睡眠ポリグラフィー精密検査

 少し前の事だけれど、9月19日、病院で睡眠時に呼吸が止まっていないかを検査してもらった。結果を先に言うと「何の異常もなくぐっすり眠れている」だった。(あれ?笑)

 

 まず前回は、呼吸器内科で、自宅で簡易にできる機器を借りて自分で装着して寝る簡易検査をした。そして機器を医院に返してから一週間後、結果を聞きにまた医院へ。その時の結果は「呼吸が止まった回数は5回位で、異常な値ではない」ということだった。ただそれでも日中寝てしまう原因の一つかもしれない、とも先生はおっしゃった。(不安げに僕が確かめたからかもしれないが・・)

たしか既に一ヶ月後に病院に泊りがけでの検査を予約していて、「より詳細に検査してもらいましょう」という話になった。

 

 検査を実施している病院はあまりない。値段も1万〜3万円位でやっぱり高かった。ただ、不定期に発生する検査を一人のためだけに先生と看護師さんとが夜通し動いてくれる事をおもうとありがたい気がする。

早めに夕食をとって病院へ向かい19時に受付をした。(入院施設ではなく、自分のためだけに病院はあけられていた。先生は戸締まりしながら僕と3階へ。)

部屋に案内され説明を受けて寝間着に着替える。あとは21時までは自由にしていられた。きれいなシーツの上で、久しぶりにのんびりテレビを観て過ごした。

 

 21時になると、全身にセンサー的なものを先生が取り付けていってくれる。手足の指先、頭頂部、顔面。30個位つけられた気がする。身体が痛くも辛くもないのに包帯ぐるぐるな感じで、微熱で休んでこたつでテレビ観てた小学生のときみたいな気分だった。

f:id:namasuteosaka:20201107233922j:plain


 これなら寝ている間の全てが測定されそうな安心感がある。夢の内容まで筒抜けなんじゃないのか。22時に消灯であとは本領発揮で寝るだけである。これで不甲斐ない眠気も解消されるかも・・と少しワクワクドキドキ。

どんどん貼っていく先生に眠気の悩みを伝えたら、「明らかに無呼吸の状態がわかれば、深夜からCPAPで寝られるか試しましょう」と、先生もおそらくその心づもりのような話だった。CPAPシーパップ)とは、ダース・ベイダーみたいなマスクのことで、機械で空気を送って陽圧状態にして気道を開き、無呼吸状態を改善する治療法だが、そんなごっついものをつけたらそもそも寝られなかったり、色々あるのだそう。

 僕もそれは辛いなあ・・と思った。下位的な位置づけのマウスピースだけで改善するならそっちの方がいいです、と本気で言ったんだが、なんのこっちゃなかった。

翌朝7時頃までぐっすり寝て、気分爽快で目覚めた。

先生「昨日の感じだと、全然症状はないですね」

「起こされなかったんで、そんな気はしてました」

(夜通しで先生、なんか、すいませんでした・・)

 

睡眠ポリグラフィー検査をした。

1年ぶりにまた働き始めてやっと思い出した事があった。疲れやすく、眠くなるのだ。

そもそも怠け者で努力を惜しむところがあるし、夜ふかししたり、毎日昼休みに寝る習慣のせいかもしれない、とも思っていた。20歳の時一度だけ、心療内科に相談した際は、特に異常は無かったようで薬を出してもらったものの、薬局で受け取るとアトピーで貰っていたビタミン剤だったのでそれきりになった。当時ガラケーでネット検索すると、そういう診断は大学病院規模のところに1週間程入院して精密検査を受けないと診断できない、と読んだ気がする。

 

高校の授業では好きな科目でも頻繁にうとうとして、(集中と睡眠は紙一重)と思っていた。誰か女子が、ホンマは家族おって働いてんねやろ(笑)、ってぼそっと話していたが半分寝てたので夢かもしれない。運転をするようになって、2tダンプで道の植栽に突っ込んだり、帰宅時はあと10分の距離をコンビニで仮眠していたりした。

