ミユキさんはまだ〇〇を知らない。

日常の思うこと、感動したこと、あれこれ。

“こうなりたい”のひとつ。

“こうなりたい”ことは、まだたくさんあるのだけど
近からず遠からずの“こうなりたい”のひとつには
子供たちともう一度、バリ島に旅行できる余裕があるような自分になりたい、がある。


子供たちとバリ島に行ってから、もう15年近く経つ。
息子はまだ2歳になるかならないかで、飛行機に用意してもらったベビーコットにギリギリ乗れるくらいだった。娘も保育園児だった。
その時に初めて作った2人のパスポートには、あまりに赤ちゃん赤ちゃんした顔の写真が載ってて、今見るとなんか笑えて、少し切なくなる。
もう離婚しようと決めた頃で、私にとっては、その記念?旅行みたいなもんだった。


ヤフオクで、リュック型のベビーカーを見つけ、それに息子を乗せ、片手で娘の手を引いて、片手でキャスター付きのカバンを引いて、マレーシアで1泊トランジットのバリ島行き。
クアラルンプールでは、空港からのバスに乗る時に、思いのほか重いベビーカーに四苦八苦している私を見かねた見知らぬ白人男性が、何も言わずに私の荷物をバスに乗せてくれた。


独身当時の私の海外旅行といえば、ドミトリーや現地人ご用達のやっすいビジネスホテルに泊まるのが主だったけれど、あいにく、バリ島には当時、あまり安い宿はなかった。あったとしても、1人で幼い2人を連れて泊まるのはさすがに怖くて、一応、プライベートプール付きの独立型コテージの安めなところを探した。


久しぶりの海外は刺激的で楽しいこともあったけど、トラブルもたくさんあった。トランジットのマレーシアのホテルは水しか出なくて、子供たちには過酷だったし、1週間の滞在中、息子はかわいそうなくらいの虫さされで体中を真っ赤にしていたし、最終日の夜には娘が肘のじん帯をひねって、現地の外国人向けの夜間診療病院に駆け込むはめに。
まだ、早かったな。幼い2人を連れてくるのも。私1人で子供2人を海外へ連れていくのも。そう思った。


あれから、子供と3人で海外へ旅行したことは一度もない。
一緒にバリ島に行ったんだよと言っても、2人ともあまり覚えていないみたい。かろうじて娘は、ホテルの夜のバリダンスショーで猿のお面を被ったダンサーと一緒に踊ったことが、ちょっと変な記憶として残ってはいるみたいだけど。


もう今なら、2人とも自分の足で当然歩けるし、なにが楽しいか危険かも、ある程度、自分でわかって選択できるはずだ。
英語も一応、現役で勉強しているわけだから、買い物の際の値段交渉だって楽しめるかもしれない。
値段交渉といえば、あれは値切り倒せばいいものでもないと私は思う。旅行者なんだから、現地人とは違うトラベラーズ価格があってあたりまえと思うのだ。相手を怒らせるくらい値切って買って誇らしげな人もいるが、それはなんというか…楽しくない。自分が適正だと思えば、実際よりずいぶん高くてもいいんでないの?と思っている。そんなことも、2人と話せるかもしれない。


そして、次に行く時は、まあ、トランジット付きの格安エアーでもいいんだけど、宿だけは防虫対策万全のそこそこいいリゾートコテージにしたいと思う。ウブドでは、ゲッコーの鳴き声が聴こえるくらいに夜が身近で、現地人のお兄ちゃんが部屋の前まで朝食を運んでくれる程度にはカジュアルな宿がいいな。


“こうないたい”はたくさんあるのだけど、子供たちとバリ島で遊んでる自分という妄想は、かなりワクワクするので、早く叶えたい。一緒に行ってくれるかどうかは別だけど。
恋人と行くのはその後でいいや。一緒に行ってくれる人がいるかどうかは、また別の“こうなりたい”ってことで。

