雑記ブログ なぜ俺のブログ読まれない

読んでほしいけど読まれない…… どうすれば読者が読みたいブログが書けるか考える。ついでに日常も語るブログ

そろそろ真面目に、「なぜ、読まれないか」分析してみるか

 

なぜ俺のブログは読まれないのか、単純な文法エラーとか表記ゆれとか、そういうのだけではないと思う。

 

  • 「読者が読みたいもの」の意識が低い
  • 「自分の強み」に気づいていない
  • 「どんな読者に読んでほしいのか」を考えていない(ペルソナ設定)

 

まず、この3つを考えないといけない。

 

一つずつ考察してみる

 

読者の読みたいもの

これって、自分が参加しているグループは、「大人になってからわかった精神疾患」だから精神疾患について書くべきだ。

 

だからといって、精神疾患はつらいぞー、生きられないぞー、みたいなこの世に呪いをのこすようなことを書くのではない。

 

生きづらさを素直に表現したり、自分ならではエピソードを書いたほうがよさそう。

 

例えば最近なら、

 

  • 性格診断を受けたら、壊滅的な回答が返ってきてショックだったからカウンセリングを受けた
  • 就労移行支援で、よくわかんないけど背中から椅子をぶつけられた時のきちんとした対応の仕方
  • 静かに怒ることは悪いことではない
  • 障害をバカにされても、何も知らないのだから、世の中を知っている人が味方ならいいじゃないか

 

みたいなことかな。

今度、このようなことに触れてみようと思います。

 

精神障害者である「自分の強み」とは?

自分の強みがわかると、書きやすくもなるし、誰かに何かを伝えるメッセージが描けると思う。

 

自分の強み≒弱みでもあるかもしれない。

 

そこで、強みという言葉に捕らわれないで、自分の特徴を挙げてみる

 

  • 人に言わせると「優しい」らしい
  • でも自分は「弱い」生き物だと思う
  • ストレス耐性が低い
  • コミュニケーション能力が低い
  • 苦手な人がいると逃げてしまう(回避能力あり)
  • わからないことはすぐに聞くほうだ
  • 感情が素直なつもり
  • 感情を偽るときもしばしば
  • 希死念慮が少しある
  • でも死ぬことで逃げるなら生きて頑張りたい
  • 人に腹を立てることはあるが、不幸になれとは願わない
  • いい人ぶる自分が嫌いだ
  • でもいい人にはなりたい
  • 地雷を踏んで人に嫌われやすい

 

なんかまだあるな……(以下略)

 

これだけ自分の特徴がつかめるなら、自分に書けるものは沢山ある!と思う。

 

どんな読者に読んでほしい?(ペルソナ設定)

 

これはすごく重要。読者を絞らないと、あやふやな記事になって、一体何が伝えたいのか全く分からなくなる。

 

今まで書いた私の記事もそう。誰に何を伝えたいのか一貫性がない。だから読み手がつかない。

 

これからもしペルソナ設定をしてみるとしたらどうだろう。

 

考えてみる。

 

  • 大人になってから精神疾患にかかった人
  • 特に、統合失調症(自分もそうだから投影しやすい)
  • できれば、男性。中年。
  • まだ人生をあきらめたくない
  • でも、どこかなげやり
  • 自分のどこが悪いのかいまいちわからない
  • 怒りっぽい自分は悪いのか悩む
  • 仕事に就きたい
  • 家庭を持ちたいかというと、そうでもない
  • 一人が好き
  • 旅行を趣味にしたいが上手くいかない
  • 友人が欲しいとはあまり思わないが、知り合いは欲しい。
  • ゆるい付き合い
  • 幻聴つらい
  • 病気をどうにかしたい
  • 性格を直したい(これはパーツだけ直せばいいとカウンセラーに教わった)

 

こんな感じかな。まだまだ詰められると思うので、リライトしてみる。

 

このように、全体的に読者に対しての詰めが甘いから読まれないのかもと、私は思う。

 

そして、その読者に共感できるようなことを書けるか、あるいは対等の目線で何かものを見れないか考えてみる。

 

試しに小話書いてみた。

今週のお題「急に休みになったら」

 

休みなので墓参りに来た。

 

2023年8月7日。

埼玉県。

 

その日も酷暑で、それはカンカン照り、湿度もものすごくあって汗が滝のように噴出した。

 

