お知らせ

「中司宏の航海日誌」をご覧いただいているみなさん、大変ご無沙汰しています。
これまでお読みいただき、ありがとうございました。

昨年は、両親が相次いで旅立ったこと、次男が結婚したことをはじめ、身の回りで様々な出来事がありました。
そうした中で私自身も心機一転し、一から出直すべく気持ちを切り替えて活動を再開しました。
これから、目標を達成するために全力で頑張ります。

そこで、ホームページをリニューアルし、新たにFacebook上に活動ページを立ち上げました。
今後はそちらで日々の活動を報告していきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

中司宏公式Webサイト
http://nakatsukahiroshi.jp/

中司宏 活動報告
https://www.facebook.com/nakatsukahiroshireport

環境ネットワーク会議

特定非営利活動法人「ひらかた環境ネットワーク会議」の設立10周年記念式典がこのほど行われ、発足に携わった一人としてセレモニーに参加しました。
当時、環境をテーマにした首長会議に積極的に参加するなど、「枚方を環境先進都市にしたい」との強い思いで市の環境基本計画を策定し、市民参加の環境ネットワークを立ち上げました。
清掃工場にゴミが山積みになり、”ゴミ非常事態宣言”を出す中で、市民との協働で取り組んだゴミ減量が軌道に乗り始めていた時期でもあり、「環境」は政策の大きな柱でした。
3年にわたる設立準備期間から今日に至るまで、多くの市民、事業者、そして市の担当職員の皆さんのご尽力が実を結び、この大きな節目が迎えられたことに思いを馳せると、嬉しくまた懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
設立に深く関わって下さった植田和弘・京大大学院教授はスピーチで、▽ネットワークは世代を超えてつながっていく必要がある▽ワイワイ楽しくやれば新しいアイデアが生まれる▽様々な資源を生かす経営力を身につけることが大切―と話されました。

袴田さんが”復帰”

強盗殺人事件の冤罪で苦しみ続け、半世紀ぶりに再審開始決定を勝ち取った元プロボクサーの袴田巌さんが、「名誉チャンピオンベルト」を付けて後楽園ホールのリングでファイティングポーズをとる姿が、新聞紙面を飾りました。
チャンピオンベルトは、約50年の長きにわたって無実を訴えてこられた袴田さんのファイトをたたえて、世界ボクシング評議会(WBC)から贈られたものです。
この事件は、拷問のような取り調べをはじめ、証拠捏造疑惑、被告に有利な証拠を出さないといった警察・検察の姿勢や、再審率が極めて低い再審制度など、日本の司法制度の問題点を象徴する冤罪事件です。再審での一日も早い無罪確定を期待しています。
一方、パソコンの遠隔操作事件で「真犯人」を名乗るメールが報道関係者らに送られてきたことを、前回このブログで取り上げましたが、このメールが片山被告による”自作自演”であったことを本人が弁護士に伝えてきた、との報道がありました。ショックと同時に非常に残念です。

「真犯人」がメール

一昨年、パソコンの遠隔ウイルスによる犯罪予告メールで4人が誤認逮捕された事件で、新たに「真犯人」を名乗るメールが、報道関係者や弁護士ら25人に送られてきました。
弁護士が公開したそのメールには、この事件で威力業務妨害罪などで起訴されている片山被告のパソコンを遠隔操作して「(犯人と誤認されるよう)仕込んだ」た経緯や、犯人しか知りえない情報などが具体的に記されていました。
片山さんは、裁判で一貫して無実を主張され、弁護団も繰り返し冤罪を訴えていることから、無罪判決が出る可能性が高いと言われています。
卑劣な手段でおとしめられたと思われる片山さんの一日も早い名誉回復を願う一方で、誤認逮捕を繰り返した警察当局の、この種の事件に対する捜査のあり方を根本から見直さなければなりません。
またこの事件では、一昨年に誤認逮捕されたうちの2人が、取り調べ当時、「このままだと少年院行きだ」などと脅され、犯してもいない罪を認める「自白」調書にサインさせられていたことが明らかになっています。
この事件のように、誰もが犯人に仕立てあげられる可能性をはらんでいる中で、決して冤罪を生まない仕組みを作るためには、どのようにして事実無根の「自白」調書が作成されたのか、捜査を担った司法当局やそれを報道したマスコミによって徹底した検証を行う必要があります。