新しいシーズン。

私は最近、自分の人生の行方を決めるのは
私自身以外の誰でもないと信じている。


近頃になってようやく
幸せになるのも、その幸せとはなんなのかも
決めるのは自分なのだと思えるようになっている。


そう考えるようになると
今までの自分は、よくまあいろんなことを自分に課してきたなと思う。


だけど仕方ないのだ。
私はずっと刹那的に生きたかったのだし、たぶんとても弱かったから。
岐路があったとしたらいつでも、安定ではなく刺激を、安心ではなく危険を、快楽を、より理解不能なモノゴトを選択していた。好みのタイプはさわやか好青年よりもダークな犯罪者顔だった・・・。
その結果、どれほど周りに迷惑をかけるのか、自分の首を絞めることになるのか、どこかでわかっていたのにしらんぷりをしていた。というより、うまくいかないことがあたりまえだと思っていた。


どうしてそうなっちゃってたのか、深いところはわかるようでわからないのだが
そういう自分のシーズンがあったから、今の自分がいることは確かだと思う。


今の自分も決して褒められるようなもんじゃないし
いろんなことが大してうまくいっているわけではないけど
うまくいかない理由を過去や周りに求めるのはやめた。だって過去も周りも、私には変えられないし、そこに時間や思想を裂くことがいかにセルフSMプレイなのかも、ここ数年かけてようやく納得できたから(遅いわ~w)。
自分の幸せの手綱を取るのは自分だと、やっとこさ本気で思えるようになったことは、自分で自分を褒めてもいいと思っている。
好みのタイプだって、ミスタースポック→阿藤快新井浩文→サン・カン(今ココ)と、それでも次第にソフト化してるのが素晴らしい。

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今、ここ。

どんな人にも、いろんなシーズンがある。
どのシーズンの渦中にいようとも、その人がその人であることは変わらない。
私がどんな季節のなかにいようとも、ずっと縁が切れずにあった関係性に今、とても感謝しているし、大切にしたいし、私のこれからの幸せをたくさん分かち合いたい。そう決めている。

なによりもこうしてアウトプットしていくことが、今の自分にとってとても大事だ。
だから最後にこれだけは言わせてほしい。
もう二度と、ワル~い目付きにゾクゾクしたりはしません!


がんばれ、私。

ただいま、牽制中です!

人は自分をガードするために、いろんなやり方で周りを牽制(けんせい)することがある。


私の場合、よくやっちゃうなーと思うのが、仕事や家事の忙しさをアピールして、今これ以上、私にめんどくさい頼みごとをするなよーという子供への牽制。
まあ、おおかた無視されて、こっちがどんな状態だろうが平気で送ってけとか迎えに来いとかなんか食べたいとか買ってこいとか頼んでくるので、牽制レベルゼロに等しいんだけどw


「牽制」って言葉の意味を調べると

相手の注意を自分の方に引き付けて自由な行動を抑制すること。 野球で投手または捕手が野手に送球し、盗塁を防ぐこと。

相手を威圧したり監視したりして自由な行動を妨げること。

作戦上、自分の都合のよい所へ敵を引きとめること。また、敵の動きを封じること。

だとか。


要は、やんわりとした脅しや策略的言動で相手を動けなくするってことかな。
サウジアラビアの石油施設が攻撃された件で、アメリカがイラクに「我々は臨戦態勢にある」と強く牽制したってニュースも入ってきたが、つまり、そんな感じのことだ。ちっともやんわりしてないとは思うけど・・・。

日常的にいうと、例えば、〆切過ぎてる納品などいわば正当な要求をしても、相手が病気や怪我などを理由に断ってきたら、たとえそれが半信半疑でもそれ以上強く要求する自分って人でなし?みたいな、良心の呵責に訴えるパターンが多いかも。
だから遠慮のない子供や家族には通じないし、ハガネのメンタルを持つ人にはあえて無視されたりもする。