自分は28歳だが、やや小太りだから尚のこと汗っかきだ。

 

つらい。

 

暑い。

 

でも、今日は墓参りに行かなければ行かなかった。

 

そうしないと俺は後悔する。

 

お花屋で菊を買い、お線香を片手に○○墓地へ歩いてきた。

 

そんなに遠くない。

 

アパートから15分程度だ。

 

汗を手拭いで拭きながら花を入れ替え、お線香をやった。

 

そうだ、こんなに暑いのに水もかけないなんて。

 

墓地の片隅にある水くみで蛇口から桶に水をくむ。

 

墓石に戻って水を上からかけてやる。墓石から少し湯気が立っている。

 

どうなっているんだ、今年の酷暑は。

 

やっと墓参りの準備がひと段落できたので、手を合わせようとする。

 

すると、

 

「あら……」

「こんにちは……」

奥様らしき方とその娘が表れた。

 

「どうもお邪魔してます」

 

「いえ、その、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

心臓がバクバク言った。

それもそのはずだ。

本当は俺は、このお墓にお参りをしてはいけないのだ。

 

「あなた、どなたさまですか?」

 

ああ、なんてことだ。

実は、俺は占い好きで今日は誰かのお墓のお参りをすると運気が回復するとテレビでいっていたから、適当な近所のお墓でお参りに来ただけなのに……。

 

どうしよう、どうごまかしたらいいだろう。

 

占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦

その前に迷惑行為はやめようと反省した一日だった。

 

 

ストレス解消のカギ:自分自身を大切にする方法

 

人から教わったことがあります。

 

「ストレス耐性は思ったほど鍛えられない。できれば回避がよい。ストレスがたまったら、3つ以上のことを、お金と時間をかけて発散しよう。」

 

1つのことで発散しようと思っても、かえってストレスになる場合もあるので、保険もかけて、三つ以上のストレス発散方法を見つけておくといいらしいです。

 

それも時間もかけて贅沢に。

 

それなら俺は何をしようかなと思い、ストレス発散方法を7選考えてみました。

 

ストレス発散方法1 おいしいものを食べる

もう、これ、最高のストレス発散方法です。

 

自分の好きなものを食べて満足します。

 

そうだなー、自分だったらフルーツ好きだから、フルーツ食べるでしょう。

 

みかん、リンゴ、ばなな、キウイ、グレープフルーツ、マンゴー、ブドウなどなど。

 

残念なことに自分糖尿病だから量には制限があるので、きるだけおいしいものをえらぶことにします。

 

例えば、鶏肉を食べたいなら、サラダチキンを選ぶより焼き鳥のほうが好きなので妥協せず、焼き鳥を食べます。

 

果物もおいしいなら、少しくらい高いもののほうがいいでしょう。

 

普通の量で、おいしいものを、じっくり時間をかけて味わって食べることにしています。

ストレス発散方法2 痩せるためにじっくり筋トレ

筋トレ、これは考え方次第ですよね。

 

「これやると、体力つくし、やせるし、食べた分帳消しになる。しかもストレスも解消されるのだからいいことづくめだ!」

 

このマインドがあれば、筋トレはできます。

 

ジムに行っても、周りのことは気にしません。というか、周りの人達と競っているわけではないから、自分のペースで、コツコツ楽しむに限ります。

 

ジムで見栄張るとかなし!自分、お腹少し出ているから恥ずかしいとか思うけど、そのためにジム来ているの、多分周りの人達にはバレバレだからむしろ堂々とします。

 

みんな、体かっこよくしたくて来ているのだし、かっこよくなった人は自信があるから、そうそう見下さないはず。

 

そんなことで見下す人なんてこちらからさようならですよ。

 

ストレス発散方法3 ひたすら寝る

これもまた、最高のストレス発散方法ですね。

 

お金もかからない。時間だけ過ぎます。

 

しかも十分寝てから起きると、体のコンディションは整っているでしょう。

 

頭の能力回復。体の機能も回復。ストレスも解消。

 

いうことなし。

 

子供の頃の自分は、寝るなんて無駄に時間を消耗しているだけだ、と思い込んでいました。

 

