例の惑星に移住したい

140字で収まらなかったこととか闘病とか羽生氏とか

頭に留めておきたいこと(ファンは選手ではない)

パソコンの調子が悪かったのと、書き溜めていた記事のデータが飛んでやる気を失っていたので、久しぶりの更新になる。体調としてはそれほど悪くもなく、書こうと思えば書けたので、ただのサボりだが。しかし、先週遂にはてなから「もうずっと記事更新してないぞ」とメールが来たので、久々に思っている事を適当に書いてみる。

 

 

 

今季のフィギュアスケートシーズンが終わった。新型コロナウイルスの影響で無観客での開催や試合自体が中止になるなど異例のシーズンとなったが、その中でも特にコロナの影響をモロに受けまくっていたのが羽生氏だろう。
まず喘息という気管支系基礎疾患のハンデがあり、常人の数倍はコロナ感染に気を使って生活しなければならない。しかも彼は“競技の顔”と言っても良いレベルの人気を誇る為、一度試合に出場となればファンもメディアもセットになって大会会場まで大移動する事になる。衝突事故が起きようが強行出場するレベルの熱血アスリートは、熟考の末、GPシリーズスキップという選択をした。結果、今季初戦は年末の全日本である。更に、プログラムもSP・FS両方新作という無茶ぶり。しかも本来の拠点であるカナダは厳しい入国制限を課しているので、クリケットクラブには帰れない。コーチはおろか、振付師ともリモートでやり取り。そしてレスポンスが悪すぎるバトルのせいで半ばセルフコレオ。ずっと仙台、一人きりで練習。理系アスリートであると同時に繊細な芸術家肌でもある羽生氏が、この暗い世相に影響されない筈もなく、案の定ドン底までメンタルが落ち込んだ。それを何とか立て直すのも自分。……つらつら書き連ねていて改めて思ったが、ハードモード過ぎんか???これ以上にキツイのってソチ後の腰痛→衝突事故→尿膜管遺残症→捻挫でワールド金を逃す地獄のコンボがあった2014-15シーズン以来では…?
それでも全日本ではSPもFSも完璧演技で久々に頂点に立ち、ワールドでも表彰台に乗って目標だった「北京五輪の枠取り貢献」をきっちり果たした。失速したFSに関しては、ロシアの喘息発作報道があり、本人曰く小さなトラブルが続いたらしいが、シニア競技歴10年を超えるベテランはやはり違う。ベストとは程遠くても演技はしっかりまとめるし、決して投げやりになったりしない。最後まで諦めない。見守るだけの私にとっても苦しい演技だったが、何回も見直した。苦しみの淵に立つも最後まで戦う、素晴らしい謙信様だった。その後の国別も、帰国後即隔離で更に大阪へ移動しなければならないというクソのようなコンディションの中、SPもFSも男子2位を死守してチームに最大限貢献した。そしてここでも3位、表彰台に乗る。テレビ等で26歳という年齢を目にする度に私は「マジで!?」と毎度驚いてしまうのだが(なんか年齢不詳っぷりに拍車がかかっている気がする…荒木先生の後継者かな?)、今の彼と同じ年齢で同じだけの実績や点数を叩き出した選手が過去に何人居たかと考えると、本当に驚異的な選手だなと実感する。やはり宇宙人…。


と、ここまで羽生氏の今季の活躍を振り返り、改めて尊敬するし大好きだしいつまでも見ていたいし競技引退してプロやコーチや振付師に転身してもずっと追いかけ続けるであろう唯一のスケーターだなぁ…としみじみ思う私が言うが。私はネイサンも好きだ。決してジャンプでミスしない(する気配もない)演技が、あの器械体操みたいな演技が好きだ。跳ぶジャンプ跳ぶジャンプがスパンスパンと決まって、観ていて単純に心地良いし、演技中ハラハラするようなストレスも無い。私には音楽的素養が無いから、曲との調和がどうのというのも特に気にならない。そもそも私は、フィギュアスケートを観ていて音楽とスケートの一体感を感じるのは羽生氏の演技だけで、他の選手には残念ながら平等に何も感じないし、ネイサンのそれが特別劣っているとも思わない。というか、鈍い私にも何かが引っかかって分かるぐらい、羽生氏の表現力が突き抜けすぎているだけだろう。…つまりは、羽生氏とは全く別のベクトルで、ああいうスケートがあったって良いと思っている。


今、羽生氏のスケートへのジャッジの評価が揺れている、ように見える。GOEが+3までだった頃とは何か基準が変わったのか?と思うほど、羽生氏の美しいジャンプが思ったより評価されない。PCSが辛い。得点を見ると、フラストレーションが溜まる。選手の中で一人突き抜けすぎて、類似するタイプの比較対象が無いからだろうか。今のジャッジ達は羽生氏のスケートを評価しきれていない、とさえ感じてしまう。知識の浅い私程度のファンでもそう感じるのだから、ISUコミュニケーションを読み込みジャッジングの詳細まで勉強しているような界隈の皆さまの苛立ちや不信感はどれ程だろう…といつも思う。そして、そんな詳しい方たちの有意義な意見は勉強になるし、このままではダメだという問題意識には共感を覚える。

