が表出していることが本音かどうかなんて私自身が分かってないよ。
うまくやろう としかしてないから、
ちゃんとしなきゃ しかないから、

剥き出しの感情とか好き嫌いとか露わにするワケがないじゃん。

「コロナ禍で言いたいことも言えない日々で~」
って最初っから言いたいことなんて言ってないですよ。

ずっと腹の中に黒いものが渦巻いていますよ。
今だから話せること なんてお題だけど、
今でも話せないことだらけですよ。

ここで書いてる『今だから話せること』が
お題用に作られた、繕われたものにしか過ぎないですよ。

ツイッターしてても表層でつくったTLだから本音なんてそんなに書けてないですよ。
沈黙は金 なんて言うけど、メッキでの金だからニセモノの輝きですよ。

今でも話せないことばかりですよ。
今でも話せないけど、
うまいこと本音は忍ばせてるから、そこは見つけてね。

“閻魔帳。”

あけてます。

おめでとうございます。

 


久々にブログ書いてるような気がしますが、前回記事が昨年12月頭ですので、そんなに空いてる感覚は無いですね。

というか ほんとはもっと書いておきたいというか。
昨年、ライブとか色々出掛けましたので、その行ったことを記録しておきたい というのはあるんですよ。
ツイッターのほうにはちょこっと書いてあるんですけど。

最近、ツイッターもどうなるかわからないじゃないですか。
急に仕様が変わったり 急に凍結喰らったり。

だからここに普通のエントリ上げていこうかな …とは思うのですが、毎日の多忙のあれこれでついつい放置してまして。


余力がありましたら、日付詐称をして、昨年どこかに出掛けたやつとかを記録として、記事として残していけたらな とは思います。




さて、表題の件につきまして。


voguegirl.jp

 

こちらからです。


前から何度か書いてますけど、
やられたことは覚えてるんですよ。


理不尽な、不誠実な対応を受けたことは。
私に対してキツい言動を向けてきた人のことは。

心が大事とか言う人の心無い言動のこととか。

呪いについて。


キッチリと、苦しんでもらいたいと思っていますよ。


…ですけど、呪詛はまじでやばいので。
呪詛返し。人を呪わば穴二つ。

私自身が苦しんでしまいますので、この感情にどう折り合いを付けていくか …みたいなところはあります。


されたことによる怨念ばかり言ってますけど、
私がしてしまった不誠実もありますので、それに対しての自責の念もありますので。
私が自分で結局自分を呪ってるところもありますからね。



安直な結論の一つとして、『人と関わらない』ってのがありまして
私はなるべく表層で人と関わるようにして
人間関係で深入りさせない / しない ということで、円滑を図る というのを実践してます。

人はこわいですからね。
思い込みで強い感情を人にぶつけたり 自分の都合で偽ることを厭わないですので。






なるべく関わらず。
関わるときは表層で。


あらゆる人々の行いや感情は、表出され他者に向けられたときに / 私に向けられたものはストックされている。
この人はこういう言動をする人なんだ と。
それを踏まえて私がどう対応するか です。

私刑で裁きたい心情もありますが そうもいかない。

関わらない が最適解だったりするのでね。



私は私の人生を大事にする。
私は私の人生を楽しむ ということが記録された閻魔帳から起こすべき行動。





ただ、私に優しい人 / 親切な人に対しては、きちんと礼儀は尽くしたいとも思うので、そこは大切にしたいですね。
私に優しい人はちゃんと守る。

アホみたいなことやるヤツには距離を置く。

そういうことを基本に、楽しく過ごせたらいいな と思います。