Keep on Rockin'

Goes on ...

MRIというアトラクションに乗った話

 

皆様明けましておめでとうございます。


4月より社会人となり、日々業務を通して様々な経験をさせてもらってます。
仕事の話は今年から最低でも月1回以上は更新していくので本ブログにていずれまた。笑

さて、年末にかけて僕の下半身になにやら異常が立て続けに起きました。

大きくは2つの事象がありましたが、現在進行形の方をつらつら述べていきます。
ちなみにどちらも22年の人生で初めての経験でした。
(もう一つの方はくだらないので、直接聞いてください。笑)

ここから物語形式で頑張りますヨ

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やっぱり、音楽が好き

 

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(タイ・パタヤにて)

 

あと少しで学生生活が終わるのかと思うと、何とも言えない気分になりますね。
無事に卒業が確定して、5日ほど人生初の海外に行ってきました。

大変楽しかったのですが、振り返るというよりは、原点回帰ができたのでそれについて書こうかなと。

ここ2週間ぐらいで、改めて自分自身について考える時間がありました。
これまで何となく過ごしてきた22年間を振り返りながら真っ先に感じたことは、
限りある人生の時間をあまりうまく使えてなかったという点。

もちろん、それなりに楽しかったし、良い経験もしてきたと思います。

ただ、本当に何となく生きてきたなあという実感が他の人に比べて強い気がします。

それはおそらく、本気で取り組んできたことが圧倒的に少ないからかなと。

頑張ってはいたけれども、本気だったかと問われると自信をもって頷けない、みたいなことがやたらとあるように思えます。

これって結構情けない話ですね。。。

思い返せば何かと理由をつけて逃げてきたことが多々あったなあと。

おそらく、これは半永久的な病気のようなもので、治療法なんてものはありません。
克服するしかないかなと。治療ではなく、克服です。
具体的に言えば、人生を通して克服し続ける他ないと言えるかなと。

それほどの恐ろしい病に自分がかかっていたことにふと気付いた時驚愕しました。

 

そんな中で、唯一自分が熱中して本気で向き合える存在が音楽でした。

 

音楽といっても、自分が演奏するわけでも作曲するわけでもなく、聞くだけの存在でもなくて、音楽を体感するのが本気で好きだなあと感じてます。

三度の飯より音楽を体感するのが好き、みたいな。

音楽にまみれた生活を人生通してし続ける覚悟なら確実にありますと。

ライブハウスが本当に居心地が良いのは個人的にも納得です。ライブハウスで生きてライブハウスで死にてえって。笑

それに加えて、僕はそういった空間的な要素がとても好きなのだとも感じます。

以前の記事でも書いている通り、そういう空間的な要素を自分自身の周りに広げていきたいなと本気で思ってます。

それは別に音楽を体感してもらうことで誰かをハッピーにしたいというわけではなくて。

自分自身が音楽のある空間で体感している、受け取っているものを別の形でもって還元したいというただの欲求です。

それが一体何なのかというのは、今の所まだブラックボックスの中にありますが。

 

・・・と、そういったことを異国で音楽を体感できたときに改めて感じました。

僕にとっての音楽とは、ただ聞くものではなくて、ある意味で酸素のようなものかなといった具合です。

 

ここで少し今後のテクノロジーの発達における音楽の位置付けを個人的な見解を踏まえて考えを述べたいなと思います。

おそらく、ウェアラブル端末が発達していくなかで、ライブビューングというのがごくごく身近なものになるかと思います。

ライブに家にいながらも、あたかも自分自身がライブに参加しているかのような、視覚・聴覚の感覚を簡単に得られるようになるかなと。

それは別に音楽に限ったことではなくて、例えばスポーツ観戦もそのような形態が普及すると思います。

しかしながら、バーチャルと現実はやはり完全に一致することはないでしょう。

あくまで、現実で体感することをそっくりそのままバーチャルに置き換えることは難しいかなと。

五感全てを包み込む現実空間に身を置いて初めて体感し、得るものがあると思っています。

その点において、音楽というものの位置付けは過去も未来もあまり変わらないように思えます。

ただ、そういったものが身近な存在になることによって、より親しみやすくはなるんじゃないかなとも思います。

自身の見解を簡単にまとめるとするなら、ライブというのは往々にして演者と観客が対峙して初めて成り立つものなのではないかと。これはよくバンドマンが言うことですが、ライブは自分たちだけでは成り立たず、目の前で多種多様な反応をするオーディエンスがいて初めて成り立つということです。

