CartoLeO

舞台感想恥ずかしいから非公開中

『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』自分のためのメモ書き

当時学生、受験期に仮面ライダーオーズリアタイ組。

オーズのお陰でオタ活において「やらない(買わない)後悔よりやる(買う)後悔」を信条にした。オーズ最終回後のスパークが最初で最後の同人誌即売会だったりする。

復コア視聴から1週間毎日3回泣いてた。受け入れられなかったが、そこで止まっていたくなかったからテレビ本編や映画を見直している、進行形。予告編も見た。

映画は今のところ3回観た(当時¥800くらいで買ったソフビを握りしめながら)が、決着をつけたく無いタイプの問答を2週間脳内で繰り返すのに流石に疲れたので、吐き出すことにした。

本編のなぞり方は本当にうまくて初回は毎カット毎カット感動して泣いた。本当にありがたかった。プトティラが当時から好きで、両手握りしめて見ていた。出してくれてありがとう。今回、新しい作品が生まれたこと自体に、本当に感謝しているし、お祝いの気持ちがある! これは本当! ハッピーバースデー オーズ!


!注意!

仮面ライダーオーズ 復活のコアメダル』のネタバレや考察を多分に含みます。個人的にはご視聴後の閲覧を推奨します。


関係ないこともたまに挟みつつ、自分なりに材料を並べて判断をしていこう、行動しよう、という文章にしたつもり。

後半お気持ち堂々巡りしている。




復コアについての解釈

 脚本家について

 なぜあのストーリー、結末になったのかは考えても正解はないのだが、皆さんも考えてる「毛利脚本」はどういう意図で作られたのか、感じたことを書く。


(ストーリーの大軸はPや脚本家らで決めたものだったというのが現在おおよそのファンが共有している情報だ。しかし細かいところはわからないし、私は毛利脚本の舞台に足繁く通ったこともあるので、少しとっつき易くするため「毛利脚本」のことを書く。)


 毛利さんは、原作があるものをまあるく完璧に美しくまとめることがかなり得意な方だという印象だ。2018年の『陰陽師〜平安絵巻〜』なんかは「ただのダイジェスト」などの声もあったけど、かなりの物量のゲームストーリーをかなりわかりやすくドラマティックに仕上げてくれて、もちろん脚本だけの力じゃないが、私にとっては十何回観ても見飽きない舞台だった。


 オーズ本編の脚本だけでなく、毛利さん著の小説版についても言及したい。「映画に納得がいかない人は小説版を読むといい」という声も良く聞いたが、私もこれは今回の映画を噛み砕くのに必要なピースだと思う。

 オーズに感じている毛利さんなりの背景とかはこれを読むとよくわかる。モチーフなどは分かりやすく結構面白いので未読の方には本当にオススメしたい。800年前の王へ一過言ありそうな雰囲気も感じる。

 余談これを2012年に買って読んだときの感情を今でも思い出せるんだけど、もう目が遅々として進まないんだ。読めない。実は1回読んで封印していた。見たいシーンもなく、私が知っているオーズの雰囲気もなかったから。

 映画後久々に小説版を読んで、目が全然動かなくて、当時うっすら憎んでしまうような気持ちをこの間思い出した。余談終わり

 つまり毛利さんは、私とは別のオーズを見ているということはわかっていた。わかってはいたんだ…。


 もう一つ、毛利さん、タジャドルしか聴かなかっただろ。と思っている。

 もちろんオーズの1番の鎮魂歌であり讃美歌であるのはタジャドルなのだが、私にとっての讃美歌はシャウタ(特に冒頭)であったし、他も応援歌であり続けてくれた。

 色んな欲望と、スタンスの変わらない映司との対比が鮮やかで、猥雑な側の自分がどう生きていくかの指標の一つにオーズを置いていた私にとっては、タジャドルしか聞いてなかっただろうと想像できる脚本がちょっと、受け入れづらい。

 タジャドル「Ah 遥かな時を経て今」から思いっきり映画の話とも取れるのでちょっと記憶無い方は聴いてきてください。iTunes¥255で買えます。

映司「考えてる暇はないぜ(割れたメダルを握りしめながら)

