奇才サトイモの元気が出る発達日記

発達障害(ADHD&ASD)の疑いがある息子サトイモの子育て日記です。

老健施設での父

父がリハビリ病院を退院したのが3月18日なので、父の老健施設生活はもう1ヶ月半になる。
できるだけ早く出してやりたくて、昨日特別養護老人ホームの申込みをしてきたところだ。

老健施設はスタートから少し不穏なかんじだった。
3月中旬、リハビリ病院から、

老健施設に空きが出たので3月21日に退院して移ります」

と電話があった。
私は3月末に退職する予定で、飛び飛びに年休を消化していたものの、ちょうどその日は最終勤務日になっていた。
「その日は休めないので付き添えないんです。翌日なら行けますので、1日ズラしてもらえませんか?」
と頼んだが、日程は変えられないと言う。
退院手続きは翌日でかまわないし、荷物の移動等は全部こちらでやります、とのこと。
仕方ないので、了承した。

ところが、3月16日に病院から何回か着信があった。
その日はサトイモの卒園式で、バタバタして電話に出られないでいた。

翌日になってようやく電話に出ると、
「退院日が3月18日になりました」
と言う。
前もって聞いていればその日は休めたかもしれないのに、週末に連絡を受けて翌月曜日では職場の休みの段取りもとれない。
また勝手に日を決められて、ムッとなった。
「月曜日になりますが、いいですか」

と言ってきた男性スタッフに、

「あのね、『いいですか?』って言いましたけど、私がダメです、って答えたら日を変えてくれるんですか?変えられるんですか!?」
「いえ…、それは…、あの…。施設の方の空きが出たので早くなったそうで、こちらでは何とも…」
電話してきただけの、管理職でもないスタッフに噛みついても仕方ないのはわかっていたけど(彼の頼りない喋り方が余計ムカついた)、毎回勝手に日を決められて、それに振り回されることにウンザリしてしまった。

 

老健施設の日々

当初の移転日の翌日、退院手続きと入所手続きをしに行った。
救急病院からリハビリ病院に移るときも父の服装がめちゃくちゃだったから、今回もそうかもしれないと思っていたが、やはり的中した。
移動中は私服を着ていたが、ズボンから下が尿で汚れたらしい。
汚れた服はポリ袋に突っ込まれて、「ご自宅で洗濯お願いします」とメモが貼られていた。
移転から私が手続きに来るまで数日。
当日付き添っていたなら、すぐ持って帰って洗えたのに。
どうせ父の服はいずれ処分することになるので、思い切って袋ごと廃棄をお願いした。

 

父の唯一の楽しみであるコーヒーについて尋ねると、病院で許可されていたなら老健施設でも飲むのは可能とのこと。
病院で買わされたトロミ剤について尋ねると、病院に置きっぱなしになっていた。

危ない危ない、ほんとに持ち物は全部持って来てるんだろうか。
トロミ剤を病院から持ってきてもらい、新しいインスタントコーヒーを箱ごと渡した(もちろん箱にはマジックで名前を大きく書いて)。

 

その後、何回か父に会いに行った。

部屋は間仕切りもなくベッドが並べられただけの大部屋である。

調度品は汚いタンスのみ。

食事は相変わらずミキサー食で、本人は「美味しくない」と文句を言うけれど、ちゃんと口から食べられているようだ。

 

会話も一応できなくもない。

でも、会話はほとんどが、お金についてである。
「お金持ってきてくれ」
「何に使うん?」
「出かけたときに買いたいもんがあるんや」(そもそも出かけられないのだが。)
「自販機でコーヒー買うても、トロミをつけてもらわへんかったら飲まれへんのやで」
「お金。財産。持ってきてくれ」
「持ってきたげたいけど、ここに置いとかれへんからね。必要な分は後払いでちゃんと払っとくから」
「とにかく持ってきてくれ」
「そういえば、お父さんコーヒーは飲ませてもらっとう?」
「いいや。飲んでへん。どうも盗られとうかんじや」

施設のスタッフに尋ねると、
「コーヒー毎朝お出ししてます。美味しそうに飲まれてますよ。お好きなんですね」
とのことで、父には記憶障害と被害妄想が出ているようだ。
完全に自由を奪われた生活に、だんだん活力が失われている感じがする。

喘息のゴールデンウイーク

早く会社を辞めたいと思ったのは一昨年の冬のことで、その冬は暖かくなるまでずっと風邪を引いていた。

ただでさえ時短勤務なのに定数1で配置されていたので、毎日業務をギリギリでこなしているうえ、子どものことで会社を休みがち。

そうすると、調子が悪くてもなかなか休めない。医者に行けるのは土曜日のみで、夫の予定とすり合わせなければならず、なかなか面倒。

最近SNS上で「子持ち様」発言が話題になっていたようだけれど、子持ち様は自分のことでは休めない。

30代は未婚子なしで過ごしたけど、残業があっても介護があっても、気持ちはずっとラクだったな。

 

入学式は強風の日で、思った以上に寒かった。加えて体育館(イマドキはアリーナというらしい)が底冷えして、その後風邪を引いた。

せっかく自由な時間があるのだから医者に行きたかったけど、退職したせいで職場で入っていた健康保険証がなくなった。

夫の扶養に入らせてもらう予定が、手続きがなかなか進まず。去年の所得証明や雇用保険の受給者証など揃えないといけない書類が満載で簡単に入れてくれない。(雇用保険の受給者証は発行までに時間がかかるんですけど。)

 

ずっと我慢していたら悪化した。

ひっきりなしに咳が出る。

咳のせいで眠れない。

咳き込み過ぎて食事を吐く。

息苦しくってボーっとする。

何もやっていられない。

 

会社を辞めたせいで保険証を失った。

けど、休みます、と言わずにゴロゴロできる。

どっちが勝つかというと…、

やっぱり、ほんとに会社やめててよかった~!!

