冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

#詐欺メール急増中! dカードもメルカリも

 詐欺メールがまた2通来ました。一つは「株式会社NTTドコモ」からの「【緊急】dカードが利用停止のお知らせ」というメールで、次のような文面でした。

【株式会社NTTドコモ】ご利用いただき、ありがとうございます。
このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、dカードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました。

つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願い致します。
 お客様にはご迷惑、ご心配をお掛けし、誠に申し訳ございません。
何卒ご理解いただきたくお願い申しあげます。
ご回答をいただけない場合、dカードのご利用制限が継続されることもございますので、予めご了承下さい。

 

 このあとにリンクが貼ってあって、そちらをクリックするように促しています。

 これは詐欺だとすぐにわかりました。だって私はdカードを持っていないからです。

 もう1通は「メルカリ」からの「お客様のアカウント認証に関するお知らせ」。文面は次のとおりです。

メルカリのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。当社のシステムによる監視の結果、お客様のアカウントにセキュリティ上の問題があることが判明しました。アカウントの安全性を確保し、引き続き当社のサービスをスムーズに利用していただくため、お客様にアカウントの再認証をお願いしております。

【注意事項】
このメールを受信してから48時間以内に認証を完了してください。そうしない場合、お客様のアカウントは一時的に凍結される可能性があり、正常な利用ができなくなります。

【認証手順】

当社の公式ウェブサイトにアクセスしてください。

(ここに偽サイトのURLが貼り付けてあります)

画面に表示される指示に従い、必要な手続きを完了してください。

【認証完了後】
認証が完了次第、お客様のアカウントを確認いたします。問題がある場合は、速やかにご連絡させていただきます。

【お問い合わせ】
認証手続き中に問題が発生した場合は、お気軽に以下の方法でお問い合わせください。

 以下は省略します。

 こちらも、以前からメルカリに興味はあるものの、まだ登録したことがないので、詐欺メールだとわかりました。

 共通点はメールの宛先が私のメールの@から前の部分、つまりメールアカウントになっていることです。名前は表示されていません。メールアドレスだけが流出していて、名前は特定されていないようです。

 こんなに詐欺メールが増えてきたのでは、早くメールアドレスを変えなくては。でも、このアドレスで登録しているサイトがいくつもあるので、一つずつ変更するのがとても面倒です。ますます腹が立ちます。

 

要注意! 詐欺メールが増えています

 最近、詐欺メールが増えているように思います。この数日の間にも2通、届きました。一つはETC利用紹介サービス、もう一つはイオンカードを名乗っていました。どちらも期限を短く切って、「至急手続きしないと利用できなくなる」と焦らせて、記載されたURLをクリックするように誘導するものでした。

 一瞬、信じかけてしまいましたが、「ETC利用紹介サービス」というものをこれまで使った記憶がないし、メールアドレスを登録した覚えもないのです。イオンカードについても、そんな大事な手続きをするわりには期限が迫り過ぎで、何かおかしいと思いました。

 ネットでETC利用紹介サービスとイオンのサイトを見たら、次のような注意が書かれていました。

www.etc-meisai.jp

 

sbapp.net

 昨年の秋以降、こうした詐欺メールが急増しているのだそうです。

 物騒な世の中です。お互いに気をつけましょう。

 私のメールアドレス(主にネット通販の利用に使っているアドレス)がどこかから漏れているようなので、アドレスを変えることも考えないといけないかも。悪いやつのせいで面倒な手間をかけないといけないなんて、腹が立ちます。

山の会で義援金を集めています

 能登半島地震について、所属している山の会で会員から義援金を募ることが決まりました。阪神淡路大震災で被災した経験のある人が多いからか、対応が早かったです。例会で参加者に呼びかけたり、例会になかなか来られない人には口座振込みしてもらって集めます。

 そのことが決まった翌日、例会に行ったら、出発前のミーティングでさっそくその話をしてくれた女性がいました。ふだんはあまり自分から進んでものを言うことをしない人だったので、どうしてそんなに積極的なのかな? と不思議に思って尋ねたら、「私、福井の出身なのよ。気になってね」とのことでした。

 次に例会に行くと、リーダーの男性が義援金を呼びかけました。この人は富山県の出身なんだそうです。北陸地方出身の会員さんは意外と多いみたいです。

 例会のたびに呼びかけることになっているので、いっぺんにたくさん募金しなくてもよく、気持ちばかりの金額でも毎回寄付することになります。これだと応援しようという気持ちがずっと続くので、良いやり方だなと思っています。

 

「翁 弓矢立合 三人之舞」(大槻能楽堂)

 明けましておめでとうございます。

 元旦から大地震のニュースが飛び込んできて、「おめでとう」と言うのをためらってしまうような年明けでした。

 阪神淡路大震災で被災した経験がありますので、震度4や5の余震が繰り返しやってくる怖さや、ライフラインが途切れた心細さ・不便さを知っています。今その事態に直面している方々の気持ちが我がことのように想像され、胸が痛みます。孤立した集落、生き埋めになった方々。辛くて、ニュースを見続ける事ができません。ボランティアの皆さんが駆けつけているらしいことがせめてもの救いです。私はせめて募金だけでもさせていただこうと思っています。