発端は、中学の数学の授業でついていけなくなったとき、強引に寝るようにしていたことだと思う。つまらない事柄をシャットアウトする癖がついている。高校生活で強い印象があるのが、授業終わりのチャイムで一瞬覚醒するんである。周囲には伝わらなかったが、(炭酸飲料ペットボトルのフタを開けたような、シュパッという感覚)が頭で起こっていた。

ただ、自分では徐々にマシになってきている自覚があった。10代の強烈な眠気と比べると運転する気力がついてきているような気がするし、昼ごはんを暴飲暴食しない事と必ず10分程寝る事で何とかやり過ごしていた。前職は重機で走り回っていたので時々辛い日もあったんだが。

 

と、いつも眠気が出るまでは忘れてしまっている(気になるのは会議とか研修とか連勤が続くとき)この頼りない身体を遂に検査してもらうことにした。金曜日にちょうど思い出してよかった。簡易な検査は自宅で機器を付けて寝るだけ。これで何とかなるなら本当に医療に感謝です。人さし指で脈を、鼻の両穴につけた管で呼吸を測って記録するようです。

 

f:id:namasuteosaka:20200705232226j:plain

 

土曜日の晩、いざ付けて寝たんだが、なんとも鼻の穴がこそばいのと、謎の興奮(病気を期待するような、しないような・・)で寝付きが遅くなった。2時間ほど、寝れない時の切り札You Tubeで落語を聞き続けた。(いつもは、面白いのにオチまでに寝れるんである)

鼻の管をイジっているうちに寝ていたが、起きた時管が口元にほっぽりだされていた。

あまり正確な検査は期待できそうになかったので、管をキチンとつけて10時頃までふて寝した。ああ情けない。

月曜日に医院に提出して、1週間程して結果がわかるらしい。

精密な検査でも、今は一晩泊まるだけで検査を受けられるらしく、そちらを受けて確証を得た診断がなされるのが流れであろう。

てことで今日は身軽に寝る。明日もノープロブレム元気に仕事。

時々、意味もなくずんずん歩く

コロナウイルス対策の自粛ムードが始まって2ヶ月?ぐらいが経って、なかなか暗い気分になっていた。あかんあかん。笑

新しく入社して、他の人も不安を持ってるかな、なんて勝手に思って全く誰にも会ってなかった。もしも罹ったなら甥っ子姪っ子のところにも当分遊びにいけないだろうし、いまお金もないし、なかなか難しい情勢。阪神淡路大震災時は3歳で覚えておらず、こういうのは初めてかも。

 

【時々意味もなくずんずん走る】。仕事を辞めてからよく気分を盛り上げてくれた一文。高野秀行「世にも奇妙なマラソン大会」の書き出し。高野氏は宮田珠己氏の一文から持ってきたようで、元は、時々意味もなくずんずん歩く。

インド滞在中も帰ってきてからも、よく歩いた。リキシャ代ケチったとか、迷わないように散策しようとか(一日一ターン制で動いていたからよく下見に行った)、暇だったとか、ただ無駄に徒歩だった。デリー駅から宿まで暗いなか歩いたときはもう凄く怖かった。でもふと、「いまずんずん歩いてるなあ(笑)」なんて頭に浮かぶと、にやけながら歩けた。Bon joviのits my lifeもテーマソングになった。なかやまきんに君のネタを思い出しながら口ずさんだ。いや、実際はのそのそバタバタ歩いてるんだけど。

歩いていると考えるのも面倒なのか暇だからか、建築物に目がいって、これはどうやってつくったんやろう、このタイルはキレイやけどすごい大変そう、これはまあ若手でもできそう、とか思う。舗装がバチッと決まっていて滑らかで歩きやすい、こしらえた人達はすごいよなあ・・

リフレッシュするのに定期的に、目的等は決めずに、いつも通らない道を歩いたり。たまに思い出そう。

 

