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レゲエの定義 - レゲエは半世紀に渡りレゲエであり続ける

レゲエは約半世紀続くジャンル

レゲエと一言で言っても、時代によってサウンドも違えば、編曲も違う。なんなら、録音の環境も異なるので、CDで聞いても音質も異なる。いま、みなさんがイメージするレゲエはいつの時代なのだろうか。
レゲエは1969年頃に誕生したと言われ、現代においてもレゲエの新譜がリリースされている。実は50年近く、ジャマイカのレゲエはレゲエというジャンルで定義され続けている。
誕生した頃は当然生音、現代は打ち込み。また時代背景によって、そのメッセージは宗教色を帯びていたり、ラブソングだったり、人をdisるような内容だったり。

そう、レゲエは特徴的な裏打ちのリズムによって定義されている、非常にシンプルな音楽ジャンルであり、半世紀に渡って世界を魅了し続けている音楽である。

僕を魅了し続ける、EARLEY REGGAE

前段が長くなったが、当然ながら誕生した頃のレゲエと現代のレゲエは全く別のジャンルと言っても差し支えないぐらい、サウンドが異なる。共通しているのは、前述通り裏打ちのリズムだけ。

個人的嗜好を言えば、僕はレゲエでもレゲエが誕生した頃のレゲエ、EARLEY REGGAEが好み。

この時代は、SKAやROCK STEADYというジャマイカ初の音楽ジャンル(共通点はやはり裏打ち)から影響を多分に受けていて、特にベースラインや生音のドラムは軽快であり、心地よい。そしてなんと言っても、シンガー達がその歌唱力やメッセージの強さを前面に出したレベルソングが多い時代でもある。当然、皆さんがよく知るボブ・マーリーもその1人だし、映画「クール・ランニング」のエンディングソングでおなじみのジミー・クリフもスカの時代から活躍している、ジャマイカを代表するシンガーの1人である。

クール・ランニング [DVD]

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スリム・スミス - カーティス・メイフィールドとの共同プロデュースも残したジャマイカの名シンガー

枚挙に暇がないこの時代の名シンガー。
今後気が向いた時にでも続編を書くとして、今日ご紹介したいのはスリム・スミスの「THE TIME HAS COME」。
エントリー自体が非常に長文になってしまっているため、彼についてはまた書くとして、今日この曲を聞いていて(かれこれ20年ぐらい聞いている気がする)、気づきがあった。


Slim Smith - The Time Has Come


「時がきた、自由になるために わからないのかい?」と大サビで歌い上げる、なんとも爽快な世界観であったわけだが、世界中の不幸に向き合う大切さを歌っているばかりではなく、いま自分が動き出すことで、自由になれる。自由になるためには、自分自身からいろんなことに目を向けていかなければと言っていることに、改めて気づいた。
要するに受動的か能動的かの差だが、この解釈の違いは僕にとっては気づきが大きくて、現実を受け止めて待っているだけでは何も起きない。でも向き合って、自分からアクションを起こしていけば、世界はきっとよくなる。そんなことを思った、出会いと別れの季節。

Keep That Love Light Shining

Keep That Love Light Shining

実際に起きている症状と個人の感情は切り離す方が生産性は高まる

欧米人と仕事をしていると感じるのは、「実際に起きている症状」と「個人への責任」が全く別であるということ。

欧米人は、実際に起きている症状そのものに対して、(自分を棚に上げてでも)指摘してくる。
例えば、店舗の売上が悪い、その理由がインバウンドの集客が弱いというポイントであれば、「旅行代理店へのアプローチが不足しているからこの実績。」と、その症状の真因をありのまま突いてくる。

日本人的視点、特に従来のジャパニーズサラリーマン的な視点で、その指摘を真に受けると、「俺がちゃんと仕事していないから指摘を受けている」更には「俺の能力が低いからこの指摘を受けているよね」という流れを踏み、つい感情的になってしまい、せっかく先方が指摘してくれている真因と解決策を、感情で流してしまっている時すらある。

このことはとても厄介で、もしかすると、日本企業の組織内での調整ごとに必須な「根回し」以上の生産性低下を招いているのではと思う。

まずは真実をありのまま「起きた」とだけ見る、ではその対策は?その後は淡々とアクションを起こして、「症状」を解決し、次のチャレンジに進む。このプロセスにおいて、感情的にならず、ただ単に業務を遂行する、欧米にはできて、日本人には以外とこれができない。