誰でも大なり小なりやってしまう牽制だけど、度がすぎると信頼を失う。

特に、頭のいい人に多い気がするけど、自分の不幸や不運な出来事をアピールした上で、でも、やることやってますけど何か?的なパターンはいただけない。
牽制力がコワモテすぎて、可愛げがなさすぎるw
それで守れるものもたいして多くない。

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猫の無言の牽制力はすごい・・・。

心理学的にいうところの“ゲーム”というコミュニケーション手法がある。無意識のうちに、相手にネガティブな思いを抱かせる言動をして自分に気を惹かせたり、責任逃れをしたり、極端に自分が傷つかないよう守ったりする手法で、おおくは幼少期の愛情問題に端を発しているというが
当然、いいコミュニケーション法ではないから、ゲームを仕掛けた相手との関係はどんどん歪んでいく。

自分をガードしようと牽制が過ぎるのも、そんなゲームの一種なのかも。


無理なものは無理、嫌なものは嫌、それ以上近づかないで!とか、そのままの気持ちをストレートに相手にぶつけられたら一番いいけど、いろんな関係性のなかではそうもいかない。
そんな時に発動する牽制は、まあバレてるだろうけど…許して!くらいの可愛げがあるといいかもね!
「ただいま、牽制中です!」って心の中でにっこり笑っているくらいでどうでしょう・・・?

苦笑いしながらも納得してくれる相手がいたら、大切にしよう。
そして子供への牽制法は年々策を練らねばいけないのである。

伝える人。

西川悟平さんというピアニストをご存知だろうか。
15歳という遅咲きでピアノをはじめて音大へ進み、卒業後はNYに渡って活躍するものの、ジストニアという難病にかかって両手の指が動かなくなり、医者は「一生、ピアノを弾けない」と宣告。しかし、懸命の治療とリハビリで、右手は全部の指が、左手は親指と人差し指(だったかな?)の2本だけが動くようになり、現在は“7本指のピアニスト”としてNYを拠点に日本でも活躍している。


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コンサートのチラシ。りりしいイケメンだが、話し出すと印象が変わる(笑)


縁あって、彼の日本でのコンサートに2回行ったことがある。
2回目はつい先日のことだ。
初めてのときは共演者が目当てで、悟平さんのプロフィール自体よく知らなかった。でも、悟平さんが舞台に登場し、演奏の前にマイクを握った途端、あ、面白い! と夢中になってしまった。


大阪の堺出身という彼は、ピアニストでもあるが、大阪人らしいオチ付きのミラクルストーリーをネタに持つコミックアーティストのようでもある。
きっと彼が、愛と素直さと希望を持っているからこそ起こり得る奇跡のような実話を、笑いすぎて涙が出るほどの大爆笑ネタとして披露してくれる。例えば、自宅を襲った強盗にバスルームの修理を無償でしてもらって、挙句に「ドアの鍵は簡単に開けるな!危険じゃないか!」と怒られた云々なんて話のオチは、まるで映画だ。
そして、ひとたびピアノの前に座れば、曲のジャンルこそさまざまなのだけど、一曲ごとが情熱的で、その音の熱風のようなものに、さっきとはまた違う涙がこぼれそうになってしまう。

トークにしても、メインのピアノ演奏にしても(トークの方がメインかと思うくらい沸くがww)“今、ここにいる人に思いきり楽しんでもらいたい”というような彼の超ポジティブな思いが、ストレートに伝わってくる。その直球な思いに、私なんかはやられてしまうのだ。


ハンデを克服して・・・という前提は、それだけで感動を誘うものかもしれないけれど、そのことだけがその人の素晴らしさのすべてではないと、西川悟平さんのコンサートに行くと感じる。
彼が7本指であることは、彼がピアニストとして評価されるプロフィールの一端だろうし、今の彼を形づくる欠けがたい要素かもしれないけれど、彼の魅力のすべてではない。少なくとも私はコンサートの間中、彼の指が7本しか動かないという前提を忘れてしまう。
“伝える人”というのは、きっと、私たちの想像が届かない大きな何かを超えているんだろう。