それにしても、これまで親父はよく頑張ったと思う。おかんが橋から飛んで親1人子4人になってからは、朝は僕と姉の弁当を作り、帰ってくるのは夜8時頃。土曜日まで働いて、日曜日は実家で田んぼや畑の手伝いをして。自分の家に帰ってきてもおかえりなんて誰も言わず、ご飯もない。炊いた白飯が炊飯器に残されていたりいなかったり。とにかく安い系の缶チューハイやら発泡酒を飲んでテーブルでうたた寝しながら小僧達の風呂を待つ。風呂はだいたい湯が冷めてたし、湯量がほぼなくても誰も父の分は気にしない。兄二人も父に対して素直な接し方でなかった。僕は常にぼけっとテレビを観てて、頼みもせずに小3から中学卒業まで野球をさせてもらった。高校ではやたら高いユニホーム類を買ってすぐ辞めてしまって、何週間か引きこもって登校日数ぎりぎりだった。進路も就職の事も話したことはなかった。今回の就職以外は転職も話してこなかった。なんて気ままなもんだ。

 ただ近頃は身体の節々が調子悪いとか、仕事がないとかで、しょうがないけど怠惰な生活をしている。一緒に住んでると同調しそうで嫌だった。彼も歩いたほうがいい。

僕もかなり似ていると思うが、父は不器用な人だ。いつもヘラヘラしていて、会話がぐだぐだで、他人に合わせてるようで頑固で、屁理屈で、お酒でいつも紛らわしていて、なんか色々と自己流でビミョウ。もはや乞食(無駄にガラクタをもらってくるのと、法事なやなんかで飯屋にいくと必ず何か持って帰ろうとするところ)。

でも、耐えに耐え忍んでここまできたのは本当にすごい。なんでこんな家計のなかで不自由なく育ててもらえたのか。なんで自分にはお金を回したりしなかったのか。知る限りもうだいぶ服は一着も買っておらず、パンツ靴下なんかは、中学生の僕の捨てようとしたものを履いたりしていた。なんか言葉が似合わないけれど、絶対に守り抜きたいところがあって、人が良いから、としか理由は浮かばない。

 

このGWに帰って何かすることあるかな、なんてまどろっこしくメールで聞いてみたらすぐに着信があった。僕が働き始めたことを嬉しがるような声だった。好きなこと、おもしろいと思う仕事したらいい、と言われた。とりあえず特に仕事はないし、帰ってくるかはどっちでもいい、と。もうだいぶ前から、人間のレベルは対等(仕事で専門にしている事以外)だと思っているけど、気にかけてくれている。すごく父らしい。いいところを普段も発揮して、もっと田舎に誰か遊びにきたり、ちょっと手伝ってもらったりなったらいいなあと思う。

たぶんお盆は帰って草刈りすることになるとおもう。はっきり意見はなかったけど。

公子中毒

北大路公子さん著の『生きていてもいいのかしら日記』は中毒性があった。おもしろすぎてすっきりしたー、2回目は読む気にならないな~なんて思って、一番下に置いたのに。(本は地べたに積んでて次読むやつが一番上で、他4冊の下敷き)

2晩目の寝る前にまた掘り起こして読んでしまって、ひとしきり笑った後、・・もういい、おもろいけど、おもろいだけってしつこい・・ちょっとこれは寝かそう・・。って変な気分になったところまで。これは中毒。じぶんで思っているより欲してしまっている。

 

中毒というか、僕はやはりインドに心酔しているのか、インドの○○というだけで大体肯定する。意識してしようとしているときもある。知りもしないのに、

 暑い→雨季がくるまで楽しまなきゃ

なんかぼったくってない?→よそもんやしなあ

断られる→英語下手だからなめてんのか・・いや、見た目とかなんやかんやが怪しいのかな・・

インド各地でブチギレスキルを存分にマスターした姿を妄想した気持ちは結局実行できなかった気がする。

 