数日間の空白

アンク「(誰かが呼んでる…)(冒頭)」とか。


映画は公式にあるものを使って料理して、綺麗なまあるい作品を作った、という印象だが、簡単に言うと敵だった真木の信条を肯定するような作品ができあがっているのは、以下色々考えても未だ「何故」と思っている。なにがまるくて完璧なのかを以下つらつら書く。



 小説版について

・映司の章

 ⇒800年前の王と同じ行動を、全く逆の意図で行う映司というのが、みたことか、お前は巨大な力に踊らされているんだ、と言われているような気分になる。恐らく逆の意図で書いてはいると思うが、色んな受け取り方がある書き方になっている。

 毛利さんの中で映司は「不相応な力を持った人間」という解釈なのだろうか。と思ってしまう。

 また、話の書き方も、小説版のように「行動に意味を見出して視聴者に考えさせる」のではなくて、本編は「彼はこういう行動をした、きみならどうする?」とドライめな印象だった。そういう“描き方”の違和感もあると思う。


・アンクの章

 ⇒これも読むのがきつい話だった。これを読み返すと、仮面ライダーオーズ負の遺産800年前の王で、それの精算にはオーズ1人では不十分、釣り合いが取れないとかそういう感じで映画ストーリーを作ったのではとも思う。釣り合いをぶっ壊すのが欲望って教えられたので、賛同しかねる。映画将軍は今客観的に見るとなかなか凄いこと平気な顔してやってるよなあ、好きだ。

 あと、これで少女も(モチーフの項で後述)3人出てきたことになる。アンクにとっても少女と共にいることを夢見たくらいであるから、映司が少女を救ったことはアンクにとっても救いなのだ、と思って映画を書いたのではないかなと思う。小説で補完をさせないでくれ。


・エジプト神

アンク不死の太陽神ラー 

小説内少女のハヤブサヤミーラーの息子ホルス

 おおよそこれだと思うけど、アンクの章で「月にいこう、その次は太陽だ」みたいな台詞があって、太陽は太陽神ラー、つまり王に戻ったあとは神になろう/近づこうという台詞になるので、少なくとも本編でアンクはラー/神自身ではない。

 王であったときはラーであったのかもしれないが、後述するようにアンクを天使として描いた節があるので、アンクは神であったが地上に降りて存在が変質し、また今回映司の死によって旅人を導く天使になったのかもしれない。


・アンクの羽根

 映司に憑依してタジャドル エタニティに変身した時のアンクの羽根がやけに大きいのは、小説版で描かれたアンクがかつて王だったときの「大きな鳥」だった頃の権能みたいなものが戻ったという描写だろうと思う。10枚のメダルだった頃見た夢を現実に、目に見えるまで具現化した、という見方をすると、思い込む力があるというか、これがグリードの持つ欲望の力だろうなと。

 ここで気になるのが、アンクちゃんのメダル今何枚? ってところ。

 エタニティ変身用タジャドルと、スキャニングチャージ7枚で10枚になるんだよなあとずっと悩んでいる。

【訂正:後日タジャドルの3枚合わせてスキャニングチャージしてたのを確認した。】

 ついでに、なんでゴーダ変身済みなのにアンク/映司はオーズベルト持っているのかもまだ納得しきれてない。映司と一緒に吐き出したとしても、「これがオーズの力!」って喜んでたじゃん。なんで吐き出したの



 脚本のモチーフについて

・オーズ

 少女が3人となったことと同様、オーズ(sの意味合い)800年前の王・火野映司・火野映司/アンクと3つ生まれた。こういう綺麗に収めているところが沢山ある。後述の2とか3とかの数字を一つずつ回収すると、この映画がかなり詰めてまとめた、上出来な作品であることは確か。オーズで何をやるか、というところは合わなかったが。

 そんなに終わらせたかったのかなあ。ファンの「いつかの明日」を望む声はそんなに東映にとって重たかったのか。


・ゴーダ

 強奪。オーズのゴーストみたいな意味もありそう。

 ムカデ・ハチ・アリは毒を持つ生き物なので、毒は薬になるという意味でも期待してしまったところ。ここは変に期待させるシーンばっか撮りやがる制作側コノヤロウポイントだった。「身体『直してた』」っていうものそう。ゴーダちゃんに治療のスキル自体はあると思う。