 4日に、毎年恒例の「翁」鑑賞に行ってきました。今年は大槻能楽堂創立九十周年にあたるのだそうで、その記念公演の一つとして開かれたものです。そのためか、いつもの「翁」にはない「弓矢立合」と「三人之舞」という小書(特殊演出)が付いていました。

 通常は翁は一人だけですし舞台上で翁の面(おもて)をつけるのですが、「弓矢立合」では翁が3人になり、面はつけません。詞章も一部違っていて、「雲の上まで名をあぐる 弓矢の家を守らん」というような言葉が出てきました。能が武家の式楽だった江戸時代、新年の謡い初めにはこの形で必ず上演されたのだそうです。

 3人の翁を演じたのは観世清和、大槻文藏、観世銕之丞。超豪華な顔ぶれです。色が少し違うだけでほぼ同じ装束で、面をつけず、並んで同じ所作をするので、それぞれの持ち味がよくわかるというか、見え過ぎてしまう気がしました。私はやっぱり文藏さんが一番、翁らしくていいなあと思いましたが、その文藏さんも、直面(ひためん。面をつけていない状態)では、いつもの翁面をつけた時に比べると神様らしさが薄く感じられて、物足りなかったです。

 「三人之舞」という小書は後半の三番叟を3人で舞うことを指していました。こちらは野村万作、萬斎、裕基という野村家三世代の出演。これも豪華です。

 三番叟はかなり激しい動きをするので、万作さん(92歳)は大丈夫なのかなあと初めは気になりましたが杞憂でした。萬斎さんと裕基さんが3回回るところで万作さんは2回だけ回ったりするとはいえ、体の動きが若い時のようにはいかないのを利用して、かえって味わいを出しているように見えました。

 2度ほど、回った時に袖が萬斎さんや万作さんに触れそうになって、ヒヤリとしましたが、私の心配しすぎ(?)だったかもしれません。萬斎さんの舞は型がびしっと決まっていてどの瞬間を切り取っても美しく、裕基さんは発展途上というふうに見えました。「烏跳び」は万作さんが低く1回、萬斎さんが高くしなやかに1回、裕基さんが3回跳びました。

 翁の舞に先立って場を清める千歳(せんざい)の役は大槻裕一さん。「道成寺」を披いた舞台の記憶がまだ新しいです。若さがみなぎるだけでなく、折目正しい爽やかな千歳でした。今までに見た千歳の中でもトップクラスでした。

 囃子方は小鼓の頭取が成田達志さん。大鼓はやっぱりこの人!な亀井広忠さん。竹市学さんの笛もとてもよかったです。

 華やかな「翁」でしたが、いつも「翁」を見た後に感じられる、心身を清めてもらったというすがすがしい感じはあまりしませんでした。やっぱりいつもの「翁」がいいなあ。来年の1月4日にはまた文藏さんが一人で「翁」をなさるらしいので、それが今から楽しみです。お正月に来年のお正月のことを言っているなんて、鬼が大笑いしそうですけどね。

 この日は、「翁」に続いて狂言「三本柱」(野村萬斎)、能「望月」(観世銕之丞、福王知登)が演じられました。

 

賤ヶ岳縦走

 この秋は山に行っても、紅葉する前に落ちてしまった葉が多くて、ひょっとしたら紅葉が見られないうちに秋が終わるんじゃないかと悲観したりしましたが、時期が遅めだっただけで、そこそこきれいな紅葉が見られました。

 11月19日、六甲山森林植物園。

 

 

 11月25日、中山寺奥之院。

 

 

 11月30日に京都へ。出発直後に八坂神社、南禅寺と、観光名所の紅葉見物。山の紅葉を楽しむようになってからというもの、京都などの紅葉スポットには行かなくなっていました。山の紅葉が素晴らしいので、わざわざ京都まで出かけようと思わなくなったのです。

 ところが、久しぶりに見た京都の紅葉はとてもきれいでした! 山の紅葉とはまた一味違うのです。よく手入れされているからか、全体の姿が洗練されているように感じられました。それに、京都は朝晩の気温差が大きいので、紅葉の色が冴えるのかもしれません。平日の朝だったので観光客がそれほど多くなかったのもよかったです。残念ながら写真は撮っていません。

 この日は南禅寺の裏手から京都トレイルの道を経て大文字山に登り、その北側にある二段お滝谷道、玄孫(やしゃご)熊山、子熊山、熊山、めがね峠を経て銀閣寺道に下りました。急登急降の連続でしたが静かな山道でとても気持ちの良いコースでした。12kmくらい歩きました。

 そして12月13日、賤ヶ岳を縦走しました。賤ヶ岳は以前、友達に連れて行ってもらったことがあるのですが、その時は賤ヶ岳に登って下りただけでした。今回はJRの河毛駅からタクシーで宇賀神社へ。ここから山道に入り、山本山(322m)→古保利古墳群→赤尾城址(302m)と、琵琶湖を西に眺めながら北上して賤ヶ岳(420m)へ。琵琶湖と余呉湖の両方が見える絶景ポイントです。

 さらに公法寺山(367m)、大平良山(456m)、権現峠(375m)を経て余呉湖の北側にある余呉湖ビジターセンターに下り、JR余呉駅から帰途につきました。急な登りと下りの連続で、しかも15kmものロングコース。こんなによく歩いたのは久しぶりでした。

