Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

マリーズ・コンデ追悼 ルワンダ虐殺と煽動放送 デジタル社会と詐欺

18日(木)昨日、マリーズ・コンデ(グアドループ出身、1934.2.11~2024.4.2)の追悼式の模様をYou Tubeでみた。エマニエル・マクロン大統領がフランス国立図書館での追悼式でコンデの活躍を褒め称えた。私はマクロン大統領のフランス語のスピーチが好きでよく聞いている。一語一語の発音が聞き取りやすいのと、ある種のリズムが感じられるからだ。マリーズ・コンデは、2018年度のノーベル文学賞受賞がなかった時に、特別賞を受賞した。マリーズ・コンデはフランスの植民地グアデループで生まれて、育った。のちにはフランスで大学教育を受けたが、植民地と宗主国との関係を深く考えて、自伝的、あるいは歴史的な小説を書いてきた。マクロン大統領は彼女の作品を引用しながら、コンデが築いた小説の世界を高く評価した。日本の総理大臣は、ノーベル賞受賞作家大江健三郎を称賛して、追悼の辞を述べることは絶対にしないが。

 他には、アカペラで、ローラ・クラウゼルがエデット・ピアフの「愛の讃歌」を歌った。感動的だった。コンデを追悼するのに、ぴったりだと思った。非常にこじんまりとした追悼式だったが、コンデの夫や娘たちも参列していた。

 実は私はマリーズ・コンデに25、6年前に出会っている。テキサス大学で開催されたアフリカ文学会に彼女は招待されていた。フランス語作家であることで、言葉が理解できないのを理由にして、私は彼女の講演会には参加しなかった。彼女の出身地であるグアデループでアフリカ文学会が会った時も、コンデも参加していたかもしれない。20年ほど前に来日した時も、友人宅でのパーティに招かれて、コンデ夫妻に会っているが、すっかり忘れていた。その時に参加していた旧友のことはよく覚えている。今はフランス語の勉強をしていることで、コンデの記事やマクロン大統領のスピーチが気になった。今となっては取り返しがつかないが。

 NHKが、「時をかけるテレビ なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送」を報道していた。30年前の1994年4月にルワンダでフチとツチの民族虐殺が起こった。100万人以上の人たちが犠牲になった。虐殺を扇動するラジオ放送により、人びとが隣人を殺し合った。私は当時、南アフリカケープタウンにいた。南アフリカアパルトヘイトを廃絶し、マンデラ大統領の元に民主化へ踏み出していた。全くルワンダでの出来事は聞こえてこなかった。

 いま、世界中でフェイクニュースが飛び交っている中、現実とどう向き合っていくのかとても難しい状況にある。デジタル社会では、ヘイトスピーチやなりすまし詐欺広告、詐欺電話などが日常生活に溢れている。フェイクニュースを信じて、大混乱が起こるかもしれない。人たちがとても生きづらい社会になっていることは確かだ。

新しいコンピュータ フランス語の新学期 水彩画の教室に 植物園に鹿出没

16日(火)新しいコンピュータのおかげで、机の前が綺麗に整理された。古いコンピュータもまだ机の隅っこに置いたままで作業も続いている。まだしばらくはかかりそう。真ん中にテレビがあるので、時々テレビも観ながらの、相変わらずの「ながら族」。iMacのデスクトップのファイルが自動的にiCloudに入るように設定されていた。私はiCloudを使うこともあるが、貴重なデータはiCoudには入れないことにしている。誰かにアクセスされる可能性もある。今作業しているデータは、デスクトップにあり、他の人には見られたくない。私のアドレスとパスワードを抜き出せば、私のiCloud Driveにアクセスできるからだ。

 ストーブもようやくしまうことができ、本格的に春の生活が始まった。京都外大の「フランス語講座」受講が受け入れられたが、応募者が多く2クラスに分割したとのお知らせがあった。今年度から5月10日から外大のキャンパスで始まる。ウキウキ、ワクワクとはならないが、もうしばらく学んでみようと思う。最近の心境は、語学は「教室」で学ぶものではないと思うようになった。フランスのラジオを聴いたり、ワールドニュースを観たりして、聞く力を身につける努力が最重要。書いてあるフランス語はなんとなく、英語から類推できるが、フランス語の文字列と音声がとてつもなくかけ離れている。その法則を学び、正しい発音は指導を受けなければ、先に進まない心境になっている。とてつもなく、長い道のり!

