駄文
おもいっくそ雑記なんですけど、仕事辞めたらどうしようと最近は考えてます。
ブログを書くのすら久々なので、もはや今回は自分の備忘録みたいな感じで書き連ねるつもりです。
仕事、辞めるんですよね。
いつ頃になるかは分からないんですが、多分6月くらい。
4月に入社してきた子に、私が今している仕事の引き継ぎを終え次第辞める予定です。
ただ、辞めたあとどうするか考えてないのです。
考えたのは
・母親の開くオーガニックカフェの手伝い
・母親のパートナーの仕事(音響)の手伝い
・適当にバイト
・死ぬ気でアフィリエイターになる
・死ぬ気で絵を描きまくってフリーランス
・普通に再就職
くらいですかね。
正直見通しなんか一切立ってないですし、どうしたもんかと考えてます。
そもそも私が何故仕事を辞めるのかと言えば、今やってる仕事が面白くないからなんですよね。
面白くないという理由だけで辞めるのはどうかと思うんですが、どうにも自分にはそれが耐えられないみたいなんですよね。
生きていく上で、どうしてつまらない事をやらなければいかんのじゃ!!と思ってしまうんです。それもホリエモンの本の記述にあったことなんですけど。
私はどうも外部の物に影響を受け易いらしく、思想がコロコロ変わるのです。
それ、滅茶苦茶大変なんですよね。
何故かと言えば、今こうして安定している仕事を辞めて茨の道を歩もうとしている僕を見ていただければ一目瞭然だと思います。
でも、そう思っちゃうんだからしょうがないやん。
悲しいけどこれ、現実なのよね。
私、人間の真価って追い詰められた時にこそ発生すると思ってます。
これから先、茨の道に突っ込む私が何か生きる力を発揮出来るのか、それを見守っていてくれたら嬉しいです。
この選択が、自分にとっていい方向に進んだらいいな、と思います。
こんな推敲もしてないクソみたいな駄文でも、書くとなんとなくスッキリするもんですね。
もし見ていてくださった方がおられましたら、深くお礼を申し上げます。
ありがとう。また会うことがありましたら、その時はまたよろしくおねがいします。
ウルフルズは元気がない人への処方箋さ、オウイェー!
ウルフルズ、いいですよね。
バンザイ~好きでよかった~なんか聞いたことない人のほうが少ないんじゃないでしょうか。
僕が意識して聞き始めたのは最近なんですけど、知ってる曲ばっかりでびっくりしたものです。トータス松本すげぇ。
何がすげぇって、誰でも弾けちゃうような簡単なコード進行。それでいて小学生でも理解出来るような歌詞。
それなのにこんなに胸に深く染み込んでくる曲を作れるっつうのはすげぇってなる訳です。すげぇ!!!!
大人になってから聴くと、余計に染み込む。
僕がウルフルズの曲を初めて聞いたのって、確か太鼓の達人(初代)に収録されていた「ガッツだぜ!!」なんですよね。
その時は特に意識して聞いてなんかいなかったんですが、大人になってふと歌詞が頭をよぎることがあるんです。
人生のどん底なんじゃねぇかってくらい落ち込むことがあった時。自分はどうしようもない奴なんだ。どうにもならない。そう思うことがあるんですが、それでも切り抜けて生きていく元気をくれるような曲ばっかりで、聞いてるだけで元気が出る訳です。
人は間違うモノだ。それでも前向いて進んでいこうぜ。俺もそうするから。って隣で一緒に馬鹿笑いしてくれているような、そんな曲だらけです。
僕は大人になってから色々と悩むことが増えました。
対人関係や、仕事や、日々の暮らしのことや、将来のこと。
小さい頃は考えすらしなかった事がどんどん降り掛かってきて押しつぶされそうになる。
たまに立ち止まってみれば、足元がグラグラして不安定なことこの上ない。
そんな今だからこそ共感できる歌詞や、染み込むメロディなんかもあるんだなあと「笑えれば」という曲を聞いて涙ぐみながら生きています。
それでええねん。最後に俺たちが笑えたらそれで勝ちなんだ!!!!!うおおおおおおおお!!!!!!
別にカゲプロって普通に面白かったよな?
どーもお久し振りです。
且つあけましておめでとうございます。
私はいま肘を寝違えていて、非常に不格好な体制でこれを打ち込んでいます。
まぁそんなことは置いておいて本題へ。
カゲロウプロジェクトって普通に面白かったよな?
