コミュニケーションは感覚からはじまる

今日たまたま新年会で一緒になった方がいて、旦那さんやお子さんに対して、うまくコミュニケーションが取れないというお話をされていました。

 

そこで隣にいた方が、うまく質問することだよとおっしゃっていて、

 

あなたは尋問的に話すから相手からは攻撃されているように感じると。

 

例えば「なんで〜〜なことをするの??」みたいな感じの質問ですね。

 

確かになー、と思います。

 

相手にいかに質問するのか

相手の話をいかに聞くのか

 

ってすごい大事です。

 

いわゆる傾聴というようなもの。

 

それに加えもひとつ大事なことがあると思ってお伝えしていることがあります。

 

それは

 

自分を感じること

 

それを適切に表現すること

 

です。

 

例えば

 

宿題をやらない子供に対して、

 

「なんで宿題やらないの?」

 

という質問の前に

 

「お母さん学校で大変にならないかなー、と思ってちょっと心配な気持ちが今あって、勉強した方がいいかなと感じてるだけど、◯◯くんはどう感じてる?」

 

といった様に、

 

①自分が何を感じているのかをまず感じ、

②その感覚や感情から相手にどうしてほしいのかを伝え

③相手の観点を質問する

 

この流れです。

 

まず自分が感じていることを表現すること、

相手を責めるのではなく、あくまでお互いの領域を侵犯せずに融合すること。

 

そんなコミュニケーションが大事です。

 

そのことを簡単にお伝えしたら、とっても喜んで下さって。すごい素直な方だなー、と尊敬しました。

 

みなさんも自分を感じること、それを表現すること、その二つをまず意識してコミュニケーションをしてみてくださーい!

私たちを縛るシャドウ

何か生きづらい。

いつも誰かに攻撃をされている気がする。

ああしなさいこうしなさいと他人からいつも言われている気がする。

 

そんなことってみんなあると思います。

 

なんで起きるのかっていうと、原因はたくさんあると思うのだけど、ひとつ大きいのはシャドウです。

 

シャドウとは影、自分自身の見たくないところ、あるいは抑圧している感情のこと。

 

まず相談を受ける時に、シャドウがどのくらいありそうかな、っていうのを感じてます。

 

相手に怒りたい気持ちを抑圧している場合は、相手や世界から攻撃されるように感じたり、

 

何か自分の汚い側面を見ないようにしていると、世の中が汚い人だらけに見えてきたりします。

 

自分の中にあるネガティブな側面を否定抑圧していると、相手や世界にそれを投影して反映されるわけです。

 

だからまず大事なのは、自分の中に起こるネガティブな感情や考え、あるいはネガティブな自己像を否定するのではなく、それも自分のひとつだ、とあっさり受け入れることです。

 

あー、それも自分だよねー、と。

 

内面にある善と悪、ネガティブとポジティブの分離がなくなっていくと、投影が弱まり、まるで世界が変わったかのように見えます。

 

ぜひ意識してみて下さい。

 

そして精神の分離には様々な分離があり、さらにその下には自我と身体の分離や、環境と自己の分離といった様々なレベルでの分離があります。究極的にはそれらひとつひとつの分離を解いて、分離のない世界を感じて生きることがゴールです。

 

それらひとつひとつの分離を解くためには、様々なセラピーがありますが、まず分離がない世界から分離が生まれる仕組みを論理とイメージで理解することをおすすめしています。

 

そのイメージは認識技術・ntechの講座でお伝えしているので、一度参加してみて下さい。

日本人が落ちがちな穴

発達理論からみると、日本人がつまりそうな段階ていうのがあります。

 

それは客観的に現実をみて、自分の価値観を作りあげるという段階です。

 

簡単に説明すると、

1.欲望に沿って行動していく段階

2.相手や共同体の規範や価値観に合わせる段階

 

があって

 

その後に

3.客観的に自らが所属している組織や共同体の規範を俯瞰し、自分の価値観を育てていく段階

 

になります。

 

この3段階目まで行ける人がとても少ない。

 

どうしてもルールや規範がベースに、作られた考え方にそって考えることをしてしまいがちです。

 

じゃあ、他とは違う自分のことを考えようとか、オンリーワンになろう、とか、そういうことではありません。

 

前回の記事とも繋がりますが、まず自分が何を感じているのか、を感じるのがとにかく大事です。

 

価値観の背景には意見や主張があり、

意見や主張の背景には考えがあります。

 

では考えの背景には何があるかというと、感覚があります。どんな感じを感じているのか、というと。

 

まず自分が感じていること、例えば朝食のトーストがこんがりきれいに焼けたときの感覚とか、電車にちょっとの差で乗れなかった時の感覚とか、日常の中でいつも常にダイナミックに動いている広大な感覚という海に気づいていくことです。

 

その自分が感じてることに気づいて行った時に、私としての考えや主張や価値観というものが出来上がってきます。

自然と滲み出てくるような自信について

よく相談であるのが、自信がないんです、あるいは自分で決めることをやってきたことがないんです。という相談です。

 

今日いただいたメッセージにも、その自分に気づいたので、これからは自分で決めて、誰に何を言われようと行動に移そうと思います、とありました。

 

その気づきはとてもいいし、大事なこと。

 

でもなんだかちょっと違う。

 

