さじなげこ

絵と写真とか覚書きなど

タイトルとは

6年ぶりに開いた。

6年とは。

6年以前の自分が書いたことを読むと言うことは、

のび太の机の引き出しに入ってタイムマシーンに乗った気分だ。

私は今、時間をもてあましているのである。

 

誰の目にも止まることなく、気まぐれで開けて閉じて忘れられていくのブログというものはこの世界にごまんとあるのだろう。

インターネットが普及し生活が変わった。仕事も変わった。人生を変える。

 

こうしてツラツラと文字を打つということは人を救い傷つけ、知らなくてもいい事に触れ落胆し、それでもインターネットに頼り救われるのだろう。

私はそうだ。

救いを求め迷い惑わされ、知りたくなかった事を知り、知らなくてもいい事を探した。

調べて調べて眠るまで調べ怯え、結局サジを投げアナログ的手法で調べあげる。

翻弄されるほど慣れてはいないのだ。

 

ふと思いたちパスワードを入力すれば過去と繋がる事ができた。

この6年もの間で生き方が変わった。

そして過去の自分を無かったことにしたくないと思っている。

きっとこれからも変わっていくだろう。

 

今日は土曜日。東京は深夜から雪だという。

仕事から帰り夫が炒飯を作ってくれていた。

めざしを5匹も焼いてくれた。

まともに喜びが出せないほど疲れている。

 

茨城のり子さんの詩が頭をよぎっていた。

 

ばさばさに乾いてゆく心をひとのせいにするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを友人のせいにするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守ればかものよ

(1977年)

タイトルとは

6年ぶりに開いた。

6年とは。

6年以前の自分が書いたことを読むと言うことは、のび太の机の引き出しに入ってタイムマシーンに乗った気分だ。

私は今、時間をもてあましているのである。

 

誰の目にも止まることなく、気まぐれで開けて閉じて忘れられていくのブログというものはこの世界にごまんとあるのだろう。

インターネットが普及し生活が変わった。仕事も変わった。人生を変える。

 

こうしてツラツラと文字を打つということは人を救い傷つけ、知らなくてもいい事に触れ落胆し、それでもインターネットに頼り救われるのだろう。

私はそうだ。

救いを求め迷い惑わされ、知りたくなかった事を知り、知らなくてもいい事を探した。

調べて調べて眠るまで調べ怯え、結局サジを投げアナログ的手法で調べあげる。

翻弄されるほど慣れてはいないのだ。

 

ふと思いたちパスワードを入力すれば過去と繋がる事ができた。

この6年もの間で生き方が変わった。

そして過去の自分を無かったことにしたくないと思っている。

きっとこれからも変わっていくだろう。

 

今日は土曜日。東京は深夜から雪だという。

仕事から帰り夫が炒飯を作ってくれていた。

めざしを5匹焼いた。

まともに喜びが出せないほど疲れている。

 

茨城のり子さんの詩が頭をよぎっていた。

 

ばさばさに乾いてゆく心をひとのせいにするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを友人のせいにするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守ればかものよ

(1977年)