日記
3泊4日のサマースクールが終わった。
喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったもので、終わってみると割と良かったな~なんて思う。
また行ってくださいと言われたら嫌だけど。
彼氏と別れて、失意のどん底から最近やっと立ち直れている気がする。
自分のために時間とお金を使おうと、やっと思えるようになってきた。
とある本を読んだ。
アダルト・チャイルドが自分と向き合う本
https://www.amazon.co.jp/dp/4901030000/ref=cm_sw_r_sms_awdb_c_gwFDBbCWCD8WQ
誰かのために生きていくのが当たり前で、それが無いと不安定だったが、そうでなく居られるのは息がしやすい。
昔は「今は恋人は要らない」という人の気持ちは全く理解出来なかったけど、今なら少し分かる。
毎日が楽しい。
誰かのために生きていないから、見栄を張らなくてもいい。
昨日は昼まで寝て、近所の温泉に入って、マッサージを受けて、マンガを借りて、下北で焼き鳥を食べた。
頭の中ではずっと夢をかなえてドラえもんが流れている。そんな朝。
アンバランスのすすめ
証明写真を撮ってきてくださいと言われる。
果たして、証明写真は、なにを証明するのか。
証明写真が証明できるものなど無い。
普段は着ない詰襟のシャツを身につけて、しっかりと髪を固めた姿が自身の証明だと言える者がいるのか。
女性に至ってはもっと酷い。
いつも以上に厚化粧を重ね、鏡を何度も見ながら自身の造形と体裁を整える。
これ以上に恐ろしいことはそうはあるまいと思う。
自身の証明とは、なかなか難儀だ。
自分が自分だと証明するためには、一筋縄の「自分」では難しい。
例えば、証明写真に
「銀杏BOYZが大好きです!」
「休みの日は一人旅に出ます!」
「電車の一番端の席に座ることに命をかけています!」
などと書いたところで、それは自己の証明にはならない。
であるならば、飛びっきりのお洒落をして、証明写真に写るというのはどうなんだろう。
一等地のレストランで夕食を摂るときの服装で、
一張羅の服を引っ張り出して、ここぞとばかりの厚化粧を顔に塗りたくって撮影に臨みたい。
採用官はそれを見て、
「あぁ、こいつはなんだかスカしていて気に入らない」とか、「ヤッパリ美人は、自分の映える格好を心得ている」などと話し合う。どう?
お洒落をするときには、出来るだけアンバランスさを残すと尚良い。