発達障害と視力検査

キチは一年生の時から眼鏡をかけている。

就学前に斜視が分かり、定期的に眼科には通院していた。

一年生の時、目を細めることが多くなり学校の視力検査でもC判定が出た。

そのため、斜視でかかっている眼科で眼鏡の処方箋を出してもらい、眼鏡屋さんに処方箋を持って行き眼鏡を作った。

 

眼鏡は、彼の憧れだった。

何しろ、キチ以外みんな眼鏡を持っている。

私は強度の近眼なので、コンタクトと眼鏡を併用している。

ナナザも斜視があり、近眼なので小学2年生から眼鏡をかけている。

チチは夜、運転する時だけ眼鏡をかける。

ばあちゃんは、老眼鏡を持っている。

だから、眼鏡をかけることは全然嫌がらなかったのだ。

 

だが、視力検査は別だ。

 

一年生の時は、発達障害だと分かっていなかった。

だから、そわそわした落ち着きがない子。

私はそうとしかとらえていなかった。

視力検査の椅子に座ってもじっと座っていられず、くるくる回る椅子で文字通りくるくる回る。

視力検査で「どっちが空いてるか教えてね」と言われると、

指で上、下、右、左を差す。

顔を上、下、右、左に向ける。

など普通だったら言葉で言えることをボディランゲージで表す。

 

今、考えるとそれは発達障害だからの行為なのだが、当時の私はそんなことを知るよしもなく、その態度に検査中も注意しっぱなしだった。

言葉でしゃべって!

じっと座る!

そわそわしない!

まじめに!

 

どれも難しい。

自分が何をしているのか、あと、どれくらいの時間がかかるのか、分からない。

だから、落ち着かないし落ち着けない。

何をするからどれくらいの時間がかかるか説明してやれば落ち着けた。

見通しが立たないのが不安だから落ち着かないのだ。

でも、そんなことは知らなかった。

 

視力検査は親子共に疲れる作業だった。

怒られるキチ、怒るハハ。

どっちも疲れ切ってしまう。

 

今でも視力検査は大変だ。

だけど、今は、言葉で言えない時、ボディランゲージをしても怒られない。

何回したら終わりかを、説明しながらキチのペースでやってくれる。

疲れたようだと判断されると、「しばらく休んでからしましょうね。」という風に。

 

見通しが立たず、何をされるのか分からないことは不安で仕方がない。

だから、歯の治療も鼻の治療も何をするか説明してからやってもらう。

そして、体に触れられるのは嫌がるので、出来るだけ自分一人で頑張れるように少し待ってもらう。

自分で、「よし!」と思えたら頑張れるのだから。

 

でも、それがいつも待ってもらえるとは限らない。

待ってもらえなかった時、勝手にされた時はイライラが中々落ち着かない。

その場でおさまらず、数時間落ち着かないこともある。

なぜなら気持ちの切り替えが下手だから。

 

嫌なことがあっても、気持ちの切り替えが上手に出来るようになった今はそこまで大変な状態にはならなくなった。

でも、試行錯誤して今があるのだ。

親子ともども苦しんだ。

ここまで来るのは簡単ではなかった。

 

今、キチは小学3年生。

特別支援学級に在籍している。

国語と算数を特別支援学級で、その他の教科を通常学級で受けている。

 

キチが発達障害だと分かったのは、1年生の時にWISC4を受けての結果。

そして、それで発達障害だと分かっても特別支援学級に入るかどうかの最終的な決定権は保護者にある。

そこで特別支援学級に行かせるかどうかは意見の分かれるところだろう。

 

だが、私たち夫婦はそれについてとことん話し合った。

WISC4を受けると決めた時、結果次第で特別支援学級に行くことになるかもしれない。

その決定権は、保護者にあると学校から伝えられた。

私はそれまで知らなかった。

子供が通っている学校に特別支援学級があることを。

それに種類があることを。

私は何も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発達障害と分かるまで

最初にこのブログを作ってから数年がたってしまった。

毎日、てんやわんやは変わりなく、日々が過ぎていっている。

だが、最初にこのブログを作ろうと思った時から比べるとはるかに落ち着いている。

ここに発達障害が分かるまでと分かってからの私の心の変化も含め、書き残していきたいと思う。

 