しかし、そこに時折ただのネイサンアンチが混じる。しかも厄介なことに、ネイサンを昔から嫌っていたアンチというよりは、羽生氏ファンがジャッジ批判に絡めてアンチ発言しているようなのだ。私はそれを読んで思わず、うわぁ…と声を出してしまった。ナショナルバイアス疑惑や疑問点だらけの採点をしたジャッジを何故か通り越し、選手であるネイサンに対して不満と悪意をぶつける輩がちらほら存在する事に、私は凄く嫌悪感がある。何様なんだろう、ああいう人は。彼のコーチが何を言おうが、アメリカメディアが何を書こうが、それはネイサン本人の言動ではない。私は、そういうものと選手本人とは完全に切り離して考える。ジャッジの採点基準もそうだ。明確にジャッジを買収したなんて証拠があるならまだしも、採点の疑問を追求するのに、選手本人を批判する必要があるのだろうか?*1でも、ああいう人たちはそうは考えない。採点批判、ジャッジ批判、コーチ批判にメディア批判、それに加えて選手本人、全てを一緒くたにして見境なくバッシングする。ネイサンを口汚くチクチク刺したアカウントで一転羽生氏を絶賛されても気持ち悪いだけだ…。
どうにも上手く言えないが、何か勘違いしているんじゃないかという気がしている。五輪連覇の栄光も、それを生み出した美しい技術も、それを支えたたゆまぬ努力も、全部羽生氏本人の物であって、別に羽生ファンの物ではない。推しが努力の末に手にした栄冠を自らの事のように喜べるのはファンの特権だが、あくまで「ように」である。推しの努力や栄誉を、イコール自分の努力や栄誉と考えてはいけない。「ファンの方々に応援して頂いたおかげです!」という推しの有難いお言葉を額面通りに受け取って、「ほら!私たちのおかげで優勝出来たのよ!私たちも凄いの!」とイキってはいけない。実際には何の力も無いただのファンが、推しの威を借りてライバル選手にマウントを取って良い訳がないのである。


私はよく、フィギュアスケートヒエラルキーを脳内に創る。例えば、私は自宅から出歩くこともままならない底辺障害者だと位置付ける。その上に、普通に外出が出来る健康体の人が居る。更にその上に、アイスリンクに行って遊びで滑った経験のある人が居る。更にその上に、本格的にフィギュアスケートを習ってジャンプやスピン、ステップの練習をした事がある人が居る。更に更にその上、バッジを取得し大会に出場する人が居る。その中の上位者が全日本でテレビ中継され、その中の更に一握りの選手たちが強化選手となり国際大会に派遣される。そして男子はクワドを跳ぶ。そのクワドを跳ぶ選手の中でも、練習で何度もチャレンジしてようやく決める選手、ジャンプ練習では安定して来た選手、プログラムの中に入れても何とか跳べる選手、複数種類のクワドを跳ぶ選手、と段々と人数を減らしピラミッド型になりながら、ヒエラルキーは上へ上へと続いていくだろう。そして遥か彼方、天上世界のすぐ近くにネイサンが居る。複数のクワドを自在に操り、ピタリと決めて降りて来る。皆感覚がおかしくなっていそうだが、いくら助走が長くても、4Tも4Sも4Fも4Lzも、跳べない選手は跳べない。それを毎試合、事もなげにパーフェクトで演じるということの本当の凄さは、きっと多少なりともスケートを経験しないと分からないのだろう。そして、そのガチでヤバいジャンプマシーン・ネイサンの上に、“繋ぎ盛り盛り音楽解釈満点超美麗ジャンプのパーフェクト羽生神”が君臨しているのである。

天上世界の戦いを、私たちはピラミッドの最下層、遥か下の方から覗き見ているだけだ。一つ上の階層の経験者・選手でさえ、本当にとんでもない事をやれている人だと尊敬出来る筈なのだ、本来は。それをスケート経験もない、大会やショーを見に行くだけの素人が、どの面下げて天上世界の選手を批判出来るのか。「プログラムの前半にひたすら助走してクワド跳んでるだけ!」って、その“ひたすら助走してクワド跳ぶ”も出来ない選手が大半なんだぞ。助走さえ取れればバンバン降りられる程に易しいジャンプなら、今頃フィギュアはクワドだらけの宇宙大戦争になってるわ。…いや、ある意味凄い度胸だな。私なんか、ジャッジへの不満さえも遠慮がちだったぞ、最初は。講習を受けて資格を取っている人に意見出来る程の知識も見識も自分には無いと思っていたから。最近はどう見てもルールから逸脱した点数付けるジャッジが出て来たから、遠慮もなくなったけどな。まあとにかく、推しが天使の羽を広げて飛び回っているのを見ても、私たち自身が空を飛べる訳ではないのである。

 

ジャンプのGOEが羽生氏だけ辛い気がする。

ネイサンとはやってる事が違うのに、全然PCSで差を付けてくれない。

ジャッジの裁量が大きすぎて、決められたルールが機能していない。

ジャッジの採点に異議申し立てや抗議が出来ないのもおかしい。

そういう意見は滅茶苦茶分かるし、競技の発展に資する意見は大切だから大事にして欲しい。ISUにも聞く耳持って欲しい。だが、ライバル選手本人を扱き下ろすのは違う。そういうあからさまな選手アンチの声が大きくなれば、正当な主張が埋もれてしまうかもしれない。そういう問題児ほどこんな意見は「口煩い学級委員!」「全員応援のお花畑!」「羽生ファン失格!」と罵って受け入れないだろうし、そもそもこんな辺境ブログの記事は読まないだろうが、最近は本当に目に付くようになったので愚痴ってみた。あまりに酷いツイートは通報後ブロックしたが、同じ羽生ファンにこんなことをしなければならないことが悲しい。分母が大きくなれば変な人も増えるのだろうが、「ファンは推しの鏡」という言葉を胸に、私も変な言動は慎むように心掛けたい。

*1:採点の妥当性を検証するのに、助走の長短やジャンプ前後の工夫の有無に言及するのは全く問題ないと思う。だが、例え事実の羅列であっても、書き方を間違えれば誹謗中傷になる。

祖母の本音(理性は大事)

久々にリハビリがてらブログを書く。気付いたら随分と長い間書いてなかった…。

 

 

 

現在、祖母は認知症が進んで寝たきりになっている。あれだけ大好きだった羽生氏への反応も鈍くなり、なかなかに支離滅裂な言葉を口に出したりしているらしい。らしい、と伝聞なのは、私が諸々の理由で会いに行けないからだ。