 あとゴーダちゃん、俺ら(ファン/オタク)過ぎて最初見た時制作側からの嫌味かと思った。映司が死んだのでそれを考えるどころじゃなくなったのだが。

 「(女の子は)死んだよ」と言うところ、いなくなってた=消滅=死というメダルらしい考えだったのかなと思う。

 「映司に見合う力を」のような台詞で、ゴーダにとって映司は俺/ゴーダなんだなあと実感した。ジャイアニズム(お前のものは俺のもの)で、映司ももはや死んだから、もの、ということかと。きっと肉体に憑依してからずっと映司の意識なんてなくて、足止めをしたときはじめてナマの映司を感じて怖くなって吐き出しちゃったのかも。

 また、映司から作られたメダルとしてゴーダには紫色/藍色辺りが使われていたけど、渡部さん、髪に青か紫色入れてなかったですか? 脱色してないから陽に透けるとほんのりわかる程度のライトだけじゃないと思ったがどうだろうか。


・王

 800年前の王、「1人」とか「1番」とか1に拘るところ(指立ててたし)、対比になってて良いと思います。王は唯一、映司は全部。 

 だから途中か、二刀流になったの惜しいなと思った。

 真木の役を映画では800年前の王が担ってたけど………、真木が出なかったのは制作側にいたからじゃないか? 「火野くんの美しい終焉」のお手伝いしてたんじゃない!? と思うほど真木の信条の全肯定映画だったなと思う。


・アンク不死鳥説

 セイヤーのとき改めて鳥のような映像や鳴き声があったので何度でも復活する不死鳥みたいな表現をしたんだろう。あまりにも悲しい復活だが。

 セイヤーしてから鳥の爪がゴーダを2回ガブガブしていた。これもクロスの形になってた。両脚分だろう(天使項後述)

【訂正:ガブガブ音3回だった。】


・アンク天使説

 エジプト神項でも触れたが、アンク=天使とした表現がある。スキャニングチャージ時クロスに光る、セイヤー後の爪の攻撃もクロス型、変身時やセイヤー時羽根が6(つまり大天使)。いるかいないか分からない神の元に映司が旅立つのを見届けた天使は地上で生きるのか。堕天を表しているのだろうか。アンクにも映司のように「業」を背負わせ生きながらえさせる気だろうか。死よりも生の方が苦しいと、分かっているのだったら火野映司こそ現世でもっと苦しめればよかったじゃないか。

 エジプトはイスラム教だと思うので、該当するのは最後の審判の裁きを知らせる/音楽を司る/旅人の守護者などのイスラーフィール(ラファエル)か。

 クロスはタジャドルの歌詞にもあり(クロスする「今」)、映画の裏主題歌はタジャドルと思うのはは勘違いではないと思う。

 「奇跡の力」っていうのはアンクのコアにヒビがあるにも関わらずオーズの力を最大限以上に引き出し「闇を払いのけ」る力であって火野映司の自己犠牲の上成り立つ奇跡じゃな〜い! あの普通に生きているだけで不安で堪らなくなるときがある日々の中1年間オーズを見てきてから映画を作ってくれと何度か叫んだ。1度被災してみろとは言わないし言えないが、あの頃不便な生活に触れてない人間が作ったオーズ、という感覚が、ある。


○○○

 オーズは無限大のその先◯を得る力(○○○)という1話での説明だったが、タジャドル エターナルはやはりどれをとっても「2」という数字が目につくし、映画で生きた者たちが手を繋ぐのは2人組ばっかりだったのも含めて本当に意図的に描写してたと思う。

 そういう意味でも私は∞(今作)のその次を求めたい。本編○→映画○→その先、でもいいし。



 ○違和感

・タトバ歌詞「最大限努力したしるし」を最後墓標として示したこと

 ⇒ここは本当にお気持ちヤローにはセンシティブなシーンなので言葉を選んでいられないのだが、火野映司が死んだ標をダメ押しのように示すよりも、救った人々の笑顔にしるしを見ろ、いやむしろ行動で示すんだろ、と言わずにはおれない。火野映司は思ったよりもドライな人物だが、果たしてそこまで無欲な(少女1人で満足する、と言い方は違うが…)人間だったろうか? という違和感もある。

 ⇒また、本編では1つのメダルが2つに割れたことでアンクは死したが、それぞれが映司とひな、2人の前に落ち、アンクの「世界の全てを感じ、生きる」という欲望は継承された、という終わりだったと思っている。墓標は何がなんでもこれが完結編、終わりであるとのダメ押しでしかなく、そこがどこかもわからず、映司に何を見せているのかも不明なのも不満なところだ。場所は強いて言うなら映司が最終話で歩き出した砂漠かもしれないが本編の追従というだけでそこに「終わり」以外の意味は見出せない。私はオーズに生きた火野映司が好きなので、この辺はいくらでも文句が言えてしまう。オーズを終わらせるという「覚悟(制作側の言葉より)」を持って作品を作ったということだろうか?