初月忌

母と父が相次いで旅立ってから早やひと月が経ちました。母の家族葬を終えたその夜に、まるで後を追うように永眠した父の葬儀には、延べ千人を超える多くの方にご参列いただきました。
おかげさまで、しめやかな中にも、何事も賑やかなことが好きだった父に相応しい葬儀を執り行うことができました。
ともに晩年は私のことで心労を煩わせましたので、今はただ、私なりに一からまた精進を重ねていくことが、何よりの追善の道と考えております。
お世話になった方々への挨拶回りもまだ十分にはできていませんが、ようやく日常を取り戻しつつあります。
お心のこもったたくさんの弔意のお言葉の数々に随分と励まされ、感謝の気持ちで一杯です。
しばらくは心に大きな穴があいたようで、それぞれお返事もできておりませんが、本当にありがとうございました。

両親の死

3月13日夕、認知症の母が入院先の病院で亡くなりました。
父が肺炎で入院中のため、葬儀は家族だけで行ったのですが、告別式を終えた15日夜、今度は父の入院先の病院から容態が急変したとの知らせがあり、駆けつけたところ、母の後を追うようにすでに永眠していました。
母は85歳、父は88歳の生涯でした。父の葬儀は20日に執り行います。
二親をほぼ同時に亡くした今の気持ちは、悲しみがこみ上げるというより、心にぽっかりと大きな穴が開いた感じです。同時に、「もっと優しくすれば良かった」という後悔の念にさいなまれ、気が付くと自分を責めています。
母が引き寄せたのか、父が追いかけたのか、或いは、そのどちらもなのか分かりません。寄り添って65年、そんなに仲が良かったわけではないのに、最後は仲良く旅立って行きました。

3月11日

誕生日に、今年もメールやFacebookなどでたくさんのメッセージをいただきました。
58歳、もう還暦に近くなりましたが、まだまだやらなければと思うことや、挑戦したいことは尽きません。

そこで今年は、誕生日の2日前に行われた寝屋川ハーフマラソンに、息子と一緒に初挑戦しました。
かつて寝屋川高の陸上部で、走ることには慣れていたはずですが、10キロ以上は未知の世界です。ゆっくりとマイペースで走ったのに、15キロあたりから足の指先のマメが破れ、膝はガクガクして足が上がりません。ゴール時はフラフラでしたが、何とか完走できました。
これからハーフを何回か重ね、いずれはフルマラソンに挑戦したいと思っています。

さて、言うまでもなく3月11日は、私たちにとって忘れることのできない大震災の日となり、命の大切さや生き方を考える日になりました。
ここ数日のテレビや新聞の特集で、改めて多くの悲劇を目にして涙し、勇気ある行動に感動を覚えました。
日本はこの日を境に変わったと言われます。
しかし震災から3年、多くの犠牲を伴った教訓を経て日本は本当に変わるべき方向に変わったのかと疑問に思っています。
地震津波など大災害に対する危機管理や、自助共助、地域コミュニティーのあり方などへの人々の意識改革は一定進みました。
けれども、被災地の復旧や被災者の生活支援などついてはまだまだ不十分です。さらに、原発事故の後処理、放射能汚染、原発の再稼働など根本的な問題に対しては、政府やマスコミでさえ正面から向き合っているとは思えないのです。
だから私は、3.11を犠牲者への追悼の日とするだけでなく、今なお続く被災地の苦しみや悲しみ、そして怒りをも含めて日本中が意識を共有する日にしなければならないと考えます。
改めて3.11が持つ意味をかみしめ、今やらなければならないことを模索し行動に移すため、これからも頑張っていきます。