バカでしたねえ。寝ることは最高の体のメンテナンスだということ知らなかったなんて。

ストレス発散方法4 ゲームをする

ゲームはストレス発散にもなるときもあるけど、ストレスもたまることもあります。

 

ほどほどにやって、楽しむのが自分流です。1日中ゲームは今の自分には無理だなあ。

 

東北大学教授、「脳トレ」で有名な「川島教授」によると、一部のゲームをやることによって脳の能力が向上するらしいです。

 

ボケ防止にも良いとの報告もまた別のところから上がっていますよね。

 

決して悪いものではないらしいです。

 

ただ、刺激も大きいのでほどほどにやるのがいいとは私は思います。

ストレス発散方法5 ブログやSNSをみる

興味のあるもの、できれば健全なものがいいでしょう。他人の誹謗中傷見ると、脳だけでなく精神、倫理的にもいい影響は及ぼしません。

 

私がおすすめするtiktokといえば、

 

「おうちごっこ

「kevin先生」のスーパーハイレベル日本語レッスン

「僧侶のふるたにさん」

 

などですね。

 

「おうちごっこ」はお父さんの家族愛があふれていて笑えるし、多幸感も得られます。

 

「kevin」シリーズは、YouTubeにもあるのですが、3人(3人ともおそらく能力すごい)が海外と日本の文化や語学を比較して、面白く取り上げています。

 

「僧侶のふるたにさん」は、幸せについて、いろいろ教われるし、また考えさせられますね。

 

この方々以外にも、もし興味があれば発見してみるといいかと思います。

 

そうそう、OLなら「ももうめ」もおすすめですよ。

 

ストレス発散方法6 旅行計画を立てる

ちょっと最近旅行に行けないので、旅行計画だけ立てています。

本当は行きたいけど行けない!

 

それでも旅行計画を立てるのは楽しいですよ。

 

旅行雑誌片手に、どこを見よう?何を見よう?体験しよう?

 

……わくわくしませんか?


ストレス発散方法7 思いのたけをつづってみる

最後のストレス発散方法は、今私のやっている、「思いのたけをつづる」ことです。

 

やりたいことをつづっていきました。あれやりたい、これやりたい、が沢山あって書いてすっきり。これからやってみようかなと、思っています。

 

気持ちを書くっていいですね。もちろん、ネガティブな気持ちを書くのもありだと思います。

 

書くことで気持ちが整理されていくはず。ごちゃごちゃの感情を整理するには、まず書くのが一番。

 

感情を整理するために書くのであれば、本当は「手書き」が一番だと何かで読みました。(すみません。情報があやふやで)おそらく、脳の神経系統と手書きの文字が気持ちと一致するとか何とか???らしいからです。

 

以上、ストレス解消術7選を書きました。

 

自分はね、もうすっきりしました。肩こりはあるけど(汗)

自己肯定感が上がる!ちょっとした行動で自分を褒められる方法3選

自分はダメな奴だと、私は思っている。

 

ではなぜダメなのだろう。

 

役立たず。生きていても意味がない。そもそも生産性もない。などなど。

 

こんなことを考えていたら、当然自信はなくすよね。

 

でもなぜかプライドばかりは高くて、

 

「こんな仕事したくない」

 

ニュースを見ては、「みっともない」などのけちをつける。

 

みっともないのは俺だ!

 

何もしないでグダグダ文句ばかり言って、そりゃ自己肯定感も下がるし、自分の価値も下がる。

 

そうしたら逆のことをすればいいだけだ。

 

簡単に自己肯定感の上がる、自分を好きになれる方法3選を上げてみる。

自己肯定感を上げる方法1 寝る前に自分を褒める日記を書く

「自分を褒める?ないよ、いいところなんて」

 

……断言してやる。そんなことはない。

 

例えば、朝食がおいしく食べられたら「今日は朝食をおいしく食べた」

 

これだけでもちょっと今日はいいことがあったことが思いだせなかった?