誰もが、毎日、超えがたい何かを超え続けて生きているのかもしれないが、それは人生のすべてではない。すべてだと自分が思った途端、人生を支配されてしまうだけだ。
2回目のコンサートの時以来、笑って泣いて広がった私のなかには、そんな真実が伝わっている。

機会があれば、ぜひコンサートへ!
https://goheinishikawa.com/

書くこと。

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今月2週連続で訪れた京都。毎回、タワーは昇らず眺めるだけ

8月はいろんなところへ行った。
長良川で水遊びしたし、瑞浪の山の中の素敵な店へランチしにも行った。京都の五山の送り火を生まれて初めて生で見たし、その翌週には同じく京都の伏見稲荷へお参りにも行った。10年ぶりくらいに栄のどまつりも見に行った。
いろんな感動を味わうたびに、この時間を気持ちを文章にしようと思っているのに、いざPC前に座ると仕事ファイルを優先して開けて、気づけばブログに向かう気力はなし・・・。
仕事以外で書くことで、今の自分から少しずつ変化していこうと思ってはじめたのに、結局、変わらない毎日のまま足踏みとしているのは自分自身。自分の足は、自分で前に出さない限り、進まないのだ。そりゃそうだ。


だいたい、私は文章を書くことが好きなのだ。文章化することが一番、自分の気持ちを表現しやすいように感じている。口から出る言葉は、いつも足りなかったり、過剰だったり、変な方向へ行ってしまって、自分の本音からどんどん遠ざかっていくような気がしている。そして、どんどん面倒くさくなって、誤解も放置して、人に嫌われるし、自分にもうんざりする。


文章だって、自分の気持ちがまっすぐ書けているかといえば、語彙や表現力の足りなさゆえ、消化不良なことはあるけれど、それでも時折、こういうことが言いたかったんだという自分に気づいたり、安心したり、慰められたりする。最後まで書ければ、その時の自分の気持ちや思いを、途中放棄しなくて済む。あとはどれだけ、伝わる文章が書けるようになっていくかだけど、それも書くことでしか始まらない。


できない、やらない自分にフォーカスすると、ひとりSMプレイが始まってしまって、その快楽に溺れてしまうのが常なので、まずは今こうして書いている自分を褒めて励まそう。
書かなきゃは辛いけど、ブログを続けることの意義を思い出せたのも、やっぱり今、書いているからなのだし。

自分の時間。

先日、今の仕事に関わる「時間」をお金に換えるサービスというものがあるという話を聞いた。
必要なのは仕事に関わる時間だけで、その結果の納品物は必要ないというのが当初の話だった。
もちろん、これまでの経験やスキルがあるからこそ、その時間に価値があるというのは理解できたのだけれど、今まで常に労働した時間の結果にある「納品物」に対価をいただいていると思っていた身としては、なかなかしっくりこない話だった。最終的に、どこまでいっても納品物は付属でしかなくて、そこに価値を置かない話だったので、私はいまいちノレなかった。


その仕事自体を否定したいわけではない。人によっては、そういう自分のスキルや時間の売り方は有りなのかもしれないし、ノレなかったのは、私の頭の固さなのかもしれない。
ただ、その話は、自分の「時間」の捉え方に思いを馳せるきっかけになった。


「時間」というと、思い出すのは、またもや子どもの頃のことだ。
毎日、それはそれは忙しく働く母から、ことあるごとに「時間は作るもの!」と言われ続けたせいか、昔はなかなか「時間がない。だからできない」と言えなかった。というか、そういう“言い訳”は、ひどくみっともないものだと思っていた。
今の私は、それは母親の考えで、私の考えではない、と切り離せるようになっているので、「時間がないからできませ~ん!」と平気で言える。
それでもやはり、多忙な母が自分のやりたいことだけでなく、家族のための時間もしっかり作っていた姿は鮮烈で、肯定的な印象があって、私の中にも「時間は自分でどうにかできるもの」という感覚がずっとある。