この点がミソかなと感じていて、多種多様なバックグラウンドを持つ人たちが立場は違えど全員同じ方向を向いている状態というのは計り知れないパワーを持ちうると思っています。

 

音楽を通して得られたことは、こういう状態において勝るものはないということと、その感覚です。

具体的には、明治維新なんかは典型的な例だと思います。

他にも歴史を紐解くとそういった音楽用語でいうところのグルーブが、世界の至る所で歴史のターニングポイントになっているように感じます。

 

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 最近読んだ本に落合陽一さんの日本再興戦略という本があり、僕自身のこの何とも言えない持論をより強固なものにしてくれました。

最も印象的な箇所は、松下村塾を開いた吉田松陰の一言を紹介している箇所で、
ハッとさせられた箇所でもあります。

吉田松陰は死刑になりますが、その前日に遺書とも言われている留魂録(りゅうこんろく)というものを書き残していて、その中にある言葉がとても突き刺さりました。

「諸君、狂いたまえ」

これは、いつの時代にも通ずる言葉かなと感じます。

ここで言う「狂う」とは単に頭がおかしくなる、といった意味ではなく、有り余るほどの情熱を持ち、常識から外れて夢中になるという意味だそうです。

それほどまでの危機感と圧倒的情熱を持っていれば、何事もできるだろうという松陰の最後の教えのような気がします。

 

本気とは、まさにこういう状態なんだなあと。

僕自身、音楽を体感しているとき(ライブに行っているとき)は別人のようだと形容されることが多々あります。(ライブの種類にもよりますが・・・笑)

なんか、本気ってとても難しいことだとばかり思っていましたが、全くそんなことなくて。

情熱と夢中の掛け算本気になるのだなあと思いました。

最近、様々なビジネス書を読んでも結局言いたいことは一つで、「行動せよ」とのこと。

行動の源泉とは、いかに本気になっているかどうかという点で、自分自身の情熱の源泉が何なのか、という点をしっかりと見つめ直すことができました。

僕自身、目の前のことに夢中になることが中々できないところがあるので、そういった点はこれから改善していくべきだと感じています。

 

熱量を持って狂う、まさに熱狂こそがその到達点の最たるものなのかなと。

何事においても熱狂できるか否かが勝負の分かれ目になるのではないか、という結論で今回は終わりにします。

 

Are you rockin' ?

Positive thinking Lifestyle

2月とは「逃げる」という比喩をすると小学生時代に言われましたが、まさにそれを実感するかの如く圧倒的なスピード感でもう2018年になってから2ヶ月が経とうとしていますが皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

2月の最終週から1週間事前研修が始まるということと、ちょうどその週に就活を終えてから1年ということで、学生と社会人になるであろう節目のこの1年を簡単に振り返ろうと思います。

 

正直言って、この1年、驚くほど早かったなと。
こんなにも早く過ぎ去る1年を経験したことはありません。
それは、この前の記事でも書いているのであまり深く言及はしませんが…

結局、この1年何してたかなあということをふと思い至ったので、その整理も兼ねて。

 

結論、一言で言えば「誰かのために時間を使い、そのリターンで成長できた」と言えるのかなと思います。

 

最も時間を割いたのは、就活生支援です。
当初は就活市場に一石投じてやろうとかいう微かな野望があったりもしましたが、、、笑
パッと目に見える結果を示すのなら、以下のURLに飛んでもらえれば分かると思います。

matcher.jp

他にも、就活支援団体に所属したり、定期的に就活生が集う場にちょこちょこ顔をだしたりということも個人的にやっていたり、採用イベントに同行させてもらったり、内定者だけでインターンの企画・運営をしたり、ラジバンダリ

そこでは自分の手の届く範囲って今はこんなにも狭いのかって痛感したし、社会に出て仕事もしていないのに何を内定者が偉そうにベラベラ言えるのか、とも思った時期もありましたな。

それでも、ここまで時間を割くことができたのは、おそらくそういった行動によって自分自身が学ぶこと、得ることが多々あったからだなあと思います。

具体的には、アイデンティティの再確認(決意は固まっていたのかという自問自答)、話し方・伝え方の工夫、自身の強み・弱みの発見、時間の使い方、新たな価値観(人)との出会い等。