 

「……そうでもない」

 

そうか、その程度ではだめか。なら、もう少し思い出してみようか。体重計に乗って少し体重が減ったとした、それを書いてみよう。

 

俺だったら、やや太めだから嬉しい。

 

これから少しずつ痩せる(というより標準に戻る)気持ちが持てる。

 

こんな小さなことでも、大きなことでもいいから、1日3つは思い出してみよう。

 

例えば、

 

  • 朝食うまかった
  • 体重が0.3㎏減った。これから頑張りたい。
  • 募金をした。少しは役に立てたら嬉しい

 

……俺はいいと思う。どうだろう。嬉しかったとかおいしかったとか、役に立ちたいという思いを、素直に書いてみる。ちょっとだけ気持ちがプラスに働きかけると思う。

 

じゃあ、いいことなに一つなかったら?俺なら一言、こう書く。

 

  • 明日はいい日になるように。

 

間違ってもネガティブすぎること書くと、なぜかネガティブなこと起きやすいから書かないほうがいい。

不思議なんだよね。いいこと書くと、本当に気持ちがプラスになるから。試しにやってみよう。

自己肯定感を上げる方法2 何かの手伝いや動植物の世話をする

家族がいるならぜひ家事手伝いをやってみよう。いないなら、観葉植物を買ったり、動物を飼ってみよう。(動物は特に責任が重いので、よく考えてからにしよう)

 

掃除をしただけでも、ほめてくれる。当たり前のことなのに、ほめられる。

 

恥ずかしいことはない。やってもらって感謝されるのは嬉しいことだ。

 

洗濯だってそう。簡単だからやってみよう。

 

逆に洗濯や掃除してもらったら、「ありがとう」と言ってみよう。気持ちが伝わるから。

 

例えば、何かしんどくて掃除できなくても、悪いと思ってしまうかもしれない。だからせめて、「ありがとう」を言うのは大事。

 

元気になったら代わりに掃除してみよう。

 

観葉植物や動物にしても同じ。水を上げると元気になるし、大事に世話をすると動物はなついてくる。

 

生き物ってのは、そんなげんきんなもので、いいことをするといいことが返ってくる。

自己肯定感を上げる方法3 ボランティアに参加してみよう

これは、ちょっと難易度が高いから、よく吟味して選ぼう。

例えば俺なら、特に特技はないからゴミ拾いのボランティアを探してみた。

 

そうしたら見つかったので、来月から参加してみようと考えている。

なぜゴミ拾いをすることにしたか?

ちょっと理由があって、性格診断検査を受けてみたところ、かなりズタズタな評価が返ってきた。

 

正直かなり衝撃は大きかった。人として冷徹なのではないかと思うほどだ。

 

ただ、自分で思い当たるところがある。

 

成長期の自分はコミュニケーションを取るのが嫌いだった。

 

人の死に対して歪んだものがあった。

 

自分に対して否定的であった。などなど。

 

人間は6歳から10歳の時期が性格形成に大事な時期だといわれている。

 

性格形成後は変えるのは大変だ。

 

でも、「大変」なだけである。変えられるのだ。

 

自分は嫌な人間だ。だけど、まともな人になりたい。

 

だから、清掃活動に興味を持った。

 

特別な特技はないが、手っ取り早くできる「いいこと」だと思ったからだ。

自己肯定感を上げる方法はみじかにある

上記3つのことから、自分のことを信じたり、自己評価を上げたり、また自分を変える行動というのはできる。

 

だからもし、あなたが自分のことを嫌いなら、まずは自分を好きになるためのスモールステップを踏んでほしい。

 

他人をケチつけるのは簡単だ。自分を褒めるのはどうだろう。上記のことを実行してみよう。

 

意外にできたとしたらどうだろう。人の悪口言って、自分のカースト上げるより、全然いいことだと思う。

 

自己肯定感が低いからと言って、悪口ばかり言うと、周りからは嫌な奴としか見られないと私は考える。

 

そして私自身も、人格形成の面で、自分を褒めることは、とても大切な行為だと思う。

 

是非、自分を褒める行為をしてみよう!

 

 

いいことを実行に移せない人のつぶやき(自分)

2024.1.12

今日のつぶやきなんだけど、川口市クルド人の方々震災復興に一役買ったことを読んで思ったのが、「すごいな」、の一言だった。ある記事(はてなブログと連結している「埼玉新聞」より)

 

ただ、そこのコメントの一つに、この人負け犬の遠吠えだなーと思えたことがあった。

 

なんでも、「そうやって人気を買って日本にクルド自治区をつくるつもりだ」とのこと。

 

はあ。

 

すてきなことじゃないか?ねえ。

 

そんなくだらないこと言っている暇があったら、何か一つくらいいいことを実行すればいいのに。

 