 午後からは「バラのお手入れ」と「水彩画の教室」だった。場所は同じ「おとなの小学校」で。バラは綺麗な葉っぱを出し、小さな蕾がいっぱいついていた。もう一週間もすれば、一斉にバラが咲く様子だった。細かく観察して、黄ばんだ葉っぱを一枚づつ手で取る作業が主だった。途中で「水彩画の教室」に移動した。今回から新しい先生に変わった。日本画の手法を教わった。これまでとは違っていた。まず、トレースして、墨で輪郭を描き、それから色づけをする。用紙は和紙なので、水をつけすぎると、滲むので細心の注意が必要。私は日本画の染料を持っていないので、絵の具で色を作りながら塗った。日本画の手法は着物の染めにも使われているのも、よくわかった。

 昨日は、植物園の北門の前にある筋トレジム・カーブスに出かけた。昨日も植物園は休園になったと教わった。一昨日の日曜日も植物園は休園だった。野生の鹿が2頭植物園に迷い込んだからだ。数年前には上賀茂にある大田神社カキツバタを野生の鹿が食べてしまった。その後は「太田の沼」のぐるりにネット網が張り巡らされた。岩倉の山奥にいた鹿たちが食べ物を求めて人里や河原に降りてくる。先日も高野川で野生の鹿をみた。鹿はどのようにして植物園に入り込んだのだろうかと思った。植物園の横には鴨川があり、高野川と鴨川がつながっているので、簡単に入り込めたのだろうか。植物園は広くて、彼らにとっては食べ物は豊富にある。人の気配を感じれば、どこにでも逃げられる。大勢の人が総出で、鹿の捕獲作業を長時間続けた結果、月曜日の夕方には鹿を捕まえたと新聞報道があった。彼ら住処が、土地開発により奪われた結果だ。これまでも植物園に鹿が出没したかどうかは知らないが、植物園は、いつでも多くの人たちが集まってくる場所だ。保育園の子供たちがのびのび運動できる場所であったり、遠足や写生に多くの生徒たちがやってくる。地域住民や高齢者たちの散歩の場でもある。最近では外国人観光客も大勢やってくる。2日間も人間対鹿の闘いは大騒動だったに違いない。

大原の朝市 新しいコンピュータに挑戦 今後中東はどうなる?

14日(日)友人の車で、大原の朝市に出かけた。お花屋さんでトルコキキョウと霞草を購入。先々週購入した珍しい野菜は、「つぼみ菜」ではなく、「子持ち高菜」だった。農家さんも初めて作ったそうだが、私は「とても美味しかった」と伝えた。本当にそうだった。帰路、貴船に立ち寄り、紅葉の若葉をみた。薄緑色の愛らしい新芽がなんとも可憐だった。桜の花は咲き終わり、若葉が出はじめていた。我が家のベランダに置いているモッコウバラも花が咲きはじめた。桜草もあっという間に咲いた。

 新しいコンピュータはとても快適。速度が速いし、文字も見やすい。文字の調整は以前からもできたのかもしれないが、慣れっこになっていた。だんだん歳をとって、面倒くさいことをスルーするようになっていた。新しいことに少しは挑戦できてよかった。

 古いコンピュータにインストールしていたソフトを新しいコンピュータに移す作業がたくさんある。ワードなど。私はMacのコンピュータを使っているので、随分前からMicrosoftのワード等のソフトを購入しなければならなくなった。毎月支払うほど使用しないので、永久版を購入しているので、メールアドレスとパスワードを入れて使用しないといけない。それぞれのソフトにも、同じようにアカウント名やパスワードを入れなければならない。ソフトを購入するたびに、それらの情報を手帳に書き入れていたのを、最近一覧表にまとめておいた。中には何度かパスワードを書き換えているものもあり、ごちゃごちゃしていた。その一覧表がとても役に立った。