確実に1年前の自分よりも圧倒的と言えるかどうかは分かりませんが成長の実感は伴っています。

 

そういった活動の中でも特に重視していたポイントが2点あり、これがモチベーションになっていたと共に、自分の新たな強みなのだなあという再認識もできたのでこの場を借りてアウトプットしようかなと。

1点目が「面白いことを為す」という点。

結局のところ、人間は面白ければ何かしら頑張れるんじゃないか、という観点から自分で取り組むことに対して何かしらの面白みを見出すことに注力していました。
これは以前の記事でもシェアしていますが、僕の座右の銘である「面白きことも無き世を面白く」というミッションから成り立っています。
「面白い」というのは、そう感じる人の経験や思考と目の前の事象とのギャップが生み出すと考えています。
要するに見たこともない景色を見ることで、自身の世界がちょっち広がるような感覚かなと。
それを生み出すことって中々難しいと思いますし、その点においてクリエイター(お笑い芸人や監督、デザイナー、ブロガー等々)ってすごいなあって実感しました。
これは、僕自身のROCKにおけるインパクトとは何か、という命題の一つの結論にも現時点で至っており、引き続き探求していこうとここに宣言しておきます。

 

2点目は「圧倒的ポジティブ思考」

これに関しては、ある人に唯一尊敬する点を挙げるとしたら、ということで言われました。
他には無いそうです。泣
ただ、これに関しては持論を持っているので、ご紹介させていただければなと思います。読むのが面倒な方は読まなくてもいいぐらい、自由に書いています。笑

そもそも根底にあるのは、「死ぬこと以外かすり傷」という極端な考え方があるが、命が続く限りは人生どうにかなるという思考が働いている。そこには大前提として、何かしらのビジョンを描き続けることが必要である。それも何でもいいと感じており、明日1日楽しく過ごせればいい、といった単純なものでもいいのではと考えている。人間は自分に対して難題な理想を掲げれば掲げるほど窮屈な時間を過ごすことになるのではと考えており、もちろん、それに耐えうる精神や体力があれば問題ないのだが、大抵の人間はそうではないと思う。私自身ももちろんそのうちの一人で、一人ではまず生きていけないと思っているし、何もできないと思う。だからこそ、プライドなどという無駄な壁はもっぱら持っていないし、そもそも競争本能に乏しい。競争というのは、一時のモチベーションの向上にはつながるだろうが、それも人によりけり、という一言で一蹴できると思っている。福沢諭吉は「天は人の上に人をつくらず」と説いているが、まさにその通りだと感じており、本質的に人間に格差など存在せず、この世に生まれ朽ち行くまで人間という存在単位は全て均一だと考えるからだ。人間はその人らしく、その人自身の人生を送り遂げることが生まれながらに持つ共通のミッションであり、私自身は誰かと比較を永遠と繰り返しながらその差に優越感を覚え続けて一生を終える人生など送るつもりは毛頭無い。もちろん、そういった人生を送ることが生きがいという人間も一定数居ていることに対しては理解を示すが、私はそうではない。そういった競争本能というのは後天的なものであると感じるからだ。これまでスポーツも受験も経験してきており、それなりの成果は出ていると客観的に見て思えるが、あくまでもそれは私自身の努力の結果であり、それに満足するか不満を感じるかも結局は自分次第である。その点において私は別段不満を感じたことは全くないし、結果を素直に受け入れている。人間とは必ず後悔するようにプログラムされた生物であるが、私はその「後悔」という一般的にはマイナスなイメージのある言葉ですら、プラスに変えている。具体的には、後悔とは現時点の自分が過去の自分に対して、今の自分ならもっとこういう行動ができ、その結果以前の結果よりもプラスに転じさせることができるだろう、という意味合いである。これは一言で言えば「成長」であり、その点において私は後悔するという行為は決して愚かなことではないと思うし、むしろ良いことなのではないかとも思う。そして、未来は誰にも決めがたい。これは普遍的な事実である。未来をデザインする自由は誰しもが持っており、志が本気であればあるほど、その未来は現実味を帯び始める。こんなにも楽しいことは他にはないだろう。人生のほんの一瞬の感情に惑わされることなく、常に前を、上をみて日々歩み続けることこそが、ポジティブ思考の最たるものなのではないだろうか。

 

・・・長い。
ただ、これも僕のROCKに通づる点があって、いつでも給湯器みたいにあったか〜いお湯が出せる人間でありたいなあって感覚です。熱すぎたらヤケドしちゃうんであくまでもあったか〜いです。

そんなこんなで、1年っていう期間に僕が得たエッセンスを凝縮したモノが上記の通りなので、誰かしらの何かのヒントにでもなれれば嬉しいなあ。

みなさんの言葉一つ一つがROCKの原動力だったりするんで、あったか〜いご意見待ってますね。笑

Are you rockin' ?