この咳苦しさを抱えながら仕事をするなんてゾッとする〜!!

 

ようやく健康保険証が届いて医者に行ったら、喘息という診断だった。

私が喘息!?

喘息って、アレルギーと同じで体質的なものかと思っていたので、ビックリする。

 

そういえば、2月にコロナに罹ったあと、一カ月以上咳が止まらなかった。

ようやく治ったと思ったのも束の間、ちょっと風邪をひいただけで恐ろしい咳。

会う人ごとに、

「すっごい咳き込むけど、これは感染症じゃなくて喘息ですからね」

と言い訳をしていたら、多くの人が、

「コロナ後、病気が肺に来るようになったよね」

「呼吸が弱くなったよ」

「のどに炎症を起こしやすくなった」

などと、伝聞も含めて同じようなことを言っていた。

ウィズコロナ時代。しんどいなぁ。

 

喜べ、コンロ!

無職になったらあれもしたい、これもしたい、ああしよ、こうしよ、とあんなにヤル気満々だったのに、いざ自由な時間を手に入れたら、咳で苦しくて家事が精いっぱいという体たらく。

咳をするか、痰を吐くマシンとなってトイレや洗面所にこもる日々。

 

それでも、ゴールデンウイークともなれば、子どもを遊びに連れて行かなければならない。

というわけで、ネスタリゾート神戸へ行った。

ネスタリゾート神戸は、テレビ大阪系の子ども向け番組にCMを出している。

一時期サトイモがよくそのまねをして、

「喜べ、喜べ、喜べ、コンロー!」

と叫んでいた。

コンロ??

どういう意味?と私が尋ねても、

「知らんけど、そういってるやん」

と本人だって意味がわかっていない。

0秒チキンラーメンのCMをマネして、

「癖になる背徳感!」

と叫んでいたときも、全く意味がわかってなかったけど、「喜べコンロ」は私もさっぱりである。

あとで検索してようやく、「喜べ本能」だということがわかった。

ネスタリゾート神戸のキーワードは「本能」らしい。


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夫と子どもはよいけれど、問題は私の喘息。

幸いアクティビティ中は咳が出なくて助かったけれど、並んでいるときにはけっこう咳き込んだ。

周囲に申し訳なくて、

「あ〜、喘息が苦しいなぁ」

と大きめの声で独り言を言うなどしてアピール。

「これは喘息です」と背中に貼り紙でもしたくなる。

検索してみたら、同じことを考えている人たちがいて、「喘息です」Tシャツがけっこう売られていた。

 

両親の死に方を想い(父は死んでないけど)、自分がどんなふうに死ぬのかを度々想像してしまう。

このまま喘息が続くなら呼吸困難からくる窒息としか思えない。

苦しいだろうなぁ…。

 

喘息を抱えながら、また明日からの連休には家族でキャンプに行く、と夫が言っている。

今日は父の特別養護老人ホームの申込みに行く。

子持ち様は休めない。

小学生の親1年生

入学式の前日、私とサトイモは登校リハーサルを行った。

それ以前にも散歩がてら通学路の確認をしたことはあったが、一度朝の同じ時間に歩いてみることにしたのだ。

小学校まで何分かかるかだけでなく、歩いている小学生たちの服装や持ち物、交通安全の旗振りをしている地域ボランティアのおじさんおばさんがどこに立っているか等、いろいろ参考になった。

特に、町内会の婦人会長をしている近所のおばさんが旗振りをしているのを発見し、

「来週から一人で登校しますので、よろしくお願いします」

とあいさつした。

知っている顔がある、というのは強い安心感を与えてくれる。

神戸の街なかには、田舎以上に地域社会が残っていることに感謝する。

 

そして初登校。

サトイモは目覚まし時計より早起きし、「一人で大丈夫だよ!」と張り切って出かけて行った。

登校リハーサルをしたせいか、サトイモは自信満々。

初日は親が校門まで送っていくのがほとんどだというのに、

「もうここでいいよ!ついて来ないで!」

と私を振り切って走っていった。

2日目も、3日目も。

 

ところが、週末をはさんで月曜日。

「ずっと家にいる。もう小学校行かないよ」

めちゃくちゃに泣いてゴネた。

‘土日のように家で遊びたい病’だ。

怒ったりなだめすかしたり冗談を言ってごまかしたりしながら、なんとか用意をさせたが、サトイモは朝食抜き、私はすっぴん眼鏡。

それでもなんとか定刻に家を出た。すると、婦人会長が歩いているのを発見。

「一緒に行こう!」

と無理やりご一緒した。

 

「子どもだけのときはあかんけど、大人が一緒やから特別に近道しよう」

と学校指定通学路ではないショートカットを行く。

「こっちが昔の通学路やったから、地面に印があるやろ」

「ここ曲がるんがおばちゃんだけの秘密の抜け道」

「この木は食べられるサクランボがなるんやで」

などと教えてもらう。

サトイモはすっかり泣き止んで、機嫌が戻る。

これなら大丈夫か思ったけれど、校門をくぐったところで止まってしまい、行きつ戻りつ、何度も私にしがみついたりして、なかなか進まなかった。

幼稚園ならこういうとき、先生方が抱っこして引き剥がしてくれたのだけど、小学校ではそうはいかない。

何度目かのハイタッチのあと、なんとかサトイモは校舎へ入っていった。

 

スリード連発!

