有給休暇と美意識

ここはカフェ・ド・ランデヴー。

「暇すね」

「せやな」

ここで働く若い女性店員・シルコとマスタァはカウンターに並んで立ち、ドアの向こうの道ゆく人たちを眺めた。


この喫茶店は駅前という好立地かつ変わらぬコーヒーの美味しさがウリで、レンガ造りの外観やステンドグラスが嵌め込まれた壁に2階のフランス窓など、レトロなデザインがかえってオシャレだと若者の間でじわじわ人気を高めていたが、若者はこんな平日の真っ昼間からコーヒーを飲みにこないので、店内は閑散としていた。

「俺明日から休みやから」

「あ、そうでしたね。何かあるんすか」

「手術」

「えっ何の」

「当ててみ」

寡黙な印象のマスタァだが、シルコが仕事に慣れてきて一人前になった頃から、お茶目な一面も覗かせるおじさんになった。きっとこれが地なのだろう。

シルコはうーんと三秒考えて、言った。

「ついに二重まぶたにするとか…」

「なんでやねん。ちゃうわ」

「ごめんなさい、ぱっちりしてなかったんで、つい」

「失礼やな。しとるやろ」

してはないやろ、糸やないかいとシルコは思った。

「てかごめんなさい、休み取る人に理由聞いちゃダメですよね、これだから日本の有給取得率が上がらないんですよ」

「あー、前の会社がそやったん?」

「いや、わりと休み取りやすいほうだったと思いますよ。若手はシレッと取るけど…年配の人のほうが聞いてもないのに理由をわざわざ言ってきて、なんか、子供の学校の行事で〜、とか病院で〜、とか、やむを得ないんですよ〜ってアピして休む、みたいな」

「あーせやな。でもまぁ、休み取るんが悪いことみたいな価値観からなかなか抜け出せん人の気持ちもわかったって」

「はい、ただ、そう言われるとこっちも理由ないとダメなのかな?って罪悪感みたいなのはありました。私は休み取るのに理由がないタイプなんですよ」

「ほう」

「あー週5日行くんしんどいな来週は3連休にしたいなってだけの理由で取ったりしてたんで」

「なるほど、“ズル休みの前借り”やな」

「そう!まさに、前借り。当日急にズル休みするのは迷惑だから先にズル休みする日を決めとく。そろそろ休みたくなるだろうな、かつこの日なら休んでも大丈夫そうだなって日に、特に遊びの予定も入れず、ただ休むんですww」

「誰にも迷惑かけてないやん」

「でしょう?けど、何日休みますって言うとどこか行くの?って聞かれるんですよ」

「聞かれても困るなw」

「そうなんです。聞いてくる人はみんな、理由があると思ってる。ないですよwあっ、ありがとうございます」

2階から降りてきたサラリーマン風のお客に声を掛け、彼の会計のためシルコはレジに向かった。このお客はモーニングから居た。会社はサボったのか?いや、実はフレックスタイム制でこれから出勤…はたまた、今日は午前休を取っていたのか…
名も知らぬお客の職場環境に想いを馳せつつ、シルコは彼にお釣りを返した。

「いやぁしかし難儀なもんやな白内障の手術てのは」

少しすると、話題はまた手術に戻った。

白内障…目の手術なのは当たってたのか、と内心シルコは喜んだ。

白内障の手術をざっくり説明するとな、曇った目の中のレンズを入れ替えるねん」

「え?目の中をざっくり?!?!」

「ちゃうわ。どんな耳しとんねん」

白内障を治療するだけでなく、その曇ったレンズの入れ替えでピントを合わせることで、一石二鳥に視力を上げることも可能だという。レーシックみたいだな、とシルコは思った。

「じゃあめちゃめちゃ目良くなるんですか」

「近くを見やすくするか、遠くを見やすくするか、どっちかはできるな。それもあんまり極端にやってもなあ…俺は少しだけ遠くを見やすくするのがええんちゃうかと思ってるねん。その場合近く見る時だけ老眼鏡が必要。それでも、“視力悪いうえに老眼”みたいな状態から、“ただの老眼”に格上げや」

「そこをなんとか、医療の進歩で、遠近両用みたいなレンズは入れれないんですか?」

「あるにはあるけど、それを選ぶと保険がきかんねや」

「はーん…世知辛いっすね…あ、マスタァ上がりですよ」

気づけば時計は17時だ。今日はランチタイムも暇だったな、とシルコは思った。

「お、ほなあと頼むわ。あ、今日もうハンバーグ出んかったら冷蔵庫にタネあるからまかないで食べちゃってくれ」

「はーい。手術がんばってくださいね」

「それは医者に行ってくれ」

「目、お大事にしてくださいね」

「だから二重にはせんってw」

「じゃなくてw白内障なんでしょう?」

「あ、ちゃうで。白内障は友達の話や。手術で思い出したから話したんや」

確かに自分が白内障だとは言ってなかったが…ややこしい話題の出し方をするなよ、と思った。

「えっじゃあ…マスタァは明日何の手術なんですか」

カウンターを出たマスタァの背中に聞いた。ゆっくり振り返った。もったいぶったその仕草に、照れが覗く。


「…ちょっとエラをな、削んねん」 

エラを削る…整形手術なのは当たってたのね、と内心シルコは喜んだ。

「マスタァって美意識、高いんですね。あっ、いらっしゃいませ~!」

仕事帰りのようなサラリーマン2人組が来店、もはや条件反射で声を掛けたシルコは彼らを席に案内した。ふと気付くと、既にマスタァはいなかった。

ブレンド2つ。

はいかしこまりました。

2人分のお水を用意しながら、マスタァはそんなにエラ張っていたかしら、と思い出そうとしたが、よく思い出せなかった。シルコは今日、休み明けの彼が素敵な小顔になっていることを祈りながら、粛々と働く。

