田舎美容師の今日から使える雑学ブログ

今日から使える話のネタに

今日から話のネタに使える甲子園・甲子園球児の雑学

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おはようございます!

 

オリンピックが閉幕し、今日から甲子園大会が始まる!

と喜んでいたあなた。残念。台風の影響で開幕が明日8月10日に順延となりました。

しかし、コロナで大変な中オリンピックは無事閉幕し、昨年中止となった甲子園がここに戻ってきます!オリンピックも去ることながら、これからさらに楽しみな高校球児の暑い・熱い夏が始まります!

 

 

最多記録

春・夏通算

 

最多出場回数

龍谷大平安(京都) 75回

 

最多勝利数

中京大中京(愛知) 136勝

 

最多優勝回数

中京大中京(愛知 11回

 

 

選抜高校野球大会(春)

 

最多出場回数

龍谷大平安(京都) 41回

 

最多勝利数

中京大中京(愛知) 58勝

 

最多優勝回数

東邦(愛知)5回

 

最多奪三振記録

1大会個人記録

江川卓(作新学院・栃木)

60奪三振

 

1試合個人記録

戸田善紀(PL学園・大阪)

21奪三振

 

最多本塁打記録

1大会個人記録

清原和博(PL学園・大阪)

本木大介(上宮・大阪)

松井秀喜(星稜・石川)

など11人が3本でタイ記録

 

 

全国高校野球選手権大会(夏)

 

最多出場回数

北海(北海道) 38回

 

最多勝利数

中京大中京(愛知) 78回

 

最多優勝回数

中京大中京(愛知) 7回

 

最多奪三振記録

1大会個人記録

坂東英二(徳島商・徳島)

83奪三振

 

1試合個人記録

松井裕樹(桐光学園・神奈川)

22奪三振

 

最多本塁打記録

1大会個人記録

中村奨成(広陵・広島)

6本

 

 

甲子園の土

甲子園の土は、選抜高校野球(春)と全国高校野球選手権大会(夏)では微妙に違う。

黒土は岡山や鹿児島から取り寄せられた土で、それに砂を混ぜたものになっています。

黒土と砂の割合は春と夏で微妙に違っており、雨の多い春は水捌けが良いように砂を多めに、夏はボールが見えやすいように黒土が多めにと工夫がされている。

 

甲子園の風物詩でもある、負けたチームが土を持って帰るという風習。これは誰が始めたのか?と意外と知らないですよね?

しかし、これには諸説ありますのでそちらを紹介したいと思います。

一番有名なのは1937年の決勝で負けた熊本工業の川上哲治が甲子園の土を靴下に入れて持ち帰ったとされているが、川上哲治はそれを否定しているのである。

2つ目は、1946年の夏の準決勝で負けた東京高等師範付属中(筑波大附府校)の佐々木監督が各ポジションの土を手拭いに包んで持って帰らせたという説。

こちらが新聞で記録されている最古の土の持ち帰りだという。

3つ目は1949年の夏の大会で準々決勝で敗退した小倉北高(小倉高)の福島投手が足元の土をズボンの後ろポケットに入れて持ち帰った。

ここまで見てみると、1946年の佐々木監督が持ち帰らせたという説が一番最初の土の持ち帰りになりそうだが、土を持ち帰るのが伝統になる出来事はあった。

1958年に大会史上初めて沖縄代表として出場した首里高校の球児たちが甲子園の土を持ち帰ろうとしたが、当時沖縄はアメリカの領地だったためアメリカの法律で小工仏検疫法に抵触して持ち込みができずに海に捨てられてしまった。

この出来事が当時の新聞で大きく取り上げられ大きな反響を呼んだ。

 

土の持ち帰りが伝統的になったのは沖縄の球児たちが持ち帰りたくても持って帰られなかったことによって始まった風習なのかもしれませんね。

 

さて、明日から始まる甲子園。

102回大会が中止となって新たな幕開けを迎える甲子園。地方大会で多くの強豪校が敗れていった。13年連続出場を目指した福島の聖光学院が今年は準決勝で涙を飲んだ。今年の夏で勇退が決まっていた門馬監督率いる東海大相模、コロナが17人も出たということで思わぬ形で大会を去ることになった今年の春のセンバツ優勝校。

プロ注目の小園健太率いる市和歌山、森木大智率いる高知、春夏通算最多勝利を誇る中京大中京の畔柳など好投手の地方大会敗退が続いた。

それでも甲子園に新たに現れるスーパースター、そしてその選手たちの今後も楽しみである。

甲子園を沸かせた選手たちはその後プロ野球でも大きな成果を残している。

楽しみな甲子園、みなさんでしっかり応援しましょう。

 

 

今日から話のネタに使えるオリンピック柔道にまつわる雑学

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おはようございます!