 尾根道は冷たい風が吹きつけて体が冷えるし、やや風の弱い急登では汗だくになるしで、着たり脱いだりと衣類の調整が忙しかったです。

 途中、素晴らしい眺めに癒されました。

 

 

 この辺り、古墳がとても多いのです。上の写真のこんもりした盛り上がりもたぶん古墳だと思います。

 山の会に入って4年半になりました。これまでは体の故障(かがと、腰、膝)や病気で山歩きをしばらく中断しないといけなくなったことがたびたびあり、そのたびにせっかく足を鍛えたのに元の木阿弥というパターンを繰り返してきました。そうするうちにちょっとは体が強くなってきたのか、筋肉量が増えてきたのかわかりませんが、この1年は軽い風邪を引いたくらいでたいしたトラブルもなく過ごすことができました。

 酷暑の8月以外は順調に山を歩いていたので、ずいぶん足がしっかりしてきました。山の会の友達から「入会してきた時は見るからに弱そうだったのに、見違えるように健脚になったね」と言われ、うれしくてたまりません。「健脚」はほめ過ぎですけれども。

 この調子で来年も山歩きが続けられるといいなあ。山を歩くことが今の私には心身の健康を保つ上で欠かせない習慣になっています。

「道成寺」(大槻文藏裕一の会 大槻秀夫三十三回忌追善公演)つづき

  この日のプログラムの最後が「道成寺」です。シテを務めたのは大槻裕一さん(26歳)。大槻文藏さんの芸養子です。「道成寺」はもちろん初演。つまり、先日テレビで放送された観世三郎太さんと同じく「披き(ひらき)」なのです。

 出演者の顔ぶれはとても豪華でした。ワキ(道成寺の住職)は福王茂十郎さん。の予定でしたが休演で、ツレ(従僧)のはずだったご長男の和幸さんが代演。ワキツレは喜多雅人さんと、もう一人、私の知らない人でした。

 アイの能力(のうりき。寺男)は三郎太さんの時と同じ野村萬斎・裕基親子。大鼓と小鼓も三郎太さんの時と同じ亀井広忠さんと大倉源次郎さん。太鼓は小寺真佐人さん。笛は竹市学さん。地謡観世銕之丞さん、観世淳夫さん、林宗一郎さんほか。後見は観世清和さん、三郎太さん、そして大槻文蔵さん。

 鐘後見という、終盤で鐘の上げ下ろしをする役の主担当(と言うのかどうかわかりませんが)は赤松禎友さん(文藏さんの一番弟子で裕一さんの実父)、補助役に水田雄晤さん、武富康之さん、上野雄三さん、山田薫さん。開演前に鐘を吊り、終演後に片付ける狂言後見は野村太一郎、内藤連、中村修一、飯田豪の皆さんでした。大槻家の後継者が「道成寺」を披くことが、宗家の後継者の場合とさほど変わらないくらいの大事なイベントだということが伝わってきました。

 これまで裕一さんが女性を演じると、役柄本来のキャラクターより可愛らしく見えることがあって、若いからかなあと思っていました。「道成寺」ではまったく雰囲気が変わり、大人の女性、実体は大蛇の妖艶な美しさや不気味さ、悲しさまでもが伝わってきました。初演にしては見事でした。大倉源次郎さんはじめ囃子方の皆さんも素晴らしく、地謡も良くて、見終わった後どっしりした感動が残りました。

 ただ一つ残念だったのは、地謡のメンバーの中の若い方が一人、やけに派手な水色のかみしもをつけていたこと。しかもその人が地謡8人の前列一番手前に座っているので、嫌でも目に入ってくるのです。

 シテとワキのほかはどなたも渋めの色合いのかみしもでシテやワキの存在を際立たせていて、舞台全体の調和が取れて美しかったのに、この人だけがその調和を破っていました。地謡は舞台を支える役割なので、目立ちすぎては良くないのです。どういう色のかみしもをつけるのがその日の上演にふさわしいか、よく考えてもらいたいものです。

「道成寺」(大槻文藏裕一の会 大槻秀夫三十三回忌追善公演)

 なかなか書けずにいた「道成寺」(大槻能楽堂、11月12日)の話です。日にちが経つと記憶がどんどん薄れてしまって。。。当日、プログラムに書き込んだメモ書きと、かすかな記憶を頼りに記していきます。

 文藏さんのお父さん、大槻秀夫さんの三十三回忌追善公演とあって、出演者の顔ぶれがとても豪華でした。プログラムの最初は舞囃子「安宅 延年の舞」です。

 「安宅」は歌舞伎の「勧進帳」の元になった演目です。頼朝と折り合いが悪くなった義経は奥州(東北地方)を指して落ち延びていきます。全国指名手配の状態なので弁慶と数人の家来は山伏の扮装をし、義経には強力(ごうりき。荷物持ち)のなりをさせて、一行は安宅の関を越えようとしますが、頼朝の指図で「山伏がやってきたら決して関所を通してはいけない」というおふれが出ていて、制止されます。

 弁慶が関所の責任者の冨樫に東大寺再建の勧進(寄付集め)のために諸国を回っているのだと言うと、冨樫はそれなら勧進の趣旨を書いた「勧進帳」を持っているはずだから読めと迫ります。弁慶は巻物を取り出し、朗々と読み上げます。実はその巻物には何も書かれていないのです。