 ⇒「行動し続けろ」という内外からの呪いは火野映司を無自覚に苦しめた、映司はそこから解放されたのだ、とシュウワタナベ氏は言っているのだと思うのですけど、これは最大限の愛を持った受け取り方をしたときの話で、この彼の決別のような言葉ははある意味救いでもあるし更なる罪の上塗りでもあるなあと思う。火野映司は罪深い。

 ただし制作側による「業が深い」という表現、あれは本当にわからない。業と何かを成すための欲望の力は同じ天秤には乗ったとて、欲望がひっくり返すのだぞ(将軍)。

 ⇒火野映司は確かに本編で人間から少し離れた生き物にはなっていたが(コア取り込んだことによる不可逆な変化だと思う)、奇跡を起こすほど神になっていたわけではない(王も人であるし、800年前の王はそこを誤ったと思っている)はず。映司を神様にするのをやめよう、という会話も本編にあったし。制作側はオーズの力は火野映司という1人の人間が持つべき力ではなかった持つべきではない力を使えるその力からの解放=死、という文脈で映画を作ったのかもしれない。脚本を考えた人々がどういう思考を持っていたかに感じては妄想の域だけれど、考えるほど制作側とオーズに救われたファン(私)、お互い別の場所から別のものを見ているという印象しかない。

 これは最後にも改めて書くが、今また周りが伊達明や欲望に塗れた人間として映司に訴えるときなんじゃないかとも思う。渡部さんは「旅を終えた」と言うが、彼は映司なので、映司は勝手なやつなので。

 身近な人が1人亡くなったときのような喪失感や絶望があったんだよ。当時の自分になんて言えばいいかわからないと1回目見たときは思ったけど、これはフィクションだから、どうとでもなるものだから。死んだ人間が復活してもいいし、転生してもいいし、過去の話をしてもいいんだから。と今は自分に言い聞かせている。


・奇跡

 色々オーズじゃない! と泣き叫びたいところはあるが、最初に感じた違和感が、映司/人間が願うだけでアンクを復活させた「奇跡」だった。オーズは人間が現世で抗い生きる話だと思っていたので(何度も言うが、こういう本編からの受け取り方はさほどズレてないはずなのに真逆のものが生まれたのが本当に不思議だ)、「奇跡」がただの奇跡過ぎて、オーズの世界観に合わなくて驚いた。これまでの全てのオーズの「少し不思議」はメダル由来だったので、異物感がある。

理由が予告編で後出しされて、なんとなく分かったような気にもなるんだけど、やっぱり火野映司(メダル取り込んだとはいえ人間)が奇跡を起こすっていうのが1番強い違和感かもしれない。

 奇跡といえば、タカコアは賢者の石(赤色)だったのかなと考える。本編においては賢者の石(割れて永遠に失われた)だったのか。映画では映司は石を使うことを拒否して(アンクを追い出して)、人間としての死を選んだということか。

 やはり奇跡の力はコアメダル自体にあるはずで、映司の働きかけによるところばかりフォーカスされる表現のせいか、奇跡自体の異物感のせいか、とにかく違和感がある。



 映画感想

・台詞

 台詞の違和感はあったけど、10年ぶりに会った人がいるからちょっと距離詰めるのに時間が必要だったのかな、一瞬だったけどさみたいな感じで気にしないことにした。これはやはり脚本が違うから仕方ない。


OP

 「変身!」がないOP映像が味気なさすぎて泣いた。ダメ押しのダメ押し。私はこれからもカラオケで欠かさず「変身!」を言う。


・アンク

 アンク/三浦さんが1番映司の死を受け入れず、悲しみ、足掻いていたのでそこに毎回救われる。


・タジャドル エタニティ

 アンクのコアに、映司の思念としてのオーズカラーが入ったスペシャルタジャドルコアに進化したってことか、と3回視聴してやっとわかった。なんかもう…。いろんなことの正体がわかる度に面白いのと余計悲しいのとで半々。

