【ブログタイトルと名前変えました】
ブログタイトルと名前変えました。これまでの記事は一区切り付け、ここから新しく始めたいと思います。
一応自己紹介です。
戸辺ミナトと申します。職業はまだ本出してないけど作家です。
2018年の座右の銘は「まずは形から」なので口先作家でも許してください。
ADD(Attention Defect Disorder)気味で生きづらいですが、自分の人生を意味のあるものにすべく、少しずつ進んでいきたいと思います。
僕の日々の嬉しいこと、悲しいこと、やるせないこと、美しいこと、いろんなことをありのままに伝えて、その気持を感じているのは君だけじゃないということをみんなに分かってもらうためにこのブログを書きます。
『もはや援交』貧乳女子だとクラウドファンディングでUSJに行けるらしい
こんにちは、最近クラウドファンディングにハマっているこなべです。
いや、まだクラウドファンディング自体にお金を出したことも企画したこともないんですけど、こんな面白い資金調達方法があるって知って、自分も有効活用できないか妄想する日々を過ごしてます……笑
てか、クラウドファンディングってみなさん知ってます?
【クラウドファンディングとは】
クラウドファンディング(英語: Crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である(wikipediaより)
簡単に言うと、web上でプロジェクトを企画してそれに共感する人にお金を支援してもらうという、プロジェクト型の募金の様なものですね。
最近だと、デキ婚しちゃった大学生が出産と育児費用をクラウドファンディングで集めようとして炎上したりしてました。(詳細は『デキ婚 クラウドファンディング』で検索)
まぁまぁ、その件の内容に関して賛否両論はあれど、ここでは触れないでおきます。
ですが、公共的なプロジェクトとかじゃなくて、「個人がこうしたい」と思ったことが、共感さえ貰えればお金を支援してもらい実行に移せるって単純に面白くないですか?
銀行の融資よりも簡単でわかりやすい市場金融、フリマサイトより規模の大きいプロジェクト支援型の調達構造。うーーーん、企画者、支援者ともに手が出しやすいなんて俺もやりたくなっちゃうぞ……
【貧乳女子がクラウドファンディングってなんぞ?】
そんな風に思いながらクラウドファンディングサイトを巡回していると、気になるワードが……
『貧乳』 『女子』 『ニート』
え、クラウドファンディング????????
クラウドファンディングサイトにそんなキーワードが並ぶわけないと思いながら思わずクリック。もちろん貧乳をクリックしたいわけじゃなくてね?巨乳でもクリックしたはずですよ
そしたらこんな画面が……
よくよく読んでみると、貧乳ニート女子がUSJに行きたいから金を恵んでくれというクラウドファンディングらしい……
えーーーーーーーーーーそんなのあり????
心の中ではクラウドファンディングの定義に疑問を持ちながらも、身体は貧乳の文字に吸い寄せられてプロジェクトに興味を持ってしまうこの矛盾した行動。ずるいぜ、貧乳。
よくよく見てみるとプロジェクトを始めた理由や使いみちまで書いてある。
▼プロジェクトをやろうと思った理由
USJに行きたいけど口座の残高1,620円じゃとても行けません。頼れる友達や彼氏もいません
▼資金の使い道
往復交通費
30,000
USJで遊び倒す費用
20,000
大阪で食い倒れる費用
10,000
その他滞在費(1泊2日を予定)
10,000
って、ほんとにただの旅行したいだけやん笑笑笑
何もひねりなく、私利私欲が書いてあってこんなん支援する人いないだろって思ってパトロン数に目を移すと……
パトロン一人すでにいるうううううう。
こんな私利私欲に満ち溢れた少女の乞食活動にだまくらかされている推定男子がおるううううううううと叫んでしまった笑
こんなにわかりやすく、『貧乳』というワードに釣られたと思われる同類男子が、3000円の金額を見ず知らずの女子に支援しているのだ。
冷静に考えれば、Twitterで一方的にフォローした見ず知らず女の子が「3000円ください」って言ってきてホイホイ差し出しているようなものである笑
うーん、したたかすぎる女子、恐るべし。ていうかクラウドファンディング自由すぎてわろ。
【クラウドファンディングと擬似的な援交】
クラウドファンディングは、たしかにいろんな公共的なプロジェクトや、クリエイターの夢をかなえるツールとして確固たる意義を持ちつつあります。個人が社会レベルでインパクトを起こすために、「面白さ」を武器にして色んな人の心を、お金を動かしていくのは見ていて爽快感や楽しさがあります。しかし、一方でそれをうまーーく、巧妙に使ってお金を儲ける人がいるのも事実です。
特に私が感じるのは、この貧乳女子の件に関して「擬似的な援交」なんじゃないのかなあってことです。
露骨に、とても露骨に「女子」であることを武器にターゲットを男に絞ってお金を工面する。支援してもらいたい女の子が、女の子という武器だけを使って、擦り寄ってくる男にお金を支援してもらうって構造はまさにそうだよね。
まあ、構造だけ似てるだけで実際に犯罪になるわけでもないし、女の子はUSJ行けるし、男はリターンの自撮り画像でシコって寝ればいいし、win-winであるから問題ないのかなあ?