私の中ではそこそこに面白かった覚えがある。
これは今まで見た作品の中で一番面白かった!!というつもりは無いのだが、決してつまらなかったというわけではない。
それなのになぜ私の中で少し忌避されているのか。また、世のオタクたちが(全員ではない)なぜ若干忌避しているのか。
それは"ノリについていけなかったから。"この一言に集約されると思う。
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カゲプロって、そりゃもう馬鹿みたいに熱狂的にハマれるくらい面白いと私は思っている。
何が面白いって『音楽を媒体にして物語を進めたこと』だ。
私はカゲロウデイズが投稿された頃にカゲプロというものの存在を知ったのだが、ニコニコのコメントなんかで考察が流れているのを見て「あ、これは面白い」と子供心に思ったのをよく覚えている。
皆が熱狂的にハマり、物語を考察し、あーだこーだ言いながら物語を解き進めていくあの感じがたまらなく面白かった。
ループ物というのはストーリー展開としては案外ありきたりなものではあるものの、それを音楽に乗せて、ニコニコ動画というサイトに流したからこそこの作品は爆発的に流行ったのだと思っている。(後々明らかになる設定なんかも勿論燃えた)
【初音ミク】カゲロウデイズ【オリジナルPV】 - ニコニコ動画
↑気になったら見てみると良いぞ!
私の敬愛するカルロス袴田(サイゼP)氏も自身のPIXIV FANBOX内で言及しているが、
好きなものをボロボロにされていく寂しさというかなんというか、そういうものを感じずには居られなかった。
私は音楽が好きだ。
私は物語が好きだ。
私は一心不乱に物語に打ち込んでいた、あの頃の皆が。雰囲気が好きだったのだ。
そう気付いたが最後、いつの間にかあの熱狂的な自分はいなくなってしまっていた。
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まあ、それでも作品そのものはやはり面白い。
最近音楽をよく聴くようになってから見返してみたのだが、やっぱり気持ちいい。
でもあの頃の熱狂を持てるようにはなれない。ちょっぴり切ない。
熱狂できるほど好きなのなら、その作品に対しての関わり方というのも大切にしていきたいものですな🍣
おわり!
(最近文字書きサボりまくってたせいでめっちゃ文章書くの下手くそになってます。見にくくてごめんね!)
コンビニに通い続けて3週間。
おはようございます。カルロス青木田です🍣
嘘です青木です。
カルロス青木田といえば、僕の敬愛するボカロPであるカルロス袴田先生。
僕がブログを書こうかなと思ったきっかけにもなった袴田先生のブログ(日記?)がこちら↓︎
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/308988
ほぼ日更新の日記です。
月額397円で見られるのですが、可愛いなあとか思えたり、ハッと気付かされるような事も書いてくれたりするので価格が高いと思うことは特にないです。
むしろ好きなクリエイターさんの支援ができて光栄の極みアッー!って感じまであります。さあ皆見よう!
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それはさておき、最近同じコンビニにずっと通っています。
というのも職場が今までと少し違うところになったからってだけなんですがね。(今までも別のコンビニに通ってました)
毎日行くんですけど、そこにめっっっっっちゃくちゃ可愛い男の子が居るんですよね。
普段は品出しをされてる様で、あんまり表には出てこなくて、また別の方で、Iさんという方がレジを打たれています。
でも、少し客が増えて忙しくなるとその男の子もレジ打ちに入るわけですよ。
初めて遭遇したその時にちょうどレジを打ってもらったんですがね、僕がお礼を言うと凄い嬉しそうな顔で「ありがとうございました!」って言ってくれるんですよね。
イケメンだし可愛いしでなんなんだよお前!と思って、会社で同僚に「あそこのコンビニ可愛い子が居るんだよ…」と、まるでセクハラのような発言を最近よくかましてます。
ヤバいんですよ。笑んだ瞬間のえくぼの出来方とか目尻のシワとか可愛いんすよ。いや恋愛とかじゃなくて。
僕がプロデューサーならとっととジャニーズとかに入れてるレベルっすよ。
なんでコンビニでこんな朝早くから働いとんねんと思います。
もう僕のレジ打ちだけ一生やっててくんねぇかな。毎朝味噌汁とか作って欲しい。
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そんな彼の顔を見たい一心で通い続けてたら、遂に顔を覚えてもらうことが出来たんですよね。
今日なんか「お仕事この近くでされてるんですか?最近毎日顔見るので」ってニッコニコで聞かれました。
Iさんに。
いやお前じゃねーよ!!!!!!!!!