 中東では混沌とした情況になっている。イスラエルによるシリアのイラン大使館空爆に対するイラン側の報復があった。イランからドローンやミサイルがイスラエルに向けて発射された。その映像がニュースで流れていた。すべてコンピュータ操作だけで爆弾を飛ばすことができる時代になった。そのコンピュータを操ることができるのは人間だけで、情報の真偽を判断できるのも人間だけだ。

 これまでアメリカはイスラエルを支援してきたが、イスラエルのネタニヤフ首相はアメリカのバイデン大統領の忠告も無視して、ガザへの壊滅的攻撃を続ける。そして今回イラン大使館への空爆をした。中東全体を巻き込む「戦争」にもなりかねない状況下にある。バイデン大統領もジレンマに陥っているようだが、どうすれば、一刻も早く「戦争」をやめさせることができるのだろうか。復讐の応酬では何の解決にもならない。

お習字と図書館利用 新しいiMacを購入 アメリカ議会での岸田首相の演説

11日(木)午後からお習字だった。千字文の、「殆辱近恥 林皋幸即 (タイジョクキンチ リンコウコウソク)」の前半部を書いた。意味は、「はじにちかくはじにちかづかば、りんこうにつくことをねがう。つまり、高位に昇るほど人から妬まれて恥辱を受けることが多くなる。その時は好機を見て引退し、山林や湖沼に囲まれた閑静な所へ退きたいものだ。」なかなか深い意味がある。「辱」や「恥」という字の形は少し異なるが、なぜこういう文字だっただろうかと思ったが、、、。千字文のうち720字目あたりを書いている。千字文が終わるまで、まだまだ数年はかかるだろう。お習字の教室は、女性センター・ウィングス京都の中にあるので、この前から図書室で本を借りることにした。以前から読みたかったカナダの女性作家マーガレット・アトウッドの『誓願』を借りた。本は買って読むものと思ってきたが、本が増えるのが嫌で、かなりの本を処分した時にとても辛かった。図書館にはたくさん本があり、借りて読めるのだとおもった。期限つきなので積読はないのがいい。

12日(金)ネットでアップル・ストアーで購入したiMacが届いた。古いiMacはもう9年も使っている。速度が遅く時どきネット上で妨害にあっていた。即コンピュータを強制終了させて、無視し続けてきた。昨日も東京電力をかたって、私が未納金があるので、直ちに支払うようにという偽メールがきた。うちは関電すら契約を打ち切ったほどで、電力会社からメールがくることは絶対ない。私のメールはFacebookやX(旧ツイッター)などで公開されているので、詐欺師たちがAIを使って勝手に送りつけてくるのだろう。新しいコンピュータを購入するか、どうかかなり迷ったが、これからも数年は使うことを考えれば、今がかい替え時と決心した。古いiMacと新しいiMacを並べて、データを移行したり、新しいソフトをインストールしたり、結構面倒だ。もう使えなくなったものもある。一番大変だったのは、記録データは外付けのハードディスクに入れてあり、USBで繋げている。あたらしいiMacは外付けのバードディスク等の付属品は、USB-Cで繋げなければならない。携帯電話などの充電口はUSB-Cと名付けられているのを初めて知った。これまでのUSBはType-Aで、最近はUSB-TypeCが多くのデジタル機器に使われるようになったという。5年ほど前に、データの転送速度を大幅にあげるUSB-Cが開発されたそうだ。それは、携帯電話で使われていたことは知っていたが、コンピュータもそのタイプに変わったのは知らなかった。ハードディスク等の周辺機器を使うためには、USB-Cと古いUSB-Aのコネクターが必要になる。私はそんなことを知らなかった。とりあえず、コネクターを買いに京都駅の近くにあるヨドバシカメラに行った。

 新しいコンピュータは処理速度が速いので、快適だ。ようやくブログが書けるようになったのも嬉しい。

  岸田首相のアメリカ議会での演説が話題になっている。ジョークが飛び出すほど、リラックスした良い演説で、スタンディング・オベーションがあったと評価する。「日本の国会では、こんなにスタンディング・オベーションをもらったことはない」と自虐的に言ったことも、「ジョーク」ですまされるものだろうか。アメリカ議会が拍手を送ったのは、彼が言った、「アメリカの指揮のもとに、日本の軍事力を強化します」と約束したことにだ。いつ、国会でそんなことを議論をし、国民の賛同を得ているのだろうか。アメリカに媚びへつらい、アメリカを喜ばせるような、勝手な約束をしないでほしかった。ますます岸田首相を信頼できなくなった。