そんな感じなんやけど解せない人がいる。はっきり言っていらいらする。ほぼ毎日メッセージで「Hello,how are you」を送りつけてくるやつ。初めはただ嬉しかった、バラナシの薬局で2回お世話になっただけで、他のバカみたいに「日本人の女性の友達を紹介して」なんて言ってこない。(これ言われると、頑張って英語でやりとりしてるもんだからそれはもう萎える。そっちこそパンジャビドレス着た女子紹介しろ!って心で叫んでから返信を遅くする。)そもそも他人との交流がほぼなかったから連絡先ゲットぉ!って思ってた。

 

いや、彼はもっと問題なんである。こちらが”i`m fine"と返さないかぎり、「how are you tanaka」と返ってくる。”good"とか"nothing much”はダメ。しかもこっちが”how about you Vijay?と訊いても何も言わない。こっちからしたら"how are you"の返事はなんか毎回難しいんだよ!すぐに話題に移行してくれよ!

こっちも色々試してはみた。見本(と言っていいかはわからんが)として、”今日はインド料理屋さんで初めてタワパロタっての食べたよ。そっちはなんかしてたの?”なんて聞いても自分の話は全然しない。「なるほど~、how are you・・」と続く。送ってくるなら自分の話があるんじゃないのか!なんなのかそれは慎ましさなのかこっちより英語知らないのか・・

モヤモヤが溜まって”なんで毎回同じ文なの?用があるか、出来事を話すとかさあ?!”って感じで言ったこともある。その時は「オーケーオーケー、もうすぐナブラトリ祭があるよ」”なんそれ、知らなかった”みたいな会話が初めて成立した。

ちなみに、インド人お得意の(?)格言画像も送ってくれるんやけど、ナーガリー文字みたいなやつで、”その文字すまん、わからん、ベンガル語ヒンディー語?”って何回か言ってるのにいまだに送ってくる。英語版でもよくわかってないんだよ、こっちはよう!

その後もほぼ毎日、既読スルーしてもまた送ってくるもんだから、もう疲れ果てている。日本について聞かれることもないし、英語の練習のつもりでもなさそうだし、商売で日本人を騙すのに使える訳ないし、もはやサイバー攻撃なのかもと疑っている。

whatsupがバグったら1番目の容疑者はVijay、おまえさんである。

文を書くこと

文章を考える事がすごく面白い。

たまたまBOOKOFFでみつけた高野秀行の本にはまって、突然読書ブームが自分の中で起こった。その少し前から、次の職業についての学習書や、インドの文化や宗教の本を、眠たくなりながらも切迫感から義務的に読んでいたのが、高野秀行のおもしろ本を並行に読むことでお口直しになり、読むスピードも少しずつ上がって来た気がする。辺境を求めて未確認生物や彼だけが意義を見出した企画に汗水垂らして真剣に取り組み命を賭けたり怒ったりしながらも、時々やけに冷静に自虐したりする緩急が面白くてしょうがない。笑
また、頻繁に外国の文化、歴史について解説があって勉強している気分になる。もちろん彼なりの解釈だというのが文全面に表されているから気軽に読み流せる。

今年は、彼の書評からおすすめの著作品に読み広げようと思っている。ハードルが少し上がってしまっているのも理由として一つはあるのだが、まず読めた(図書館で借りれた)のが高橋秀実「素晴らしきラジオ体操」。ラジオ体操には全く興味が無いのは読み終わるまで変わらなかったが、
これもラジオ体操がなぜ身体に染み付いてついやってしまうのかから始まって、公園で体操する集団にインタビューし、アメリカの保険会社が低所得者をターゲットに体操を広告に使うために考案し、発想を得た日本の簡易保険局から普及されてひろまっていく経緯を調べていくなかで、肯定したり否定したり疑問視したり・・。著者の高橋さんはどっち側の目線なんだろう(笑)・・というのがおもしろポイントだった。

それで二人に羨ましい共通点が見えてきたのが、この二人の作家というのは職業上、特殊な立場で生活しているということ。いわばビジネスなんかとは離れて浮いている感じで、それで本が書けて飯が食えればいいのだから当たり前かもしれないけど、わざわざ生業に選ぶのがすごい。

