the way 等身大の20歳。

2016年カミーノ〜

3月14日(火)

なんか家族うまくいかんっていうか・・。

え?。。

って思ってしまうことばっかりになってきてる。

言ったことはおかしかったやろか。

 

信頼はしてるし、大好きや。それは確信できる。

でも、時が経つにつれて、違和感を感じることが多くなるのが、

どうしようもなくて。

悲しい。

 

2月10日(金)

無謀な挑戦を本気で企んでるときほど、生き生きしてるわたしはいない。

現実的にとか、計画的にとか、
かと思えば人生とはなるようになるものだ、ご縁だとか、

その通りなのだろう。

人は、自分の歩んできた道しか知らない。歳を重ねるほど、それが正解なのだと疑わない。たとえ他の人にとっては、そうでないとしても。

色んな人が色んなことを言う。
そしてそれが正しいかどうかじゃない、わたしらしいかどうか。

1月16日(月)

どう考えたって、わたしは、器用に、淡々とできる人じゃない。
全部に納得して生きてる人なんていない。ママの言うことはわかる。わたしだって、夢のように全てが自分の都合良く行くなんて願ってるわけじゃない。
せやけど、自分が納得できひんってことは、贅沢どころかむしろ、苦痛やねん。
それがきっと、わたしらしさ。

1月13日(金)

考えすぎたらあかん。
クヨクヨするなんて無駄。
みんな、全てに納得して生きてる訳じゃない。

そんなん言うけどさあ!

じゃあ、疑問を持つことはバカなの?

置かれた環境をいかに受け入れるか。
それが大切で、何よりも難しいことなのはわかる。そこから逃げてる部分の自分がおるのもわかる。

だけど、
自分がしたいことを追い求めて、探すことは、そんなにも社会から見放されることなの?

日本の教育制度とか、部活とかに対する疑問は押し殺して、大学に入ったし、それは正しい選択だったと思う。
この社会で生きていく以上、受け入れることでしか生き残れないのだから。
疑問を持って一人で騒いだところで、ただの落ちこぼれ。

だけど今就職を前にして。
仕事命の日本で、そんな価値観の中で生きていく覚悟があるか?
子育てさえ楽しめないような社会で、葛藤を覚えながら?
それとも、一般職について、自分の時間を確保すれば、わたしは納得するのだろうか?

そもそも、仕事のために生きる。そのために大学に入る。大学の名前だけのために異様な受験に時間を注がれる。
そんなこの国への疑問は、どうしても、どうしても拭えない。