そもそも私自身も寝たきりになる時があり、おいそれと自由に外出など出来ない。互いの体調によっては、電話で話す事も困難だったりする。そこへコロナが追い討ちをかけた。双方とも感染すれば確実に致命傷になるため、お互い安易な接触を避けるようになったのだ。一目会いたくても会えない。つら…。体調が落ち着く度に、私は「いつになったらお見舞いに行けるのか」と落ち込んだりしている。

 

まあそんな訳なので、毎日のように祖母の世話をしに行く母から祖母の様子を聞くしかないのだが、最近はどうも暴言を吐いているらしい。普通に信じられない。猫には多少厳しいものの、大体温厚で人には優しいあの祖母が暴言とは…。

ドイツ人と結婚した従姉が婦人科系の病を乗り越え双子を出産したと言われても、「半分白人じゃなぁ…」「目が青くて髪も金色なんだろう」と言ったという。超未熟児で生まれ未だに入院している異国の曾孫に対してこの言い草は、確かにキツイものがある。従姉の母である叔母は、祖母の言葉にショックを受けていたようだ。正直、私も驚いた。孫娘の婿たるドイツ人男性と祖母はそれなりに交流もあり、私から見ても仲良くしていたように見えたのだが…。

他にも、テレビで流れるニュースに対して過激な発言をしたり(赤○を復活させれば良い、○○人は犯罪者ばっかり等、ここにもあまり書けない事ばかり)、見舞いの品を贈ってくれた自分の弟妹の事を嫌いだと公言したりと、言いたい放題になっているらしい。認知症になるまで一切そんな事は言わなかった人なのに…。もしかして、アレか。本当は心の中でずーーーっとそう思っていて、それを口にしてこなかっただけなのか。今まで理性で押し留めていた本音が、認知症をきっかけにして解放され、外に出ているのか。隠せていた本音が、無意識下で溢れてしまうという地獄なのか。

仮にそうだとしたら、祖母は悪くないと思う。思った事をストレートに口に出してしまうのは、病気のせいなのだから。周囲の人間は結構傷付く訳だが、それでも本人がやりたいと思ってやっている事ではない。私は、人が内心で何をどう思おうが、それは個人の自由だと思っている。それが非人道的であったり不道徳であったり犯罪的であったりしても、口に出して(あるいは書き込んだりして)表明したり、実行に移さない限り、咎められるものではないと考える。本音が口から飛び出すのを、理性で抑えられなくなってしまったから問題になっているだけで、何人も心の内は自由だ。「そう考えるだけで犯罪なんだ!」「許せねえ!」とか極左の人権ゴロみたいな事を言われても困る。祖母の暴言も(辛いけど)スルーした方が良いのかもしれない。

 

ちなみに、祖母から私への暴言(?)は「早く結婚しなさい」だった。何故か私にだけお小言レベル。しかし耳が痛い。

終わりと始まり(いろいろありまして)

少し前、近所で火事があった。一軒丸々全焼した訳ではなく、隣家への延焼等も無かったのだが、住人が一人亡くなってしまった。私は面識の無い方だったが、母は犬の散歩でたまに会って話す程度の仲だったらしく、酷くショックを受けていた。まだ小火だからと消火活動しようとして、煙にまかれてしまったようだ。とっさの判断を誤り、あまりに惨い結末になった。自室の窓から焼け焦げたままの住宅が見える度に、胸が痛くなる。

 

先日、好きな漫画が最終回を迎えた。常に打ち切りの危機が付き纏う週刊少年ジャンプという掲載誌において、無事に完結を迎えることが出来たのは喜ばしいことだ。そして私がそれを最初から最後まで読めたことも嬉しい。もうハンタの完結を見届けるのは諦めた。だが、予想以上に凹んでいる。読んだ直後はそれほどでもなかったのに、時間が経つにつれ落ち込み、今はボコボコに凹んでいる。アニメ4期もコロナで放送延期になるし…これがロスか…。

 

最近、安楽死がニュースになっている。今回の事件は金目当てが絡んでいるそうで、問題が何とも複雑なのだが、亡くなった患者さんの苦しみと自殺願望は逼迫していて切実だっただろう。私も思うことはたくさんあるが、ここに書いても書かなくても心がしんどい。そして、当事者でなければ絶対に分からない苦しみを、外野から健常者が好き勝手言う構図が気持ち悪くて受け入れられないでいる。

 

 

 

他にも個人的に凹むようなことが多々あってからの、羽生氏の新CMである。マイナスに振り切って死に近付く私のメンタルを引き留めたのは、推しが練習着で滑る姿だった。なんなの、救いの神なの?

私はストイックなアスリートっぷりを全面に出すCMに弱い。アミノバイタルしかり、ANAしかり。しかし歴代ロッテの羽生CMといえば、伝説のキシリの精霊や、明るいポップ調もしくはアイドル顔負けキュート系のガーナ、と微妙に私の琴線から外してくるものばかりだった。確かに可愛いんだけど、確かにCMぐらいでしか見られない姿だけど、でも彼の本質はアスリートだし…という内なる葛藤を毎回引き起こすような。クリアファイルでは超絶私好みの涼やかなお衣装着てるのに、CMでは全くもって着ないしな!

それがどうだ。今回のコレ。やはりアスリート羽生の破壊力は桁違いだ。羽生氏が、東京五輪を目指すアスリートへ、いや、先の見えない状況で藻掻く全ての人々へと向けた無言のメッセージ。私も勝手に受信・変換して、「お前も現世でまだ生きて頑張れ」と言っていると理解した。スケオタ的新年を迎え、今年もまた(コロナの影響でどこまで開催されるか不透明だが)スケートシーズンが始まるんだから応援しなきゃ、という心持に自然となった。終わるものがあれば始まるものもあるんだ、という当たり前のことが見えなくなっていた私に、素晴らしいCMをありがとう。もうずっと物事の“終わり”しか目に入って来なかった私は、随分と視野狭窄に陥っていたようだ。

 

もう一回ようつべで観てくる…!