入学説明会も出席したし、入学式のあとに説明もあったし、資料はだいたい読んだけれど、それでも私は不安だらけだった。

本当に持ち物はこれでよいのか、間違っていないか、誤解してないか…。

2人だけママ友がいて、情報交換してくれたからよかったけど、2人がいなかったらもっとめちゃくちゃだっただろう。

 

初日、帰ってきたサトイモに、

「ママ忘れ物してたよ」

と言われてドキッとした。

「何何?!何を忘れてた?!」

と尋ねると、水筒だという。

水筒?!

持ち物リストに水筒なんて全く書いてなかったけど?!

どうやら、水筒を持っていくのは今どきの小学生の常識らしい。

確かに、幼稚園でもどこの教室でもお出かけするときは水筒持参だったけど…。

学校が指示するもの以外は持ってこないのが学校のルールだと思っていたから、そこだけ自己判断かよ!と納得がいかなかった。

 

そのあと、学校から電話がかかってきた。

日本スポーツ振興センターなんちゃら給付制度と学校園安全なんちゃら会の加入同意書についてだった。

「加入しませんに丸をつけられているのですが…」

「はい、うちは民間の傷害保険や医療保険に入ってますので」

「あの、こちらの保険は本校では全員加入されているものでして…」

「あれ??任意じゃありませんでしたっけ?」

「任意です。任意なんですけど…、学校でケガをしたときに、誰が加入していて誰が加入していない、と確認するとなると難しいので…」

「あ、そゆうことですね!わかりました。入ります」

正直、うちは他にも保険に入っているから不要だと思ったけど、先生方の事務処理軽減のためにも同意することにした。

だったら、同意書に「任意」って書かないでほしいよなぁ!とブツブツ言いながら入学説明会の資料を再読すると、はっきり「全員加入をお願いしています」と書かれていた。

 

その後、また判断に迷う案件が出てきた。

入学説明会の資料には、

「元気タイムがある日は体操服を着て登校」

と書いてあり、予定表には元気タイムは火曜日と記してあるのに、連絡帳には体操服を着てくるようにという指示がない。

着るべきか、着ないべきか。

ママ友に聞くと、たまたま先生に尋ねる機会があったらしくて尋ねてくれた。

「1年生はまだ元気タイムが始まっていないので、普通の服で大丈夫です」

とのこと。

1年生はまだ元気タイムがないとか、そんなことも書いてくれないとわからないよ!

ていうか、元気タイムって何だよ。

 

ほかにも、「全ての物に名前を書いてください」と書いてあるので、持ち物リストにあるもの全部に名前を書いたら、ぞうきんを持って行く前日に「名前は不要です」と注意書きが出る等、こまごまとした「わからないこと」が続いた。

夫に、

「入学式のあと教室で説明があったけど、わかりにくくなかった?」

と同意を求めると、

「最初は話聞いとったけど、ようわからん下手な説明で聞く気が失せて、途中から聞いてへん」

と言う。

二人で聞いてるからちょっとくらい聞き逃しても大丈夫と思ってたのに!

「大人でもようわからんかったのに、子供がわかるわけないな。忘れ物するな言うても無理や」

学校なんて毎年同じことの繰り返しのはずなのに、ブラッシュアップされていないのはなぜだろう?

 

神戸の学校はさすが多国籍で、いろんな人種の子がいる。

日本人ですらわかりにくいのに、外国人の親は大丈夫なんだろうか。

 

私は毎日忘れ物がないか不安だけど、サトイモ本人は何も考えてないのが救い。

注意されたって怒られたって、気にせず平気に学校生活を送ってくれたらそのほうがいい。

短い春休みと入学式

2024年3月末、私は26年間勤めた職場を退職した。

サトイモが幼稚園に行かないとゴネて職場を遅刻するたびに、これは小学校に行ったら仕事は続けられないな、と去年から決めていたのだ。

職場の人で、私の遅刻や休みをとがめる人は誰もいなかった。

けれど、休むことで気後れしたり遠慮したり、戦力外の無力さを感じたり、逆に業務上の負荷が過分にかけられると爆発しそうになったり、ストレスの多い毎日だった。

時間がないから、いつも慌てて仕事をして、慌てるからよくミスをして、しょっちゅう謝っていた。

 

これはもう仕事を辞めよう、と思った瞬間。

サトイモがトイレに籠城して出てこなかったとき、中から鼻歌が聞こえてきた。

もう十分以上、トイレに入っていて、出かける時刻はとっくに過ぎていた。

私は外から鍵を開け、

「ママはもう遅刻だよ!あんたのせいで!!」

と便座に座っているサトイモに怒鳴り散らした。

サトイモは平然と笑っている。

「ママが困っているのがそんなに面白い?」

と私が不動明王かというくらいの怒りで尋ねると、

「おもしろ~い」

とヘラヘラ笑った。

その顔を、思わず平手打ちしてしまった。

叩かれてサトイモは大声で泣くわけではなく、ビックリするわけでもなかった。

気が狂ったように、

「ママが叩いた!ママが叩いた!ママが叩いた!」

と自分で自分の頭を叩き続けた。

私は泣きながら、サトイモを抱きしめてやめさせた。

子どもの頬を叩くなんて、もう二度としてはいけない、と固く思ったけれど、仕事を続けている以上、絶対にしない確信は持てなかった。

また遅刻しそうになる度、怒鳴り散らし、体罰に近い形で無理やり引きずっていくはずだ。

 