「正しい理解」とは、「自分が正しいと考える」ことではありません。「自分流の見方・考え方で理解する」ことではありません。  むしろ逆に、「自分はこう考える」という判断や、解釈や、ものの見方をいっさい差し引いて、「ある」ものを「ある」とだけ、ありのままに、客観的に、主観抜きの〝ニュートラル〟な目で、物事を見すえることを意味しています。

ブッダもヒントを与えてくれている。
起きているコト=症状をありのまま見ること。自分がそこに責任を感じることを考えるのではなく、まずは起きたことを起きたと正しく理解すること。このことこそが、問題解決の最も早い近道であり、感情を入れないことこそ、個人としての生産性を高めるマインドセットである。

Mac 10.9はiDVDがない=DVDが直接焼けないのでフリーソフトBurnを使いましょう

こんにちは。ブログ三日坊主どころじゃない僕です。

再開するにあたってのネタがこれでいいかどうかはまた別の日に議論すべき項目として、手持ちのMBA(ってなんだか賢くなった気がしていいですね!!!!)をつい2ヶ月前に最新OS Marvericksさんにアップデートしたんですが、久々に「手持ちの動画データをDVDにしてほしい」という、自分でやれば大して手間もかからないのに、業者に出すと5k程度回収される案件を同僚に受け、仕方なくiMovieで動画データを3つばかしつないで、さてDVDを焼くかって思ったら、iMovieの「共有」に、iDVDさんがないんですよねこれが。

ググったりしてみたところ、どうやらMavericksさんから戦力外通告を受けちゃったんですね。

Appleさんは「WEBでのデータダウンロードは当然のこと、データのやりとりもクラウドのこのご時世、一昔前の記録媒体なんぞデータを残すいらんやろ」とも言うべきAppleさんの男前を感じずにはいられない反面、同僚に男気を見せたいぼく。

更にググると、Y!知恵袋にWandershareという有料アプリの使い方が懇切丁寧にスクショ付きで乗ってるわけですね。これはステマとしか感じなかった僕ですが、とにかくまたググりまくりましたよ。

なんてったって小遣い制の我が家。カードで使った分は翌月のお小遣いから天引きされるという、明瞭会計な我が家の会計。
いくらMac使いの運命とは言え、DVDを焼くぐらいのアプリにカネなんぞ。。。

と思ってたらありましたー。「Burn」という、レッドブル感を感じずにはいられない、無料な男前アプリが。

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Burn
http://burn-osx.sourceforge.net/Pages/English/home.html

神様作者様、ありがとうございます!来世下僕にしてください!と心の中で思ったかどうかはおいおい語るとして、ミッションコンプリート。

リピートできるDVDを作りたかったんだけど、細かな設定も可能で、あっという間にできました!!!!!

まずテレビ方式を設定してくださいね!!
ここにありやす。日本はNTSCですよー。
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んでタイトル付けたりオフしたり、リピートしたりはここで。
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タイトルはプレビューしてないし、これからもプレビューすることもなさそうですが、iMovieのそれと比べていいテーマはないでしょう、きっと。

これで来月の天引きは勢いで買ったFleetwood Macのアルバム代だけですみそうです!

以上、Burnのステマでしたー。

NHK「坂の上の雲」

 3年に渡って放送された司馬遼太郎原作「坂の上の雲」が昨年末に完結した。

 ネット界隈では賛否両論というか「戦争」というもの描き方について論議があったが、それは最初から頭に折り込み済だったので、逆にNHKがどの程度まで克明に当時の日本の勢いや思想を描けるのかに注目していた。言わば消去法で。

 そういった視点だったからか、戦闘シーンで日本兵が倒れる描写の回数には霹靂としたものの、イメージしていたより原作に近いと感じることができ、個人的にはまず満足できる内容だったと共に、きっと自虐的史観にかられた人々や団体からは様々なクレームを受けたに違いないと思った。

 「坂の上の雲」は完結したものの、ぜひまた戦前・戦後の事実を伝えるような作品を世に届けて欲しい。“戦争のひどさ”を伝えるだけではなくて、”どうして戦争は起きたのか”を知るために。

一年の終わり間際に。

 「自分を見つめ直すことができた一年でした」とインタビューなんかで聞いて「へー」って思っていたけど、自分にとってのこの一年はまさに自分を見つめ直し、変えることができた一年だったなと。