僕は、他人から前置きが長いと言われるのを気にしているせいか、Twitter等で批判や愚痴をするのに「まあ〰なんだけど」とぼそっと書いてあるのがまどろっこしくて嫌いで、「見ちゃいかん見ちゃいかん・」と思っていたけれど、やっと肯定できるところを思いついたから書いておく。やっと本題。スイマセン。

とにかく書くとすっきりする。一つ賢くなった達成感がある。どういった意見にするか考えると、一歩ないし半歩引いて客観視できる。また、書いた(話した)後に思い直して考えが改まったりする。それは恥ずかしい。
この先知らないことの方が多いはず。真っ直ぐ壁にぶち当たって、笑い飛ばしたり堪えたりごまかしたり素直にやっていきたい。建設業の職場にいた気持ちの良い人達みたいに、間違ったときは真剣に怒ってくれて、一瞬で冷めて再開して、たぶんその後の動きはみてくれている。あんなはっきりした爽やかな人がやっぱり僕は理想だなあ。

バンコク

6月5日水曜日夕方、バンコクスワンナプーム国際空港に着いた。日本語のアナウンスが嬉しいような半面、外国気分をぼやけさせるような気がした。

土日に友達と合流して歩き回るということと、5日後の週明けドンムアン空港発の航空券が安かったので6日間の滞在に決めていた。

 

インドはかなり下調べをして、デヘラドゥンに着いてからも時間をかけて動いていた。それにそもそも、何事も上手く事が運ばないのを楽しもうと思っていた。

対して、バンコクに関しては全然イメージが出来ていなかった。女の子遊びとか、買い物して楽しむ街なんだろう。物価も年々上がっているみたいだし今回しかないかも・・もはやゴーゴーバーの事しか考えられない。どうせなら遊び尽くしたいけれど、日本へ帰ってからの不安が頭をよぎっていた。仕事見つけないとあかん。

 

とまあ、書き出して変な方向に気持ちが向かってしまったけれども、ここから切り替えようと思う。

 

まずは入国の件。タイ以外他国の入国レーンはかなり並んでいたのに、日本人の入国手続きだけはかなり早かった。適当にそれぞれ別れてならんだのに、日本人の比率が多い列だけどんどん進んでいく。すごいなあとしか言えない。

 

スワンナプーム空港からは電車でプロムポンへ。(バンコクの電車は空港線BTS、MRTの3種類)

日系企業があったりする辺り(?)らしく、日本名の明らかな風俗店に目を惹かれた。「スクンビット48」みたいな、日本でも存在しそうな、ダジャレとか当て字とかのくだらん言葉遊びが夜遊びをウキウキさせる。まあお金が無いので行けるわけないけどね。

宿は「サクラスカイレジデンス」というホテルのカプセルで、1000円強だった。

 

シャワーと荷物の整理をしてから一旦外へ出て、屋台で春雨スープを食べた。ネットで見た記事によると、都市整備で出店が禁止されてどんどん店の数が減っているらしい。これがバンコクで食べたご飯の中で一番お気に入りでした。前のお客さんはスプーン山盛りの唐辛子入れてました。

f:id:namasuteosaka:20200113225217j:plain

その後コンビニでアイスと水と猫用に"ちゃおちゅーる"を買った。東南アジアの仏教が盛んな国は猫パラダイスだろうから(私的な予想)遭遇したら戯れようと企んでいた。結局この晩は都会に隠れ住む警戒しかしない猫しかいなかった。

f:id:namasuteosaka:20200113230909j:plain

工事現場に潜むやつ

 

2本ほど通りを歩いてもちゃんとしたお店しか無かったので寝床へ戻った。カプセル初体験。到着何時間かで、既に都会に心を閉ざした貧乏性の自分にはなかなか、悪くなかった。混んでいないらしく客と会わないし、共有テーブルでたらたら、備え置きのスティックのネスカフェを飲みまくってから寝た。