下鴨神社と高野川の桜 岸田首相のアメリカ外交訪問 吉村大阪府知事の「玉川徹万博出禁発言」謝罪

10日(水)昨日は、一日中雨がふったり、やんだりで、寒かった。じっと家に閉じこもっていた。ストーブを片づける予定にしていたが、とりやめた。今日は、いいお天気になり、雲一つない爽やかな春の陽気だった。以前に長年住んでいたあたりを散歩した。朝の散歩コースだった下鴨神社と高野川沿いを久しぶりに歩いた。下鴨神社には桜の木が非常に少ないことに気づいた。上賀茂神社はここ数年の間に桜の献木を植えてきたので、古くからある御所桜と斎王桜に加えて、桜の神社のイメージが定着した。下鴨神社内の糺の森平安京以前の原生林を守ってきたことで有名なので、主にケヤキ、ムクノキ、エノキ、カツラ、モミジなどが生い茂っている。それらの苗木の献木植樹を行っている。こうした樹木のお陰で夏の暑い時期には、糺の森の散歩はとても気持ちがよかった。下鴨神社の横に流れる高野川沿いには桜の木が長距離植っているので、それを見に行き、出町柳まで歩く。出町柳は、高野川と鴨川が合流する地点で、そこから京都の市内中心部を流れていき、宇治川と合流して淀川になる。ずっと川沿いには桜が植っている。出町柳から鴨川の北へは、上賀茂神社あたりまでもみごとな桜並木となっている。日露戦争の勝利を祝って当時の師範学校の学生や教職員たちが桜の苗木を植えたと言い伝えられている。師範学校があった近くにある出雲路橋のたもとにその記念碑がある。桜にまつわる話は日本中にいっぱいある。写真は下鴨神社糺の森、高野川。

   

岸田首相がアメリカを訪問しているが、主な目的は日本の自衛隊アメリカ軍部隊との連携の円滑化という。防衛面での協力を深めるという。どこでそうした方針が決められたのか。日本国民の意思だというのだろうか。岸田首相は防衛費の増額、「反撃能力」の保有など防衛力の強化、防衛装備品の輸出ルールの緩和などを強行にすすめてきた。まったく国民の意見を聞くことも、国会で議論することなく強引にすすめてきた。「裏金問題」ではのらりくらりと対応しながら、裏では日本を戦争への道へ突き進ませている。

 吉村大阪府知事が維新の政治集会で、「羽鳥慎一モーニングショー」に出ている玉川徹氏が大阪万博に対して批判的だとして、「(万博が開幕しても)入れさせないでおこうと思っている」と発言していた。このことに対して、今日の記者会見で「不適切で間違った発言だった。撤回して謝罪する」と述べた。万博に関して「賛否を公平に論じてほしい」という気持ちからの発言だと言い訳をした。私も今回の「大阪万博」には興味がない。1970年の大阪万博には暑い夏に出かけ、広い会場を歩き疲れたことと、ほとんど人が入っていない小さなタンザニア館に入って、シャーバン・ロバートという作家直筆の手紙を読んだことだけは記憶に残っている。2005年の愛知万博にも出かけた。「自然の叡智」をテーマとし、「愛・地球博」だった。2025年の大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。なんだか嘘っぽいテーマ。いま、ウクライナパレスチナでたくさんの人たちの命が奪われている状況下にありながら、戦争を止める行動も起こさないで、戦争への道を切り開いている状況下で、「いのち輝く未来社会」を語れるのかと思ってしまう。吉村知事は、そういう思いの人は、玉川徹氏同様に「万博出禁」となるのだろう。

 

 

大原の朝市 あちこちで桜満開 筋トレジムに フランス・パリ解放80周年

5日(金)高校時代の友人たちと久しぶりに出会った。4年ぶり。ようやくコロナ禍から解放されて、出会うことができた。これまでは、年に1、2度は出会っていた。6人のグループで、一人が「戸塚刺繍」を60年近くやっていて、年に2度ほど「戸塚刺繍展」に出品しているので、大阪の阪急百貨店にそれをみに行く。ランチをしながら、近況報告。それぞれにいろいろと問題は抱えているものの、何の気兼ねもなく語り合えるのがいい。一人は小学校、中学校、高校と一緒だった。6人のうち、2人は夫と死別している。誰もが、何よりも健康で元気に暮らせていることに感謝。

