私が体験した介護の現場

私はまだ20代前半の女です。

介護の現場で5年ほど働いていました。

3年続けてセクハラで一度現場を去りました。 暫くして、再び現場に戻ったのですが、もう暫くは現場に戻りたくないです。最初は希望を持って入ったこの業界ですがただひたすらに闇を見て、気づけば夢も希望も失っていました。

介護現場の現状を知ってほしいと思い私は今この文章を書いています。あくまでも私の意見ですがもしよければ読んでみてください。

きっと、皆さんは介護について「汚い・臭い・キツイ」といったような印象をお持ちかと思います。

まぁぶっちゃけ間違いはひとつもないです。

私は高校を卒業して親元を離れ、慣れない土地で初めて介護の職につきました。デイサービスと言えば聞こえは良いですが、実際は夜勤もあり一晩(15〜18時間)休憩もなく1人で20〜24人の方をみていました。

当然オムツ替えやトイレ誘導もあります。その他には翌日の準備、泊まっている方の朝食の準備などすることは沢山ありました。夜ご飯や夜食、朝ごはんは実費です。出るのは2日分のお給料とほんの少しの夜勤手当。

日勤も7時出勤〜12時出勤と時間はバラバラで体内時計はどんどん崩れていきました。生理も不順すぎてレディースクリニックに通いました。先生には夜勤だけでも辞めなさいと言われましたが夜勤を減らせば給料も下がるし、そもそもそんなことを言い出せる環境でもなかったため私は病院へ通うことを辞めました。生活は変えれないしお金の無駄だと思ったからです。

1日の流れは、出勤して食事の介助をしたりバタバタと送迎に出て帰ってきたら血圧や体温、脈拍を測りお風呂の準備。施設によると思いますか私の働いていた所では1日に15〜20人の方の入浴を2人で担当していました。

それ以外の職員は接茶や体操・レクリエーション、見守り、排泄介助に分散です。

入浴について印象的だったことをお話します。

お風呂が嫌いな利用者の方を騙し騙し浴室に連れていき暴れるのを数人で宥めながら一気に洋服を脱がせて洗髪や洗身をします。唾を顔に吐かれたり噛み付かれたりしながら。全てのポジションで人を変えて負担を分散していましたが、私には何故そこまでして入浴をしてもらわなければならないのかわかりませんでした。上肢に噛み跡が残り、酷い時は内出血で痣となり1週間くらい残ることもありました。

けれど、清潔保持は大事で、何よりご家族からの要望なので仕方がないのです。まぁご家族の面会は年に1回くらいだったし難しい方だったので報告を差し控えていたんですけれどね。「うちの家族がそんなことするわけないでしょ!」とクレームになりかねないので。

送迎時にご家族とのコミュニケーションも大切でした。信頼関係なくしてはなりたたないのがサービス業ですので。そういった面では介護は最強のサービス業かもしれませんね。

ほぼ家庭内別居をしていてご家族のお家は綺麗なのに利用者の方のお部屋だけ汚くて臭いなんてこともありました。「よかよか」と寂しそうに笑いながら炊飯器の中の黄色いご飯を食べていた姿は忘れられません。涙が出そうでした。悔しかった。私たちはご家族の許可なしでは何もしてはいけない。無力です。

皆さんが想像しにくいことを話すとすれば、トイレ誘導を行い、あまり覗かれるのを好まない方が中々出てこなかったことがありました。声をかけても耳が遠くて聞こえない方だったので怒られるのを覚悟で戸を少しあけると、その方は自分の排泄した便で大きな塊を作っていました。「それは…?」と耳元で声をかけると「おにぎり。食べる?」と返ってきました。どうやらトイレに来たつもりがいつの間にか台所に変わっていたようです。「お腹がすいてるでしょ」と働いて疲れた私たちにおにぎりを作ってくれていたんです。私は手袋をはめて「ありがとうございます。あとで食べるからもらっておきますね」と声をかけてその便の塊を受け取りこっそり黒いビニールに入れてその方の手を温かいタオルで拭き「**さん、寝る前に良かったらパンツと服を着替えましょうか」と更衣を促しました。

