今回は、1984年5月3日〜5月6日、春の4連休(後半)のお話。
4月末の前半3連休を、ピアノリサイタルやスキーで過ごし、2日おいてやってきた連休後半。40年前の春のことです。
5月3日(木)。後半初日を使って🙋♂️は東京から帰省してきました。連休2度目の帰省です。🙋♀️は先輩の結婚式に出席。
それにしても、この前半と後半を繋ぐ大型連休はハードなものになりました。
さて、それではスタート!
今回も頼りにした🙋♀️の極秘ノート
5月4日(金) 飯綱でテニス
🙋♀️メモによると8時10分、🙋♂️はお兄さん夫婦と車で迎えに来てくれたんだね。
🙋♂️小さい姪っ子も一緒に4人でね。僕の姉家族とは現地で落ち合って、総勢8人だ。
🙋♀️テニスなんて大の苦手だから「飯綱つつじヶ原テニスコート」実は行ったことあるなんて言えなかったな〜。出来ればやらずに済ませたかった・・💧
おまけに前の日(3日)は元勤務先の先輩の結婚式だった。別にそれでどうだって事じゃないけど、、ほら、ちょっとさ、あるじゃん?必死の言い訳…
🙋♂️それで飲み物買いに行ったりして誤魔化してたんだな〜?(笑)
🙋♀️あれ?そうだった〜? えへへ…💦
と、ところでさ、終わったあとのこと全然覚えていないんだけど、皆で昼食を済ませた後🙋♂️の実家へ行ったみたいだね。
🙋♂️ほんとだ。あれっ?「チェリーハウス」ポタージュスープ、ベジタブルスープって書いてあるけど、これって飯綱かな、それとも長野市内?それになんでスープだけなんだろ?
🙋♀️ノートには、この店で「元同僚のH子さんと出会った」とあるから、たぶん市内のレストランじゃないのかな。で、時間的には実家に行った後だと思うんだけど。。
🙋♂️そうすると、、実家でお茶した時に色々食べ過ぎて、夕食時にはスープしか飲めなかったってことかな?
🙋♀️多分そうだよ〜〜^ ^
5月5日(土) 白根•草津ドライブ
🙋♂️この日は兄貴の車を借りて、8時に🙋♀️乗せて白根・草津をドライブだ。初めての、デートらしい本当のデートといってもよかったかな。
それにしてもすごいよね❗️連休前半みっちり遊んだのに後半もテニスと長距離ドライブだよ!
🙋♀️絶好のお天気で、爽やかな風が気持ちよかった!「BGMは山本達彦の太陽がいっぱいと、来生たかおの夢の途中」って、まだこのテープあるよ。懐かしいな〜❣️
🙋♂️ほんと、楽しかったな〜。 志賀・草津道路を通って、草津白根山のお釜見て、草津温泉の湯畑の後に、鬼押出し園。帰りはレストランで食事して長野に戻るルート。Googleマップで見たら、こんな感じ。
🙋♀️お釜見るために、スキー場のゲレンデを雪に埋もれながら登ったんだよね。正直、雪山の往復は辛かった!帰りはほぼ滑ってたような💦 転んで悲惨なことにならなくてよかったよ〜
🙋♂️いや、ほんとだよ!短いの履いてたのにね。ごめん🙇 でもお釜を見ることができて良かったよ。
(左)雪山を連なって登っている人々が遠くに見える。よくぞ登ったと今でも思う。(右)でもお釜は綺麗だった
🙋♂️曰く「買っちゃった☆」トレーナー
🙋♀️このあと草津温泉♨️で湯畑見て、鬼押出しに向かったんだよね。あっ、その前にお昼だ。
🙋♂️そうそう。どこだったか、芝生のあるところで、レジャーシート敷いて、🙋♀️の作ってくれたお弁当を食べたんだっけ。ええっと、写真は・・・
🙋♀️それがまともな写真はないのだよ。だいたい食べた後になって、思い出して撮ってるからゆるんだ顔と空っぽの弁当箱ばっかり(笑笑)
🙋♂️ナハハ〜〜 一気に食べたから😂
🙋♂️最後は鬼押出し園だ。江戸時代の浅間山大噴火の溶岩流の跡が凄かったね。辺り一面ごつごつした溶岩だらけで怖いくらいだった。
極秘ノートに貼られた有料道路の領収書や鬼押出し園の入園券
🙋♂️この日はツーショット写真をたくさん撮りたくて三脚担いで歩いたな〜。お陰で、後で結婚式のパンフレットに使ったベストショットも撮れたんだぜ、イェー👍
🙋♀️鐘楼堂で二人で鐘を撞いたこの写真も、人に頼んだんじゃなくて、三脚とタイマーを仕込んでおいて、シャッタータイミングを計った🙋♂️渾身の一枚だね。
この頃は、Nikonの一眼レフを三脚に取り付けて歩いていた
そして🙋♀️はバカチョン持参(笑)
🙋♂️鬼押出し園を出て、記録では「チーズドール シャイアン」で夕食。ミックスフライセットって書いてある。お店が4ヶ所あったようだから、このどこかに入ったんだね。
🙋♀️"ドライバーにもおすすめ"っていう飲み物を頼んで、来てみたらアルコール1%未満。やっぱりまずいよねってことで、私が代わりに飲んだら酔っちゃって、、、頭、ボーーー😶🌫️
🙋♂️アッハッハ そうそう!次の日も笑い者に…
🙋♀️楽しい1日だったね〜。長距離の安全運転ありがとうございました^ ^
🙋♂️こちらこそ名(迷?)ナビありがとう。有料道路もサッと払ってくれて助かったよ。
5/6(日)市内デート
(左)「カフェ・ド・パリ」アイスティ300円
(右)「アル・デンテ」あさりしめじ椎茸スパゲッティ650円、アランドロン260円
東京に戻る🙋♂️に、駅弁700円,お茶100円,ジュース100円
🙋♀️多分この日は、10月の結婚式に向けてこれから準備することを相談してたんだろうね。ずっと先のようでも、やる事は一杯だから。
🙋♂️まずは結婚披露宴に招待する人。来賓挨拶や司会者もお願いしないといけないし。それと、結婚してから住む場所も。今考えても、やるべきことたくさんあったのに、こんなに遊びながらよくやったな〜
🙋♀️メモに「ダイエー」とあるから、ショッピングもしたんだね。Tシャツとか探したんだっけ…。そういえば、この日「C-ONEビル」で、元職場のT子さんにも会ったんだよ。連日元同僚に会うなんてね。。😆
この頃は🙋♂️も電話しながらぼやいてたよね?