 弁慶の機転で安宅の関を無事に通過した義経主従に冨樫が追いついて、酒を振る舞います。弁慶は冨樫の策略かと疑いながらも豪快に酒を飲み、座興に「延年の舞」を舞います。最後まで気を許さず、やがてその場を離れて奥州へ向かっていくのです。

 舞囃子は一曲の見どころ聞きどころの部分をお囃子、地謡入りで上演する形式。シテの弁慶は大槻文藏さんです。ずいぶん昔、大槻能楽堂で「安宅」が日替わりのシテで3日続けて上演されたことがありました。そのうち1日を見に行きました。シテが誰だったか、覚えていないのですが、激昂して冨樫に詰め寄ろうとする山伏たちを弁慶が必死で抑えて、勧進帳を読み上げることにする場面が凄まじい気迫だったことだけ、記憶に鮮やかです。舞台上の登場人物が多くて能にしては華やかなのですが、その頃よく見ていた歌舞伎の華やかさとはまったく違うことに驚きました。

 今回の文藏さんの「延年の舞」も凄まじい緊迫感でした。ほかの山伏たちは登場せず一人きりで、弁慶の装束もつけず着物と袴だけで演じるのに、その場面の様子がまざまざと目に浮かぶようです。前半は「動」、後半は「静」と変化して、「静」の場面でじっと座っているときの濃密な空気感も強烈でした。この舞囃子で開演直後から興奮してしまいました。といっても能を見たときの興奮は歌舞伎を見たときの興奮とは違っていて、「静かな興奮」というようなものです。

 大鼓と小鼓はTTRのお二人。大鼓の山本哲也さんは無事に病気から復帰されたようでよかったです。笛は杉信太朗さん! この3人(小鼓は成田達志さん)のお囃子が聞けただけでも来た甲斐があったというものです。

 続いて狂言「川上」。初めて見る演目でした。シテは野村万作さん。シュールな展開に現代的なものを感じました。狂言って奥が深いです。

 仕舞「卒塔婆小町」、観世銕之丞さん。一調「江口」、観世清和さん。大鼓は亀井広忠さん。同じく一調「巻絹」、プログラムでは梅若桜雪さんのはずでしたが休演で梅若猶義さんが代演。太鼓は三島元太郎さんでした。一調というのは、曲の中の一部分をシテ方能楽師が舞い、小鼓・大鼓・太鼓のうちのどれか一つが演奏する形態です。

 この中で一番良かったのは観世清和さんの「江口」でした。謡というとモゴモゴして何を言っているのかよくわからないというイメージがありますが、清和さんの謡は発音や発声がくっきりはっきりしていて非常に聞き取りやすい。それで能らしい雰囲気が壊れるかというとまったくそんなことはなくて、心にまっすぐ届いてくるものを感じました。「江口」はそれほど好きな曲ではないのに、不思議なほど感動しました。

 清和さんは観世流の家元ですが、だから上手というようなことではないのです。私の習っている謡の教室の先輩は清和さんの芸を「ちっともいいと思わないし嫌い」と言っています。だけど私は以前から清和さんの謡になぜか強く心を惹かれていました。この日もそれを再確認しました。

 長くなりましたので肝心の「道成寺」については次の記事に書きます。

 

テレビで見た能「道成寺」(観世能楽堂)

 11月12日(日)に大槻能楽堂で能「道成寺」を見ました。そのことを書く前に、少し前にテレビで見た「道成寺」について記しておきます。

 10月29日のEテレ「古典芸能への招待」という枠で放送されたものです。内容は6月18日に東京の観世能楽堂で行われた「第一回 清門別会」という公演の録画でした。観世流の家元の子息、つまり次の家元になる予定の観世三郎太さん(24歳)が「道成寺」をひらきました(初演しました)。素顔の三郎太さんは甘いマスクのイケメンさん。目尻が下がり気味なので、人の良さそうな印象です。

 家元の観世清和さんは小柄ですが三郎太さんは長身で、能舞台が狭く感じられました。動きがダイナミックで若さが溢れています。力が入り過ぎている感じもしましたが、初演なのですから仕方ないですね。声がとても力強いです。

 ワキ(道成寺の住僧)は文化功労者の福王茂十郎さんで、ワキツレ(従僧)は福王和幸、知登のこれもイケメン兄弟。アイの能力(のうりき。寺男)は野村萬斎、野村裕基の親子。なんとも豪華なキャスティングでした。

 小鼓は大倉源次郎さん(人間国宝)。「乱拍子」のシテと小鼓のやりとりが息を飲むほどの緊迫感でした。源次郎さんは掛け声も表情も凄まじかったです。大鼓は亀井広忠さん。宗家の嗣子が「道成寺」をひらくという特別な公演では、やはり小鼓は大倉源次郎さん、大鼓は亀井広忠さんなんだと、納得しました。

 広忠さんのお父さん、亀井忠雄さんは人間国宝でしたが6月に亡くなられました。番組中、公演前のインタビューで三郎太さんが「道成寺は亀井先生に最後に稽古をつけていただいた曲で、そのとき最後に『お前ならできるぞ』と言っていただきました。そのことばを励みに頑張りました」と語っていたのが心に残りました(注;シテ方能楽師は謡と仕舞だけでなくお囃子の稽古も必須なのです。たいへん〜)。