先ず最初に自己紹介をしよう。

私は現在、小学3年生のキチ(男子)と中学一年のナナザ(女子)の母である。

キチは一年生の時、どうもおかしいのでは?と気づくまではごくごく普通の子だと思っていた。

発達障害と分かるまで、今、考えるとかなり苦しんでいたのだが(本人も私も含め周りも)その当時は、全くそんな風に思ったことがなかったのでそんなものだと半ばあきらめていた。

 

一番最初におかしいんじゃない?

と思ったのは、忘れ物だ。

今でこそ、発達障害「あるある」だが、当時は悩んだものだ。

消しゴム、えんぴつ、定規、カサ、どれも何回買ったか分からない。

学校に持っていくことも忘れるし、学校にも忘れる。

どこに置いてきたかも覚えていない。

極めつけは、「ランドセル」

学校に行くために朝、時間割を揃えたにも関わらず忘れていった。

これが一度のうちは、「あー、そんなこともあるよね」と思った。

が、二度目は、「ん?なんか変じゃない?」と流石に私も思った。

そして、それまでに既に色々なことがあっていた。

 

今考えると入学式の時からそれは始まっていたのだ。

入学式の時、朝から興奮していた。

そしてその興奮は深夜になってもやまず、最終的に落ち着かせるためにほっぺを叩くまで続いた。

今なら分かる。

自分ではその興奮を止められなかったのだ。

そしてその興奮を止める術を親も本人も知らなかったということが。

 

学校でのトラブルは、先生の言うことに全て答えてしまうこと。

授業中に立ってうろうろする等はなく、先生が質問すると即座に答える。

そして、先生が言った言葉のナニカに反応すると、それをずっと言い続ける。

しつこいくらいにそれを言い続ける。

 

先生の質問に答えるのは、分かるから答えるのではなく、

先生が誰に聞いているのかが分からないので自分が聞かれていると思ってしまうから。

 

今なら分かる、色々なことがその時は分からなかった。

だから、何度も先生に注意され、怒られた。

忘れ物をする度に怒られる。

学校では先生に怒られ、家に帰ると私に怒られる。

キチはどこででも怒られていた。

怒られるのが当たり前になっていた。

怒られるようなことばかりするから仕方がないと私も思っていた。

 

友達には暴言を吐く。

太っている人には「デブ」と言い、背の低い人には「チビ」と言う。

これでトラブルにならない訳がない。

いつもいつもあちこちでトラブルを起こしていた。

 

自分は相手にひどいことを言うのに、相手から何かを言われるとそれを言葉通りに受け止め、ひどく泣いたり怒ったりする。

自分は相手に「死ね」というのに自分が言われると本当に死ねと言われたとひどく泣く。

「絶対に」許さない。と言われると、その「絶対に」にこだわりひどく動揺する。

もう二度と許してくれないと思い、その言葉に対し泣きじゃくる。

 

何か悪いことをして怒る時、「それをどう思う?」と聞くと「どう思うってどういうこと?」と逆に聞かれる。

その時は、私もカッカして怒っている訳だから、その言葉にまた怒りが湧く。

なんだかバカにされているようにしか感じなかったから。

今なら分かる。

「どう思う?」の「どう」が全然理解出来ていなかったということが。

 

今なら全てに理由があったことが分かる。

それは、キチが「発達障害」だと分かったから。

 

もしかしたら、こういうことがあるお母さん。

それは、あなたのお子さんがふざけている訳でもなまけている訳でもないことを。

あなたのお子さんは、とても苦しんでいるということを。

あなたの子育ての方法が悪いのではなく、あなたのお子さんが悪いのでもない。

誰も悪くない。

ただ、私の子どもと同じようにあなたのお子さんにも原因があるかもしれない。

それだけなのだ。