 

さて東京オリンピックが盛り上がってまいりました!

52キロ級の阿部詩選手と、66キロ級の阿部一二三選手が史上初、兄妹で同日金メダルを達成!

阿部詩選手の52キロ級での金メダルも日本はこれが初めて。これまで取れていなかったのはこの52キロ級のみで、これで日本勢では全ての階級でのオリンピック金メダルということになります。

 

ということで日本のお家芸である柔道、オリンピックの柔道にまつわる雑学となります!

 

 

これまでの日本のメダルの数

日本のお家芸である柔道、これまでにとった金メダルの数は39個。今年の東京オリンピックで3つ追加して42個となりました!

銀メダルは19個、銅メダルは26個。

すごく多い数字に思えますが、メダルの数だけを考える柔道は全体で2位、体操が全体で1位となります。

金メダル31個、銀メダル33個、銅メダル34個と柔道の84個を抜いて、体操のメダル数が堂々の98個。

 

メダルの数だけを考えると全体3位が競泳、4位がレスリングとなっています。

金メダルの数は1位柔道39個、2位レスリング32個、3位体操31個となります。

メダルの数だけ考えても面白いですね!

 

 

幻の東京オリンピック

 

日本古来からある柔術と「レスリング」を組み合わせて、【柔道】というスポーツを作ったのは嘉納治五郎という人物です。柔道の父と呼ばれる人物になります。

 

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嘉納治五郎は近代オリンピックに参加したいという気持ちが強く、1940年に日本へのオリンピックへの招致に尽力した人物でもあるのです。

 

 

オリンピック柔道の歴史

柔道がオリンピックの競技種目になったのは1964年の東京オリンピックからです。

当時は階級も軽量級、中量強、重量級、無差別級の4階級しかありませんでした。

その時のオリンピックでは、4階級中3階級で金メダル、無差別級のみ銀メダルという結果でした。

その後、1980年のモスクワオリンピックは不参加となりましたが、それ以外のオリンピック全てでメダルを獲得しています。男子は2012年のロンドンオリンピック以外は金メダルを獲得できているのです。

男子では1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピックで野村忠宏選手が60キロ級で3連覇を達成しています。

 

女子の柔道がオリンピック競技に追加されたのは、1988年のソウルオリンピックからです。

その後柔道人気を牽引した田村亮子こと柔ちゃん、1992年のバルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックでは続けて惜しくも銀メダルとなりましたが、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピックで連覇を達成。

「田村でも金、谷でも金」という名言が残ったのがこの連覇の時になります。

その後、2008年北京オリンピックにも出場していますが、この時は銅メダルとなり田村亮子(谷亮子)は5大会で金メダル2、銀メダル2、銅メダル1と出場した全てのオリンピックでメダルを獲得したのです。

 

 

オール一本勝ちで優勝した選手

1964年 東京オリンピック 軽量級 中谷雄英(日本) 

1972年 ミュンヘンオリンピック 軽中量級 野村豊和(日本) 

1984年 ロサンゼルスオリンピック 86キロ級 ペーター・ザイゼンバッハー(オーストリア) 

1984年 ロサンゼルスオリンピック 無差別級 山下泰裕(日本) 

1988年 ソウルオリンピック 女子72キロ級 イングリッド・ベルグマンス(ベルギー) 

1992年 バルセロナオリンピック 男子78キロ級 吉田秀彦(日本) 

1996年 アトランタオリンピック 女子66キロ級 曹敏仙(韓国)

2000年 シドニーオリンピック 男子100キロ級 井上康生(日本)

2004年 アテネオリンピック 男子66キロ級 内柴正人(日本) 

2004年 アテネオリンピック 女子63キロ級 谷本歩実(日本) 

2004年 アテネオリンピック 女子78キロ級 塚田真希(日本)

2008年 アテネオリンピック 女子63キロ級 谷本歩実(日本)

2016年 リオデジャネイロオリンピック 女子78キロ級 ケイラ・ハリソン(アメリカ)

 

と過去13人しか出ていません。かなり難しいということですね!

谷本歩実選手は2大会連続でオール一本勝ち!オリンピックでは一本しか取ってないことになります!

 

 

さて、オリンピック柔道の雑学を記載してまいりましたが、今日の阿部兄妹に続いて日本勢のメダルラッシュを期待したいですね!

これまで4人の選手が出場して3人金メダル、1人銀メダルと全員が決勝進出。今日からの柔道も楽しみです!