 公演前で緊張しているはずなのに、三郎太さんの話しぶりはとても落ち着いていて、言葉選びも正確で丁寧で、器の大きさが感じられました。

 そして笛は杉信太朗さん! 家元のスギシンさんへの評価が高いのでしょう。若いのに、やっぱりスギシンさんはすごい。スギシンさんの笛で能が始まり、ワキとワキツレ、アイが橋がかりから登場します。スギシンさんの笛には幕開けにふさわしい神聖さが感じられました。乱拍子の合間にもスギシンさんの鋭い笛が入り、異世界に連れて行かれる気分でした。

 太鼓の林雄一郎さんは私の知らない方でした。地謡観世銕之丞さん、観世喜正さん。ほかは私の知らない方でした。

 演能に先立って狂言方の若手の方々が鐘を運び出して、鐘を吊る縄を天井の杭に通します。これがなかなか難しいのですが、1回でうまくできたのが縁起の良いことに思われました。ひょっとしたら、本当はもっと時間がかかったのを編集したのかもしれませんけどね。狂言方の鐘を吊ったり最後に下ろしたりする動作もすべて型に沿って行われるので、見ていて美しいです。

 テレビで「道成寺」が見られるなんて思いもよらなかったことですし、見てみたら中身がすごくて圧倒されました。この録画は当分、消せそうにありません。

すすきを見に、曽爾高原へ

 曽爾(そに)高原は奈良県にあり、室生赤目青山国定公園の一部。広大な草原を、秋にはすすきが埋め尽くすことで有名です。私にとっては何年も前から行ってみたかった場所でした。この秋は山の会で曽爾高原に行く例会があるとわかり、喜んでいたのですが、ほかの用事と重なってしまって、どうしても行けないことに。残念でたまらずネットでツアーを探してみたら、日帰りのバスツアーが見つかり、キャンセル待ちをして入ることができました。

 行程は、朝、大阪を出発して、まず京都の宇治川で遊覧船に乗ります。

 船から見える山はほとんど色付いておらず、景色も平凡。保津川下りのようなスリルもないし。穏やかな好天で風もなくて、船が転覆するという可能性も皆無だったから、まあ安心ではありました。

 奈良へ向かい、天理市の見事な銀杏並木を車窓から眺め、お昼前に奈良公園の駐車場に到着。東向商店街の国産鰻料理の専門店で昼食。「ひつまぶし」というのを初めて食べました。

 このお店の鰻、なぜだか少し生臭さ?泥臭さ?のようなものを感じました。あとでお茶漬けにするからか、タレが少なめなのも私には物足りなかったです。そんなことを言いながらも、滅多に食べられないご馳走なので喜んでいただきました。

 午後は一路、曽爾高原へ。バスが順調に走ってくれたので、曽爾高原では1時間半くらい自由時間が持てました。

 広大な草はらにすすきが揺れています。すすきに囲まれて歩くのは爽快な気分です。

 高い山がそびえ、池もある、ちょっと不思議な地形でした。

 一人で歩いたので、道に迷ってバスまで帰れなくなったら大変!と、方向音痴の私は警戒していましたが、少し高い所に登ると全体の様子が一望のもとに見渡せて、どこから来たのか、どう行けば戻れるのかがわかりやすかったです。すすきの眺めを満喫したひとときでした。

 ただ、一番の見頃は過ぎていたのが残念でした。

 帰り道、針のインターチェンジのそばにある道の駅に寄ってトイレ休憩とお買い物。柿や甘長唐辛子のほかに、本物のわらび粉を使ったわらび餅を試食して買いました。あっさりした甘味があり、口の中でとろんと溶ける感じがして、とびきり美味しかったです。

 

 

すすきを見に、大和葛城山へ

 ふと気がつくと、前に更新してから1カ月以上が経っています。しないといけないことが山積みで毎日があっという間に過ぎていき、時間の余裕がありません。と、言いながらも、山歩きは週に1、2度、欠かさず楽しんでいます。

 このところ、ちょっと遠出の登山が増えました。9月末、京都府亀岡市の牛松山へ。「丹波富士」と呼ばれているそうですが、見た目は富士山のようなラインではなく、こんもりと丸っこく優しい形でした。

 急な登りが1時間ほど続き、まだ暑かったので私よりさらに高齢の会員さんたちは音を上げていました。山頂付近に愛宕神社金刀比羅神社が鎮座していて、下りは参道を歩きます。傾斜の緩い、歩きやすい道で、下りの苦手な私にぴったりでした。

 10月中旬、金剛山地大阪平野奈良盆地を隔てる山々)の一部、岩橋山へ。近鉄線の富田林駅で金剛バスに乗り換え、30分ほどで平石のバス停に到着。ここから登って岩橋峠を経由します。最後に200段ほどの急な階段が待っていて、修行みたいでした。午後は風変わりな形をした巨石を巡りました。急な登りと下りが続いて足は疲れましたが、気持ちよく歩けました。

 そして下旬に大和葛城山へ。気温が急に5度くらい下がった肌寒い日でした。大和葛城山は春のつつじと秋のすすきで有名な山です。私はつつじよりすすきが好きで、ずっと前からこの山に来たかったのです。

