『世界は美しくて不思議に満ちている』
長谷川真理子さんの本である。図書館から借りて読みました。
返却期日があり、すでに返却してしまいましたので、面白く読ませてもらったのですが
ここに文章を写すことは出来ません。
いまは印象に残っているところを少しだけ。
〈競争から協力へ〉
ヒトになる何処かで、争うばかりではなく、協力することが始まったのではないか
例えば、チンパンジーなどでは、子どもは乳離れをした時点で独り立ちして生きてゆくが、ヒトはとてもそういうわけにはいかない。乳離れをしてから一人前になるまでに、さらに長い間、親だけではなく多くの人の協力を得ないでは、成長できない。
ヒトは子育てだけではなく、多くのことで協力し合う、ということが、どうしても必要であった。協力なしには生き残れなかった。
ヒトは、鏡に物が映るようには物事を認知できない。
自分は他人より優れている、と思っている。
自分にだけは不幸な事態は起こらない、と思っている。
自分は、周りに起こっている事態をコントロールできる、と思っている。
これは、大事なことであろうが・・・・
・・・・・・・・・・
ツツジが咲き出した。去年より一週間ぐらい遅いかな
タンポポはずいぶん前から咲いているが。関西では白い花が多かった。ここでは白いものは全然、全く見かけない
ダーウィンは面白い
『人間の由来』(ダーウィン著)は、次のような言葉で終わっている。
【人間は、自分自身の努力によるわけではないとしても、生物界の最高峰に上りつめたことに対していくらかの誇りを持つことは許されるだろうし、人間がもともとその地位にいたのではなく、上ってきたという事実は、将来にわたってもっと高みにまで行き着けるかもしれないという希望を抱かせるものである。しかし、ここで問題にしているのは希望や恐れではなく、われわれの理性が発見できる限りでの真実である。私は、私の能力の限りにおいて、その証拠をここに示した。そして、人間は、もっとも見下げ果てた人間に対しても感じる同情や、他人に対してのみならず、最も下等な生物に対しても適用される慈愛の感情や、太陽系の運動や構成に対してまで向けられた神のような知性など、そのすべての高貴な性質にもかかわらず、これらすべての素晴らしい力にもかかわらず、そのからだには、依然として、消すことのできない下等な起源の印を残していることを認めないわけにはいかないだろうと、私には思われるのである。】
この本が書かれたのは、1871年。150年前である。
それにしても、あらゆる生き物が、最初の細胞から命をつないで、今ここに生きている。どれも、同じ年月を経過している。ガーのように、一億年前からほとんどその姿を変えない生き物もいる。さらに、単細胞のままのものもいる。数はそちらのほうがはるかに多いだろう。
人間のように、激しく変異してきたものもいる。
人間は、いつの間にか、自然の中で生かされているというより、自然を作り替え、多くの資源を使って、独自の世界を作り出してそこに住むようになってきている。なぜ、人間だけがそういうことになったのか・・・
自分たちだけの世界(人間界)に住んでいるように感じていても、消すことのできない下等な起源の印(???)(動物であること)を忘れたり、過小評価するわけにはいかない。
・・・・・・・・・
散歩していると、鉢植えの藤の花が咲き始めているのを見かけるが、自然の、木に巻き付いた藤は、まだ色づくまでには間がありそうだ。
竹林の中を歩く人の姿を見かけた。タケノコ掘りをしているのだろうか。
春ですね
『人間の由来』
第二十一章 全体のまとめと結論
【本書における最も重要な論点について読者の注意を再度喚起するには、短いまとめだけで十分であろう。
ここで展開した考えの多くは、純粋に理論的な推論であり、そのうちのいくつかはおそらく間違っていることがそのうち分かるだろう。
しかし、すべての点について、私は、なぜ私がその考えを採用し、他の考えを採用しないのかの理由をあげたつもりである。
人間の自然史におけるもっと複雑ないくつかの問題について、進化の原理がどこまで光を投げかけることができるかを試してみるのは、探求に値する仕事だと思われた。
間違って認識された事実はしばしば長く持ちこたえるので、科学の進歩に大きな害を及ぼす。
しかし、間違った考えは、それが何らかの証拠で支えられていたとしても、それほどの害は及ぼさない。
なぜなら、誰もがその間違いを証明することに健全な喜びを感じるからであり、それがなされたときには、誤りへと導く道が一つ閉ざされると同時に、真実への道が開かれるからである。・・・・・・・】p470
確かに、訳者の長谷川真理子さんの注を読むと、ダーウィンの考えていたことのいくつかは間違いであったことが分かっている。と同時に、ダーウィンがその時代の制約の中で、どれだけ誠実に、根気よく、考えていたかということも、明らかに見て取れる。
これだけ丁寧に、考え、その考えが書かれてなかったら、性淘汰の説はもっと長い間、科学の学説としては探求されずに忘れられていたかもしれないとも、思わされる。
(それに対して、天地創造説は、否定も肯定も出来ない・・・)
・・・・・・・
あれをちょっと読み、これをちょっと読み、なかなか進まない。
本はしばらく置いておいて、外に遊びに出ようか、と考えたりもする。
何もしないで居るだけでも、動悸が激しい、ということがなければ、花を追って北の方に行ってみたい気もする。
『ヒトの原点を考える』 長谷川真理子 著
1 ヒトの進化とは
2 ヒトの特徴
3 ヒトとヒト以外の動物たち
4 ヒトと食
5 考えるヒト
6 共感と文化
7 集団の圧力やひずみ
8 地球環境問題
9 進化環境と現代社会のズレ
10 ウィズ・コロナの世界で
11 遠くへ行きたい
12これからの日本社会に必要なこと
赤ちゃんには生まれつき持っている世界の把握の仕方がある・・・何度も見たものよりは、新奇なものにより強い興味を示し・・・・
ネアンデルタール人は犬を飼っていなかった・・・・
ネズミに、となりのケージのネズミが電気ショックなどを受けて痛がっているところを見せると、まるで自分自身が電気ショックを受けたかのように、縮こまったり、竦んだりする。痛み伝染は哺乳類に広くみられる・・・
一話原稿用紙4枚ほどの長さの話が、100話。気軽に読めて、考えさせられる。
2023年7月発行。市立図書館から借りて読んだ。