 

 

今日から話のネタに使えるメジャーリーグにまつわる雑学

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おはようございます!

 

大谷フィーバーが続くメジャーリーグ!ホームランダービーでは惜しくも一回戦敗退となったものの、しっかりと見せ場を作った大谷翔平。さらに松井秀喜外野手がヤンキースで記録したシーズン31本塁打をオールスター前の前半戦で超え、両リーグトップの33本塁打で折り返すという野球漫画にでも出てきそうな大谷翔平。

二刀流でよく引き合いに出されるのが【野球の神様】ベーブルースだが彼は一体どんな選手だったのでしょうか?

今日はメジャーリーグにまつわる雑学ネタを皆さんに提供できればと思います!

 

 

ベーブルース

野球の神様と言われたベーブルース、今は大谷翔平と引き合いに出されることが多くなりましたが、30代から下の世代の人たちはあまり知らないのではないでしょうか?

それよりもバリーボンズ、サミーソーサやマークマグワイアの方が有名でしょう。

ベーブルースは1927年に60本塁打という大記録を打ち立てました。

1961年にロジャーマリスが61本塁打でベーブルースの記録を34年ぶりに更新。

しかし、ベーブルースの時代は154試合で60本を達成したのに対し、ロジャーマリスは162試合で達成だったので、154試合以内で破らない限り参考記録として扱われることとなったため、長い間ベーブルースとロジャーマリスの本塁打記録は併記されていたのです。

 

その後1998年にサミーソーサが66本塁打、

同じく1998年にマークマグワイアが70本塁打、

メジャー本塁打記録として2001年にバリーボンズが73本塁打を達成。

 

通算の本塁打記録としては

1位 王貞治 868本

2位 バリーボンズ 762本

3位 ハンクアーロン 755本

4位 バリーボンズ 714本

 

日本人初

 

そんなメジャーリーグの歴史の中で日本人として一番最初にホームランを打ったのは野茂英雄投手!そう、メジャーリーグ挑戦のパイオニア的存在となったのがこの野茂投手。

 

しかし、日本人初のメジャーリーガーはその30年前に誕生していました。

村上雅則投手、南海ホークスからマイナーリーグの野球留学でアメリカへ。そこで好成績を残したためいきなりメジャーに昇格。

 

そして野手として初めてのメジャーリーガーがイチロー外野手。シアトルマリナーズとの契約が11月19日に対し、第2号となった新庄剛志外野手も同年12月11日にニューヨークメッツと契約を交わしている。

 

今ではメジャー挑戦も難しくない時代になってきましたが、巨人から移籍した山口投手のように思うように活躍できずにすぐに日本球界に復帰する選手もいる。筒香選手もなかなか結果が出せずに苦しいシーズンが続いている。

 

日本人初のワールドシリーズ制覇:伊良部秀輝(1998年)

最年少メジャーデビュー(投手):村上雅則(20歳118日)

最年少メジャーデビュー(野手):大谷翔平(23歳267日)

最年長メジャーデビュー:高橋建(40歳21日)

ノーヒットノーラン野茂英雄(1996年、2001年)、岩隈久志(2015年)

サイクル安打大谷翔平(2019年)

シーズン最多勝利:松坂大輔(18勝)

シーズン最高防御率:野茂英雄(2.54)

シーズン最多奪三振:ダルビッシュ有(277)※2013年ア・リーグ最多奪三振・両リーグ1位シーズン最多投球回:野茂英雄(228.1)

シーズン最多登板:大塚晶則上原浩治(73試合)

シーズン最多セーブ:佐々木主浩(45)

シーズン最多ホールド:大塚晶則(34)※2004年ナ・リーグ1位

シーズン最高打率:イチロー(.372)※2004年ア・リーグ首位打者・両リーグ1位

シーズン最多本塁打:松井秀喜(31本)

シーズン最多打点:松井秀喜(116)

シーズン最多安打:イチロー(262安打) ※2004年両リーグ1位、MLB記録

シーズン最多盗塁:イチロー(56個)

シーズン最高出塁率:イチロー(.414)

シーズン最高長打率:松井秀喜(.522)

シーズン最高OPS:松井秀喜(.912)

ゴールドグラブ賞:イチロー(2001年 - 2010年、ア・リーグ外野手)

シルバースラッガー賞:イチロー(2001年・2007年・2009年、ア・リーグ外野手)

シーズンMVP:イチロー(2001年、ア・リーグ)

オールスターゲーム初出場:野茂英雄(1995年)

オールスターゲームMVP:イチロー(2007年)

ポストシーズン初出場:野茂英雄(1995年)

