12月から悩んだまま2月に突入です。悩んでるのか休んでるのか。
とりあえず近場に引っ越して毎日の中に時間を作ろう的な目論見をしている。新しいことはきっとプラスになるさ。死なないこと。それが大事。これは絶えずやらなければいけないので、同時にもう一つ、目標と努力が必要だ。
100点は取れないし、80点も難しい、もしかしたら50点かもしれないけど、0点取るよりまし!つーかその試験受けないよりまし!
それにしても生活、いろんなことが勉強で困っちゃうわ−。最近は自分以外の人たちみんなすげーなと思うようになって来ました...ダメダメっすね。若いうちは無駄な跳ね返り方している方が自然なのに!その意味では老成した精神でも持っているんだろうか、いや「あげぽよ」がないだけだ反語。

最近気づいたが「頑張り方」ってツールがない気がする。中でも「スピード出してマッハで理解し習得するツール」が欲しい。

仕事内容が激変したことに関して

顧客にお金をもらって働くのはプロだ。プロは成果を出さなければいけない。

その行なっている仕事がつまらなくて興味が持てないとき、自分のやりたいことじゃないと感じるとき、成果を出すようなパフォーマンスが発揮できないと思う。その状態で仕事をしたらこれはプロなんだろうか。

プロかプロじゃないか。働いて(いる|いない)の2元論に直結するんだろうか。そうだとするならこのまま働くのは不自然なことになる。

ただ、人には生活がある。稼がなくては生きていけない。自然な道を選ぶか、不自然な道を選ぶか。

行動

すべての物事に対して、

  1. 「自分で」
  2. 「論理的に考えて」
  3. 「決定する」

こと。

それが最大の出来ること。めんどくさかったり、疲れていたり、他のことで集中できなかったり、いろいろ障害はある。それでも手放してはいけない。出来ることしかできない。出来ることをしないのはもったいない。

  • 論理的に
  • 具体的に

なろう。語ろう。抽象的では行動できない。抽象的と具体的の架け橋が必要だ。

習得した手がかり

  • 何かにつけて理由を考える。
  • 何のためにあるのか、なぜやるのか、なぜやらないのか。
  • 選択して、「やること」、「やらないこと」に理由をつける。

例えば、小数点第2位まで出したのはなぜなのか、1位までではだめなのか、何の目的で使用させたいのか。




日々の仕事ではスタートかどこかの時間で、

  • 考え方
  • やろうとしたこと
  • やったこと
  • それらが正しいか

を考える。5分10分あれば出来る作業。


タスクを見積もるには具体的なところまで想像することが必要。しかもそれが何割まで見通せているのかを把握しなければならない。
見積もったら段取りを考え、duedateを考える。うまくいっていなければ原因を深く掘り下げる。

細部まで論理で詰めるには、具体的な動きを想像しなければならない。もちろん限界はあるけど、限界にたどり着くまで諦めてはいけない。想像力と創造力。

ITの本質

マッキンゼー ITの本質 情報システムを活かした「業務改革」で利益を創出する (The McKinsey anthology)

マッキンゼー ITの本質 情報システムを活かした「業務改革」で利益を創出する (The McKinsey anthology)

本質について書かれたわけではなく、ITに関連するマッキンゼーの論文集。いくつか読んで今読む実用性はないと判断した。面白そうではある。

モモ

何年ぶりかで読んだ。
時間の節約による本末転倒の出現。その人の時間はその人から切り離されると死んでしまう。時間に紐づいている本質がどこかに行ってしまう。残りかすで作った体制や仕組みがどんなに野蛮で恐ろしいか。あきらめ、仕方ないという名目でその輪を回し続ける。
人間において、リソースを切り詰めて一か所に投じるのは、注力であり美しいもののひとつだと思う。だが同時に野蛮な一面もある。人間の動作が野蛮でないことはない。人間は野蛮さを内包していると思ってる。「人間は間違うもの」それと同じくらい、当然備わっている(嫌な)性質だと思う。例えば、動的な暴力がなければ静的な暴力が発生する、何かがなければ「ない」という形で在る。だからこそ、野蛮さからは逃げられない闘うべきものとして存在している。闘うべきなのに、目先の利益につられて闘わなかった。そして灰色のやつらが来た。灰色のやつら、あるいはやつらを発生させた人間の隙がこの野蛮さだと思う。
人は自分には手におえない何かと懸命に闘う場合があるのだ。それが内にあれ外にあれ。その方面に傾聴したとき、現れた存在とシステムと、闘いは始まる。

私たちは誰でも金の殿堂を持っている。そこでは時間の花が咲き誇り、星の声が聞こえる。正直、このメタファーは美しいながらも意味が理解できなかった…

反社会学講座

反社会学講座

反社会学講座

うさんくさいものを批判しているために自信もうさんくさくなるという、「白面を憎むものは白面になるのさ」を体現した書籍。冒頭で著者自身が述べているが。
視点としては知っといていい。社会学はデータの恣意的な運用と、根本定義不在で成立しているようだ。社会学の領域は現実の問題なのにどうもファッションに感じられる。そういう気持ちを強くしてくれた本。
でもこの著者のロジックの立つところ、考えはかなり好きだなw最後の章の「渡る世間は自立の鬼ばかり」は賛成した。社会はきびしいぞっていう人が厳しい社会を作っている。