実に不謹慎かつ私の醜い心が顕になるのでツイッターには書けないが、モヤモヤしているのでブログに吐く。

 

 

 

私は今回のコロナ渦をどこか他人事のように見ているし、なんというか逆に精神的には非常に安定してきている。どういうことかと言えば。

 

感染症に怯える

・極力外に出ない生活を余儀なくされる

・大好きなイベントも参加出来ない

 

感染拡大防止のために国の要請に従い、協力し、それで苦しんでいる誠実な国民たちのこういった姿が、まるっきり普段の私の生活だったからだ。私は「感染症に怯えることなく、いつでも自由に外出が出来て、大好きなイベントにも参加する」という世界を既に失っていて、このコロナ騒動の最中でもその世界に何も変化はない*1。だから、今の世間の様子が他人事にしか思えないのだ。

変わらず目の前に存在しているように見えるのに、どうやったって手が届かない。そういう生殺しのような世界が私の住む世界だ。いつも別世界の住人のようにキラキラ輝いていた人々が、そんな私の居る地獄のような世界まで一気に落ちて来てしまった。可哀想になぁ…と他人事のように同情する傍ら、私の心はうっかり落ち着いてしまっている。置いてきぼりの孤独感や焦燥感、健常者への嫉妬や僻み、私に巣食うそういった負の感情が解消されて、晴れやかでさえある。私の苦しみはいつ終わるか全く分からないけど、あなたたちの苦しみは半年か一年できっと解消されていくから、頑張って耐え抜こう、なんて先輩面してアドバイスする余裕さえあったりして。

 

 

 

世界中で大勢の人々が亡くなり、今も病院で苦しんでいる。感染者が亡くなるような場合には、感染防止のために、家族さえ臨終にも火葬にも立ち会えないという。まるで戦時下や災害のような状況でこんなことが頭に浮かび、あまつさえ心が安らぎリラックスする等、自分でもクズだと思う。もしかして私には人間の心がないのか。あるいは、自分でも気が付かないほど鬱憤が溜まっていたのか。

人の不幸を喜ぶのはクズだ。弁解の余地もなくクズだが、私は自分の心の動きを素直に書き残しておきたい。自分で自分の人間性の無さにショックを受けているが、書いておきたい。はぁ…。

 

*1:何なら肺炎もしょっちゅうやっているし、私がコロナで新しく失うものがあるとしたら命ぐらいだろう。

普段から手を洗え(常識的に考えろ)

今年は暖冬だったためか、最近私の体調はかなり落ち着いている。去年と比べたら月とスッポンレベルで違う。頭の中もだいぶスッキリする日が増えた。心にも余裕が生まれ、積読になっていた漫画や雑誌、新聞記事にも目を通している。なんだか普通の健常者のような生活が送れている気がして、毎日が少しだけ楽しい。

ただ、疲労感や倦怠感がゼロになるということは無い。身体はいつでも重いし、食欲も低下したままだ。頭がボーッとして、何も考えられずに終わるいつもの日もままある。だが、いくら調子が良くても羽目を外して動き回らないように気を付けているため、活動後に強烈な反動が来て寝たきり…という恒例のパターンを今のところ回避している。分かっているのに我慢出来ずに動き回っていた私が、ようやく学習した(遅い)

まあこうなると、無理をしない範囲で杖を突いて母と一緒に散歩したくなるものだが、医師や家族から外出禁止令が出されてしまったため、ガッカリしながら自宅療養を継続している。CFSが重症化して以来こんなに好調が続いたことはなかったので、この絶好の機会に引き篭もりかと思うと非常に悔しいが…歯を食いしばって諦める。そう、今流行のコロナウイルスのせいである。

 

中国・武漢で発生した新型のコロナウイルスで、巷はもう数か月も騒ぎが続いている。勿論、日頃から感染症と闘う私にとっても脅威となることは間違いないが(だから絶対に外へ出るなと厳命されているのだが)、どうもマスコミは異様に騒ぎすぎに思う。

要するにアレは質の悪い風邪だ。普通の風邪にだって特効薬などない。対症療法を続けて身体を休め、あとは自身の治癒力・免疫力に任せ、自力で治すものだろう。高齢者の致死率が高いということだが、コロナでなくとも肺炎は普通に死ぬ病気だ。私も何度か死にかけた。警戒するに越したことは無いが、連日連夜のテレビでの煽り方が不気味で何となく気味が悪い。遂には気分が悪くなるからと、我が家のテレビはドラマとアニメ以外は封印された。

あと個人的に衝撃だったのが、一般人の無知っぷりだった。マスクは毎朝開店前の薬局に並んで買ったり、ネットオークション等で高値になったものを無理に買う必要はない筈だ。殆どの商品はウイルスを素通りさせるのだから、風邪(コロナ)予防という面ではあまり意味がない。自分が咳をする等の症状があって、外にその飛沫を飛ばさないように着用するというなら分かるが…。私も冬場に外出する際はマスクをしているが、それは風邪予防ではなく冷気を吸い込んで発作を起こさないようにする、喘息予防のためだ。こういう喘息の人や花粉症の人(ウイルスは素通りでも花粉をシャットアウト出来るマスクは多い)、既に風邪症状が出ていてそれを抑えたい人、そして医療機関の関係者等、本当にマスクが必要な人以外が着用しなければマスク不足になどならないと思うのだが。

マスクの他にはアルコール消毒類、ティッシュペーパー、トイレットペーパー等も相次いで品不足になっているという。アルコール消毒液等は、まあ分からないでもない。どうせ適当に使って消毒した気になっているだけのアホが多そうだが、病は気から(個人的にはこの言葉のせいで酷い目に遭ったから嫌いだが)とも言うし、それで安心して生活出来るなら…と思わないでもない。それでも医療機関等を優先しろよとは思うけど。だが、ペーパー類が売り切れるのはどういうことか。アホの極みか。オイルショックから何も学んでいないのか。日本のトイレットペーパーが中国で生産されてる訳ないだろう。無知にも程がある。いや、情弱とでも言うべきか。とにかく呆れた。日本人ってこんなに頭が弱かったっけ…?