うーーーん
でもでも、なんか違和感感じません?
うまくは言えないけど、すんなりとは納得できない、喉の奥に詰まった違和感の感覚、誰かこの気持わかりません?
面白さで人を動かせるクラウドファンディングを、こういうふうにねじ曲がって使われてしまうと、素直にクラウドファンディングを受け入れづらいんだよなぁ。こういった違和感を感じるのが私だけならいいけど、社会的に多くの人が同じ違和感を感じ続けたらクラウドファンディング自体の信頼性にも困難が生じていくのではないかなぁ……と思ったこなべでした。
オチは特にありません!!!
「好きなことで生きていく」という生き方ができない件について
「あ~、お金欲しい」
人生最後の夏休みをぼーっと過ごしてたらふと自分の口からこんな言葉が出てきました
意図せずも口に出た言葉って本心って潜在的に自分が思ってることで、なんか自分の情けなさとか実感しません?笑
ま、そんな言葉が出てきたのは、私の趣味であるYouTubeで好きなことして生きていくYouTuberをたくさん見てるからなのかな〜と再確認
最近の時間の過ごし方は
13時 起床
13時〜17時 YouTube
17時〜18時 ご飯
18時〜2時 ゲームとYouTube
みたいな人生の夏休みである大学時代を無駄の極みに貶めてしまうような退廃的な一日を送っています(自分で書いといて無駄さに引いた)
何はともあれ、時間のほぼすべてを画面の向こうで楽しそうに馬鹿なことをやってるYouTuberを見てるわけです。
そんなYouTuberたちは私の1クリックがお金になり、年収が1000万とか、はてには1億とか超えていくんだって……
俺もそんな生活したい!!!!!!
そう思うのはムリもないよね笑
好きなことで生きていたいよ〜
でも思ったんです。好きなことして生きていくって、ぶっちゃけすごいリスキーだし、そんな生活続けていくの大変じゃね??
まー、うすうすは気づいていたけどそんなに再生数取れるまで視聴者に見てもらうには、類まれな発想力とか動画を継続する努力とか顔とかリスキーを選択する勇気とか色々必要なんだよね…
なんかその「好きなことだけで生きていく」ための裏側まで考えると
大変なこと多いなら別の生き方でも良くない????
って結論に至りました笑
でもじゃあ他の生き方は大変じゃないの?って考えると、おそらく
・会社に努めてお金を稼ぐ
・何かに投資してお金を稼ぐ
・副業(ブログ?アフィリエイト?)
とかがあるのかなーと
でも、結局どの選択肢でも、自分の努力なしに満足に稼げる場所ってないんですよね…
会社勤めはもちろん、投資だってリスキーな上に稼ぐためのノウハウを勉強しなきゃならないし(何にも勉強しなくて稼げる一握りの人は除きますよ笑)副業だってブログを立ち上げるならPVを稼げる記事作りにはめっっっちゃ時間と労力がかかります。アフィリエイトは立ち上げがめっちゃ面倒だしね…
つまり!!何が言いたいかというと!
努力せずにお金は降ってこない!!
結局そういうことなんだなぁと
でも、そんな中で一つだけ言えることがあるとしたら
どの人にも向いてること、好きなことがある
ということですかね。
好きだったら、向いてたら、YouTubeに動画をあげる努力が楽しくてストレスがたまらない!とか
ブログ書くの楽しすぎてもっと書きたい!わぁお金も入ってくるんだ!