退職願を出してからは、毎日気持ちがルンルンだった。

4月からどうやって過ごそうか、あれもやりたい、これもやりたい、時間ができたら何でもできる気がして、万能感に包まれていた。

職場が嫌いというわけじゃなかったけれど、これっぽっちも未練などなく、カウントダウンの日々は毎日ウキウキして過ごした。

 

私が新卒で入って、勤め始めて1年たった頃の話。

同じ課の人が異動になった。

その人は入社してからずっと、そこの部署に13年もいて、異動の前日のお別れの挨拶で、男泣きに泣いた。

同じ建物の2階から5階に席を移るだけなのに!!13年もいたら泣くものなのかなぁ…、と私はひどく衝撃を受けた(だからいまだに覚えているのだ)。

私はその倍の26年、同じ職場に勤めた。

いっぱい異動もしたし、途中、育休を三年も取った。

いろいろ学べたし、知りあいもたくさんできた。

最後の日に泣いたりするかな、と思ったけれど、退職後の自由の日々を想像すると幸せすぎて、全く涙はでなかった。

正直、なーんとも思わなかった。

たまたまシュレッダーが壊れていて、廃棄書類を処分しきれないまま出ていったのが申し訳ないと思ったくらい。

 

なんでこんなに時間がないの?

仕事に行かないのだから、毎日たっぷり時間があると思っていた。

それが大間違い。

仕事にいかないということは、子どもを預けない=サトイモが家にいる、ということだ。

精神的に幼いサトイモは、いまだにジャンプして抱きついてくるし、部屋はとんでもなく散らかすし、「人生ゲームしよう、おにぎり屋さんゲームしよう」とうるさい。

付き合って遊んでいたり、勉強させて〇付けでもしようものなら、家事と子どもの相手で一日は過ぎる。

入学準備、入学式の用意、習い事の体験の問い合わせ、放課後等デイサービスの下調べや見学…、子どものことだけでもやることが山積みだ。

退職したら毎日ブログで日記を書こうと思っていたけれど、逆にその時間がとれない。

あっという間に、4月に入り、入学式を迎えた。

 

入学式のおしゃれ

幼稚園の卒園式でサトイモに着させる服を私が用意していなかったため、夫は危機感を覚えたのか、「入学式の服は俺が準備する」とスーツからシャツから靴まで全部、夫が用意してくれた。

「女の子じゃなくて男の子でよかったんちゃう?子どもにキレイな服を着せてやりたいとか、そういう気持ちはないやろ?」

と夫が嫌味を言った。

でも、当たっている。

昔からファッションにはあまり興味がなかったし、子どもの服も知人のお下がりで十分と思っている。

夫は違う。子どもの服や持ち物にやたらとこだわる。

サトイモが「なでると絵が変わる」トレーナーを欲しがるので、私がAmazonドラえもんのトレーナー(なでるとジャイアンに変わる!)を買ってやったら、夫は、

「だっさ!ようそんなトレーナー着るなぁ」

と呆れていた。

本人はそれが気に入っているし、ドラえもんが好きなんだから別にいいと思うんだけど。

夫が買ってやるアウトドアブランドの服より、よっぽど喜んでいたのに。

 

とにかく、入学式で私が印象に残ったことは、何を着るか着せるか、それに尽きた。

私は、亡くなった母が買ってまだ新品のままの着物を着た。

着付けの美容室をお願いしたり、小物類を揃えるのにバタバタ。

夫は、和装について全然わかっていないので、なぜそんなに手間暇かかるのか理解せず、終始イライラ。

美容室から小学校まで歩くのも、草履で歩く私のスピードが遅いことでイライラ。

サトイモが信号待ちでしゃがみこんだり、縁石に登ったりしてまともに歩かないことで、晴れ着が汚れるとイライラ。

おしゃれさんはイヤだなぁ、「木綿のハンカチーフ」の歌詞に出てくる、「見間違うようなスーツ着た僕」より「草に寝転ぶあなたが好きだったの」のとおりだなぁ、と私はつくづく思った。

 

美味しいけど楽しくない

入学式のあと、夫がお祝いのランチを食べに行く予定を組んでくれた。

中華料理の名店‘施家菜’が開いた‘點心坊’という点心専門店で、私が以前から行きたかったお店だ。

サトイモに、

「入学式が終わったら、三人でごはんを食べにいくよ!」

と教えると、

「え~!お友達と一緒に行きたいよ。ガストかマクドナルドがいいよ」

サトイモは残念そうだった。

高級中華だよ、すっごくおいしいよ、と言ったところで、サトイモの心は動かない。

「嫌だ、行きたくない」

今日の主役なのに親の押し付けで気の毒なことをしたな、とは思うものの、お店は予約してあるし、今さらお友達も誘えない。

 