遂には滅菌ガーゼで手作りマスクを作る、寝惚けたアホまで出てくる始末。「滅菌」という言葉で飛び付いたのだろうが、こういう無知もいるのかと頭を抱えたくなる。 ついでに、喘息の薬が重症肺炎の患者に効いたという報道が飛び交えば、医者の処方箋が無ければ売られない筈の薬さえ一時品薄になったという。これはまあ、一部の薬局や医者の問題かもしれないが、それにしたって…。病気と無縁の一般人はここまで知らないものなのだろうか。いや、知識があるとかないとか以前に、本当に必要としている人を困らせ、あまつさえその命を危険に晒してまで手に入れる“安心”とは何だろう。

怖い。ひたすら怖い。私もCFSに関して無知な人間から散々悪意を向けられ攻撃を受けてきたが、全国民が一斉に病やその関係のものに無知を晒すとこんなことになるのだな、と身震いがした。これで人々がしっかり学習しなければ、今回のコロナウイルス騒動が終焉を迎えても、また別の病でパンデミックの危機が迫ったら同じことをするのではないだろうか。そう、品不足になる商品が変わるだけで…。

 

ああ、嫌だ。本当に嫌だ。自分で最悪の未来を想像して書いておいて、凄く嫌になった。頼むから学んでくれ。学習してくれ。

普段から風邪が致命的なダメージに繋がりかねないと、感染症リスクを避けようとしている私からアドバイスをあげるから。 

 

マスクよりも確実な予防方法はコレだけ。人混みに行くな、とにかく手を洗え。 

 

以上!

彼の負担を考える(足るを知りたい)

今年最後の試合である全日本が終わり、私はホッとすると同時に気が抜けてボーッとしている。羽生氏は頑張った。ガチでハードすぎるスケジュールの中、フィギュアの世界ではベテランと呼ばれるような年齢になり、調整どころではなかったと正直な本音を漏らしながらも、それでも頑張った。SPはなんとか乗り越えたが、FSでは綻びが出た。結果は銀メダルだったが、死力を尽くして懸命に戦った。本当によくやったものだと思う。敢闘賞としてお豆腐一年分を贈りたい。

ツイッター上では様々な意見が出た。有り得ない強行軍の日程に不満を抱く意見が殆どだったが、その中でも「拠点のカナダに戻らず日本で調整出来ていたら…」という意見に私も「確かにな」と思った。仙台の地元リンクを借りて調整出来なかったのだろうか。クリケットクラブ所属であるコーチはなかなか羽生氏につきっきりで着いては来れないだろうから、結局一人で調整することにはなるし、なかなか難しいところではあるのだが、長時間のフライトによる気圧の変化や時差ボケには苦しまずに済んだだろう。

他にも、羽生氏にのみ幾重にもなって纏わりつくカメラやメディアの群れがとんでもないことになっていたことを指摘する声もあった。試合中はおろか、移動中も滑走抽選会も会場入りも常にカメラに張り込まれて撮影され続け、演技直前にリンクサイドに出た時さえ超至近距離でテレビカメラに撮られるストレスは如何ばかりだろう。ファンも「わあ、凄く近い。これだけアップになっても毛穴が見えない美肌」とか喜んでいる場合ではない…。

 

 

 

最近、度が過ぎていないかなと心配になることがある。ファンの欲が、だ。

彼の色んな姿を見たい気持ちは大変よく分かる。羽生結弦という人間は単にスケーターとしてだけでなく、精神も肉体もキャラクターもビジュアルも全てが魅力的だからだ。サービス精神旺盛な彼も諸々積極的にやってくれる面がある。各種メディアも、羽生ファンがとても熱心で購買意欲があり、上手に特集すれば飛ぶように売れることを知っている。だからたくさん撮る。いろんな姿を撮りたくて。話題を集めたくて。色んな人が色んな形で動く。また、目的がお金ではない人だっているだろう。羽生ファン界隈で有名なカメラマンが講座を開いたりするが、私は別にそれをお金目当てだとは思わない。

彼の周りの人たちやスポンサーが潤う。ファンも満足する。良いことだと思う。思うのだが、度が過ぎて羽生氏の競技の邪魔になっては本末転倒だとも思うのだ。これまで日本国民の期待を一身に背負ってやって来た羽生氏自身は今更そんなこと気にしないかもしれないが、私が個人的にどうしても気になってしまうのである。

 

私は特別、会場入り写真が欲しいと思わない。公式練習での一挙手一投足は練習過程を知る上で興味深いとは思うが、別になくても良いと思う。というか、なんとなく練習中に鼻をかんでいる羽生氏の写真を撮影して堂々とSNSに載せるファンと似たようなモノを感じてしまう。何もそんなとこまで撮らなくても…という若干引いたような気持ち。

私はそこまで「常に彼を知りたい!」とは思わないのだ。羽生氏がスケーターでいる限り、第一に見るべきはそのスケートであると思っている。身体の細部にまで宿った意識、その楽曲に対する感性を反映させる滑り、高難度ジャンプさえ表現の手段とする神々しい技術、それらを知りたいと思う。芸術面から、音楽面から、技術面から、それらを掘り下げて解説してくれるコラムや記事なら、何時間かかろうが病を押してでも喜んで読むが、プーさんのポジションがどうとかの情報はハッキリ言ってしまえば不要なのである。テレビ放送も同様だ。ウォームアップエリアで淡々と試合に備える選手を映し、女子アナがヒソヒソ中継する必要はあるのか。

 

