戦争回避を考える人への3つの鍵「量子力学は百年経っても馴染まない?」

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戦争回避を考える人への3つの鍵「フリンジ」をご覧の方限定で②
テーマ:スピリチュアルの寝言
戦争回避を考える人への3つの鍵
「フリンジ」をご覧の方限定で②

アメリカドラマ【FRINGE】
そして以前紹介した【フラッシュフォワード】
2つともストーリーのベースとして
量子力学」理論が用いられていて
2つともサブテーマに
「自由意志は嘘?」があります
さらにPODCASTHEROとしても取材
された番組
バイリンガルニュース」のMami
さんも「自由意志にクエスチョン
マーク」を付ける派のようです

このブログでは「選択とは選択し
なかった方を想像する力」でしか
ないのではないか(鍵の①)とい
う仮説に基づいてお話を進めてい
て正に「自由意志は嘘」的な仮説
に基づこうとしています

しかし、「自由意志」を安易に否
定してしまうことはおそらく・・・
とりもなおさず「自己の奴隷化」
だと感じる人もいるはず

また、自由意志を否定するような
発想が可能な時点でそのこと自体
「自由意志を持っている」ことの
証拠だという考え方もできる?
のかもしれません

ただ「自己責任」という強い言葉
で追求されてきたこの半世紀の
に対する要求のようには

「自己の自由度」「自由意志」によ
る「選択の自由」は無いと考えるこ
とは
歴史の必然なのかもしれません


 

先にご紹介した芥川の【河童】の
中で、

「わが子が生まれるその前に
母親のお腹に聴診器をあて
『お前はこの世に産まれてきた
いかどうか』を聴く・・・

このことの意味を比喩としてで
はなく、例えば我が身に置き換
えてみるとき、「自由意志」によ
って「選択した」ことに対して「
自己責任」を負うことの意味は
あまりに一方的である気がしま
せんか?

【戦争回避を考える人への3つの鍵】ゲーム オブ スローンズをご覧の方限定で

【戦争回避を考える人への3つの鍵】

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限定で

わりと最近のドラマDVDで「ゲーム
オブ スローンズというのを借りて観てい
ます

まあ、なんとも凄い作品です

ドラマというのは、エロティックな部分を
ぼかしたり、リアルではなく描くと
いうまあ一種のお約束がある訳です
が、このドラマはできる限りリアル
に包み隠さず・・・裸体とかまぐわ
うシーンとか描き切っています

単純に言ってしまうと愛憎と殺し合
いを生々しく描いている訳ですが、

その描写に惹き込まれながらも、何
か奇妙な心理を自分の中に発見しま

それはわが子や親族に対する愛情と
SEXに関する動機づけについては、
自分のこととしても理解できるよう
に思うけれど、憎しみと殺し合いの
動機づけの描き方が単純過ぎるよう
に思えてくる

という自分の心理です

親兄弟を殺されたから、後にそいつ
らを殺しに行く

そんな愛憎劇の循環が歴史を作って
きたのでしょうか?

もし、その殺戮の悪循環から抜け出
したければ、許しや勇気を持てばよ
いのでしょうか?

逆にそんなに単純じゃないって言う
なら、他に何があるのでしょう?

そして、このブログの仮説のように
もし「私たちは、よりよい未来を選
択できると信じているが、どうもそ
うではないらしい」のなら、何がで
きるのでしょうか?

戦争回避を考える人への3つの鍵「感情の反響転位が個のホメオスタシス}?

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戦争回避を考える人への3つの鍵
(2015.0208)のブログから

 
シリーズ「戦争回避を考える人への3つの鍵」
 
のそもそものスタートの記事を再掲しますね


3つの鍵について、証明することはできない
 
かもしれませんが、歴史を見る限り私たちは
 

「正しいと思う方を選択できると信じている
 
 がどうも、そうではないかもしれない・・・」
 

という見方をしてみませんか?という問いで
 

 


その上で何ができるか?を考えることは不可能
 
ではないと思うからです
 


キーとなるのは「私たちの本体は私ではない」
 
という考え方だと思うのです
 

どこまでも「私」にとらわれている限りこの世
 
の自動操縦をとめることはできないのではない

でしょうか?
 

以下、再掲です


戦争回避を考える上でポイントとなると思われ
 

る2つの鍵に加え、最近思い至っている3つめ

の鍵について思いつくままに書き綴っていきます
 

鍵①
 
私たちが「選択」と読んでいるのは
 
【選択しなかった方を想像する力】であって
 
 実際、選択しつつ人生を送っている訳ではない
 
               という仮説
 

鍵②
 
私たちは、確かに過去「知恵の実」を齧ったが
 
じつのところ、今も毎時・毎分・毎秒「りんご
 
を齧り続けている」
 

つまり、「善悪の判断がつくのはりんごを齧っ
 
た瞬間だけで、しかも『りんごを齧ったことが

いけないことである』という判断がついただけ

である
 
               という仮説


つまり、遠い過去に齧ったひと齧りの知恵の実
 
のおかげて、未来永劫「善悪」の判断がつくよ

うになっているわけではないということ


鍵③
 
コウモリやイルカにみられる「反響定位」とい

う能力・・・


これは超音波によって外界をサーチする能力
 
であるけれど、同時に「自己という固体」を

サーチしているはず
 
(でなかったら、複数のコウモリがいる場合
 
 だれの反響なのかわからなくなり落下して
 
 しまうに違いないから)
 

この反響定位を音ではなく、感情によって
 
サーチしているのが人類
 
             という仮説
 

つまり自分の発した「感情の元となるオーラ」
 
の反響を感知して感情を引き起こし「自己」
 
を保持している。
 

3つの鍵から言えること
 

①人は過去から学ばないし
 

②実は未来を選択してすらいない
 

③しかし、感情により「個」を保持している
 
 だけなので、その感情が特定の「発信者」に
 
 戻ってこず、シェアできれば、憎しみの連鎖
 
 は消える
 

という仮説