なんというか無理やり自信がないところに、自信をつけようとしている感じというか。

 

私が思うのは、「自信」とは自分はこれができるとか、自分はこれだけ強い、というようなものではなくて、

 

自分はこんな事を今感じている、自分は確かに今こう思っている、といった自分が思い感じていることへの確信であり信頼だと。

 

簡単に言うなら自分を感じる力、のようなもの。

 

相手と考えてることも感じてることも違う、でも私はこう感じてるし考えてる、そうしっかり思えた時に、自然と滲みでるような自信が湧いてくる。そしてそんな自信を感じた時に、自然とそれを伝えたくなる。

 

だから自信を持つとか、自己表現するとか、の前に感じる力をつけるのがいいと私は思います。

 

そしてその自分になった時に、目の前の相手に対しても、その人自身が感じ考え物事を選択することのできる尊い存在なんだ、ということを理解できると思うのです。

 

そうやってひとつの主体としてお互い出会えたら、どんなに素敵なことでしょうか。

悟りとは発達を進めること

世の中にはカウンセリングとコーチングがあります。イメージ的にはカウンセリングは何か心的な問題があって、それを解決するイメージ。コーチングは心的な問題はないけど、やりたい目標があってそこへ行くための課題を解決するようなイメージ。そんな感じですよね。

 

そしてそれとは別に、悟りとかスピリチュアルの探求という流れがあって、それらは問題とか目標に対する現実的な課題をどう超えるか、カウンセリングやコーチングの扱う次元ではなく、もっと内面的で本質的な領域なイメージがあります。

 

それは違うものなのでしょうか。

違うならどう違うのか。同じならどこが同じなのか。

 

私の意見では、その3つのものは同じ線の上にあります。というより同じものです。

 

というのも、やることは人間の器なり精神を成熟させ、それに見合った行動を作っていく、シンプルに言えばそれだけだからです。

 

発達心理学では当初成人した後は変化成長はしないと考えられていました。しかしその後、人間はさらに成長することがわかってきました。それはどこに向かってなのかというと、悟りに向かってです。

 

悟りというのは、あらゆる物事を分離せずに統合して観れる段階のことを言います。

 

なので人間の発達は、さまざまな分離過程とそれらを統合していく過程、と要約することができます。

 

上記の3つは、どこの分離を統合してくのかによって、名前や手法が違うだけです。

 

例えば考えと感情の分離を取るならカウンセリング、本来やりたいと思っている無意識とそれに気づいてない意志を繋げるならコーチング、実存的な有機体としての私と環境の分離からくる実存的な孤独や虚しさを解消するなら悟りやスピリチュアルな探求、といったように。

 

なのですべて必要です。でもやることは分離から統合へ。シンプルにそれだけです。

 

ではなぜ分離が起きるのか?そのメカニズムとはなんなのか?そこらへんが気になるところですよね。

 

そのことを一番わかりやすく説明していたのが、認識技術というテクノロジーです。私のセラピーはそれがベースとなっています。

 

前回もお伝えしましたが、おススメですw

意志と愛のバランスについて

何か問題や課題を突破するとき、解決するするときに意志っていうのがとても大事です。

意志がないとそもそも解決しようとしないし、それ以上その先に進むことってできません。

そもそも意志ってなに?っていうのは後日またお話するとして、今日はもう一つ大事なことを書きます。

意志と平行して大事なのが、タイトルにあるように愛です。

意志が垂直的な強さのあるものだとしたら、愛は水平的で調和的なものです。

必要なのは愛のある意志であり、意志のある愛です。

セラピーの流派や、あるいは組織の色にも、意志を重視するのと、愛を重視するのと、けっこう分かれます。

やさしく穏やかな流れの中で変化を作るのか、明確な目標や決断によって変化を作るのか、そんな違い。

どちらも大切とわかっているのだけど、どうしてもどちらかが疎かになりがちです。

意志と愛、みなさんはどちらが強いでしょう?

何か問題が起こって行き詰まった時には、意志と愛のバランスをイメージしてみて下さい。

感情を統合すること

私たちの中にはいろいろな考えや感情があります。

たくさんの方をセッションして見えてきたこと。悩みや問題というものが生まれる原因は、それらの考えや感情がバラバラで、時に相反して争いあっているということでした。

例えば、もうつらい、すべてを終わりにしたいという悲嘆的な感情と、そんな事でどうする、お前は弱い人間だという考えが相反して、どうしようもなくなってるような感じです。

そのバラバラの考えや感情をちゃんと統合することができれば、8割の問題は解決します。間違いなく。

ではどうやったら統合できるのかというところが大切ですよね。

それは考えや感情の外にあるポジション、考えや感情を観察できるポジションに身を置けることです。

どうしても人はそれら頭の中で起きること、身体に起きる感覚と一体化してしまって、離れることがなかなかできません。

それを同一化と言いますが、あらゆる状態から離れる、脱同一化するポジションに立てた時に、あらゆる状態が統合されていきます。

前回お伝えした認識技術、ntech は脱同一化、あらゆる感情や考え、あるいは感覚から離れ俯瞰してみることができる技術でもあります。

考えも感情もない、フラットで純粋な観点に立つ、それはとても静かで静謐な山の頂上に立って、この世界のすべてが見えてくるような、そんな心持ちです。

おすすめ。