誰だって舞台裏は気になる。気にはなるが、それがイコール知るべきことと言えるのか。需要とはファンの欲望だろう。需要があるから供給される。何でもかんでも知りたがるファンの需要と、それを何とか調べて供給したがるメディア。そのコントロールを失えば、迷惑を被るのは羽生氏だ。

私も今まで何も考えずにそういった情報を喜んでしまっていたが、今回の試合で羽生氏を取り巻く環境が“一人だけ”異様であることを思い、大変複雑な感情を抱くに至った。まあ、本当に今更だが。ある意味、競技の枠を超えた大スターになったが故の避けられない事態と言えばそうかもしれないが、他の選手にはない彼だけの精神的負担を不公平だとも思ってしまう。下衆な週刊誌やストーカー染みたファンがいなければ、仙台でも落ち着いて調整出来ていたかもしれない、と思うと余計に。

 

決して、雑誌やスポーツ新聞を買うなと言いたい訳ではない。現地の記者さんが頑張ってあげているドキュメントを読んだりリツイートするなと言いたい訳でもない。買いたい、読みたいと思うファンが大半だろうし、そもそもそんなことを言う権利は私にはない。

ただ、そろそろファンも足るを知って、思い留まった方が良いこともあるのではないかな…と、私は一人で勝手に感じ始めている。羽生氏本人も、これまでの言動から考えるにスポットライトを浴びて輝くのが好きなようだが(そしてそれが似合うのだが)、加熱したスポットライトを長時間休む間もなく浴び続けたら火傷してしまう。何事も中庸が大切。必要な時にだけ必要なスポットライトに当たれば良いと思う。

 

 

 

さて、四大陸選手権と世界選手権への派遣が決まった。良い調整を経て、素晴らしい演技が出来るよう祈り、今から楽しみに待つ。

漫画の話(ハイキューの話)

なんというか、複雑だ。苦しい。今年の羽生氏のオータムクラシックのしょっぱいジャッジ並みに、思い返すと苦しい。なんなら羽生氏のシーズン開始と並行していたため、頭がパンク寸前で苦しさ倍増だった。

…何の話かと言うと、個人的に、非常に胸が苦しくなるような展開になってきた、とある漫画の話である。

 

私は週刊少年ジャンプを毎週購入している。まあ、病気になってしまった今ではコンビニまで実際に買いに行っているのは母なのだが、お金は自分の財布から出しているので、私が購入していると言って良いだろう。体調不良で読み切れなくとも、寝たきり状態でジャンプが積読になっていても、自分の推しキャラが敢えなく死んでも、それどころか推し漫画が打ち切りの憂き目に遭っても、とにかく毎週毎週欠かさず買ってきた、長年のファンだ。

私の脳内ジャンプ史を紐解くと、小学生の頃に流行ってアニメ化もした『地獄先生ぬ~べ~』*1というホラー漫画が読みたくて、姉が買ってきたジャンプをこっそり読んでいたのが最古の記憶だった。当時は他に少女漫画雑誌のなかよしを愛読していたが、主に『美少女戦士セーラームーン*2お目当てで、今思うと好きになる漫画の傾向は結構幅広かったようだ。それから少しして、私が中学生になった頃に空前の『テニスの王子様*3ブームが到来。ちょうどこの頃姉がジャンプを卒業したため、入れ替わるような形でそれから毎週自分で買うようになり、自分のお金で買うならと掲載される漫画を満遍なく読むようになった。そこで絶賛連載中だった『シャーマンキング*4からの武井流れで前作『仏ゾーン*5に辿り着き(連載時のことも薄っすらと記憶はあるが、当時小学生だった私はちゃんと読んでなかった)、なんとそのまま仏教に目覚め、大学進学も仏教や東洋哲学系に舵を切って突っ走り、その間に『シャーマンキング』まさかの打ち切りで漫画界の諸行無常を味わい、やけくそになってプリンセスハオで半笑いになり涙し、しかし大学在学中も就職後もそのまま途切れることなくジャンプを買い続け、今に至っている。

ある時期、もはや惰性で買っているのではないかとジャンプ卒業を考えたこともあったが、やはり毎週月曜日に読まないと落ち着かないから、私はジャンプという雑誌自体が結構好きなのだと思う。好きな漫画が打ち切られても、盛大に文句を言いつつ結局は新連載読むし。なんだかんだで止め時を見失ったとも言えるのかもしれないが。というか、人生においても大きな転換点となる大学の進路を漫画に導かれている辺り、今更だけどジャンプから影響を受けすぎである。

 

とまあ、そんなジャンプっ子な私が、今大変モヤモヤしているのが『ハイキュー!!』というバレー漫画の“超展開”だ。ジャンプ歴二十数年の私は勿論、『ハイキュー!!』も連載開始当初からずっと読んできた。東北・宮城県を舞台に、高校バレーに青春を捧げる少年たちを描く正統派スポーツ漫画である。古舘先生の前作も読んでいたが、本当に描きたかったのはこっちだったんだろうなと感じるぐらいの熱量があったというか、とにかく気合の入り方が違うように思えた。漫画は、初回から面白かった。バレーのルールに疎い私でも(なにしろサーブ権があった時から脳内のバレールールが更新されていなかった)すんなり理解出来たし漫画に入り込めた。キャラクターも話も魅力的で説得力があり、心に残る名台詞もたくさんある。久々に良いスポーツ漫画がジャンプに来たな、と素直に嬉しかった。

インターハイ予選編でライバル校に惜敗した時には掲載順がドベ付近を彷徨っていて戦々恐々としたが、それ以外は凡そ順調だったと思う。読者から大きな支持を得て当然の流れで始まったアニメも大変出来が良く、リアルタイムでは観られなかったものの録画したのを観ていた。発病してから音楽は気楽に聴けないものになってしまったというのに、つい勢いでサントラ(これまた良い出来で、アニメ本編以外にもニュースのスポーツコーナー等で流れていたりする)も購入してしまった程だ。そして極めつけ、主題歌も神だった。アニソンらしいアニソンが廃れタイアップ曲が主流になって久しいが、『ハイキュー!!』は違った。それ専用に書き下ろしたかのような曲ばかりだった。