とか
そんな好き!とか向いてる!って気持ちがその人それぞれにあって、結局努力が後からついてきてお金になるってのが今の世の中の人の人生になってるんじゃないかなぁーーー
何が言いたいかというと、「好きなことで生きていく」って生き方は、本当に好きだったらできるけど、殆どの人にはできないってこと。
好きなことでお金を稼ぐって、想像の100倍位辛いことや大変なことが多いし、それを乗り越えられるのはそれだけのモチベーションをかたむける覚悟のある人ってことだよね
私は文章を書くことが好きだから、少しばかりブログの更新に楽しみを覚えているけど、「ブログでお金を稼ぎたい!」って人はブログ続けられないと思うなあ
と、くだらないことを考えた退廃的な一日でした笑
だめな自分から抜け出すための鉄則をここに刻んでおこう
皆さん自分が嫌になることってありますよね?
例えば生活習慣の改善のために早起きしようとして、だけど目覚めてみるとそこには音を奪われた時計とお昼12時を少し回った文字盤を見つけたときとか
自分の予定管理が雑なせいで、友達との約束をダブル・ブッキングして気づいたときには約束の一時間前とか…
誰も彼もが何かで失敗して自分の不甲斐なさを嘆く瞬間があると思います。
かくいうこなべもそんな失敗ばかりで反省しすぎてもはや反省に慣れてしまうくらいです…笑
そんな私の一番の後悔の原因は…
『嫌なことを先延ばしにしてしまうこと』ここにあると最近思い始めました!
だからこそ、その点に触れながら私がまともな人間に戻れるように生活習慣の「鉄則」をしたためてみようと思います。
【だめな環境から抜け出す】
自分の思考を整理するためには、自分のベッドの上でYouTube見ながらでは無理!
まずは暗い部屋の中から出て泥沼の環境から抜け出そう。いつだか自分の大好きなエッセンシャル思考という本の中で紹介されていたのは、Google本社には自分のアイディアをまとめるためだけの個室スペースが社員に与えられてるんだって。
Googleに勤めるほど優秀な人でも自分の考えを整理したり、変えたり洗練させたりするにはエネルギーが必要ということ。一般人な自分たちにとっては言わずもがなということですね。
私も二時間前までベッドでうだうだ退廃的な時間を過ごしていましたが、今は近くの個人経営のカフェに来てゆったりと文章に向き合っています笑
【嫌なことから逃げずに真っ先にやる】
『嫌なことを真っ先にやる』って皆さんよく聞くと思います。中にはそんなことわかってるんだよバーカって叫びたい人もいるんじゃないかな笑
私自身この、当たり前の精神を実行できてはいません。しかし、嫌なことから逃げ続けた結果に今の自分がいるというのは強く感じています。
難しいことはなんにもなく、ただシンプルにこの言葉に向き合って自分を叩き直そうとする努力はまじで必要だなあとつくづく思っています笑
小学校の校長先生がよく言っていた言葉の中に
『すごい人間は、アタリマエのことを当たり前のようにできる人間だ』とおっしゃっていたのですが、まさに今この言葉が自分に刺さっています。当たり前のように嫌なことから逃げずに向き合っていく、そんな人間になれるように自分を律していきたいです。
【クオリティを捨ててスピードを高めろ】
これは特に私に限ったことなのかもしれませんが、完璧主義がたたって動けなくなってしまうということがよく有ります。世の中に生きる皆さんはそういうことあるんですかね…?
単純な例えで言うと、自分の抱えているタスクが4つあって、でも自分のキャパは2つのタスクを完璧に仕上げるだけの力しかなく、完璧にやるならどれかを取捨選択しなければいけないような状況だとします。そんな時に私はキャパがないながらもすべてのタスクを完璧に仕上げたい気持ちだけが大きくなり、結果として取り組んでみると時間がなく、どれも締め切りに間に合わなくなって自分が嫌になる状況に陥ります。
すべてを完璧にこなしたいがためにすべてのタスクが終わらなくなってしまう、それを繰り返すともはやタスクが終わらないことに慣れてしまい、更に悪循環にハマっていきます。自分で書いていて自己嫌悪に陥りそうになる笑
でも、最近気づいたのは全てのタスクを完璧に仕上げる必要はないってこと。
そんなの当たり前じゃん!って思う方もいると思うのですが、この性格の人たちは目先の仕事と長年の強迫観念に追われて気づけないんですよね…
だからこそそこに気づけたならば、どのタスクもクオリティを60%に抑え残りの40%をスピードに回すと程よくタスクを片付けられるようになります。もちろんクオリティが60%で足りない場合もあるとは思いますが、100%のクオリティを0%のスピードで届けてもアウトプットが0よりはマシですよね?