ただの負け犬の遠吠え。くだらない日本人。

 

そりゃ、ここでこんなこと書いて毒だししている自分もくだらないと思っている。

 

俺だって、いいことして尊敬されたい。

 

羨ましいなら、やればいい。

 

でも、俺もいいことやってないんだよね。ちょっとうらやましいかな。

 

これも、妬みに入るのかな。妬みって、尊敬の裏返しのようにも思えるのだけど、やっぱりちょっと違うのかな。

 

素直に、「俺も参加したかった!」

 

こう伝えるべきだろうか。

 

災害救助や人助け、ボランティアは尊敬されるためにやるものではないかもしれない。

 

何かを助けたい、手伝いたい。その純粋な思いが活動として表れるものだと俺は考える。

 

だって、ワイドショー見て「あのひとすごいわねえ」ていうのは、ものすごく簡単だよね。

 

実際に行動に移すのって、結構大変だよ。

 

もちろん、手軽な人助けの方法だってある。募金とか。

 

「募金なんてつまんねーよ。誰でもできるだろ。」

と思っていたら大間違い。

 

募金が活動につながるのだから、立派な支援者の一人になれる。

 

だから俺は募金はした。感謝はされないけど、できることはした。

 

それでいいんじゃないかなあ。

 

いいことって見返りを期待すると、あまり大きなものもらえないよ。

 

見返りを期待しないから、感謝する人が表れる。そして、そのアンチも現れる。

 

長々と書いたけど、アンチってさ、かっこ悪いよね。

 

素直に「俺もできることならやりたかった」と、そういえばいいのに。

障害者は生きる価値はないと、被害妄想に陥った自分を救ってくれた本

はい、精神障害者です。

 

昨日は生きるのが辛くなりました。ふと、自分の過去を振り返ると、いじめ、パワハラモラハラにくじけ、統合失調症を患ってしまいました。さらに糖尿病にかかります。近所にバカにされます。

 

何連コンボで人生ボコボコにされたんだ自分は、と自虐的になりました。

 

そこで苦しくて、PCの前で検索をかけました。

 

精神障害1級 生きる価値なし?」

 

と。

 

コロナ禍や日本経済ひっ迫の昨今、老人や障害者に多額の福祉を与えていることに疑問を覚えた日本社会に生きるのが辛すぎます。

 

確かに私たちは生産性のない人間です。

 

老人の方々は過去に日本を支えた功績があるものの、障害者なんて何の価値もないだろうと、私自身も思ってしまいました。

 

自分で自分の存在を否定させるこの国について、立ち直った今日の私は、いかがなものかと思いました。

 

そこで障害者も社会の役に立っていること、いくつか挙げてみます。

 

自分みたいに障害者はだめだと責めている方、特に読んでいただきたいです。

 

日本財団の記事、冒頭の本の著者「渡辺一史」様のを読んだ後なので、かなり文章の内容に影響を受けてしまいました。私なりに、「障害者視点」で渡辺一史様、並びに鹿野靖明様の話を参考に記事を書きます。)(参考図書:こんな夜更けにバナナかよ)

 

 

障害者が生きづらい世の中を生きやすくした

駅がバリアフリーになったり、エレベーターがついたり、何かと便利になりました。

 

そのほかにも、ショッピングモールにも点字ブロックがついたり、犬も一緒に入れるお店が出来たりと、便利なところ、楽しみが増えました。

 

これら障害者にも優しいですが、ペット大好きな方や旅行者にもとても親切なことですよね。

 

これらは元来、障害者の10年以上の歳月をかけた嘆願書によるものなのです。

 

「障害者はなんてわがままなんだ」

 

そう思う方がいてもおかしくないでしょう。

 

私はこのことを知ったとき、ちょっと違うなと、思いました。

 

私が精神障害にかかる前は、「この嘆願書は一生かなわないけど、なんとかならないかな」と、結構冷たい考えを持っていました。

 

実際叶って、障害者も健常者も頻繁に駅のエレベーターを利用しているところを見ると私は、「私のほうが考えが浅かった」と、反省しました。

障害者は聖人君子ではない

私の場合、上手く物事が行かないと寝ます。

 

ひたすら寝ます。

 

バカみたいですね。いや、バカです。

 

で、質問です。あなたは天才、凡才、バカだったらどれですか?

