27時間

苦しみながらも何かを成し遂げる姿みて「こんな頑張ってる人がいるから私も頑張ろう!」

これはドキュメント


努力しながらも完成度の高いキラキラしたものを見て「なにここ別世界!?生きててよかった…明日からも生きていこう!」

これがエンターテイメント


その二つを混ぜて、中途半端なものにしたのが今回の27時間テレビ


ヘトヘトのアイドルにコンサートやらせてエンターテイメント性は不十分。

その裏で休んだり倒れたりしてたらドキュメントとしても文句つけるんでしょ?


どちらの魅力も発揮できてないし、どっちのこともナメてるとしか思えない。


炎天下の野外ステージで立派なおべべで体力奪って、ろくにメンバーの姿も見えないような空撮で会場の規模自慢。

何が伝えたかったの。

こんなこと出来るんですすごいでしょ?やっぱSMAPすごいでしょ?

って?

広い会場じゃねーよ!豪華な衣装じゃねーよ!それ着てる人間が必死でがんばって作り上げてきたからSMAPは素晴らしいんでしょうよ!

大事なのは、あんたらが苦しめて笑顔奪ってるその!人達!

メンバーがキラッキラの笑顔で楽しそうにやれば、それだけでファン増えるわ!SMAPなめんな!!


ほんと節操のない話題作りテレビ。

挙げ句の果てに満身創痍のメンバーに路上の野次馬相手にファンサさせながら森君の手紙聞かせて、中居君泣かせて。

企画がよかったから、がんばったから泣いたんじゃないでしょうよ。

森君が中居君にとって大切で大切で仕方ない宝物みたいなものだから泣いたんでしょうよ。

安っぽい感動の押し付けの総仕上げに使っていいものじゃないでしょうよ!!

人間の一番弱い大切な部分利用して話題作りに使って、人として恥ずかしいと思え!!!


もしも森君関係を解禁してお金に変えて良い場合があるとしたら、それはファンを幸せにしたいという信念の元、メンバーが選んでやる場合のみだと思ってます!!


今回の27時間TV見ましたよ、色々関心持ちましたよ。

それだけで仕掛けた方は大勝利でしょう。

でもやったことは最低ですから、SMAPの健気さとプロ意識が改めて素晴らしいしい素敵なグループと思ったけど、テレビ局のことは見下げ果てたし、事務所のやつは27時間起きて休まず45分動いて歩いて返ってしね!と思いましたよ!!


武器はテレビ!?テレビ終わってるなと改めてわかったぞ!!伝えたかったことはこれなのか!?おい!!

ド腐れテレビマンどもよ!!!




あのころ白書〜胃弱編〜

時は西暦2007くらい、私は大学四回生であった。

二回の後期を丸々ネトゲに費やし一切大学に行かなかったしわ寄せをヒシヒシと感じ、半年伸びた卒業に向けて日々やりたくもない映像制作をやっていない重圧に耐えつつ、取り敢えず出席日数を稼ぎ、担当教諭にアポなし個人面談を強要し、選択授業で隣に座った全然知らない人から授業攻略法を入手するなどして、ガムシャラに単位もぎとり奮闘記を繰り返していた頃である。


そもそもからして、私は朝が弱い。

夜中が楽しくて就寝時間が遅いからだ。

それに加え、少々トンチキな故母からの精神攻撃や、忙しいっつってんだろ!!って口酸っぱく言っても週1逢えないとスネ散らかす年下彼氏をなだめすかす作業などで、毎日が白目であった。


余談だが、朝から3個レポートを書き上げ電車で学校とは逆方向の県境をまたいだ場所にある彼氏くんの家へ行き、来てあげたぞ!早く美術の教科書だせ!中学生の時のんでもエエから!はよ!話はそれからや!と脅し、次のレポートのネタを集め、家に帰り先程まとめた資料から更にレポートを書き上げ、そこから登校!提出!というスケジュールを1日でこなしたことがある。

我ながら素敵な彼女だったと言ってあげたい。


話を戻すが、そんな白目の毎日を送る私にいつもそっと寄り添ってくれていたもの、それが胃痛だ。


10代後半から隣り合わせの生活を送っていた胃痛さんが1番激しく暴れ出したのがこの頃であった。


夏は突然の胃の痙攣に耐えつつ、炎天下のアスファルトに何度も何度もうずくまりながら、脂汗を滲ませ徒歩10分圏内の内科病院に3倍近くの時間を要しながら辿り着き、採血、点滴。


冬は目覚めた瞬間から、いやわたしの体の中に唐辛子詰めたん誰!?とでも言いたくなるような激痛で暫く朦朧とし、コタツで温めて、好きなタレントが満面の笑みでお花畑をスキップしている姿を心に描くことで痛みを和らげ(わりと効く)、寝ていたままのツナギ姿にマフラーだけを巻きつけ登校。


食後は辺り構わず横になり、消化がそこそこ終わるまで動けないがデフォ。


徹夜明けの一限を目指す途中に胃薬による猛烈な眠気に襲われ、親友Uの住むマンションのロビーで意識を失いかけながら「私に…構わず…Uは行って…私はだめだ…。」

「ひ、ひじき(←アダ名)!いってきます!」

と今生の別れじみた会話を交わした事もある。

その時はUの部屋で夕方まで寝た。

というか胃薬の副作用が出そうな時間も計算して電車の中で少し寝るつもりだったのに、Uが出掛け間際に結構時間くってきて、ロビーから出る事なく眠気に襲われてしまったのであって、奴のスットコドッコイを舐めてはイケナイ…と心に刻んだ事件でもあった。

しかし我らはスットコ同盟。

私からの華麗なるスットコ返しも数多く許容してくれるU。

出席日数の足りなさに怯えながらも、化粧や身なりをばっちり整えイザ登校!といったタイミングで

「なんとなく、そろそろヒジキ学校くる頃かなと思って電話してんけど、今日休校やで。入試な。」

などと大変ありがたい情報を勘のみでくれるUは、大切なスットコ親友である。


このように、今思い返せば割と楽しそうだが、あのころの私にとって胃痛は1番身近な脅威であった。


胃痛→痙攣→もうだめ、となると体を動かすのも泣くほど痛いもので、救急で筋肉注射を打たれた時に「痛い痛いと噂の筋肉注射も、胃の痙攣に比べたら可愛いものだな…」と感じた事は、今でも鮮やかに思い出せる大きな発見である。


トンチキ母のトンチキマンション購入別居生活がスタートしてから徐々に頻度は減り、今や胃弱であったことも忘れそうなほど胃とは仲良くやっているが、どうも最近

ヤダ…懐かしい…。

とノスタルジックな気分と痙攣の恐怖に浸らせてくれる胃痛が低頻度ではあるが、やってくるので、

“歳には勝てないなー”と、思い出話をしてみた次第である。


そうこう言っているうちに痛みも無事引いたので、ひとつまた心に刻むことにしよう。

寿司すきだからといって、ドカ食いダメ絶対。