The Choice is yours

 
年が明け、学生生活最後のテストもおそらく終わり、学生生活最後の長期休みをひしひしと噛み締めながら毎日を送っています。
 
何か色々充実していたようでしていなかったかもしれない学生生活を振り返りながら、ふつふつと思い至ったことを書き殴ろうかと思います。
 
色々と感じて色々考えて今までの22年間生きてきたわけですが、特にここ直近の2年ぐらいは驚くほど濃かったなあと思いますな。
 
理由は単純明快で、おそらく人生において初めての経験である、自身で自分の道を作り上げてその道を選択をするという行為に至ったからかなあと。
 
まあ要するに就活を経験して少しは変わったのではないかなあということです。
 
捉え方一つ変えれば、これもまた結局はこれまで幾度となく多くの先人が繰り返してきた選択の轍を踏んだにすぎないのかもしれないけれども、少なくとも自分自身で考え抜いた結果だと思います。
 
これまで自分で選択したつもりになっていたことって結構あるんじゃないかなあって感じていて、例えば僕は中学受験をすることは「面倒」だと一蹴して地元の公立中学に進学したし、高校に関しても自分の学力のレベルに合ったところでチャリ通みたいな範囲で決めたし、大学も似たような感覚だったように思える。
 
何かとりあえず感は結局今思い返せばところどころあったんじゃないかなあと。
 
ところがどっこい就活に関してはそう簡単にいかなかったという点で死ぬほど考えたし、悩んだんだろうなと思う。
 
だから、直近2年の記憶がすさまじく濃く感じるのかなと。
最も直近の記憶なんだから当たり前やんって思うかもしれないけど。笑
 
それでも、時間的な感覚でいえば、2年の時間よりも小学校6年間のほうが密度は圧倒的に濃いはずだし、高校3年間の部活の時間のほうが長かったはず。
 
濃いっていう表現は、「覚えている」っていう感覚よりかは「思考(頭を使う)時間が長かった」っていう感じ。
 
そういう意味での直近の2年間は本当に濃いものだったなあと改めて感じる。
 
この感覚ってわりと大事なのかもなあって思ってて、全人類に共通して唯一無二平等に与えられている「時間」をいかに大切に使うことができてたかどうかかなあって。
 
別に、何の考えもなしに大学まできたわけではないけど、もっと深く考えて選択することもできたんかなあって。
 
そもそもこれまでの受験で関西外に出るなんて選択肢はそもそもなかったし。
 
そういう点では、地方出身で下宿しながら大学に通ってる子らに比べると俺ってなんも考えてなかったなあって今になってつくづく思う。
 
はたからみれば、恵まれてる環境だったっていう見え方するし、実際自分はそうだったって言えるけど、それが結果として濃い時間を自ら手放していたのかも。
 
そう考えると本当に今まで恵まれていたからこそ、勿体無い人生の時間の使い方をしていたなあと。
 
これまでの自分の人生を否定するわけではないけど、もっと濃い22年間を送れた可能性を考えると、ゾッとする瞬間がある。
 
22年ってオリンピック夏季冬季合わせてたぶん10回は開催されてるし。
 
これからの、これまでの人生もだと思うけど、人生選択の連続の積み重ねで、人生ってどれだけ多くの選択を自分自身でできたかどうかなのかなあって。
 
選択肢を自分で用意して一つの道を決めることが決断(断つことを決める)で、それを正解にし続けるってのは中々大変な労力を伴うけど、やっぱりそうしたほうが濃い人生送れるんだろうな。
 
何か嫌なことあったり、気に食わないことに対して、やれ社会が悪い、政治が悪い、親が悪いetc…
そういうのって、そういう選択をした自分にそもそもベクトルを先ずは向けるべきなのかもということを学べたのが就活だったり。
 
どんなことがあろうと、意思決定をするのは自分で、強引な意思決定を迫る環境なら逃げればいいし、逃げれないのであれば、どうにかする選択肢を自分で作るべきかなと。
 
こんなこと学校で教えてくれないし。笑
 
人生の冒険の本当の意味でのラスボスは他の誰でもなく、選択を面倒と少しでも思っちゃう自分自身なんだろうなあと思うこの頃でござります。
 
Are you rockin' ?