タイアップ曲ではないスポーツアニメの主題歌には、リアルのスポーツ全般に通じる魂がある。私が勝手にそう思っているだけなのだが、羽生氏が足を負傷しぶっつけ本番で平昌五輪に挑むことになった時、私はずっとアニメ3期のオープニング曲である「ヒカリアレ」という歌を聴いていた。実際には音楽を聴ける体調ではなかったから歌詞を読み返したり思い浮かべたりしていただけなのだが、とにかくこの歌を勝手に「羽生氏復活テーマソング」に決め、お経のように頭の中で唱えていた。「空駆ける流れ星は今夜、命を触媒に燃える…とか、正に羽生氏の生き様やん…頑張って連覇して…」などと思っては勝手に泣いていた。自身の体調と相談しながら羽生氏を精一杯応援する、その支えになった曲だった。他にも名曲揃いで、また今度4期が始まるの楽しみだなあ……という私の心に冷や水をぶっかける本誌の展開。そう、ここまでは非常に長い前置き。問題はここからだ。

 

 

 

本当に大変なことになっていた。分かりやすく説明すると、一試合を何か月もかけて描写し、ほぼ一話丸ごと使って長いラリーの応酬や観客の反応を描く漫画が、最高に盛り上がっていた(※過去進行形)試合で主人公の病気離脱からの春高敗退、余韻どころか一気に年数飛ばしてブラジルである。 え?え…?

いや、本当は分かっていた。試合前や試合中の様々な描写から、主人公・日向に対して不穏な気配ビンビンの伏線が複数張られていたことには気付いていた。まあ、私は連戦による疲労からのスタミナ切れを予想していたのだが。春高予選決勝の白鳥沢戦*6での影山のように、試合途中でダウンしても後から復活してくるものだと思っていた。試合中に何とか乗り越えられるような試練だとばかり…。それがまさかの39度発熱、病院送りとは。主人公が試合から完全離脱。どんな展開だ。作中でも言及されているが、捻挫や突き指等の怪我ではなく体調不良による発熱のため、もうこの試合に戻って来ることは出来ない。この時点で、スポーツ漫画として既に異様である。

そして主人公を導く監督やコーチも、怪我ではないからと出場を強く主張する日向の願いを断固として聞き入れない。一昔前のスポーツ漫画なら、根性論で「よく言った…!」と称賛して快く送り出すか、苦しい判断を迫られた挙句「……絶対に、無理はするなよ…!」と選手の意向を尊重して苦渋の表情で送り出すかしそうなところだが、超現実路線バレー漫画『ハイキュー!!』ではそうなる訳がなかった。監督は日向をベンチに座らせて、もうこの試合に出すことは出来ないと分からせるために、将来のことも含めて懇々と説得する。今この瞬間もバレーだと説く。これは(漫画的にどうかという話はさておき)非常に現実的な対処であり、昭和の根性論から令和のスポーツ科学論へと変化した現代のスポーツの現場のあるべき姿を象徴するようなシーンだったと思う。日向の胸中や監督の苦しみを考えると、もう漫画の中でぐらい根性論でも良いじゃないかと流されそうになるが、絶対にそうはならないのが『ハイキュー!!』なのである。また、最後のページにもとどめのようなシーンがあった。マネージャーに付き添われ会場を後にする日向の目の前で、今まさに試合が続けられている体育館の扉が閉まるのだ。今回のお前の春は終わったんだよ、と言わんばかりに。え、演出がヘビー過ぎる…私はこのラストページで耐え切れずに泣いた…。

 

そして更に驚愕の展開だが、主人公の学校・烏野高校は、発熱退場した主人公を欠いたまま敗北する。え?え…?

…いや、これも分かっていたことだった。この試合前にやたらと「この試合に勝ったら~」という明らかに負けフラグっぽい会話が烏野チーム内のあちこちで起こっていた。途中でトーナメント表がしれっと変更され、今戦っているチームの次は読者にとって無名のチームというメタ的なフラグまであった。負けるんじゃね?という嫌な予感は多少感じてはいた。そして主人公離脱、上記の演出、何よりタイトルが「終わりと始まり・2」という有様。それでも奇跡を信じて、日向に優しく声をかけた先輩たちの奮起を信じて、ここで負けたら影山ユース編で出て来た佐久早と戦えないというメタ的フラグを信じて……祈りながら次の週にジャンプのページを捲ったら普通に敗戦していた

ああ、こういう漫画だと分かっていた筈なのにこの衝撃。インターハイ予選で青城に負けた時も驚いたが、 奇跡はそう都合よく何度も起こらない超現実路線バレー漫画なのだから仕方ない。しかも私が勝手にメタ的な勝ちフラグに仕立て上げようとしていた佐久早も無名のチームに敗北していたというオチまでついた。嘘だろ…お前のチームは高校№1リベロまでいるんじゃなかったのか…何でこんなところで散った…!これで3年生たちの春は終わったのか。学校の部活動であるから当然来年も新体制で続いていくとはいえ、今の烏野チームのメンバーが好きな身としてはやはり辛すぎる。優勝して欲しかった…そんなありふれた単純な漫画じゃないとは分かっていても……全国の頂点に立って欲しかった………。

 

で、正直コレが一番衝撃が大きかった余韻なし即ブラジル。え?え…?