 この日も近鉄線の富田林駅からバスに乗車。ちょうど近隣の秋祭りの日だったようで、豪華な山車(だし)が何基もにぎやかに巡行していました。

 水越峠のバス停で降りると、空気の冷たさにびっくり。でも歩けば体は温まります。登りはずっと急な階段が続きました。展望の開けた平らな場所で昼休憩。さらに登って頂上を目指します。頂上が近づくにつれてすすきが見られるようになりました。

 CLさんが「もう終わっているかも」と言っていたのにまだ十分きれいだったので、みんな大喜び。私もうれしくてたまりません。

 頂上近くの展望スポット。向こうに見える山が金剛山です。

 すすきの丘を登って頂上へ。

 あいにくの曇り空。晴れていると日光が当たってすすきの穂がきらきらして見えるのだそうです。

 気温が低い上に、広々としていて遮るものがなく、風が強いので余計に寒い。持っていた衣類を全部着て、なんと6枚の重ね着。ほかの人たちは3枚か、せいぜい4枚で、私の寒がりは際立っていました。とほほ。

 下りの北尾根コースは道がひどく荒れていて、急勾配で歩きにくかった。先頭のSLさんが参加者の様子に気を配りながらゆっくり歩いて下さったので助かりました。

 金剛山大和葛城山へ行くときに乗る金剛バスは12月に運行停止になります。行くなら今のうちだ! と思って岩橋山と大和葛城山の例会に参加しました。これから、この辺りの交通事情はどうなるのかなあ。山に登るのに不便なのは困りますが、そんなのは趣味の話で、地元の皆さんは毎日の生活に支障が出て、それどころではない不便さでしょう。ほかの二つの会社が共同でミニバスを走らせるという噂も聞きましたが…。

 遠出の例会に行くと、片道2時間くらいかかるので、小旅行気分が味わえます。その分、交通費もかさむのがつらいところです。

  

能「檜垣(ひがき)」 大槻能楽堂(9月18日)

 「檜垣」はあまたある能の曲の中でも最も扱いの重い作品の一つで、めったに上演されません。シテ(主人公)の檜垣の女は別格の上手でなければ演じきれない難しい役です。その「檜垣」が、私の一番好きな能楽師さん=大槻文藏さんのシテで見られることを知って、大槻能楽堂へ行きました。

 あらすじを銕仙会のサイトからお借りします。

 肥後国 岩戸山に籠もって修行する、一人の僧(ワキ)。彼のもとには、一人の老女(前シテ)が毎日やって来ては、仏前に供える水を捧げていた。ある日、僧が老女に名を尋ねると、彼女は『後撰集』に見える歌人・檜垣の女の霊と名乗る。彼女は、年老いて白川のほとりに住んでいた折に藤原興範に水を請われ、歌を詠んだことを語ると、白川で自らを弔ってくれと頼み、姿を消すのであった。

 僧が白川を訪れると、女の霊(後シテ)が年老いた姿で現れ、消えやらぬ執心ゆえに今なお地獄で水を汲み続けているのだと明かす。彼女は、興範に請われて老残の舞い姿を見せた思い出を語り、舞を舞うのであった。

・・・・・・・・・ここまで

 美貌と才能を誇っていた女性が歳を取ってから無惨に老いさらばえて、若い頃の驕慢ゆえに地獄の責苦に苛まれ成仏を願うという大枠の組み立ては、「卒塔婆小町」(主人公は小野小町)にも見られます。仏教の「無常」を感じさせるのに格好の題材なのでしょう。

 そんなことを言うなら光源氏こそ一番の題材になりそうなものなのに、光源氏を主役にして同じような話にした曲はありません。能の作者は男性ばかりなので、女性に厳しく男性に甘いのかもしれません。ちなみに「檜垣」は世阿弥の作です。

 「光源氏は小説の登場人物だからじゃないの?」と思う方もいるかもしれませんが、それは違います。同じ「源氏物語」の登場人物、夕顔が主人公の能に「半蔀」「夕顔」がありますし、「葵上」「野宮」は六条御息所が主人公なのです。

 天野文雄さんの『能楽手帖』(角川ソフィア文庫)によると、「檜垣」では高齢になってから藤原興範という人物に請われて白拍子の舞を舞ったことも罪障の一つとされているのですが、ここが私には腑に落ちません。自分から進んで舞ったわけではないし、本人はどんなにか恥ずかしかっただろうと想像すると可哀想になります。その行動が罪だと決めつけられるなんて酷すぎると思うのです。

 文藏さんの舞台はいつも揚げ幕から歩み出てくるところから、濃縮されたような強い存在感に目が吸い寄せられます。次には装束の見事さに驚嘆します。前半は唐織の着流し。遠目にも金糸がふんだんに使われていることが見て取れて、とびきりの豪華さ、上品さです。

 後半では淡いクリーム色地に蝶などを金で散らした長絹、ごく淡くグレーがかった青磁色の大口袴。白拍子の装いなのだそうです。老残の哀れさを表現しているはずなのに、とてもきれいで、聖性すら感じてしまいました。ただ、面(「檜垣女」)は年老いて痩せ衰えた女性の顔なので、角度によってはどきっとするほどの弱々しさが伝わってきました。

 文藏さんは足が衰えてきているようで、前半では一度、座っている姿勢から立ち上がるとき、裕一さんに後ろから支えてもらっていました。能楽師自身が老いというものを実感しているからこそ、「檜垣」のような曲を演じることができるのかもしれません。