入学式後、サトイモは家が反対方向のお友達について帰ろうとして夫に叱られ、学校の裏側に走って逃げ、夫に叩かれ、泣きながら連行され、渋々帰宅。

夫はカンカン。

お店の予約時間に間に合わず、時間変更のうえ、さらにタクシーで駆けつける羽目になった。

和装の私は一旦家で着替えることになっていたので、

「時間がないなら、着物のままお店に直行しようか」

と提案したが、夫はため息をつきながら、

「食事で着物が汚れるやろ」

と言った。

確かに私は醤油などをこぼしがちなので、それもそうだけど、と諦める。

 

點心坊の飲茶は美味しかった。

でも、全然楽しくないし、うれしくもなかった。

 

蒸し物の点心が選べるワゴンで、サトイモは鶏の足を見て食べたがった。

夫は「絶対無理!よう食べんやろ!」とやめさせようとしたが、私は

「私が食べるからかまへん!」

と注文させてやった。

案の定、サトイモは鶏の足を一口しか食べなかった。

でも、私は満足。

 

入学式は平日だったので、夫は最初、出席しないつもりだった。

でも、周りから、今どきの入学式は、可能な限り父親も仕事を休んで出席している、という話を聞き、誘ってくれたパパ友もいたため、夫も都合をつけて休みを取った。

入学式の朝、

「着物も着るし、俺がおったほうが助かったやろ」

と夫が言い、その押し付けがましい言い方にカチンときた私は、

「助かるけど、私のために出席するの?自分が出たいから出るんちゃうの?」

と怒った。

その日の夜、

「なんやかんやあったけど、今日は休み取って行けてよかった」

と夫が言った。私は一言、

「はあ?」

と認識の違いに驚いた。

人間、いろんな視点があるもんである。

サトイモに尋ねてみたら、

「べっつに~」

と、何も覚えていないようだった。


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画像は入学式前日のお風呂にて。

「おなかに『1年生おめでとう』って書いて〜!」

とねだられて。

あほまるだし。

サトイモの幼稚園卒園

とうとう、サトイモが幼稚園を卒園した。

職場の先輩が昔、

「人生で一番感動したのは子どもの卒園式。あんなこともできなかった、こんなことも無理だったのが、今はこんなに大きくなった、と思ったら涙があふれて止まらなかった」

と言っていた。

実際振り返ってみると、幼稚園の3年間の成長は著しい。

いよいよ卒園だと思うだけで、私も涙がこぼれそうだった。

 

卒園式の服装

卒園式の服装について、自分は何を着ればいいのか考えていた。

入学式は和装にしようと思っているので、幼稚園の卒園式は簡単で済ませることにして、持っているグレーのスーツに新しくブラウスを買い足した。

夫も普段来ているビジネススーツを着る。

サトイモは制服のスモック着用だから考えなくても大丈夫だろう。

 

…と思っていたら、朝、夫に、

サトイモの制服の下の服と、ズボンは用意しとんか?」

と言われて、えっ!?となった。

全然考えてなかった…。

どうしよう…。

上は制服だからどうでもいいけど、特にスボンはろくなものがない!

苦肉の策で、こうなったら園の体操服でも着させておけ!

と上下とも体操服を着させた。

幸い、体操ズボンは紺の長ズボンなので目立たないはず。

 

ところが、幼稚園に行ってみたら、ほかの子はめちゃくちゃ着飾っていた。

スモックの下は襟付きシャツにネクタイ。

蝶ネクタイの子はスモックからはみ出している。

女の子はもっと派手で、ヒラヒラのドレスにスモックを羽織っている状態。

うわ~、私、やらかしてしまった…。

 

それはまったく別として、サトイモは朝、まさかの登園拒否。

理由は全くわからない。

今日は幼稚園行かないよ~!とダダをこねるのをなだめすかし、無理やり準備をさせた。

体操服だから無理やり着させることができたけれど、襟付きシャツだったらとてもじゃないけど準備できなかっただろう。

 

涙もひっこむ

さて、卒園式本番。

しっかりと入場してくる姿に成長を感じる。

式は最初から卒業証書授与。

名前を呼ばれたら返事をして壇上に上がり、担任の先生から紹介コメントをもらい、園長先生から卒業証書を受け取って、

「わたし(ぼく)は大きくなったら、〇〇になりたいです」

と言って自席に戻る、という段取り。

男子の一番人気はゲームを作る人&任天堂で働く人。

ほかは医者、警察官、消防士、ユーチューバーなどなど。

野球選手、サッカー選手が一人ずつしかいなかったのは時代を感じる。

女子の一番人気は幼稚園の先生、ほかは、ケーキ屋、花屋、といったところ。

こちらは昔から変わらないなぁ。

 

そしてサトイモ

担任の先生から、「行事の準備ではたくさんのアイデアをひらめいてくれました」「とっても物知りでクラスの博士です」というコメントをもらった。

その博士が一体なんていうのかと思ったら、ちっさい声で、

「ぼくは大きくなったら、ライフで働く人になりたいです」

と言った。

ライフ!?スーパーマーケットのライフ!?

確かに、最近ライフで買い物するのは好きだけども!!

練習では、レモネード屋さんになるって言ってたのに。

スーパーの店員が悪いとは言わないけど、まさかの固有名詞!

これについての夫のつぶやきは、

「『うちの子、ライフで働きたいって卒園式で発表したんです』って店長に言うたら割引してくれへんかな」

というものだった。

せこい!