そうやってスピードをだんだん付けていって、クオリティを後からつけていけ成長につながってだめな自分から抜け出せると感じています。
以上三点をだめな自分から抜け出す鉄則として記させていただきました。この文章、ブログを読んでくださっている皆さんへ向けたものと言うより、自分への戒めのようになってしまった感があります笑
でもブログって自分の思ったことを言うスペースでもあるからこれくらいいいかな…?笑
少しでも自分の文章に時間を傾けて下さった皆さんに良いことが有りますように!
完璧主義を言い訳にして前に踏み出せないのはただの馬鹿
今更ですが、浅井リョウ氏が書いた『何者』を先日読破しました。私も映画が大ヒットしていた頃に読む機会があったのですが、当時は就活の小説なんてわざわざ読むのはめんどくさいと先延ばしにしたまま積読本に放り投げてしまいました。
その中で自分の生活を省みるのに役立つ気づきがあったので備忘録として記しておきます。
本の物語の結末では、他人の空回りの努力や「痛い」とも評されそうな意識高い系を観察者気取りで見下す主人公の姿が露呈します。その主人公は抱え込んだコンプレックスを解消できずに他人の努力を笑っているうちに、自分の「痛さ」に気づけない状態になっていきます。もしかしたら気付こうとしていないだけかも。
そんな姿が今の自分に重なりました。
自分は他人の努力を笑ったりはしませんが、心の底では頑張る友人を妬み、頑張れない自分を見ないように目をそむけています。
特に、主人公の元友人のギンジが、世間の評価は得られないながらも、ボロボロの演劇をめげずに続けている姿、主人公はその無様な姿を自分が行動しない理由に結びつけている点が今の自分の情けなさを思い起こさせました。
ブログを始めたのも、自分が言いたいことをただ書き連ねようと思いながらも、なかなか思い通りの言葉を選ぶことができずに投稿ができなかったり、小説を書こうと思っても何かと言い訳を付けて机に向かわなかったり、そんな自分を見つめ直すきっかけになりました。
文章は拙いけれど、そんな自分に嫌になるけれど、何もしないよりは前に進める。そんな軽い気持ちでこれからブログ創りにも向き合っていきます。
まーじ書き終わって言いたいことまとまってないけど、ブログ初心者が最初から完璧なものは作れないよね。自分の不甲斐なさを認めながらボロボロの言葉が自分で歩き出せるまで磨いていこうと思います。
クラブ、Tinder、セフレ、大学生って実は遊んでることない?
大学生って遊びすぎやろ!!!!!
え、遊びって何の遊びかって?
もちろんそれは公共の場所では言えないゴニョゴニョ……のことです。
テレビとかでは散々最近の若者は色恋に興味がないとか、恋愛に消極的だとか騒がれてるけど、実際そんなことないやろ!ってのが現役大学生の感想です。
うらやましくなんてないよ!ほんとに…
あと、「遊ぶ」って言うと女遊びだけが思い浮かびがちだけど、そんなこともなくて、男遊びの激しい女たちもたくさんいます、まじ。
サークル内恋愛で、誰と誰があの子と付き合ってて期間がかぶってるとか、4年が半年で1年生を3人くったとかよく聞く話です。
自分が通っているのは都内でも名前を言うと「ちゃらそう〜」とか言われて、「いやそんなことないよ〜」とかみんな言うけど、はっきり言ってそれは嘘だよ!
