発達障害30歳成人説

発達障害の成人は30歳という通説がTwitterにはあるらしい。
私は令和2年4月30歳になった。
典型的なadhd面倒くさがりでズボラで容量が悪い人生ハードモードの女だ。
人生いろいろあった。

ちなみに私の嫌いな言葉ワースト2がこの「人生いろいろ」だ。
小学生の頃学校で身に覚えのないことで怒られて、後々私じゃないと判明した際

教師が謝らずに言った言葉が「まぁ、人生いろいろだからさ(笑)」

だったんで、大嫌いになった。
そいつはそれだけ言って「人生いろいろ♪」と歌いながら去っていったのも

覚えいてる。今思い出しても腹立つ。クソ。

 

…話が逸れてしまった。
30歳成人説、正直30歳になるまでは「そんなことはないだろう」

と思っていたけれど、実際29歳から30歳くらいにかけて脳内が落ち着いてきた

感覚は凄くある。
もともとある特性、多動、衝動、こだわりが緩和されたのか?

と言われれば全くもってそんなことはない。

前頭葉の機能が衰えだしたのか、むしろ悪化している気すらある。
ただ、承認欲求が落ち着いたからか、精神的に安定しているパートナーを

得て自己肯定感が少しずつ補われてきたからか、囚われ続けてきたモヤモヤ

焦り苦しさが晴れて、俯瞰的に世界を見ることが出来てきている

(…ような気がする。たぶん。)

 

理想の自分のハードルは下がり、現実の方に標準を合わせようとし始めた。
それに合わせてやりたいことも増えてきた。
今までは行動することすら出来なかった。
だって、出来るはずだと思っていることが出来ない。

それは私にとっては命に関わるほど恐ろしいことだったから。
否定され続けて生きてきた私はプライドばかりが肥大して、理想という

現実離れした自分で武装し、それを周りに認めさせることで自尊心を

守ろうとする承認欲求の化け物になっていたのだ。
でも今は違う、出来ないが前提になっているので、恐怖心は少ない

(全くないとは言わない)。

 

 

私は大人になるのは出来ることが増えていくことだと思っていた。
社会人として正しく働き、万能であり、周りから認められて、

求められる人が大人なのだと信じていたのだ。

だからそれと違う私は価値がない存在なのだと。

でも違った、大人とは出来ないことを出来ないと認められる人だ。

自分も他人もありのまま受け入れられる人だ。
私はその入り口にようやく立つことが出来た。

 

人生生き抜いて『大人』になれる人はどれだけ存在するのだろうか。
私はその数少ない人間になれるだろうか。
30歳成人説。見えてきた世界は信じていた世界とは違うけど、

これから私は私として生きていこうと思う。