そうだ、ブログを書こう

 

年末に予定されていた行事もほぼ全て終え、残すは年越しの予定のみとなった2017年ですが、皆様いかがおすごしでしょうか。僕は元気です。

10月ごろから12月終盤まで本当に何か色々とありました。

あげるとキリがないので直近で最も辛かった記憶といえば、先週卒業論文を2日間の徹夜で仕上げちゃったやつですね、あれは正直自分でも引きました。

おそらく、再提出になる見込みですが、納期を守った自分に拍手を送りたいです。

1万7千字程度ですが、はっきり言って、9割7分引用しておりません。

これが何を意味するのかは分かりませんが、書いていくにつれて自分は作家かと自覚するようになったことは記憶しています。

ノリスケが乗り込んできて締め切りに追われるイササカ先生みたいな気分でした。

 

そんなこんなで怒涛の卒業論文を一旦倒し、アルバイトも年内の就業を終え、年末といえば忘年会っしょ!的なイベントもこなし、、、

 

満を持して、ついに暇になりました。

 

そこでゴロゴロしてても何の生産性もないことは重々承知していたので、色々と考えてでた結論が「そうだ、ブログを書こう」でした。

 

ブログって、たぶん、こんなもんでしょう。

だから、特に書く内容決まってません。

ブログって、たぶん、こんなもんでしょう。

 

ブログを始めた当初(夏ごろかな?)は意識高いアウトプットしまくって、ドヤ顔でいいねとコメントを受け取る日々を想像しながら気がつけば年末でした。

ゆくゆくは、ツイッターか何かで記事がバズって、アフィリエイトでそこそこの副収入得ながら、そこそこ裕福な社会人生活ぅ〜を想像しながら気がつけば年末でした。

さらにさらにその後、フリーライターの仕事を何件ももらいながら、徐々にその比率をあげていき、その高みに登る想像をしながら気がつけば2017年も佳境です。

 

なんだってこうもうまくいかないのか、その原因を探りたいと思います。

 

8月からブログを始めていて、12月までの5ヶ月が約3600時間
平均7時間睡眠として1050時間を引いて、大体2550時間が僕の活動時間でした。

そのうちアルバイトや大学関係の時間でアルバイトの規定時間16-1と授業のある日に確実に出席していたと仮定した授業と家から大学までの往復の時間を足します。

アルバイトは平均で週3,4、行かないといけない授業がある日が週2なので、
7(時間)×3.5(週3,4)×4(1ヶ月)×5 + 3.5(授業1コマ+往復時間)×4(1ヶ月)×5 = 560時間

 

えーっとつまり、諸々差し引いた残りの約2000時間ぐらいが僕の自由を謳歌すべき時間だったわけですが、仮に時給900円で全て費やしていた場合、ざっと180万円ですな。

まあまあな金額になってますね。少し驚いてます。

 

まあそんなたらればな金額は置いといて、肝心なのは何故ビッグドリームのための時間を無下にしてしまったかです。

・・・思い返せば楽しく過ごしていた2000時間の記憶しかありません。

 

このようにですね、僕みたいにストイックに夢掲げても、そのための努力がいかに難しいかということがお分かりいただけたかと思います。
並大抵以上のモチベーションとやる気と努力がないと行動って変わらんわけです。

 

そんな感じで、数学を中1でリタイアしている僕が無駄に数字を扱う努力をしてみたわけですが、それはもう忘れてください、今後一切使わないんで。

 

実は最近ひっそりとコソコソとやってることがありましてですね、
仮想通貨なんですけど、みんなやってる〜?