最近はやっぱり遊ぶなら『Tinder』っていうのがよく聞こえてくる気がする。日本語だと燃え上がる、っていうニュアンスを含んでるんだって。
あの暇な女子大生が使っているアプリ。もし遊びたいけど遊ぶ方法がわからないって言う人がいたら、おすすめです。(自分では使ったことないけど周りの友人はみんなそれで遊べてるらしい…)
あとはクラブで女の子引っ掛けるってのもよく聞くな〜、自分はヘタレすぎて行けないけど。
クラスの女の子がクラブに行って遊んでる噂が流れてきて、すごい現実感が増したクラブ。東大の友人のN君も、内定先のセフレ13人いる人もクラブで引っ掛けたらしい、おそろしい笑
商社に内定したゼミの友人のK君は就活中に彼女と別れたかと思えば、九州大の女友達の紹介で九州で女遊びしてくると言って昨日飛行機に乗って
大学で知り合った同じクラスのF君は友達の女の子に、「一回だけでいいからやらせて!」ってお願いしたらやらせてくれたってドヤ顔で話してくる。
でもこういった話を聞く一方で、真面目なコミュニティに所属している友人たちは出会いが無いって嘆いてるんだよね。真面目な人達が情報の非対称性とか、勇気のなさで一歩踏み出せない間に、遊び方を覚えた人たちは自分から出会いを見つけに行って遊んでるっていうのが実情なのかなぁ
SNSの広まりによって単独行動スキルを習得した大学生たちは、自分のコミュニティから出る必要性を失って出会いを失う一方で、陽キャたちはめっちゃ遊びまくってるなんて、それでも踏み出せない真面目君たちはどうすればいいんだーーーーー
【それでも伝えたいことがある】就活に失敗して銀行員になる私が物書きを始めた訳
私には昔から『自分の想いを形にして皆に伝えたい』という漠然とした夢がありました。
なぜこんな夢を抱いていたのかずっと分からずにいましたが、今思えば、言いたいことがあっても自分のプライドや周囲の環境に押し込められ、心の声を溜め込んだ結果が無意識の内に夢になっていたのだと思います。
私のエゴで塗り固まった自分語りにもなりますが、良ければ私の夢の実現に付き合っていただきたいです。
【銀行員になる訳:表面的に生きてきた失敗の人生】
振り返ると私は『上辺だけを取り繕って』生きてきました。自分の心の底にあるエゴや、黒い感情をひた隠しにして、「いい人」を演じてきました。
栃木県の田舎で幼少期を過ごした私は、周囲の生徒より成績がよく、生徒会長や部活の部長など、模範的な生徒として周囲に評価されてきました。
「周りが自分よりバカだから、同じには見られたくない」
そんな気持ちを心に秘めて、だけど模範的で性格も良い生徒を演じ続けるなど表面的に生活する癖が自然と身についていました。
大学でもその癖は続き、周りの学生より優れていたいという気持ちがある一方で、彼らと競うだけの本当の努力はせずに、表面的に「努力している自分」を作ることで精一杯でした。
(そんな自分のいびつさに気づいたのは、ほんとにほんとに最近のことで、無意識のうちに情けない自分に気づかないようにしていたのだなと笑ってしまいます)
そして、就活は失敗しました。
本当はもっと、自分にしかできないモノづくりの世界に携わりたかったのです。しかし、私が手に入れた内定は、銀行という限られたパイを表面的な工作で取り合う、私が一番行きたくなかった場所だったのです。
思い返せば、そんな表面的に生きてきた私が心でモノづくりにぶつかる業界に受かるはずはなかったんだなぁと今では思っています。逆に言えば表面的な取り繕いが必要な銀行業界に受かるほど、私がひねくれているという証明にはなっているかもしれないですが笑
【失敗から学んだこと:悲劇に見舞われているのは自分だけじゃない】
就活に失敗し、銀行にしか就職できない未来を嘆いて、一週間くらい落ち込みました。けれども、世の中には何十億の人がいて、日本でさえ一億以上の人がいて、自分よりうまく行ってなくて死にたい人がいるんじゃないか、ふとそう思えた時に嘆いてばかりでいられないと思えました。
自分がなりたいものになれないのは自分だけじゃない、当たり前なんだって改めて考え直しました。
だから6月13日にブログを開設して、一歩踏み出してみようと思えました。世界にいる悲しんでいる人たちに、悲しいのは自分だけじゃないって、そう伝えるために。
【人生に迷走して、結局たどり着いた結論】
私は結局、本当にやりたかった『自分の想いを形にして皆に伝える』ことができる場所から一番遠いところに来てしまいました。おそらくこの文章を読んでくれる読者の方々にも同じような経験はあると思います。
人生には、想像よりずっとずっとうまくいかないことが多い。だからこそ、その悔しさ、やるせなさを分かち合いたいと思ってこの文章を書いています。
一番遠いところに来てしまったからこそ、自分がやりたいことの尊さが身にしみて分かってしまった。ここから目的地を目指すのは途方もなく困難なことかもしれない。
けれども始めるより前に諦める失敗はもういらない。私は困難な道を、それでもまた歩き始める決心をします。
なりたいものになれないのはあなただけではない
けれど私は今からでもなりたいものになりたい
そのために一緒に努力しよう