皆さん、こんにちは。
早速、前回からの続きとして、今回は「武士道」の源について確認していきたいと思います。少しお勉強的な要素が強いかもしれませんが、お付き合いください(笑)。
皆さん、「武士道」はどこから生まれてきたかわかりますか?
新渡戸稲造氏の『武士道』の冒頭には「日本の象徴である桜と同じように、日本の国土に咲く固有の華」というようなものだとあります。
この『武士道』の第二章にはこの武士道の源についての紹介、説明が続きます。
そこでの内容は日本の歴史や文化の成り立ちの理解にとってもとても参考になると思います。
まずは「仏教」との関係から説明がなされています。そして「禅」にも触れられます。武士道に仏教が与えられなかったものが「神道」によって補われたと説明されています。
この章では海外での生活や経験が豊富でキリスト教信者の新渡戸氏ならではのキリスト教との比較、古代ギリシャの教え、ローマ人の宗教観などとの相違なども織り交ぜてあり、とても説得的な解説がされています。
「武士道は、道徳的な教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となった」とあり、「君臣、親子、夫婦、長幼、朋友」などといった今の社会にも残る(ただし、以前よりは影響が薄くなってきている、変化している)関係のあり方についても守るべき考え方、ルールのようなことが武士道を通じて示唆されます。そして、孔子に加えて孟子の教えも、武士道に「大いなる権威をもたらした」とされています。このように「孔子と孟子の著作は、若者にとっては主要な人生の教科書となり、大人の間では議論のときの最高の権威となった」とあります。
中には我々の勉強のあり方の戒め、気を付けるべき点もあります。次のような文章は特に私自身も頷けることと思いました。
「知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる」「だから、知的専門家は単なる機械だとみられた。要するに知性は行動として表れる道徳的行為に従属するものと考えられたのである」。また「武士道におけるあらゆる知識は、人生における具体的な日々の行動と合致しなければならないものと考えられた」とあります。
今の世の中で、人の振る舞いが回りへの配慮を欠いたものであったり、自己中心主義などが強まっているのであれば、それはこれらの言葉をよく噛みしめ、戒めにするのがよいと思います。さらには「AIか人間か」というような対立した設定で議論がされる時も、そこでの人間にはここで言われる「知性」を伴った人間であることが望まれるように思います。
今回の回の最後に神道と仏教についての説明で興味深い点がありますので、それらを紹介したいと思います。
神道に関しては「神道の自然崇拝は、われわれに心の底から国土を慕わせ、祖先崇拝はそれをたどっていくことで皇室を国民全体の祖としたのである」とあり、神道の教義に「愛国心」と「忠誠心」という二つの大きな特徴が含まれるといっています。これらについては、現れ方に違いがあるにせよ、英国やその他の国でも多かれ少なかれ現れうる特徴でもあると思います。
仏教に関しては「武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。それは危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった」とあります。最後の「死と親しむ」というくだりは別の機会にもう少し考えてみたいと思いますが、「運命を穏やかに受け入れる」や「運命に静かに従う心」、「危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つ」というあたりは、黒田官兵衛が有岡城で幽閉された時のこと、またその際、織田信長に官兵衛が寝返ったのではないかと疑われ、その子長政(当時「松寿(しょうじゅ)」)を殺害せよと命ぜられた時のことなどを思うと、現実問題、こういった「心を平静に保つ」という姿勢や向き合い方を持たねばならなかったのではないかと思います。
そして、関ケ原の合戦の間、官兵衛が九州地方を軒並み平定してまわったが、子の長政の「活躍」のおかげで予想よりも短期間で関ケ原の合戦が終わってしまったということがありました。そこで徳川家康から官兵衛に九州での進軍を止めるようにと指示があった時に、実は天下取りの野望を持っていたのではないかとされる官兵衛の心境、心持はいかばかりのものであったか。それを思うと、「運命に静かに従う(心)」というものを官兵衛は強く感じていたのではないかと思わざるを得ないです。
これらの出来事をみてみても、「武士道」というものが行動やふるまいの端々に表れているように思います。今回はこれくらいにします。次回も続いていきます。