もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

まだいるよ

 コロナは過ぎ去ったし、家の改装工事は85%終わったし、色々と仕事も片付いたし、新しい諸々も徐々に片付いていっている夏。まだいるよ。ここにまだいるよ

 幸も不幸も通り過ぎてゆくけれど、年を重ねども達観の境地に辿り着けないまま、何か起これば心にさざ波が立ち、何かに出くわせば荒波が巻き起こり、何かに触れてしまえば火傷しながら怒りを覚え、何か見聞きしてしまえば人を恨んで穴2つ掘っているのにうんざりし、いつまで経っても私は私だなと思いかけて、一体だれが大人に成ったら分別やら許容やらが自然と湧いてくるなんて言ったのだ?誰も言ってない。生きてきたように年を取っていくのだ。ある日何かに生まれ変わるなんてことは起こらない。

 久しぶりに父母とコンタクトをとるも、謎の怒りに見舞われていてカメラの外で怒鳴り散らしている気違い老女の声にうんざりしてこっそり涙が出た。父が気の毒だ。けれどこんな化け物を放し飼いにしっぱなしたのも父だ。ついに私を好きにはなれなかった母でも、互いに愛着は確かに何処かにある。けれど好きになるのは本当に難しい。

 70にもなって未だに自分を飼い慣らせない哀れな女性だと思って、流してしまいたい。こんなクソ女でも母なのだ。突き放したいけれど父が可哀で、母には早く死んで欲しいけれど残される父が気の毒で、色々な思いが消化しきれず黒い網の様なものに絡めとられて動きたくなくなる。母だってこんなに自分自身に振舞わされっぱなしでは苦しかろうと思う。この人が死んだら私は自由になるのだろうか。それとも何かの糸が切れてしまうのだろうか。

 私は大人に成りきったら色々なものと自然に折り合いがついていくものだと思っていた。思っていた。

一番大きめの買い物

 家を買ったはいいが、改装だらけで住める状態にするまでの道のりが長すぎて、住む前から飽きてきたのが2021年上半期の出来事と思っていたら、今年がもう折り返していた。本当に年内に片付くのだろうか。
 業者や職人も、日本だったらこんなことはまず絶対に起こらないだろうなという驚きの連続で、落ち落ち考え事をする余裕も、些細な事に悩む時間も全く無くて、己自身も余暇は全て全力でDIYするのみ。もう疲れたよ。納豆が恋しい。

有りもしない無駄戦について

 それはもはや許すも許さないも何もへったくれもなく、かなり遠く昔々の彼方のことで、むしろ手元に持っていても何の良いこともないから丸っと忘れて何も無かった様に霧散してしまいたいというのに、頼んでもいないのにごくたまに、不意に立ち寄ってはぼこぼこに殴りつけてきて、もううんざりだし嫌になる。

 この呪いみた様なものを振り払わんがために今まであれこれしてきて、そんなことは無いそんなことは無いと己に証明するべくずっとやって来たのに、どうして今になっても頼んでもいないのに。と思ってしまう。そして時に、この「そんなことは無い無駄戦」をしなくてもいい人を見てしまう。なんと青く見えるのだ隣の芝は。人生のバックグラウンドは人それぞれだし、どんな人にも何かしらはあるのだと雑念を理性でねじ伏せるのが、年々難しく感じるのは何故なのだろう。若さって素晴らしかったっていうことなのだろうか。うううん。

 「あんたに生きてる価値などない」そんなことは無い。そんなことは無いはずだ。そんなことは無いと自分で己に言ってあげたいのだ。私の価値は自分で作る。私が自分で証明して、昔々のかなり遠い彼方の私に見せてやる。呪いを吹き飛ばして、その台詞ごと脳内で蹴落としてやる。

 結局何も持っていない私が唯一全力を注いで、その結果が目に見えて確認できるのは仕事だというのに、その仕事で初めて大きな案件を逃した。絶対に行けると思ったのに。絶対にこれだけは勝ち取らなければいけなかったのに。何故どうして悔しい苦しい。理由は知っている。至らなかったからだ。これだけ。別に存在を否定されたというでもないのに、どうしてこんなに根源的な無力感を覚えるのだろう。

 それを外に出さないように、まあ次を頑張るしかないよねと微笑むのが悔しい。私にはこれしかない。仕事しかない。自分が自分に誇れるもの、ここにいる理由になるものだ。おいおい大げさではないのか、たかが一つ仕事逃がすとか、よくあることじゃない一々気にしてどうするのだ。そもそも仕事は何かを証明するためにする訳ではない。でも悔しい。勝ち取りたかったもぎ取りたかった。それを押し込んで、悔しいけど仕方ないねと軽く微笑んでおく。仕方なくも何もない。悔しくて鏡の自分が揺れて見えるくらいだ。

 何処にいても、いつもやんわりと此処に居てはいけない気がしていた私がようやく作り上げた居場所にいるのに、こんなことで足元がぐらついて見えるのが情けなくて悔しい。いい加減ゆるぎない何かに変身したい。ある日の朝起きたら変身していたい。

 知ってる私は勝ち目のない負け戦をしている。違う。意味のない無駄戦と言うのだ。そもそも戦いなど無いのだから。いつになったらそれを受け入れられるのだろう。などと他人事にして目を閉じておく。顔なしのもなかにヘドロを吐いてにっこり笑って嗚呼ああ。そんなことは無い。そんなことは無いはずだ。私にも何かしらの価値はある。少なくともそのフレーズを私に浴びせていた人物よりは。そうであって欲しい。いやそうでもないか。

 刺さっている棘を一本一本抜いて踏みつけてなきものにして来たつもりでいるけれど、結局その穴は残ったままで、そこから色々なものがスルスルと抜け落ちていってしまう。空っぽになってしまわぬように何でもかんでも飲み込んでみるけれど、いつまで経っても満ちることがない。止まったら逆に穴に飲み込まれてしまう気もする。どうしてこんなことを考えるのだろう。それなりの分別のある大人になったというのに、外向きの分別は内向きにも働くとは限らないものだなと思う。

 だからもっともっともっとと穴の開いた器に砂を注いで注いで、無駄戦を。私はその人物を心底から嫌いということでもないので、それがしんどい。愛情には条件が有ると教えてくれた女だ。今となっては無償の愛というものがフィクションだろうとそうでなかろうと、どうで良い。私は親にならずにすむ人生を選んだのだから。ただ不必要な記憶を消せたらいいのにと願う度に、その記憶に縛られてしまうパラドックス。馬鹿馬鹿しい。トラウマなんてものは上手く行かない何かの言い訳みたいなもの。使い勝手が良いから汎用されるそれだけ。と言い聞かせてにっこり笑って、つつがなく暮らしていく。

 ごくたまにほんのりと少しだけ、このしんどいウェーブに飲み込まれると、色々なものがぐらついてしまう。もういい大人の女だというのに、いつまで続くのだろう。

 

Paul Gustave Doré / Léthé

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ギリシャ神話の黄泉の国に流れる川の一つ「レテ」。その水を飲むと現世の記憶を失くしてしまう。