【追記 変身時、9つか10つの丸が浮かび上がっていた。あれは恐らくオーズシステムの画の元ネタ「生命の樹」の丸だと思われる。今更、生命の樹の丸が10つだ、元ネタだ、と気付いた。オーズシステムのイラストを見ると、1番上の「王冠」にアンクの目/太陽が置いてあり、恐らくアンクが抜き取られたコアは1番上のものにあたるのだろうなと思った。

イラストが載っているプレミアムバンダイのページはこちら。


https://p-bandai.jp/b-toys-shop/special-1000011162/ 】


・ヒーロー

 私は小さい頃からずっとではないが断続的にニチアサを見続けていて(昔はずっとファイズが好きだった)、そんな私がこれは凄いのきたぞ、なんて鮮やかなんだ、と1OP、オーズがバイクでこちらに向かうカットで小さく感動してしまったのがオーズだった。

 自分は小さい頃から成長なんかしてなくて、仮面ライダーに求めるのは正義は勝つ安心感くらい、ヒーロー性はよくわからない、顔が良いとなお良い、みたいな、自分でもなんで日曜日だけ早起きできたのか今でもわかんない、でもずっと生活にあったものだった。

 でもオーズは見ているうちに、いつの間にか火野映司の信条が自分の信条になっていて、欲望を肯定する危うさとそれでも曲がらない強さの保ち方を見せてくれて、私も火野ほど頑固にはなれないけど少しずつ日常に行動することを意識して取り入れることができるようになった、特別だった。周りばかり見てた自分が、欲しいものは欲しいと言えるようになった。纏まらないけど、そんな私にとって本当の意味で「ヒーロー」として戦う/生きる姿を見せてくれたのがオーズだった。

 そのヒーローが死んだ世界でこれから生きていくのか、とカーテンから漏れる朝日を見て、鳩尾のあたりが冷えた。これは、作品の否定ではないつもりで書いている。喪失感の記録として残しておく。


・オーズの力について

 メダルの力を全て求めて自滅する敵()という存在メダルを使う者が悪火野映司もメダルの使い方を一歩間違えば悪危うい存在で、なぜかオーズの力を手に入れた代償/対価として英雄としての死を、のような文脈が見える。

 毛利脚本作品を見ていると、人間が人間として踠き抗い苦しんで生きる姿が美しい、みたいなところがあるので、それをオーズに当てはめてしまって、齟齬が生まれたのだろうかと思う。

映司は抗い続ける旅人/人間だが、毛利さんの書く映司/旅人は自由ではない。

 10年経って火野も落ち着きを持って、諦めもつくようになったろう、という大人像への間違った導きもありえる。勝手に火野の欲望を分かった気にならないでくれ。

 火野映司に人智を超えた力を最後に使わせてやった。くらい思ってそうでいやだ。 

 シャウタ歌詞の「自由でいたいなら 強くなきゃダメさ」で映司はずっと強かっただろ!!!! と強火になってしまう癖ができてしまった。


・余談1

 メガマは別時空派。欲望の塊が「使える」映司をいい子に諦めるわけがないので。


・余談2

 伊達さんの例があったので、あのBGMで「いやー、まさか俺も生き返るとは思いませんでした(病院で包帯ぐるぐる)。心配かけてごめんね、ひなちゃん。アンクもな。」が来るのでは思って会場の明かりが灯るまでしっかり待ってしまった。


・今後

 火野映司が死んでも私はしぶといので全然普通に生きていくんだけど、10年以上オーズのことを考えて、新商品が出る度に意識して購入してきた人間の生きる指標の一つを殺された事実は私の中から薄れたとしても消えることはない。

 映画を見た次の日くらいに、Twitterのスペースで知らない人にオーズのネタバレなしの話を途中泣きながらして、聴いてくれた1人からそのフィードバックとして「インターネットなどで集合知を得られるこの時代に強固なSFを提供するのは難しいことだ」という話を頂いて、それは本当にそうだよな、と。オーズは特に私がTwitterを始めた年の作品だったと記憶しているし、視聴者同士の脳みそがつながり始めた時代でもあった。