目の見えない方がこっそりと施設を抜け出し屋外で転倒していたこともありました。第一発見者は私です。血だらけのその方はまだ起き上がり進もうとしていました。手を取り理由を聞くと、お家に帰りたかったとのことです。私たちはご家族が連れて帰ると言われない限り預かることしかできません。こんなに帰りたがっているのに。面会にはあまり来ないご家族の方に私たちは謝罪をしました。そしてご家族は利用者の方の顔を遠目から見るだけで話すことなく帰ってしまわれたのです。自分の家に帰りたいのに帰れない、そんなことに不満をこぼす方は多いです。時には気がすむまで一緒に歩いて「ここはどこ?お腹がすいたわ」と言われたら「おやつとお茶を用意してるから私の家に来ませんか?」と返し 施設に電話をして迎えの車を呼ぶこともありました。

あとは、そうですね…てんかん発作の対応とか?熱発者がいると、こまめに体温測定したりするんですが インフルエンザとか流行ると大変でした。フルバイタル測らなければならないし隔離した上で感染対策の衣服を着て入室するため結構な時間がかかり仕事の効率はぐっと下がります。何よりそんな環境下で他の方のナースコール対応もあるのでてんてこまいでした…。

その時のお給料は夜勤手当や交通費も何もかも込みで手取りが14万円くらいでした。

まぁ結局私は信頼していた同僚にホテルに連れ込まれかけ性行為を強要され怖くて職場に行けなくなり退職することになったんですけどね。

それから暫くして心も元気になり、別の場所で再び介護の仕事につきました。介護福祉士の資格を取りたかったからです。

ですが、そこでは私のことをあまりよく思わない上司からパワハラを受けました。仕事中に腰痛で動けなくなり泣きながら早退をして、必死に病院まで行き治療のため仕事を数日休みました。急性腰痛症でした。本当に痛くてトイレに行くのにも家の中を這って10分かけてトイレに行き、便座に座るのも激痛が走ります。診察待ちの時も椅子には座れず、いつもなら玄関から車まで30秒もあれば着くのに5分以上かかりました。お見舞いに来てくれた友人もいるくらいです。ですが、例の上司は仮病なんじゃないかと疑ったりたまたま優しい上司が電話を取ってくれたらそれは自分のことが嫌だから指名をしたんだなどと言っていたようです。そして、私が親子で鬱病の新規入所の方を受け持った時はいいとこ取りをして私には あなたの担当でしょ。もっとちゃんとしなさいよ と文句ばかりでした。私がそのご家族に安心した生活を送ってもらいたくて沢山の時間を費やし様々なことをしてきてやっと安定してきたのに。歯痒い思い出です。

毎日毎日仕事を辞めたくて仕方がなかったです。けれど、私のことを孫のように扱ってくれる方や気難しかったけど心を許してくれた方などが居たので私は頑張れました。人事異動がある時も最後までその上司は私への態度を変えることはなくエスカレートしていました。意地の悪い女にはなりたくないですね。食事中に旦那との性生活の話をしたり若い男にだけ優しかったり…あのような人が老いるときっと大変ですね。私はお金をもらっても介護したくないです。こんなクソババアにはなりたくないという見本のような人でした。良い人生経験をありがとうございます。もう二度と会いたくありません。

話を戻します。新しい職場では夜勤が18時間休憩なし、サービス残業は日常茶飯事という環境でした。女の人にだけ手をあげる方が居て、殴られたり蹴られたり暴言を吐かれたりすることもありました。男性の前や家族の前では大人しいんです。オムツいじりで洋服を度々汚染してもそんな状態なので更衣する度にボロボロでした。夜間叫んだり呻き声を上げたりする人も居ました。気が狂いそうな夜もたくさんありました。精神科に通うことも考えたくらいです。夜間徘徊をする方も居て、常に気を張らなければならない。そんな中で尿量が多い方はこまめにオムツを替えたり褥瘡予防で体位交換をしたり…もちろん翌日の準備や見回りなどもあります。その途中にちょっとエッチなおじいちゃんに部屋に招かれて猛烈な誘いを受けることもありました。すごかったです。

酸素ボンベで酸素吸入をしたり水銀の血圧計で測定をしたり夜勤中に亡くなった方がいれば各所に連絡をしてエンゼルケアをしたり、グレーなこともたくさんしました。人手が足りないので私たちがせざるを得なかったのです。

私はストレスで胃炎や腸炎、難聴、メニエール病になりました。治療費もたくさん払いましたがどれもぶり返しがありました。ストレスのあまり狭心症になりかけたくらいです。仕事を辞めて発作の回数は減りましたが…。医者にはその年齢ではあり得ない、発作時に心電図を取りなさいと言われましたがそんなこと出来てればこんなことにはならないと思っていました。ちなみにその時の私は連続して睡眠をとるのは5時間が限度でした。それ以上は寝つけなかった。