リーグチャンピオンシップシリーズMVP:上原浩治(2013年、ア・リーグ)

ワールドシリーズ初出場:新庄剛志(2002年)

ワールドシリーズMVP:松井秀喜(2009年)

日本人初のナ・リーグ月間MVP野茂英雄(1995年)

日本人初のア・リーグ月間MVP:伊良部秀輝 (1998年)

 

これだけの記録を見ても日本人選手の活躍が分かりますね!しかし、大谷選手が松井秀喜選手の本塁打数を超えたことでさらに面白い記録に繋がる可能性も出てきましたね。

日本人初のメジャーリーグでの本塁打王の名前に大谷翔平選手の名前が刻まれる日もそう遠くないかもしれません。

 

 

今日から話のネタに使えるオリンピックにまつわる雑学

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おはようございます!

 

あと3日に迫った東京オリンピック。1年の延期を経て、東京にオリンピックがやってきました。さて、皆さんも知っての通り、前回東京にやってきたのは1964年の東京オリンピック。実はこの時もオリンピックが始まる前まで日本国民の世論はオリンピックに反対だった事をご存知でしょうか?(諸説あります)

 

今年はオリンピックイヤー!1年ずれても関係なし!

この記事で読んだことを自分の知識として、会話の役に立てばと思っております。

 

 

第1回オリンピック

オリンピックは1896年にギリシャ王国のアテネで行われたの始まり。こちらは近代オリンピックと言われるものになります。しかしその前に近代オリンピックの前身となる古代ギリシャで行われていた【オリンピア祭典競技】という名の古代オリンピックが行われていました。

 

第1位回オリンピック、参加者は全て男性だけでした。女性の参加があったのは第2回オリンピックからということなのです。

 

実は第1回オリンピックでは、財政事情が非常に悪かった。財政難を補うために12種類の記念切手を発売したり、入場券を高額にしたりと、運営費を捻出していた。

さらに金メダルはなく、優勝者には銀メダル、準優勝者には銅メダル、第3位のものには表彰状が送られていた。

 

1986年4月6日に開会式が行われて、4月15日に閉会式が行われていて、第1回オリンピックはわずか10日間の開催だった。

 

 

東京オリンピック

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みなさんが知っている東京オリンピックといえば1964年の東京オリンピックになるでしょう。しかし、その前にも実は東京はオリンピックを招致していたのです。それではなぜ多くの日本人が1964年の東京オリンピックしか覚えていないかというと、1940年のオリンピックは中止されたからなのです。

 

1940年に東京はオリンピックを招致しながらも日中戦争などの勃発や、軍部からの反対があり1938年の7月には開催を返上していた。1940年のオリンピックは東京の代替地としてヘルシンキが予定されていましたが、結局第2次世界大戦などの勃発で1940年のオリンピック自体が中止となったのです。

 

2020年の東京オリンピック、この開催は新型コロナウイルスが世界を変える前から中止されると予言されていた?

 

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江戸幕府最後の将軍として知られる徳川慶喜、実は慶喜ではなく徳川家達(いえさと)が15代将軍となる予定だった。しかし、まだ若すぎるということで勝海舟などの反対により将軍に15代将軍になることはなかった。しかし、16代将軍の一番は家達であったが、大政奉還により家達は将軍になることは叶わなかったのである。

その後貴族院議長などを務めた家達はIOC委員長へと就任する。しかし、その後東京オリンピックは返上・ヘルシンキも中止となる。

幻の徳川内閣とも言われた家達は、こうして公の人の前に出ることなく東京オリンピックが開催されるはずだった1940年の6月になくなっている。

1980年のモスクワオリンピックでは日本は不参加を表明。西側諸国もほとんどがボイコットとなった。

家達の呪いとして、40年おきに不吉なことが起こると言われるオリンピック。その40年の周期が2020年の東京オリンピックだったのです。

 

2021年にオリンピックは開催されそうですが、やはり2020年のオリンピックは叶いませんでしたね。2060年のオリンピックはどうなるのでしょうか!?

 

 

オリンピックのシンボルマーク

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オリンピックのシンボルマークは世界の5大陸を表している。

 

オリンピックのシンボルマークの色

オリンピック・シンボルをデザインしたピエール・ド・クーベルタンは和の色を選んだ理由として「青、黄、黒、緑、赤の5色に旗の地の白を加えると世界の国々の国旗がほとんど描けるから」と書き残してあります。

 

 

などなど今日から使えるオリンピックの雑学いかがでしたでしょうか?

少しでも会話のネタになるものを少しずつ紹介していければと思います!