夏ごろからチョロっと手を出してはいたんですけど、何かよくわからんまま最近ではCMまで見かけるようになって、「あ〜もっと真剣にやっとけば」みたいなよくありがちなデジャブが起きてます。

でも、最近は割と本腰いれて情報得るようにアンテナ張りまくって情報収集して精査して個人的に判断できるまでには一応いたってますな。

いつかのどっかの記事で書いたかもしれませんが、おそらくここまで僕が没頭するようになった理由は「ああ、面白いな」の一言に尽きるかなと。

まあそれぐらいの感覚でやってます。

仮想通貨の個人的な面白みは、①通貨ごとにビジョンがある点②他通貨との差別化をはかっている点の2点です。

あとは、「仮想通貨やってる俺ヤベー」「チャートとか見てるしヤベー」「夏からやってますけど(ドヤ顔)」みたいなのがありまして、これは冷ややかな目でみてもらって結構でございます。

とにかく、面白いなあーと個人的にやってて思うんで、特に意識せずとも毎日仮想通貨関連の情報漁ったりできてるんだろうなと思います。

 

その道極めるには、先ずは面白いと思えることが大事なんだろうなあ〜と改めて思ったり。

 

仮想通貨においては、ここ数ヶ月でだいぶ新規参入が増えてますけど、まだまだブルーオーシャンでしかないと思うんで、ここで一発仮想通貨のブログでもしてアフィリエイトでそこそこの副収入得ながら社会人生活を送りとうございます。

ブログって、たぶん、こんなもんでしょう。

 

あ、、、ブログって面白いですね。

 

体調に気をつけて、良いお年を。

2018年もよろしくです。

※次から真面目なやつ書きます、多分。

 

Are you rockin' ?

日本の夜明け

 

寒さが日に日に増してきましたね。

各位体調にお気をつけて、ご自愛くださいな。

 

そんな鍋が美味しくなる季節になったということで、先日フグを食べてきたのですが、てっさ&てっちり両方堪能しました。まあ美味い。フグらゔい。

キモなんかも特別に食べさせてもらったり、「とうとうみ」ってのも食べてきました。

美味しいもの食べると元気でますね、今週も頑張ろうと思います。

 

 

さてさてみなさん、大切にしている言葉だったり、キャッチフレーズみたいなものってあったりしますか?

要するに、座右の銘というやつです。

 

よく聞くものだと、"一期一会"とか、"苦は楽の種 楽は苦の種"みたいな

比較的短めの四文字熟語とか、フレーズが多いような気がします。

 

 

そんな僕の座右の銘は、幕末の志士であった高杉晋作の辞世の言葉とされる、

《面白き こともなき世を 面白く 住みなすものは 心なりけり》

という言葉です。

 

これを見ただけで、「あー、miwaっぽいわー」って思ってくれる関係者各位、はっきり言ってらゔいです。

 

諸説あるようですが、僕はこの言葉に高杉晋作の魂が込められていると捉えています。そのほうがロマンがあると思うので。笑

 

この言葉、どう意味かと言うと、要約すれば「どんなことも心の持ちよう」みたいなことになるみたいです。

www.2nd-stage.jp

 

そういう点でも僕はいいなーと思っていたりするのですが、僕自身の在り方的には、上の句の《面白き こともなき世を 面白く》のところにあったりします。

 

僕自身の行動指針は基本的には"RockかRockではないか"で決まるのですが、その判断基準に"面白そうか、そうではないか"という要素が内包されています。

 

面白そうと思うことが何故大切なのか?ということに対しては、

主体的に取り組むようになる」という点があると思っています。

 

よくある例ですが、「ゲームは面白いのに、勉強は面白くない」みたいなことってよくあると思いますが、本質はそうではなく、

「ゲームの面白さは分かり易いが、勉強の面白さは分かり難い」ということかなと。

 

つまりは、主体的に取り組もうとするモノゴトの前提には、何かしら面白そう!という感情があったりすると思っています。

そして、主体的に取り組めば取り組むほど集中するし、インプットの質もその分比例して良くなると考えられます。

 

ゲームであれば、ポケモンなんかはいい例だと思いますが、

「ピカチューの進化系は?」  →  「ライチュウ!!」

みたいに、基本的にポケモン経験者なら誰でも答えられると思います。

 

別にポケモンじゃなくて何でもいいんですけど、とにかく個人の好きなことや面白いと感じられることって、自身が思っている以上にインプットされていますし、その分アウトプットもできる状態(記憶されている)と言えます。

 

こんな感じで僕自身、"面白いと思えるコト"が"主体的に取り組むコト"につながると考えているので、何事も面白いコトのほうがより良いと感じるわけです。

 

そんでもって、つまらんな〜と思うことに対しては、できる限り「どうすれば面白くなるのか?」っていうことも考えたりします。

そうやって考えるほうが、圧倒的に面白いので。

 

"面白い"っていう基準やベクトルが人によって差異があることは承知してるので、

あくまでもおしつけがましくない程度に、高杉晋作の意志を受け継いで、世の中を面白くできればなあと思っている次第です。

 

みなさんの座右の銘も、教えてくださいな。

 

Are you rockin' ?