仕事も、家事も、人と会うのも、踊りに行くのも、寝るのも、ただぼんやり過ごすのも、そのための時間を自分が作りたいから作っている。1日24時間をどう分配するかは、自分次第なのだ。
もちろん、誰かのためやお金のために自分の時間を使わなくちゃいけないことは多々あるけれど、どの時間をいつ使って、どの時間を削って、どの時間を生むかの選択は、自分の自由だ。本当に嫌なことに、自分の時間は使いたくないし、たとえお金に換わるとしても気持ちのノラないことに、自分の時間を使うのは好きではない。
私の時間には、すべて価値がある。それは、人の時間も同じ。
だから、できるだけ遅刻はしないように、約束は守るようにと思っているが、まあもちろん、遅れちゃったり守れなかったりもする。そういう場合はちゃんと言う。
「時間がなかったもんで・・・ごめんね!」と。
うん、成長してるな私。

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誰かと飲むのも、ひとりで飲むのも大事な時間。〆切間近だって飲みたい夜は飲むのだ…!

夜8時の憂鬱。

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子供がまだ小学生の頃、夜8時頃になると、理由もなくイライラして気持ちが落ち込む自分に気がついた。
もしかしたらずっと昔からそうだったのかもしれないが、その日はなぜかハタと思った。そういえば、どうして私は毎晩、この時間帯になると腹を立てていて、憂鬱なんだろうと。
すると、細い記憶の糸がするするする~と解けるように、思い至った。子供の頃、毎晩この時間帯になると、両親のケンカが始まっていたことに。ああ、だからか~と腑に落ちた次の日から、私の夜8時の憂鬱は消えた。


親のありようは、子供になにかしらの影響を及ぼすようだ。それは、自分が親になって、子供が高校生にまで育った今となっては、苦い思いと共に実感することが正直多い。きっと彼らにも、私の夜8時のトラウマチックなものを、与えてしまっているかもしれないと。
例えば、虐待のニュースなど見ても、ひやりとする。ここまでに至る垣根を、私がいくつ越えなかったと言えるんだろうかと。親ならば誰もが、後悔のまったくない子育てなどしてきていないのだ。


昔、心理学の講座で、自分の中の怒りを表面化して許すみたいなワークがあった。そこで私が一番の怒りの対象にしたのは自分の父親だったけど、最後まで許して終わることはできなかった。その頃、父親はすでに他界していたので、本人に怒りをぶつけて解消することもできず、父親のことは、その後、何度かいろいろな形で扱って、自分のなかで許せないまでも納得しようと試みるのだけど、いつもあまりうまくいかなかった。
別に、今思えば、私への暴力があったわけでもないし、いい時にはたくさん遊んでくれもした。そんなにひどい父親ではなかったのかもしれない。だけど、その頃の私は、自分の不運はみんな、父親の存在が根っこにあるせいだと思い込みたかったのだ。


夜8時の憂鬱が消えた日は不思議な気持ちだった。その時の気持ちを言葉にすると、なんとなく、こういうことだったのではないかと思う。
たいていの嫌なモノゴトは、気づけば終わる。終わって次へ進む。
それはもう大人ならみんな、とっくに知っていることなのかもしれないが、私はようやく言葉にできた。そして、何回も何回も繰り返し、同じようなことを反芻しては気づいて、少しずつ解消していくことも多くて、またかよ! とも思うけれど、たぶん味わいたいのだから仕方ない(笑)。
父親との思い出には、ずいぶんと笑顔のシーンが増えてきた。
最近は、もう少し長生きして、孫に入学祝でもやってくれれば良かったのにと思うくらいには、私も進んでいる。