 

その時点でもたいがい涙が引っ込んでいたのだが、そのあとの園長先生と理事長のあいさつの間、サトイモがごそごそし始めた。

まずポケットからティッシュを取り出し、それをちぎって丸めて耳に突っ込む。

発達障害がある子どもは聴覚過敏なところがあって、サトイモも講堂のザワザワが嫌いだから耳栓をしたいのかもしれない、と大目にみていたけれど、その後、ティッシュを丸めて放り投げたりし始めた。

園長先生が涙目でみんなに語りかけてんのに退屈すんなよ!!

イライラ、ハラハラが募る。

その後、ティッシュを小さくちぎってヒラヒラ飛ばし始めたので、もういい加減にやめてくれ~!!!と叫びそうになった。

感動は遥か彼方へ。

そのあとは保護者代表のあいさつ。

代表のママは出てくる時点でありえないくらい号泣していて、大人が泣いてしゃくりあげながら話す姿にやっとサトイモの手が止まった。

Aちゃんのママ、号泣してくれてありがとう~!!

 

その後、卒園生みんなによるお別れの言葉や、「ありがとう こころをこめて」という歌の斉唱があった。

お別れの言葉は列ごとに立って言葉を言うんだけど、サトイモは完全にクチパク。

立ったり座ったりのタイミングだけ、前の子のマネができてきたから、一応悪目立ちすることはなかったけど、これもハラハラした。

歌ももちろんクチパクだけれど、この歌の歌詞が、

いつの間にか僕たちは一人で歩いていたよ

6年前にこの世に生まれた小さなこの命

という歌詞で、思わずウルッときてしまった。

 

最後の最後まで…

卒園式終了後は、教室に集合。

最後の担任のあいさつ、その後解散してからは自由に写真撮影大会。

思い出の場所で、先生や友達と、みんな競うように写真を撮っている。

ところがサトイモは全然写真を撮ろうとせず、早く帰りたがる。

かろうじて、隣の席の女の子のお母さんが声をかけてくれて、写真を撮った。

いつもよく遊ぶ子ではなく、私にはそれほど印象がない子だったのだけれど、その子のお母さんから、

「うちの子、サトイモ君と結婚したいらしいんです」

と聞かされて驚く。

式で後ろの席に座っていた、3歳の妹を抱いたお母さんからも、

「この子(妹)、サトイモ君の奥さんになるって」

と告げられてビックリしたけれど、一体なぜサトイモはモテるんだ!?

 

教室で一通り写真を撮ったあと、みんなは園庭に出て写真を撮る。

私もそうしたかったけれど、気が付くとサトイモがいない。

探すと、ジャングルジムで遊んでいた。

「今日は遊具を使って遊んじゃダメって貼り紙がしてあるよ」

と注意をしてやっと降りさせたのに、その後はアリの巣の観察が始まった。

お友達を写真を撮れるのは今日が最後なんだよ、といくら言ってもサトイモは無関心で、嫁候補の一人と写真を撮った以外、誰とも写真を撮らないまま、園を後にした。

何も言わないけど、体操服だから引け目に感じていたのだとしたら私の責任なので、あまりしつこく言わず。

 

唯一の救いは、出口にいた副園長先生と写真が撮れたこと。

この三年間、副園長が幼稚園のお母さんだった。

年少の頃は、当然のように副園長のひざの上に乗ってたっけ。

本当にどれだけお世話になったか、計り知れない。

この人がいなかったら、この園に通い続けるのが難しかったかも。


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出るときに、式で飾られていた花のポットを一つずつ持って帰れた。

さくら草の1種プリムラ

夫が、「何ていう花?花言葉は?」と聞くので検索してみたら、「青春の始まりと悲しみ」ということだった。

コーヒーとお菓子の魔法

父の病院の地域連携室から電話がかかってきたのは、2月22日のことだった。

病院から電話があると、父に何かあったのかと毎度ドキドキするけれど、この日は、退院後の提案だった。

病院と連携している老健施設に入らないか、というお誘いだ。

行き先なんて何も決まっていないし、受け入れ先がなかったらどうしよう、と不安でしかなかったので、申し出をありがたく受け入れた。

2月24日に主治医から今後の方針について面談を受けたあと、施設の見学をして説明を受ける約束で電話を終えた。

 

チューブが抜けた!!

2週間ぶりに父に会うと、なんと経鼻栄養のチューブが抜けていた。

食事は口から食べているらしい。

 

主治医との面談では、やはりそこが主なポイントだった。

今は口から食べられているが、今後肺炎になったり、食べられなくなったときどうするか。

私は正直に、チューブの不快感から余計に食べられなくなっている気がするし、チューブを抜こうとするから手を縛られることで、生活の質が下がってしまうのは本人にとってよくないと思う、と訴えた。

主治医は、80代後半にもなってくると食べられなくなるのは当然なことで、そこで無理にチューブを入れず、自然な死を迎えるのは悪いことではない、という意見を話してくれた。

いわゆる’平穏死‘的な考え方を話してくれたのは、この人が医者では初めてかもしれない。

「急性期病院では1秒でも命を取りとめるのが使命ですけどね、老人施設では必ずしもそうではなくて、食べられたら食べたらいいし、食べられないなら無理に栄養を入れなくてもいいし、ご本人が望むように過ごされたらいいと思いますよ」

主治医のそんな話をきいて、なんだかとてもホッとした。

経鼻栄養をさせないと言うと、親の命を捨てるかのようなプレッシャーを感じていたが、そこから解放された気がした。

 

その後、父に会いに言った。

ずいぶんしっかりとしていた。

尿のバルーンをつけていて、車椅子に乗っている以外は、ほぼ入院前に戻っている印象だ。

 