 

おかしなことに健常者は自分自身のことをバカを選ぶくせに、障害者を「バカ」とよぶのです。

 

私からすれば健康なんて羨ましいのに、なぜ私を「泣きっ面にハチ」状態にするのか?

 

不思議ですよね。

 

そして障害者同士でも同じです。多少能力が優れている人を、「バカ」呼ばわりする障害者もいます。要はひがみなのです。

 

健常者のひがみは少し違います。健常者社会の中にも階級があって、障害者をバカにすることで自分たちのヒエラルキーを上げ、アイデンティティを保ちます。

 

障害者同士ではどうでしょう。全体を把握は、私もできません。しかし、「ひがみ」、「そねみ」、「ねたみ」は必ず存在します。

 

全員が仲良しこよしではありません。

 

さらに私の場合は病気によって、「被害妄想」も働きます。自分で自分を残念な人だと思ってしまうのです。

 

障害者は弱いです。その弱みにつけこむのは、健常者だけではないです。障害者同士でも、やってしまいます。

 

さらに、自分で自分を落とし込むこともしてしまいます。

 

障害者が自殺をすることは、ばかなことでしょうか?

 

病気がさせた、社会がさせた、私はそんな風に思います。

障害者は素直に生きていきたい

では、障害者が楽に暮らすにはどうしたらいいでしょう。

 

先の二つのことを踏まえて言います。

 

「辛い生活を素直に辛いと発すること」

 

「嫌いなことは嫌いと伝えること」

 

素直に、あるいは自分に対して「あるがまま」でいていいと思います。

 

「ここに行きたい」、「この言葉は自分にはひどい」

 

そういうことをどんどん発信したらいいと思います。

 

私は統合失調症です。幻聴(病気の症状)で、「気持ち悪い」と、よく言われます。

 

それを「すごく辛い」と、発したいのでここで書きます。

 

学校でいじめられている健常者の方はいかがでしょうか?

 

「気持ち悪い」と言われて気持ちがいいでしょうか?

 

そんなわけありませんよね。

 

こういうことは障害者が強く言うべきなのかもしれません。

 

「俺は気持ち悪くないぞー!お前らの言葉は人を傷つけているのわかれ!」

 

ちょっと言葉は上手くないけど、このようなことを強く発信できるのはもしかしたら、障害者のほうかもしれません。

 

最近では言論の自由と言葉の暴力の見境のできない人が増えています。子供だけでなく、大人もです。

 

もっと責任をもって、その人のためになるか、ただのいじめや殺人か判断していただきたいです。

障害者は楽しく生きてよい

以上のことから、障害者には生産性はないかもしれないけど、発言の強さはあると、私は信じます。

 

長い時間はかかるかもしれない。

 

しかし社会を豊かに、便利にした実績があります。

 

さらに健常者には特典もあります。

 

障害者に優しくすると健常者は良い人間性を持っていると思われます。

 

障害者はそういう意味では、健常者に遠慮しなくていいと考えます。

 

障害者がわがままを言えば言うほど、健常者の精神は鍛えられます(ちょっと違う気もしますが笑)

 

そういえば、自分が健常者だったころ、障害者のボランティアに行ったときに教わった言葉があります。

 

「ボランティアの人は主役ではなく、その団体の名わき役であること。主役は障害者であり、障害者主体で活動をするところだ」

 

 

 

来年の抱負(仮決定)

  1. 痩せたい!(7月までに65kg!)
  2. 仕事就きたい!(無職なんです。汗。webライターやりたい。家庭と仕事を両立させたい。)
  3. 清掃のボランティアをやりたいかも(心が汚いので、きれいにする意味でもやりたい)
  4. 肩こり腰痛を直す。運動する!
  5. 周りを気にしない。(神経質で気にしすぎだから、無駄な疲れが多い)
  6. 合気道を辞める!(というより、一時休憩。なんとなく、疲れているので自由が欲しい)
  7. 旅行に行く!(今年旅行らしい旅行一度もできなかった)
  8. ゲームを作る
  9. イラストを描けるようにしたい
  10. 全部できなくてもいい。7割できればいいと思う!

 

ところで、「抱負」という字の由来なんでしょうね?

今年の負け感を来年に抱くという意味でしょうか?(辞書で調べろ)