 ちなみに『後撰集』に見える歌というのは「年経ればわが黒髪も白川のみつわぐむまで老いにけるかな」というもの。「みつわぐむ」という言葉には、「老い屈まる(かがまる)」と「水を汲む」の二つの意味があるのだそうです。 

 私にはまだ理解不能な部分もあり、途中で眠くなってしまった時間もありました。何せ2時間以上の長丁場なのです。それでも見ておいて良かったです。能のファンとして財産になる体験でした。

 プログラムでは小鼓 成田達志、大鼓 山本哲也と、TTRのお二人の名前が並んでいましたが、山本哲也さんはやはりまだ休演で、河村大(まさる)さんが代演されました。このお二人のお囃子がとても良かったです。

 アイの狂言方囃子方、それに後見の方々も床に引きずるような長い袴を着けているのが目を引きました。やっぱり格の高い演目だから、装いも格の高いものだったのかな。私のように「ぜひ見ておかねば」と思った人が多かったのか、客席はほぼ満席でした。着物姿の女性もたくさんいました。 

追記;この公演は「野口傳之輔卒寿記念 能と囃子の会」の中で上演されました。野口傳之輔さんは森田流の笛方さんで、関西での重鎮のようです。 

TTR能プロジェクト 「和魂Ⅸ 観世流vs.金剛流 流儀大解剖!」(湊川神社)その2

 当日のプログラムを紹介します。細部まで詳しく書くのは私自身の記録として残しておきたいからです。

 舞囃子 観世流「錦木」 シテ 大槻裕一

       地謡 浦田保親、大江信行、齋藤信輔、笠田祐樹

       笛 斉藤 敦、小鼓 成田 奏、大鼓 山本寿弥

 舞囃子 金剛流「天鼓 盤捗」 シテ 豊嶋晃嗣

       ※盤捗(ばんしき)は小書。特殊演出を指しています

       地謡 金剛龍謹、宇高竜成、宇高徳成、山田伊純

       笛 斉藤 敦、小鼓 成田 奏、大鼓 山本寿弥、太鼓 前川光範

TTRトーク 謡の違いについて

 独吟 井筒 キリ 観世流 齋藤信輔 金剛流 宇高徳成

     ※キリ は能の最後の部分。「ピンからキリまで」はここから来ているそうです

 独吟 起請文 観世流 大江信行 金剛流 宇高竜成

TTRトーク ゲスト 大江信行・宇高竜成

 仕舞 観世流「鉄輪 キリ」 シテ 笠田祐樹

       地謡 浦田保親、齋藤信輔、大槻裕一

 仕舞 金剛流「鉄輪 キリ」 シテ 山田伊純

       地謡 金剛龍謹、豊嶋晃嗣、宇高徳成

実験企画

 「乱」 シテ 観世流 大江信行  金剛流 宇高竜成

 

舞囃子 観世流船弁慶 重キ前後之替」 シテ 浦田保親

       ※重キ前後之替は小書。特殊演出を指しています

       地謡 大江信行、齋藤信輔、笠田祐樹、大槻裕一

       笛 斉藤 敦、小鼓 成田 達志、大鼓 山本寿弥、太鼓 前川光範

舞囃子 金剛流船弁慶 白波之伝」 シテ 金剛龍謹

       ※白波之伝は小書。特殊演出を指しています

       地謡 豊嶋晃嗣、宇高竜成、宇高徳成、山田伊純

       笛 斉藤 敦、小鼓 成田 達志、大鼓 山本寿弥、太鼓 前川光範

 

 シテ方能楽師の皆さんは、本公演のような装束や面を着けず、黒紋付と袴のシンプルな装いで演じていました。

 一番興味深かったのは実験企画の「乱(みだれ)」です。「乱」というのは、「猩々(しょうじょう)」という曲の特殊演出で、酒に酔った猩々(中国の伝説の妖精で大河に棲み、お酒が大好き)が水に戯れながら喜びの舞を舞うというもの。この場面を舞台の主に上手側半分で観世流の大江信行さんが、主に下手側半分で金剛流の宇高竜成さんが舞ったのです。

 同じ「乱」でも観世流金剛流では舞の所作がまったく違っていました。金剛流は動きが大きく、変化に富んでいます。観世流は流れるように優美で洗練された印象でした。

 もちろん舞台の半分だけで舞えるものではないので、二人は何度も行き交ったりしますが、能楽師さんは気配を読むことに長けた方々なので、相手の動きを注視していなくても接触や衝突は起こりません。同じ曲、同じお囃子で二つの流儀の舞を比較しながら見るのは面白くて興奮しました。

 この試みは昨年の観世流vs.宝生流でも行われていて、「和魂」の目玉企画になっています。二つの流儀が舞台上で同時に舞うなんてあり得ないことで、よくこんな企画を思いついたものだ、家元さんたちがよく許可したものだと感嘆してしまいます。

 最後の「船弁慶」の競演も素晴らしかったです。とりわけ金剛流若宗家の「船弁慶」は力強く気迫に満ちていて、ぐいぐいと引き込まれました。今まで「船弁慶」という曲にあまり興味が持てなかったのですが、全体を見たくなりました。観世流金剛流の両方で拝見してみたいです。

TTR能プロジェクト 「和魂Ⅸ 観世流vs.金剛流 流儀大解剖!」(湊川神社)