この日は夫とサトイモも一緒に来ていて、談話室で一緒に過ごした。

父にはトロミをつけてもらったコーヒーを飲ませた。

サトイモに、持参したお菓子を食べさせていると、父も食べたいという。

「ほんまに大丈夫?むせて死なへん?」

と言いながら、看護師に見つからないようにぱりんこを食べさせたら、普通に食べられた。

 

老健施設への入所を提案してくれた看護師が電話で、

「すごいですよね。チューブを抜きたい、食べ物を食べたい、という気持ちがあれば頑張れるんですね。やって来られたときの状態から考えると、信じられないくらいの回復です」

と言っていたのを思い出す。

たいしたもんだ。

 

老健施設の見学

その後、病院の看護師に案内してもらって、私一人で老健施設へ入所の説明を聞きに行った。

病院から徒歩2分くらいの場所で、商店街の中にある施設だった。

 

「病院は新しくてキレイですけど、こちらは古くてすみません」

と応対してくれた施設のスタッフが言った。

「そんなことないですよ」

と言ったものの、エントランスだけはリフォームしてキレイだったが、居住しているフロアやリハビリルームは少し老朽化しているのを感じた。

古い施設にありがちな、なんとなく暗い雰囲気もある。

 

何より気になったのは、リビングのような場所にテレビが1台だけあり、個別にはテレビがないという点だった。

テレビ好きな父が、チャンネル権を持たずにやっていけるだろうか。

 

とはいえ、リハビリ病院を退院させられた後の行き先として、ひとまずここに入所するしかない。

 

その後、手続きの説明など事務的な話をして、ちょうど一段落したところ、夫とサトイモがやってきた。

夫はすごく不機嫌で、

「病院で2点怒られた。面会時間は正午までということ、中学生以下は面会禁止ということ。看護師に、なんであんたらここにおるん!という顔でにらまれたで。そういうルールは先に教えてとってくれ」

と私が怒られた。

 

電話をかけてくれた地域連携室の看護師は、子供を連れて行くことを了承してくれて、

「お孫さんに会うのが一番の薬でしょうから」

と言ってくれたのだけど、個人的な見解だったのかなぁ…。

これからは見つからないように連れて行こう。

次の老健施設では自由に面会できるのだろうか。そこを尋ね忘れていた。

 

隠れ食い

サトイモは夕方家に帰ってくると、まずお菓子を食べる。

ダメな習慣が身についてしまった。

「お腹空いたよぅ。ペコペコだよぅ。これ食べていい?おねが〜い!」

そう言われると、つい許可してしまう。

一口食べると呼び水になって、次から次へと食べる。

私がやめさせると癇癪を起こし、お菓子を取り上げてケンカになることもある。

私が夕食を作り終えた頃にはお腹が膨れてしまい、食事を残す。

ハッキリといらない、ごちそうさま、と言えばよいのだけど、途中から遊び始めるから私が激怒する。

毎日の課題だ。

サトイモに我慢させられない躾の問題でもあるし、私の食事提供の段取りが悪いせいもあるが、なかなか改善できないでいる。

私も帰ってきたら、つい一緒になってお菓子をつまんでしまうからだ。

だってお菓子って美味しいんだもん。

 

先週、父の見舞いに行くと、父はやはりコーヒーを飲みたがり、お菓子を食べたがった。

コーヒーを持参してきたので、トロミをつけてほしいと依頼すると、看護師から、

「これからはトロミ剤を用意してもらえますか?」

と言われた。

仕方ないので、ドラッグストアにトロミ剤を買いに行き、ついでに父が食べたがったお菓子を買った。

 

買ってきた明治チョコレートとハッピーターンを、こっそり父に食べさせた。

ハッピーターンを食べたとき、少しむせたのであせった。

もしや、ハッピーの粉が誤嚥性肺炎の原因になってしまうのでは?!

けれど、本人は、

「大丈夫や。もう一個くれ」

と食べる気満々。

こそこそと、かつ慌てて、それぞれ2個食べた。

 

今日の土曜日も、お菓子を持って父を見舞う。

紗々チョコレート、アンパンマンビスケット、神戸元町商店街花見屋のあられを持参したら、あっという間に全部食べてしまった。

先週持ってきたインスタントコーヒーのスティクは全部飲んでしまったという。

仕方ないので近くのファミマまで慌てて買いに行く。

 

これだけ食べられるようになっても、まだトロミは必要だし、食事はミキサー食らしい。

「こないだから、おじやがでるようになったけどな。食事がまずいわ」

と父は文句を言っていた。

 

サトイモが3歳くらいの頃、ご飯をあまり食べなくて悩んでいたことがあったが、誰かに、

「ご飯は食べなくてもお菓子は食べるんでしょ?じゃあ死なへんやん」

と言われ、そういえばそうか、と気がラクになった。

父も、お菓子が食べられるうちは死なないだろう。

 

姫路のヌード銅像

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父の病院へ行く途中の通りには銅像がたくさんある。

みうらじゅんが「ヌードサックス」「黒川さん」と呼ぶヌード銅像(略して「ヌー銅」)もある。

ヌード銅像はなぜか兵庫県に多いとみうらじゅんも言っていた。

姫路は特に宝庫。

毎週、お見舞いのたびにいろんなヌー銅を見るのも私の密かな楽しみ。

アフターコロナとイチゴ狩り

2月中旬はコロナで何もできなかった。

まずはサトイモが発熱し、私が発熱し、夫は出張に出てからホテルで発熱した。

 

