第1講 挨拶学
まずは、記念すべき一回目の講義として、挨拶がわりに挨拶学を。
私たちは日々多くの挨拶にまみれています。
「よっ」「やっほ」「おはよう」などの簡単なものから、手紙などの堅苦しい場面では「晩春の候、貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます」なんて、長ったらしいものまであります。
また言葉を発さずとも、手を上にあげて大きく振ることにより、よびかけや別れを告げることができます。ヾ(・ω・`)←こんな感じね。
私たちは社会に存在する以上、他人との交流というものが頻繁に行われます。その時の状況や互いの関係性、立場の優劣などから判断して、相応しい挨拶を交わすのです。
ではそれらがどういった経緯で形成されるのでしょうか。
一般にここまで紹介させていただいたいくつかの挨拶というのは、社会的に、暗黙的に妥当とされているものでございます。なかなかそれ自体では意味が伝わりづらいものもある中、「社会で認められているから」という理由でそれらが成立するのであります。
例えば「よっ」というもの。
巷では、
頻繁に遊びに行ったり関わる仲ではないが、すれちがう時には挨拶をする程度の仲
を
「よっ友」などといいます。
私にもたくさんのよっ友がいますが、久しぶり〜!などといいつつ、すれ違い終わると真顔です。
この「よっ」という言葉はどこから来ているのでしょうか?しばらく考えたのですが、ラッパーのyo yo!からきているのか、はたまた貴族が使う「余は~」などというところからなのか。まったくわかりません。
あ、ちなみに、「やっほー」は、ドイツ語からきているんですよ。登山の時などに使われていた、ドイツ語の「johoo」がなまったと言われています。「よっ」もここからなのでしょうか。
なぜ当たり前のようにこの言葉は社会に浸透しているのか。
日本人ならほとんどの方がわかる例をここまであげてきましたが、そうでないものはどうでしょう。
「スラマッパギ」という言葉、意味はわかりますでしょうか。インドネシア語などにおいて、「おはようございます」を意味します。わかりませんよね。
しかしこちらの言葉、ある一定の日本人には通じます。インドネシアに詳しい人か、「日常」というアニメに詳しい人か、ですね。
アニメ「日常」は、女子高生のシュールすぎる「非日常」を哲学や宇宙にからめつつ「日常」的に表した近代アニメの傑作です。嘘です。
その一コマで、登場人物がいきなり「スラマッパギ」と発するのです。しかも一切の説明もなく。
しかしながらこの一コマは、一部のアニメ視聴者に影響を与え、ごく希にスラマッパギが通じる場合もあります。
私が何を言いたいのかと言いますと、つまり挨拶というのは
特定の社会集団でのみ成立する言語伝達方法
という事です。
その特定の社会集団を外れると一切成立しないものなのです。
まあ、得てして言語というものはほとんどそうなのですが、特に挨拶はその特徴が強いです。
言葉自体の意味が薄いので、ほかの集団への汎用性がネックになるのですね。
みなさまも挨拶をする際は、その語源や、他で使う時の相互性を意識してみてください。
夜露死苦!!!
はじめまして。
どうもはじめまして。学部長です。
どこからきていただけたのかわかりませんが、ここで出会えたのも何かの縁です、どうか仲良くして下さい。
どの程度のペースでブログを書くのか、そんなことは考えずとりあえず手を出してみたのです。