🙋♂️あ〜、こっそり電話してるとさ〜、勿論仕事中じゃないよ、わざわざ覗きに来るんだよ。それに「あれ、きょう電話いいんですか?」なんて…さ💦
この後、🙋♂️が再び長野へ来るのは、2週間後の19日,20日である。結婚披露宴や新生活に向けての準備をしながらの週末。
二人はどのように過ごしたのか、次回もどうぞお楽しみに!
当時の施設・お店の今は?
(1)飯綱つつじヶ原テニスコート
飯綱町には、昔私たちがプレイした「つつじヶ原テニスコート(3面)」と「霊仙寺湖テニスコート(16面)」の二つがあるようだ。しかし「つつじヶ原テニスコート」の方は、つつじヶ原別荘地入り口の管理棟横にあるが、航空写真を見ると閉鎖しているようにも見える。
(左)赤い印が「つつじヶ原テニスコート」で、右上の霊仙寺湖の横に「霊仙寺湖テニスコート」がある
(右)左の赤い印のエリアをズームインしたもの
霊仙寺湖は1972年(昭和47年)に、鉄分を除去した農業用水を供するために建設された、人口の沈殿池である。四方を山々に囲まれた美しい湖で、湖周辺ではボート・マレットゴルフ・E-Bike・芝広場・ドッグラン・温泉と様々なアクティビティが楽しめる。
上には載せなかったが、テニスをした後で霊仙寺湖の「天狗の像」の前で写真を撮った。今でも天狗さんいるかなと探してみたら、40年経ってもまだ健在だった!何故か小ぶりに見えるのは、周りの木々が大きく育って、遠くの山々が見えなくなってしまったからかもしれない😲す、すごい‼️
(2)チェリーハウス
このお店は、どこをどう探しても情報は出てこなかった。長野市内のレストランだろうということしかわからない。
(3)チーズドール シャイアン
「シャイアン」で検索しても、もう既に閉業している坂城町の居酒屋レストランシャイアンしかヒットしないが、「チーズドール」で検索してみたら、こんなことがわかった。
チーズドールの始まりは、昭和38(1963)年。長野市の権堂に1号店をオープンさせると、本格的なハンバーグをはじめとする洋食に人気が集まり、当時としては画期的だったフランチャイズチェーンとして、次々と店舗を広げていった。一番多い時で、県外も含め20店舗以上はオープンしていたようだ。
「株式会社チーズドール」の「チーズドール」各店舗が、どのような経緯で無くなってしまったのかは正確にはわからない。しかし会社名は「株式会社あっぷるアイビー」に変わっているので、ひょっとすると、「チーズドール」は「あっぷるぐりむ」に形を変えて生き残っているのかもしれない。
(右)あっぷるぐりむ長野栗田店
(4)カフェ・ド・パリ
〈マッチの玉手箱〉第9回に記載。4月30日 (月) に、🙋♂️の会社同期の夫婦とお茶したカフェ
(5)アル・デンテ
〈マッチの玉手箱〉第7回に記載。3月11日(日)に、🙋♂️の兄夫婦とランチを食べたお店。長野市の老舗スパゲッティ専門店で、まだ健在
(6)ダイエー長野店
ダイエー長野店は、1980年(昭和51年)にオープンしたが、その20年後の2000年(平成12年)に閉店してしまった。その後長野市が再開発の中心となって、2003年(平成15年)に公共サービスセンターと食品スーパーマーケットの合同施設「もんぜんぷら座(通称『もんプラ』」がオープンしたようだ。
なお、長野市は「もんぜんぷら座」を2030年度末に廃止する方針であり、国道19号を挟んだ北側に図書館を核とする文化複合施設を新設して、子育て支援機能や市民活動支援機能などを移転させる方針とのことだ。なんか心配。大丈夫かな〜?
40年前の長野市内には、ダイエー、長崎屋、丸光、東急という大きなショッピング施設があったが、今や東急しか残っていない。。ほんと心配。
(7)C-ONEビル
C-one(シーワン)は、長野駅善光寺口ロータリー向かいの、若者向けのショップが軒を連ねる場所にある、ファッションビルである。
1980年(昭和55年)10月開業ということなので、私たちがデートしていた頃は、長野では流行の最先端だったのかもしれない。
なお、2014年には株式会社RF929の所有となっているので、地図にはアーフエフC-oneと書いてある。
〈マッチの玉手箱〉も10回まで来ました。よろしかったら過去の記事もご覧ください。表題の下にあるカテゴリー【★特集「マッチの玉手箱」】をクリックすると見ることが出来ます。