サトイモは高熱が出ていたとき、

「オバケがいる!!怖いよ〜!!怖いよ〜!!」

と泣き叫んでいた。

どんなオバケか尋ねると、黒くてハート型なのだそうだ。

「あそこにも!ほら、あそこにも!オバケだらけだよ!!12345678910…うわ〜!百、千、万、無量大数いるよ!!」

冗談のようだが本気で怖がっているので、

「大丈夫、それはコロナオバケだよ。お熱が下がったらどっかいくから。コラっ!!しっしっ!あっちいけ!!」

高熱のせいで、せん妄状態。

と、わかっているけれど、

「ほら、あそこにいる!」

と指差されると、大人でもちょっと気持ち悪い。

シックスセンスか。

 

サトイモには味覚障害も出た。

何を食べさせても、辛いだのチクチクするだの言って食べない。

熱が下がると「辛い!」ということもなくなって、徐々に食べられるようになったので、コロナのせいだったんだなぁ、と判明。

幸い私には味覚障害がでなかったから、気持ちがわからず。

同じ時期にコロナにかかった同僚は味覚障害が出て、

「何を食べても味がしない。つまらん」

とこぼしていた。

食は最大の娯楽なので、それを奪う病気は憎らしい。

 

コロナにかかった順に回復していったので、途中、私がしんどくて寝ているのにサトイモが元気、という地獄のような日々があった。

ただ、サトイモもだいぶ分別がついてきて、私を労ってくれることもあった。

そのひとつに、わざわざ手紙を書いてくれた。


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手紙で謝ることができるまで成長したんだなぁ、としみじみする。

 

初めてのイチゴ狩り

サトイモが手紙に書いていたのは、コロナのせいで行く予定だったイチゴ狩りに行けなかったこと。

すごく楽しみにしていたので、どうしても今年行きたくて、先日リベンジマッチに出かけた。

 

ながしお農場というところで、ネット予約ができるのが便利で選んだ。

その場で食べるなら30分2,900円だけれど、収穫体験だけなら200円。

昔、私はイチゴを一度にたくさん食べ過ぎて吐いた経験がある。

30分食べ放題と言われると、気持ち悪くなっても無理に食べまくるに違いない。

それは本末転倒。

夫も同意見で、私達は収穫体験を選んだ。

収穫体験で摘んだイチゴは、100グラム300円で持ち帰れる。

時間を気にせず家でゆっくり食べられるから、絶対こっちが正解だ。

家まで待てず、帰りの車で食べたイチゴは、スーパーで買うイチゴよりずっと甘くて柔らかく、収穫して購入した1キロは2日でなくなった。

夫が、

「坊主がおらんかったら、イチゴ狩りに来ることなんてなかった。坊主のおかげでいろんな経験ができる」

と言った。

夫は最近、サトイモが生まれてきてくれたおかげ、と口にすることが増えた。

私の悪い癖だけれど、心の中で、

「妊娠が発覚した頃のあなたに聞かせてやりたいよ!」

と毒づいてしまう。

女の負の感情はしつこいよ。

 

めんたいパークの思い出

イチゴ狩りのあとは、めんたいパーク神戸三田に寄った。

徹底的に子供連れのニーズに応えていて、子供が遊べる「めんたいランド」は子供たちのカオス状態だった。

帰りには、めんたいパークのキャラクター「タラピヨ」ちゃんと「タラコン博士」の折り紙、塗り絵、迷路をもらい、めんたいパーク工場できたての明太子を買った。

レジで並んでいると、サトイモが、

「これ買って〜!」

とタラピヨちゃんのぬいぐるみやポーチを欲しがる。

「明太子の人形なんかどないすんねん!」

と夫に一刀両断される。


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しかしまあ、めんたいパークだなんて、うまく考えたものだ。

子供がタダで遊べるからやってきて、せっかく来たんだから、とお土産に明太子を買って帰る。

ふだん明太子なんて食べないからこそ、購入のきっかけになる。

スーパーで2,500円の明太子を買うか、と問われたら絶対買わないもの。

でも、少子化が進むと、こういうビジネスモデルも縮小してしまうんだろうなぁ。

 

サトイモはめんたいパークを気に入ったらしく、その後ずっと、

「♪ピリッとかねふくめんたいこ〜!」

氷川きよしが歌うCMソングを歌っていた。

翌日の夜も、歌いながら持って帰った折り紙でタラピヨちゃんを作ってご機嫌で遊んでいた。

しかし、その日は何のスイッチが入ったのか、片付けない、お風呂に入らない、歯も磨かない、寝ない、と、親の言うことを聞かないこと山のごとし。

とうとう夫がブチギレて、ソファの上に散らかしているタラピヨ折り紙をクシャクシャにしてゴミ箱に捨てた。

もちろんサトイモは大泣き。

「思い出がぁ~!!大切な思い出をなんで捨てるの?!思い出を返して!!」

それに対して夫は、

「思い出なんてない!!」

と無茶苦茶な返しをしていた。

 

サトイモはもうすぐ6歳になる。

6年しか人生経験がない中で、出来事のひとつひとつが、大人とは比べ物にならないくらい大きいんだろう。

けれど、大切な思い出=明太子の折り紙、というのが、なんか質の低いコントみたい。

 

もう3月。

大切な思い出、というなら、残り少ない幼稚園生活をもっと大事に味わってほしい。

卒園式も2週間後。