 

バラナシ最終日、さよなら

久し振りに書く気になったので完結させてしまいます。

 

6月5日は3ヵ月弱のインド滞在の最終日。朝は相変わらず、陽が照って何となくやる気が出るような気がする外を眺めて、洗濯をした。飛行機の搭乗と出国、加えてタイ入国のメモ書きを確認した。

f:id:namasuteosaka:20191227235113j:plain

出発まで2時間もないけど多分乾く・・

f:id:namasuteosaka:20191227235320j:plain

屋上で思い出すのは、ローズマウントの宿舎で屋上から裏の家の結婚式見たり、子供達に話しかけられたりしたなあ。あと、しずえさんが、屋上文化良いよねーって言ってたなあ。本当にそうやなあ。良く捉えすぎかなあ・・笑

 

バラナシの空港からバンコクスワンナプーム空港へ14:55発の便だったので、チェックアウトしてVNS空港へ。駅まではリキシャで安く、それからOlaでタクシーを使う算段だが、肝心のリキシャがあまりいないのでガートの方角へ歩く。

名残惜しくなって生活用品店で石鹸を買ってしまった。バックパックの中の石鹸が3個に増えた。ヒマラヤ2種類とクラシックなデザインのニーム配合のやつ。

 

その後、意を決してリキシャを捕まえる。これは「名残惜しかった」訳ではなく、これまで交渉が嫌いすぎてこれまで殆ど乗らなかったから、気合が要ったのだ。いい感じに抑えて空港でボッタクリランチでも食ってやる!と考えながら、もちろん相手に譲歩しまくりでリキシャ出発。自分で勝手に納得すればそれで良いのだ。

そんなこんなでリキシャに乗ってしまうと、突然不意に泣けてきた。ぼろっぼろに泣いた。デヘラドゥンでの授業の日々や、他外国人学生との食堂での会話、ラワジーがたいそうな病院に連れて行ってくれたこと、休日のお出かけでご飯を食べたこと、しずえの結婚式では新郎のご友人に一生に一度のおもてなしをしてもらったこと、旅が始まってからやっと店での注文に慣れてきたこと、一人きりが楽しくも寂しくてラインしまくったこと、

全てこの暑くてうるさい町中を通り抜けるだけで簡単に思い出されてしまって、ヒクヒクする僕に気付いて自転車をこぐおっちゃんが動揺するのもまた、彼に言葉で説明出来ないことが色々記憶を呼び起こして余計に泣かされた。(インドってだけで一括りに見てしまうのも変だし、インド人ってだけでやっぱり実は良い人、っていう結論に毎回するのもおかしいとは知りつつも、感情が出てくる分はどうしようもない。)

駅についてOlaでタクシー待ち中はまた、しつこいタクシー勧誘にムードを壊され、インドモードになる。タクシーで空港までの道は色んな景色が新鮮で、また帰国することを実感してヒックヒク。なんとも感情が揺らぐ道中だった。

 

VNS、ラール・バハードゥル・シャストリー空港は自分にとって2つ目の異国での空港(関空、デリーしか知らない)だったのでどんなものかと緊張していたら、なんとも小綺麗な空港だった。

f:id:namasuteosaka:20191228011837j:plain

f:id:namasuteosaka:20191228011921j:plain

中も綺麗で、小さいカフェが3つほどあるだけの、人もワラワラしておらず、良い意味で地べたに寝転ぶのがためらわれるような、綺麗な建物だった。

さよなら、インド、ありがとう。次はバンコクへ寄り道して、やっとハマグチ君(インド行きからの良き相談相手)と会える。

 

あと1つだけ。出国イミグレで滞在の理由や旅路を質問されて、「デラドゥンからー・・ラクナウも行ったヨ、あのーイマンバラ・・」としか言えなかったのが、この旅の甘っちょろさを表していた。係員さんは優しかった。楽しめた?なんて聞いてくれたから、どうせなら楽しめたことをもっと伝えたかった・・!