未来人じゃあるまいし

 

秋冷の候、皆様ご清祥のこととお喜び申し上げます。

皆様大変長らくお待たせいたしました。

「一ヶ月近く書かないせいでRock不足だ」との声を関係各所から頂きましたので、本日より再開させていただきます。

 

最近ですが、相変わらず大学生活のモラトリアムを享受しているところであります。

(意訳:時間持て余してダラダラと過ごしています)

つまり、今日も僕はRockです。

 

最近私事ですが内定式に参加しました。

4月までの残り5ヶ月間、鬼のようなインプットとアウトプットを重ね、鬼のような形相で寿司打の如く文字を刻み、鬼のような圧倒的知識量をもって、鬼のような進化を遂げ、鬼のような入社をしようと今決めました。

先ずは角を生やすことから始めようと思います。

 

ということで、今回は僕が就活中に出会ったキャリア観について。

 

「計画された偶発性理論」

ってご存知ですか?

キャリアの8割は偶然によって決定されるという理論です。

知らないですよね?

知ってても知らないフリしてくださいね。

やっぱ知りませんよね?

鬼気になりますよね?

 

一見すると、計画されたものながら、偶発性を伴っているという非常に矛盾していて論理の飛躍甚だしいですが、この記事を読み終わる頃には、論理の飛躍という考えを一転して改めた上で鬼のようなインプット量に驚愕するでしょう。

 

そもそも、10年後、20年後の自分が何をしているか、ということに対して鬼のように具体的に言える人って、かのジョン・タイターを除けばまあいないなと思います。

 

それほどまでに、予定とは未定であり、僕らはこの先何が起きるのか分からない果てしない広大な旅路を日々歩んでるわけです。

 

でも、就活中に出くわす非常に手強い魔物が途中で行く手を阻むわけですよ。

 

魔物A「10年後のキャリアプランを教えてください。」

魔物B「やりたいことはありますか?」

魔物C「20年後あなたは何をしているとお考えですか?」

 

…いやいや。

明日の服装すら決めてないのに、そんなの分からんですよ。

 

ぼんやりとした将来像はあるものの、10年後、いや、半年後の自分でさえどういう状態であるかなんて皆目見当もつきません。

 

未来人じゃあるまいし。

 

そんなことを考えながら、ある程度の論理を立てて頑張って答えていました。

 

そんな武器で果たして魔物を倒すことは可能なのか?

 

答えは、Yesです。

 

現段階の可能な限りの自分自身の興味関心や意欲をもって、それを自分自身の言葉で言語化し、アウトプットをもってすればそれが例え結果として別の道に行くことになろうが全然いいと思います。

 

先ずは、進み続けることが何より大切で、足を止めてしまうことだけは避けなければいけません。

 

しかしながら、進むためには目的地、ないしは方向を定める必要があるかと思います。

 

それが、将来の目標なり、ビジョンです。

 

大前提として、目標・ビジョンといった中継地点、一旦のゴールは定めておく必要があります。

 

その上で、「計画された偶発性理論」においては5つの行動指針をもって行動することが大切だと言っています。

 

(1)「好奇心」―― たえず新しい学習の機会を模索し続けること
(2)「持続性」―― 失敗に屈せず、努力し続けること
(3)「楽観性」―― 新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
(4)「柔軟性」―― こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
(5)「冒険心」―― 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

引用元:

計画的偶発性(プランドハップンスタンス)理論とは? [キャリアプラン] All About

 

以上をもってして、歩みを止めることなく、日々前進を続けて行く先にキャリアプランが意図と偶発性をもって醸成されるということです。

 

現代とは非常に情報過多の時代で、数多の情報量が日々飛び交っています。

その中でも自身のアンテナをしっかりともって、キャッチアップする能力やそれを有益なものに変えられるかどうかは自分次第です。

 

その日々の積み重ねがやがて野となり山となるその日まで、僕らは鬼のように歩み続けます。

 

計画された偶発性を呼び込めるかどうかは、自分次第です。

 

 

Are you rockin' ?