何でだ。何故だ。主人公離脱と主人公チーム敗北は分かる。普通に読んでいれば分かる伏線があった。だから何となく予想していた。現実になってしまったことへのダメージはあるが、想定の範囲内だった。だが、問題は突然の年数飛ばしだ。いやいやいや…敗北の余韻に浸らせてくれよ!あれだけ敵チームの敗者っぷりを丁寧に描いてきたのに!烏野の!余韻は!?…いや、描かれていたよ、描かれてはいたが足りない。あれでは足りない。3年生がたった数コマで卒業証書持って手を振るって何で!?インハイ予選敗退後に春高まで部活続けるかどうかという「(引退したら漫画的に困るからあり得ないのに)そこ引っかかって描写する?」って部分まで丁寧に描いてたのに!部活引退・卒業って一大イベントなのに!キャプテンの引継ぎとか色々あるじゃん!どうしてそこを省くんだ!だって、これから2年生編が始まるんだから、こんな駆け足で話を進めちゃ……と思ったら2年生編など始まらなかった。ブラジル編が始まった。え?え…?

何でだよ!!!!!『ハイキュー!!』は部活漫画じゃなかったのか?確かに、将来プロになって五輪代表になって金メダル取る的な夢は最初期に語られていたけども!それは最終回付近に見せるヤツだろ普通!別に掲載雑誌がジャンプじゃなくても、じっくりコトコト煮込んで高校3年間→ユースとか→大学4年間→実業団(Vリーグ?)→日本代表と全部描けるとは思わないけども!それにしたって急展開すぎだよ…!まあ最近じゃ、他誌だけど『ダイヤのA』や『弱虫ペダル』みたいに2年生編に突入したものの人気キャラが卒業してちょっと微妙な感じになった例もあるから、私も部活漫画から逸脱しないで2年生編を回避しつつテコ入れするなら「ユース編」かなと想像していた。今まで登場したキャラクターでドリームチーム作れるしVS世界で楽しそうではないか。せめてそれぐらいだろうと思っていたところへ、まさかのブラジルである。ユースどころの話ではない。2年時と3年時の試合結果もたった数コマのモノローグで語られ、伊達工や稲荷崎との再戦フラグも実にあっさりした感じで触れられた。もう何度でも言うが、何で…?どうして?WHY?

 

 

 

…いや、そもそも、 この一連の急展開は本当に急展開なのだろうか。最初から春高は鴎台戦まで、日向は途中自己管理不足で離脱して厳しい現実と向き合う、などと決まっていたのだろうか。私には何だかもうあまりにも急速に話を畳んでいるように見えて、こんな高い掲載順で打ち切りになったのかと疑う程の急ブレーキ・急ターン・急加速の連続だったが。これで前々から計画していたとか言われたらどうしよう。

大体、少し前に梟谷の試合を結構長々と描いていたが、あれは何だったのだ。烏野の二試合目の前にブレイク的な意図だったのか、それともこの時はまだブラジル編など決まっていなかったのか。結局、あの春高の優勝校がどこだったのかさえ不明なままという衝撃。主人公が力及ばず敗退するにしても、その大会の優勝校ぐらい見せないだろうか、普通。あんなに長い期間(これは読者目線のリアル連載年数になるのだが)、高校バレーの頂点として目指していた筈の夢の舞台、その全国大会での試合をここまでじっくりと描いてきて、それをこんな不完全燃焼で終わらせてとっとと次のステージに行ってしまうとは…。

 

東京五輪か。間近に迫った東京五輪に合わせて「五輪編」(いつかの巻末コメントでの作者の言葉を引用すれば「龍神ニッポン編」 )をやりたくなってしまったのか。だから急に春高編を畳んでしまったのか。そうなのか。ああああそんな馬鹿なああああ!!!試合描写やバレーの技術的なことだけでなく、高校の部活動だからこそのやり取りも大きな要素だっただろう!!先輩後輩や他校ライバルとの人間関係とか甘酸っぱい青春とか…烏野に敗北していった対戦相手の想いも背負って…ああ…ああああ……(放心)

普通に心が追い付かない。『ハイキュー!!』を嫌いになった訳ではない。寧ろ好きだ。好きなままだからこそ、この展開に心が追い付かない。掘り下げのないままフェードアウトしてしまったキャラクターたちはどうなるのだろう。作者は「あと少しお付き合い下さい」といった趣旨のコメントを発している。ジャンプ本誌の煽りにもはっきりと終章だと書かれていた。最終回まで折り返し地点も過ぎてもう3分の1も残っていないのなら、日向のブラジル編から全日本代表に選出されて東京五輪に出て、でギリギリ精一杯だ。リアルの東京五輪に合わせて連載終了するというなら、ますますスケジュールはタイトになる。他のことを描写出来る余裕がない。

どうなるのだろう。 これからこの漫画がどうなってしまうのか、私にはもう分からない。先の読めない展開は好きだが、こればかりは予想外過ぎて、頭から驚きが抜けない。ずっとビックリしたままになっている。麻痺した頭が回復するのはいつになるやら…ああ……ああああ……(また放心)

 

 

 

 

 

いろいろ思ったまま書き散らしてしまったが、『ハイキュー!!』の連載が終ろうが続こうが私はきっとこれからもジャンプを買い続ける。この稀代のスポーツ漫画の連載も、しっかりと最後の最後まで見届けられるだろう私が途中で死ななければ。しかし、このモヤモヤと衝撃がずっと頭から離れないので、ブログで一気に吐き出すことにした。決して『ハイキュー!!』が嫌いになったということではないしこの展開の全てが不満という訳でもないが、ただただこのどうしようもない蟠りを吐き出したかったのだ。

…うん、ちょっとスッキリした。あと長文書いて疲れた。もうちょっとして落ち着いたら、羽生氏の神演技のことを考えてまた何か書こうと思う。

*1:推しキャラはゆきめ

*2:推しキャラはセーラーサターンとセーラーギャラクシア様

*3:推しキャラはタカさん

*4:推しキャラはメイデン様とオパチョ

*5:推しキャラはセンジュ様

*6:なお、白鳥沢学園高校は作中で絶対王者と呼ばれており、しかも羽生氏の母校・東北高校がモデルという、羽生オタには琴線に触れる要素が多々ある。