仕事

 仕事は色んな事情もあって、一生懸命手抜きをしていたんだけど、一年間の振り返り面談の時に上司の上司に知ったかのようなことを指摘されて腹が立ち奮起。ルーディンワークは必要最低限以上に、とにかく面白いことをしてやれと、大きな案件を開拓したり、会社の人と人をつないで企画を立ち上げたり、そして実は自分でも一番の驚き:思いつきが具現化されちゃうことが決定したり。
 とにかく走った。足がもつれてもいい。ゴールしなくてもいいって気持ちで。

勉強

 齢34にして、改めてWEBデザインの勉強をし直すことに。元々3年前まではWEBの編集をやってたこともあって、ワイヤーフレームとかテキストとか作ってディレクションしてたけど、実際に自分がゼロから手を動かして作るような知識も腕もセンスもなく。

 実はAdobe CS5.5が欲しかったという下心も少しありつつ、もしかしたら将来役立つスキルな気もずっとしていたし、そのうちゼロから書き起こしたサイトとか作ってみたかったので、嫁が毎日切り詰めて作ってくれているなけなしの貯金をはたいて、CS5.5付きの通信で勉強してる。

 これが思ったより面白くて、ついでにデザイン論なんかもやってるので、今までなかった様々な視点が身についたような。
今まで街中を歩いていても、なんとなく「あの看板かわいいな」とか「あのロゴイケてるな」ぐらいにしか思わなかったのが、「あの看板がかわいい理由は通行人との距離を計算しつつ、主色がこれでこういうイメージを植えつけながらアイキャッチして、こんな心理に…」とか「あのロゴはあういう形だから、こういうイメージを持たせて、配色はこうで…」とかなってるわけですよ。美術2しか取ってなくても、デザインは好きなんです。

3.11

 2011年を語る上でこの日のことは必ず触れられる。何年後も何十年後も何百年後もそうあるべき。今も陰ながら自分にできることを少しずつしてることについて語るのは蛇足だけど、毎日のようにこの日のことを考え、痛み、悲しむことで自分の価値観が変わった。このパブリックな場で、そのアウトプットのすべてを述べることはできないけれど、最も強く思ったことだけ書いてみる。

「できる限りシンプルに生きよう」

ということ。

 かけがえのないものを大切にする、悲しいときは涙を流す、ごはんを食べることができるぐらい稼げるようにする、迷ったときはやめておく。。。など。

 所詮自分が生きていたことなんて、歴史の教科書には乗らない。
どれだけ自分のエゴを押し通して、ひとを蹴落として、たいせつなものを犠牲にしてその名を残そうとしても残せるようなものではない。

 それより自分の孫か、できればひ孫なぐらいまで「こんなじいさんがいてな」と語ってもらえるぐらいの愛を遺したい。金も遺せないけど。

2012年?

 2012年は自分をもっとシンプルにして、価値観をもっともっとシンプルにしていきたい。

ブログ三日坊主常習犯の傾向と対策

なぜブログが三日坊主で終わるのかをひたすら列記してみるという最初のエントリー。

  1. テーマに対するネタが尽きる。
  2. 長い文章がヘタ。
  3. かと言って、短い文章なのに意味がわかんなくなる。
  4. モチベーションが行方不明になる。
  5. そもそもめんどい。

ということで、それぞれに対する対策として、

テーマに対するネタが尽きる。

日記形式な自己満足形式のブログ自体にテーマを設置する必要はないでしょ。
もし、人気があるエントリーが偶然にもできたとしたら、そのジャンルのブログに変えていけばいいと思うし。

長い文章がヘタ。

昔編集をやっていたとき、よく言われたのは「しつこいぐらい、“てにをは”を確認、正しい日本語を意識して」ってこと。
なにぶん本を1ヶ月で1冊読みきることができるかギリな僕にはむりなのかもねー。
なので、これはヘタという前提で謙虚な気持ちでこのブログを通して、日本語を鍛えて行くしかないよねー。

かと言って、短い文章なのに意味がわかんなくなる。

短い文章で意味がわかんなくなるとか意味がわかんないや。
とりあえず書いて、見直す。これに尽きるよね。

モチベーションが行方不明になる。

とりあえず一週間で3回更新を目標にしよ!
ネタはテキトーをモットーにEvernoteでも覗きながら吟味。
そのうち、変わった趣向の方々がはてスタ付けてくれるかもしんないし。

そもそもめんどい。

ちょっとぐらいがんばれ、おいら。