あの娘の腕を掴んだ手を

銀杏BOYZの新曲を妹がラインで送ってきた。


エンジェルベイビー/銀杏BOYZ
https://youtu.be/TvwazA8id-c



衝動…

奥さんに無理矢理キスして無差別に町んなかで人ぶん殴って息子の想い人を自転車に乗せてETさせてヒーローする空想から現実に戻って、奥さんの手を優しくとり愛する人としたいことをただ伝えてフラれた息子に部屋にいねーで外出ろよ俺と一緒にって誘って二人は光になる。銀杏BOYZは変わった。


今までの銀杏BOYZは、
コントロールできない衝動を核に音楽をつくりあげてきた。一定期間で過ぎ去るはず青春のそれが大人になっても峯田には永遠で、聴いてる者も峯田自身もきっと破滅にしか進めない道なんじゃないかと思っていた。もがき苦しむ暗闇の中に、一筋の光はあった。恋、音楽、女の子、命。光の多くはあくまで他者あって成立するものだった。

今回の新曲エンジェルベイビーは峯田が、峯田自身の命が、大きな光になっていた。その光の中にいつまでもくすぶる陰りがあった。
その陰りに焦点を当てた曲だ。
このMVの男は光だ。衝動的な性や暴力、(一見女の子を救ってるように見えるETの描写があるが)フラれた息子の想い人を再び息子からさらうような卑劣なヒーロー願望。どうしようもない愛憎の空想。この空想という陰りから出てこれたのは、男が光そのものだからではないかと思う。
暗闇の中の一筋の光を歌っていた銀杏が、光の中の陰りを歌う銀杏になった。命は光だ。
わたしはそう感じました。

(めでたし)

って、返信したけど、詩を聴いたというより、ただただMVの印象だなこれ。

峯田からしたら全然違うかもしれない。勝手に感じたことをワーワーMVなぞるように言うなんて恥じ入る、し、興奮したことを発散もしたい。


あの娘の腕を掴んだ手。あるかどうかも分からないあの娘の匂いをそっとかぐところ、最高。

散策時の徒然

・ハリウドザコシショウを細くしたような男性を見かけた。紺のネルシャツにジーンズ、テンガロンハットをかぶっていた。ウエスタンなザコシショウの私がメージする色はブラウンである。ふとっちょ☆カウボーイと完全に混ざっている。

・体の悩みを相談しに漢方薬局屋さんへ。
血と気が足りず、胃腸が弱っているそうです。まずは、胃腸を整えることからスタート。
ネットで拝見した別の漢方薬局屋さんのお話だと、素直な人は治りが早い、らしい。そうだと思う。私は治りが遅いかもしれない。
漢方薬や、体や心、食事、中医学の考えなど、興味のあるジャンルなので、こちらもたくさん書いてみたい。

・ブラウンか、ベージュか、うすピンクの春~秋に使えそうな膝下丈のスカートを探している。目星を着けたものがユニクロにあるため足を運ぶ。7月中旬にして、既に秋服がメインに並んでおり、夏服が端に追いやられていた。ない。目星のスカート。そのまま別のちょっとした大型店に向かう。あった。試着、私にはしっくりこなかった。かわいらしいし妥協して購入もありだが、普段服を買わないのでどうせなら、ときめきたい。
ときめきを買えるだなんて、素敵。素敵なことよ!うんうん。洋服を買いに行くための洋服がほしい気持ちがよくわかるタイプである。お洋服でときめく日々を送ってみたい。経験したいことの一つ。
秋服が並んでから夏服を探し求める私がしたほうがいいことは、来る季節より一歩先に洋服を買うことかもしれない。ときめきの先取り。

・食は私の人生のテーマというか、カルマというか、向き合う課題なのだと改めて感じる。

・浅間社にご縁があるらしい。なぜ。あ、あと、天狗様にも。天狗様は小さい頃から好きです。かっこいいですよね。
神仏習合の名残があるとあるお山、二ヶ所。この夏に参拝したいと思います。

・ネガティブ芸はやめたい。

リハビリ

リハビリだと思って7つ記事を書く。妹に言われた。

一週間に7つ。一日1つでもいいし、一日に7つでもいい、もっと書いてもいいから、しなね。って。

はい。やります。楽しいし。ワクワクしています。
ワクワクできるようになったので、今、できているんだと思います。


話したいジャンルが四方八方に散らばっているのでどうなるんだろう。

文章に人となりが表れると思うのです。

今までこうなりたいとか、憧れの人の文章を意識してとか、してたので、それをしなかったら、やばいのになりそう。(既になっている)

言葉を紡いでゆくのが気持ちがいいのと、読み返したときに気持ちがいいのと、浮かんだことをただ吐き出すきもちよさは、バラバラなので、私はよくこれに振り回されて、めんどくさくなって、全てやめてしまう。

統一したい欲求も満たしたいのかもしれない。


そもそも私は人生がリハビリみたいなところがある。


とりあえず、やってみる。

と、いうことがいいらしいので、リハビリを、やってみる。

私的「ぶっ生き返す」

久しぶりにインターネットで日記というか雑記といか備忘録というか。綴っていこうと思う。

何年ぶりだろう。打ち込んでは消して、を、繰り返している。私は説明したいのだろう。ここに至るまでの出来事を正確に順序だてて分かりやすく。それは非常に面倒くさく、というか、くそなのでやめる。

久しぶりだ。まず、自分が気持ちよくなるために文字を連ねていきたいと思う。

久しぶり、久しぶり、と言っても、説明したいけど上手くできなくて書くのをやめてしまうのは、前から変わらない部分でもある。それをぶっ壊す。

必要な自分というものは、どんどん変わってゆく。
とある時期を生き延びるため、生き抜く手段を無意識に学び、気付かないうちに染みついて自分のペルソナの一つになっている。そして、そのペルソナが必要な時期を過ぎても気付かずに、生きるための手札としていつまでも残っている。もう要らないのに。むしろ邪魔にすらなっているのに。
亀の甲羅のように窮屈になれば、剥がれ落ちて新しくなればいいのだけど、脳に染み着いたものは、自分で要らないことに気付いて、意識して手放す作業をしていかないとなかなか難しい。

私はひとりしかいないけど私を支えて時が来たら去っていく幾つもの自分がいる。

私はどこに向かうのかな。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

ゴッホゴーギャン展に行ったことがあった。でもこの絵はなかった。二人が過ごした時期がメインの展覧会だったから。

私たちは出会って別れてすれ違う。
どんなに最悪な時期でも、その瞬間を生きる自身は、代用がきかない。いつか不必要になって厄介でも、それはかけがえがない。

私と誰かなら目で見える分、わかりやすい。
私と私はわかりにくい。だから、わかりやすくするために、ぶっ壊すんだ。

生き抜いてくれてありがとう。お役御免なのに使いっぱなしでごめん。だから、もう充分だから、ありがとう。居るとまた使っちゃうから。やさしさを振り絞って、あなたを、ぶっ壊す。