私は資格習得を諦め、これ以上身体を壊せないと思い仕事を辞めました。退職届は受理されず二枚書きましたし、辞めたいと思ってから退職まで1年半かかりました。辞めたくても人手不足で辞めれないのが現状。それなりに仕事ができると尚更引きとめられ長引きます。

待遇は施設によって差はあるかと思います。

私が今までしていた夜勤はとてもハードでしたが手当はたったの3000〜5000円でした。冗談ではありません。

余談にはなりますが、敬老会のある月は毎日残業をして会の準備をしていました。そうですね、私はトータル50時間/月くらい残りましたが残業代の申請をしたのは半分以下です。

残業は申告しなければつかなかったですし、サービス残業が暗黙の了解のようになっていました。

そもそも夜勤の休憩がないのに休憩時間はとったことになっているので夜勤の数×2だけ毎月サービス残業していたことになりますね。いまだに納得がいきません。

低所得なのはわかっていたし何度も辞めたくなりました。実は介護職って辞めてから出戻る人が多いんです。利用者の方々可愛いし、必要としてくれるからなんとか頑張れる。私もそうでした。

ですが、介護士の月給が20万円を超えることは中々ないです。何故なんでしょうか。寝ずに働いて心身ともに犠牲にしているのに。介護士の方が居なければ皆さん在宅で介護をすることになります。正直、お金をもらってなければ出来ないことだと私は何度か思ったことがあります。以前、私が普通に曽祖母の義歯の手入れをしていた時、家族に尊敬すると言われたこともありますが、私にとってはさっぱり理解できませんでした。皆さんはどうでしょうか?「お金をもらってもしたくない」のが意見としては多いのかもしれませんね。

お給料が少し上がるだけでもモチベーションはあがります。もう少し見直してもらうことはできないのでしょうか?介護職手当もありますが、あれって施設がそのまま貰うか職員に配給するか決めれるのでなんとも言えないんですよね…。

ぶっちゃけて言えば介護職の給料はかなり見合わない額だと思います。命を預かること、認知症の方に向き合うということの心労をもう少し理解して労ってはもらえないのでしょうか?介護士はロボットではありません。みんな立派な人間です。それぞれの生活だってあります。

ちなみに私はお昼だけ働いて月に9回以上休んだのに前勤めていた時と同じくらいのお給料をもらえてとても驚きました。寝ずに働かなくても、健康にお昼勤めているだけでもお給料ってあのくらい貰えるんですね。

それに 介護士さんは、利用者の方を第二の家族のように責任を持って、理不尽なことがあっても咀嚼して笑顔でケアに勤めている人が殆どです。

介護士ということを誇れる人も多いです。

介護の現場にもう少し目を向けて、状況を改善していくことは難しいのでしょうか?この先もずっと必要なお仕事だと思います。

それと、ご家族を施設に預けていらっしゃる方はたたまにでいいので面会に行ってあげてください。帰宅願望で不穏になった方を何人も見てきましたが、連れて帰ることは厳しいと思います。だから預けていらっしゃるのはわかります。高齢の方はいつ亡くなるかわかりません。亡くなってからでは遅いのです。全然面会に来てない方の看取りをした時にご家族が会いに来たらよかったと零しているのを聞いたことも何度かあります。最期はご家族で見届けてあげてください。

介護士は家族にはなれないんです。

そして、面会時はよければ介護士の方に「ありがとう」や「おつかれさま」などの一声をかけてあげてください。私はご家族や利用者の方のその一言に何度も救われてきました。無言や会釈だけでなくコミュニケーションをとってください。そして、利用されているご家族のお話も時間があればしてみてください。ちょっとした気付きが異常の早期発見に繋がったりもします。情報の共有はとても大切です。

甘いものなんかを差し入れして下さったときは活力倍増でした(笑)

長々と書きましたが、これが私の体験した介護の現場です。利用者の方々の笑顔やありがとうで頑張れるけれど、介護士にも生活があります。どうかこの決して良いとは言えない状況が変わりますように。

私は両親を施設に預けたくないですし、自分も入所したくないと思っています。恐らくこれは介護従事者あるあるかもしれませんが(笑)そんなこともなくなるといいですね。

みんなが幸せな社会、それが「福祉」だと私は思います