 9月最初の日曜日、神戸の湊川神社神能殿で表題の公演を見ました。去年は観世流vs.宝生流バージョンで行われ、流儀による謡や舞の違いがよくわかって、最高に面白かった。今年はシテ方五流の中で唯一関西(京都)に本拠地を置いている金剛流との比較なので、興味しんしんで見にいきました。

 TTR能プロジェクトは小鼓方の成田達志さんと大鼓方の山本哲也さんの二人が企画・運営しているユニットです。TTは達志と哲也の頭文字だろうと想像がついていましたが、Rがどういう意味なのかがずっとわからずにいました。

 この日、ロビーでTシャツやクリアファイルなどのオリジナルグッズが初めて販売されました。Tシャツの胸に書いてある文字を見ると、Rはrevolution、つまり革命、大変革のことでした。確かに革命! 能という古い世界で囃子方が公演を主催するのはたぶん異例のことですし、まして今回のような流儀を比較する企画なんてとんでもない話で、よく実現できたものだとびっくりしています。それも1回で終わらず2回目を迎えるとはすごいです。

 もちろん観世流金剛流、両方の家元の許可をもらっているのです。家元さんたちもよく許したものだと感心します。そこには能楽界の衰退傾向への危機感が感じられます。観客も、謡や仕舞を稽古している人も数が減り、高齢化しています。斬新な取り組みを通して能のファンが増えればOK! 結果オーライ! ということなのでしょう。とりわけ金剛流から若宗家(家元の子息、次の家元)の金剛龍謹(たつのり)さんが参加しているところに、金剛流側の意気込みが感じられました。

 この日、最初のあいさつで舞台に現れたのは成田さんだけ。山本さんは等身大のパネルと、成田さんのスマホに録音された音声だけの参加でした。6月ごろから体調を崩して静養中なのだとか。次のTTR公演には必ず出演します、とのことでした。次の公演は2月なので、そんなに長くかかる病気なのかと、心配になってしまいました。厄介な病気でなければいいのだけれど。いつも通りの元気な声だったので、大丈夫だとは思うのですが。

 前置きが長くなってしまいました。プログラムは次の記事で紹介します。

 

「睡眠用しいたけ数え動画」

 ネットで見つけました。明治安田生命YouTubeで公開しています。俳優の津田健次郎がしいたけの数を数え続けるという、ただそれだけ。でも津田健次郎の声がとてもいいので、「しいーたけが○本」という声を繰り返し聞いていると、本当に眠くなってきます。動画も可愛らしくて、ときどきクスッと笑えます。

youtu.be

 俳優さんの中で、最近はこの津田健次郎と、中村倫也の声が気に入っています。

いずみホールで藤原道山さんの尺八を聴く

 先週の土曜日、大阪市内にある住友生命いずみホール和楽器のコンサートを聴きに行きました。姉がチケットを取っていたのに急用ができて行けなくなったとかで、私にチケットを譲ってくれたのです。

 「新・日本の響き 和のいずみ」と題するコンサートで、シリーズの第1回らしいです。プロデュースしたのは片岡リサさんという箏、つまりお琴の演奏者です。司会・進行もこの方。美人で頭も人柄も良さそうな方でした。

 ゲストは尺八奏者の藤原道山さん。有名人ですが、私はテレビ、それもEテレの子ども向け番組でしか見たことがなくて、生で演奏を聴くのはこの日が初めてでした。

 オープニングに大阪府立高校の高校生たちが箏と三味線の合奏をしたあと(とても上手でした)、片岡さんの紹介で藤原道山さんが登場。舞台下手の袖から着物と袴の和装で「アメイジンググレイス」を吹きながら現れました。その音色の美しいこと! 「本当に尺八なの?」と信じられないくらいでした。滑らかで濃くて潤いの豊かな音なのです。尺八という楽器を再発見したような気持ちになりました。

 この後のプログラムでは宮城道雄の「春の海」などの古典作品を尺八だけで演奏したり、箏と合奏したり。休憩を挟んで後半では現代作品を5曲、こちらもソロや箏との合奏で聴かせてもらいました。どれも素晴らしかった! 後半では道山さんは洋服でした。黒を基調としていて、個性的なアクセントの効いた装いでした。イケメンなのでどんな格好をしても似合います。

 尺八といえば、低音が中心で、かすれたような音を出す渋い楽器だとばかり思っていました。そういうイメージの尺八がけっこう好きで、特に「鶴の巣篭もり」という古い曲は聴いていて東北地方の原野が目の前に浮かび上がる気がして、お気に入りでした。この日も道山さんが「鶴の巣篭もり」を演奏したのですが、まったくイメージが違っていました。とてもフレッシュで暖かい。新しい世界を見せてもらった気がしました。

 片岡リサさん、それにほかにも二人、箏の演奏者が登場しました。どの方もとても上手で、ハーモニーが心地よかったです。

 もう一つ特記しておきたいのは、いずみホールの音響の良さです。尺八だけでなく箏も三味線も、今まで聴いたことがないような、深い味わいに満ちた音が響いてきました。ずいぶん前に何度かクラシック音楽を聴きに行ったことがあるのですが、そのときはちっとも気づきませんでした。

 藤原道山さんの尺八をできればいずみホールで、それが無理ならほかの場所でもいいから、また聴きに行きたいです。