おしまい

しりとりカップル

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ここはカフェ・ド・ランデヴー。
午後3時だが平日ということもあり昼間の混雑は早くも落ち着き、テーブル席2つとカウンターしかない店内1階には、常連のおじさん客以外は、若い女性店員・シルコとベテランマスタァしかいなかった。
シルコはステンドグラスが嵌め込まれた壁をバックに慣れた手つきで食器を拭きながら、今ならまかないを食べられそうだと考えた。
コーヒーと小倉トーストにしようかしら。キッチンにいるマスタァにあんこの残量を訊かなくちゃ。
彼女は名前負けしないことを矜持としている無類のあんこ好きだ。

アベルの音と一緒に、「えー!どうしようかなー?」とうわついた女性の声が飛んできて、シルコはそちらに目をやる。

女「どうしようかなー、えーとねー」

大学生くらいの若いカップル。シルコはカウンターから、いらっしゃいませと声を掛けたが、耳に入っていないのか返事もせず、しかしちゃっかりテーブル席に着きながら、女は小声でブツブツ呟きつつ悩み続けている。男は一応、ヒップホッパーの控え目なアイソレーションのような申し訳程度の会釈をこちらに寄越した(なのに見た目は純朴な体育会系)。

態度が悪いのでは?そして今来店したところだしメニューならじっくり考えれば良いのでは?と思ったが、女はメニューを手に取らず、キョロキョロと辺りを見回す。

男「やめる?」

女「待って待って……あ、レモンスカッシュ!」

彼女は大きな声で言い、おじさん客の視線をも彼らの方に集めてしまった。

ん?今のは注文?と困惑したのも束の間、

男「シュークリーム!」

女「うっそ早い」

シュークリームはメニューにない。ていうか早いってなんだ?早く言えばなんでも出てくる夢のような喫茶店じゃないぞ?

女「医務室」

男「失恋」

女「れんこんチップス」

男「んー…ふすまパン」

シルコは思った。あぁ、なんだしりとり

…じゃない?!

しりとりなら男の「失恋」でアウトだ。「ん」がつく。

女「絆創膏」

男「工事」

あっ、もしかして…とシルコは脳内でノートを開き、ペンを走らせる。

ふすまぱん、ばんそうこう、こうじ…

女「右心房」

右心房?!?!

意外な言葉選びに思わず顔を上げると、向こう側に座るおじさん客と目が合ってしまい、やや照れた。右心房というワードで人と目が合うなんて…

男「帽子」

女「丑の刻参り」

男「いりこ」

女「離婚調停」

男「定期入れ」

女「イレギュラー」

男「ラーメン」

あっ、また「ん」がついた。

…でも関係ないのだ。

2文字だ。

きっと彼らは末尾の2文字でしりとりをしているのだ!!!!

シルコだけでなく、盗み聞きのおじさん客もこのルールに気づいた。
カフェ・ド・ランデヴー1階は、レスバを見守るTwitterのリプ欄のように、静かに白熱していく。

ーーその瞬間。

女「めんこ!」

勝負がついた。

すぐさま女はアッ、と小さく呟き、負けを察した。シルコはフゥッと溜息をつき、自身が無意識に息を止めていたことに気付く。他人のしりとりに何故こんなにも夢中になってしまったのか、自分がわからない。

緊張の糸が切れた店内で、シルコは慌てて彼らのテーブルに向かった。
思えば彼らは、来店してから一切注文もせず「2文字しりとり」に興じていた。
いくらうちが古い喫茶店でもナメてもらっちゃ困るぞと毅然とした態度を繕い、言った。

「ご注文は?」

男「……


……ンゴロンゴロ自然保護区」

店内に再び緊張が走る。
おじさん客の眉が、ぴくと動いた。

普段は接客サービスに定評のあるシルコだが、シンプルに「は?」と言ってしまった。

そこで女は顔を輝かせ、男にねっとりと熱っぽい視線を送った後、シルコに言った。

女「黒糖オレ」

「こ、黒糖オレがひとつ」

男「オレンジジュース」

「…以上でよろしいでしょうか?」

女「……ウス」

「はい」ではなく「ウス」って言った…!!

なぜそんなに頑なにしりとりを守るんだ。

一体その先に何があるんだ……!!!!

困惑が感動に変わったシルコは胸がいっぱいで、カウンターに戻りながら、何故か涙が出そうだった。何故だ。

でもそれは彼らも同じだったようで、

女「あっくんステキ…!まさか『ンゴ』で始まるタンザニアの地名を持ち出してしりとりを終わらせないでいてくれるなんて…♡♡さすが柔道部主将。力技だわ」

男「りっちゃんこそ、しりとりを守るために店員さんへの返事を体育会系にするなんて…♡♡文芸部なのに…」

女「恥ずかしい…♡」

男「なんて可愛いんだ…!」

あっくん…♡りっちゃん…♡
りっちゃん…♡あっくん…♡
ウフフ、ウフフ、ウフフフフ…♡

店内は静かだった。ばかばかしい、とはこのことか?

シルコは、黒糖オレに少量入れるために新しくコーヒー豆を挽いた。
果たしてこいつらにコーヒーの味がわかるのか?という苛立ちを、新鮮なコーヒーの香りがかき消す。

アルコールランプに火を付けると、HARIOのサイフォンの、フラスコの下に灯る小さな炎の向こうに、伝票を持ったおじさん客が見えた。

ありがとうございます、と声を掛けてレジに向かいながら、悔しいかな自分も誰かと2文字しりとりをしてみたい気持ちが生じて、それはコーヒーの後味みたいにしつこく残った。


おしまい