(Iさんの名誉の為に言っておくと、Iさんも可愛い女の子です。本来はこっちを喜ぶべきだと思います。)
かしこ
口が上手い人は例え話が上手いよなって
ドーモ、ドクシャ=サン。アオキデス。
ふと思ったんですが、口が上手い人ってだいたい例え話が上手い気がするんですよね。
リアルで私が話して思った事があるのは勿論、本を読んでいて思う事もあります。
ホリエモンだとか、西野亮廣だとか、榎宮祐だとか。大抵ああいう作家とか有名人っていうのはまず頭がよく回るんだろうなぁと思っています。
例え話というのは上手く使うと簡単に人をはぐらかすことが出来ると思うんですよね。
実例で言うと、
僕「Sさんって今は何されてるんです?」
Sさん「うーん…数学で言うと、原点からY軸とX軸があって、その軸の上にある点と点を結ぶ様な仕事かなぁ」
友人G「なるほど!(納得)」
僕「(いやちょっと何言ってるか分からないです)いやちょっと何言ってるか分からないです。G君本当に分かったの?」
友人G「…あれ?」
てな感じで。
Sさんにはその後ちゃんと説明してもらいましたが、普通に話が上手かったもんで、なんでこの人ははぐらかそうとしたんだ…もしかして俺ァ試されてんのか…?と疑り深くなってました。
こういう人たちって説明しようとするのが難しい(あるいは面倒くさい)から、『理解した気になってもらう説明』として、例え話をよく使うんですよね。
だから例え話をよくする人には注意かもしれませんね!
んで、逆説的に言うと例え話が上手い人って話が上手いってことですよね。
素っ頓狂な例え方をするのもセンスが高ければ、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権みたいで面白いですし、相手をはぐらかしたりすることも出来ますし、また、話に説得力を持たせることができます。
そう考えると、常日頃から例え話をどんどんしてみようかなという気になりますね!
おわり🍣
悲しみを抱えたまま生きる僕達。
僕らは日々の中で、ずっと悲しみと戦い続けている。
理由はどうであれ、誰でもそうだ。
その中でも「僕は孤独なんじゃないか」という悲しみ。
その悲しみは、本当はとても素晴らしい感情や環境であって、本当は抱きしめて、向き合っていかなければならないものだと僕は考えている。
悲しさを抱き締めて生きよう。
どうしようもなく悲しくなることがある。
理由などなく、ただただ、気分の乱高下に悩まされている。
自分のやりたいことが出来ていない悔しさ、好きな事を好きと言えないモヤモヤ、対人関係でのどうしようもない事。
「孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。
ニーチェはそう言う。
だが、僕らはそう思えるほど強いのだろうか。
孤独で居られるというのは、一種の強さだろう。
孤独であるからこそ、人は繋がり合って生きるのだと思う。
孤独を愛するのは、人と繋がる強さを知った人間だから言えることなのではないだろうか。
多分、元来人間は孤独ではないのだと思う。
どうしようもなく孤独であるように感じるのは、自分の思い込みなのだと。
だから。
この悲しさは孤独のせいではないんだ。
人と繋がっている事に気づけていない自分自身のせいなのだ。
だから僕らはこの悲しさを抱き締めて、それにいつか気付けるように強くなろうとするのだろう。
雑記
どーも。不屈の精神で今日も仕事してきます。
でもいつか辞めます(鋼の意思)
唐突なんですけど、やれば出来るって悪魔の囁きみてぇなもんじゃないですか?
多分私もそうなんですけど、基本的に人間やれば大体なんでも出来るんですよね。
それを分かってるからこその言葉だと思うんですが、それを人に言うと勿体ない言葉になりかねないなぁと思う訳です。
何故かと言われれば簡単で『何も出来ない事への他者受容』が容易だからです。
その人が出来ないことを認めるのはこの言葉一つで済みますしとても簡単だと思いますが、その人の為にはならないのかなぁ、と思う次第です。
大切なのは一歩踏み出す勇気なんじゃねぇかなぁと、最近はいつも思ってます。
そして、それさえ出来れば後は没頭することが大切なんだなーと。
やりたいことをやる為に、自分にはやれば出来るとは言いたくない物ですなあ…