7日(日)大原の朝市に6時15分出発ででかけた。大原に行く途中、桜並木道は見ごとに桜が全開していた。先週はまったく花は咲いていなかったのに。あちこちで一斉に桜が咲いた。土曜日には円山公園の横にあるお寺・大谷祖廟にお参りにでかけた。そのあと、円山公園の枝垂れ桜をみに行った。外国からの観光客や日本のあちこちから大勢の人がきていた。屋台から独特の匂いが漂い、桜をゆっくり眺めることができなかった。日曜日もいいお天気だったので、午後から上賀茂神社に桜をみに行った。ここも大勢だった。みごとにほぼ全部の桜の木が満開になっていた。写真は翌日の午前中の散歩の時に撮った写真。空は曇っていたが、とても気持ちがウキウキした。

   

8日(月)午後から筋トレジム・カーブスに行った。身体のあちこちの筋肉がかたまっているような感覚だったが、ジムでゆっくりと身体を動かしたので、筋肉が柔らかくなったような感じになった。ジムではタンパク質が多くとれるメニューが掲示されていて、トレナーの先生も紹介してくれる。ツナと豆腐のキッシュ風グラタン。「豆腐をグラタンに」と考えただけでも、美味しそうと思った。早速夕食に作った。豆腐をざっくりと潰したので、豆腐感が残ってしまったが、この次は絹ごし豆腐で作るのがいいのかもしれないと思った。思った以上においしかった。


日曜日に大原で購入したお花。桜とフリージャ。珍しい組み合わせ。枝の下のほうに桜が咲いているので、フリージャとの関係がむつかしい。

 フランスは、パリ解放から80周年にあたり、マクロン大統領が演説した様子がワールドニュースで報道された。日本が敗戦を認めた1年前にフランスが、占領統治していたドイツ軍に対して、レジスタンス運動を成功させた歴史的出来事だった。その一年後にドイツ側に立った日本は敗戦した。フランスのことはまったく知らなかったが、フランス語を勉強しているおかげで、フランスの歴史をすこしづつ学ぶ機会を得ている。

雨の1日 静岡知事の発言について

3日(水)朝から雨だった。夜から雨が降っていたのかもしれない。天気予報どおりだった。雨が降ると鬱陶しく、気分が滅入る。ようやく桜が咲き始めたのにと思ったが、適当に雨も降らなければ、自然界の輪廻が狂い、気候温暖化や地殻変動などが多発するのかもしれない。「恵の雨」と喜ばなければと気持ちをとりもどす。冬物の洗濯も済まし、衣がえも済ませていたので、家の中でゆっくりと過ごした。ベランダで育てているバラから、一斉に葉っぱが出てきた。雨を喜んでいるようにも見える。

 静岡の川勝知事が新規採用職員に述べた訓示が問題になっている。危機管理や心構えについて「うそ偽りを言わないこと、言葉遣いが大切」などと述べた後、「県庁はシンクタンク。野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い人たち」と発言した。「知性の高い人」「知性の低い人」と直感的に反応したことはよくわかる。川勝知事はそこまで意識して発言したとは思わないが、知事の発言は、「職業差別」だとしてマスコミは大きく取り上げた。県民からは1400件以上の苦情が殺到しているという。説明や言葉が足らず、言いたいことの本質からずれてしまった。知事は、誤解や曲解だとして撤回しないことを表明し、「職業差別はありません。もし、そのことで不愉快な思いをされたとすれば 誠に申し訳ないと思う」と謝罪した。私自身も知事の軽率だった言動には頭を傾げるが、辞職を決断させるものなのかと思った。SNSでは、人を貶める発言がめちゃくちゃ飛び交う時代に、人をひきづり落とすことに快感をいだく人たちの「言葉」を許していく社会になることに、恐ろしさを感じた。自民党議員のさまざまな不適切発言、とくに麻生太郎森喜朗の差別発言は、なぜ許されるのだろうか。