 オーズに関してはそれともう一つ、オーズに何を貰ったか、という答えによって分けられるレイヤーが存在し、各人の立場によって映画から受け取るものの差が大きいだろうと思う。

 超蛇足で個人的な話をすると、私は強固な公式賛美派なので、作品から受け取る感覚を大事にとっておく楽しみ方をしていたので、他人はこの怒りに関係ない。

 本当は怒りたいのかもしれない、でも怒っても何かが変わるわけではないから、ずっと考えてる。


・そして脚本の話

 だからといってこの結末についてはどうなのだ、という話をもう一度する。

毛利さんがスペースで「靖子さんが脚本書いたらもっとしんどかったろう」という旨の発言をされていて、この映画のある意味大団円感、終わりに一貫して駆け抜けるシナリオ、モチーフの細かさ、完璧さ、アンクの「まるで人間以上に人間のような」心境を丁寧に描いたところなど、これ以上丁寧なまとまった、そして何より映司を心を込めて弔った作品はないだろうと言っているのが、色々見返して分かっ、た。

 分かったけど、これは映司が自分の命と「引き換えに」アンクを復活させる物語で、その為に映司は王に殺されたし、そこに女の子が居たし、世界は破滅に追いやられたし、他のメダルも復活したし、王が復活したし、映司は命と引き換えにアンクを復活させる方法を見つけた(予告編)。そういう物語でしょう。

 それは、欲張りが許される大きく鮮やかなオーズという作品では、ない。もう、見ている「世界」が違うんだ。制作側と、あの頃オーズを見て救われた側とで。

 映司は確かに女の子に手を伸ばすしあの1年を経た映司は女の子に手が届くだろう。でもやっぱりあの時助けられなかった女の子は助けられていないし、後悔は消えることはない。映司って代わりで満足するのかな。

 人間だから致命傷を負えば死ぬのは当たり前、伊達さんも言ってた。映司はアンクが自分の中で(もしかするとずっと)生き続けることを良しとしないだろう、それはわかる。でも、ならなぜゴーダを手懐けられなかった? 1年のリバイバルをするならそここそ肝ではないのか。

 とか、色々心の中のオーズと食い違ってしまって苦しい。映画の火野は全部、火野映司がする選択をするけど、それを取り巻くアンクやひなたち以外の環境と、なにより火野の行動がオーズじゃない、と言いたくなってしまう。前項の火野映司像の齟齬、というところだと思う。

 靖子にゃんが作ったら映司は生きていたか? と言われると死んでた気はする。するが、靖子さんが口出していたら死!死!亡骸!墓標!変身を解く音!というダメ押し完結コンボではなく死を過程としてもう一つあったんじゃないかとか夢想してしまう。



 なぜ受け入れられないのか

 見てきた/信じてきたオーズと違う/同一、ヒーローに求める/求めない、ヒーローモノとして見ていない、など色んな見方があるので人それぞれ理由があると思う。

 私は、この映画が本編で得た希望や、希望の獲得の仕方、生き方、とほぼ真逆の真木が主張した「よき終わり」を目指して作られた作品だと思ったから受け入れられていない。


 また、当時、東日本大震災中に放映していたオーズという物語に癒されたり救われた人の数っていうのが、本当に多かったんじゃないかとも思っている。ダブルでもなく、フォーゼでもなく。

 私自身、実家が倒壊などはしなかったので、全然、言うほどのことはないのだが、当日は海を渡り宿泊先におり、ホテル客全員と食堂に集まって小さいアロマ用みたいな蝋燭の火だけで食事をしたり、トイレが流れなかったり、何より実家に帰る術が無く数日足止めされる、という経験をした。広義の被災者だった。

 当日11日が金曜日で、人生を決める予定の日だった12日土曜日の用事は混乱のため無くなり、食糧や水の確保をする中ふと「明日のオーズはやるのだろうか」と思ったのを覚えている。その時そばにいた友人(帰る方向が一緒なので合流した)に、やるわけないだろ、と一蹴されたが、こういう時こそ子どもに日常を与えるのは必要なことでは、とぼんやり考えていた(そしてニチアサは早い段階で復活した。しかし他のライダーよりも少ない全48話という話数で終わったのだった。少し悔しかった。もっとオーズと共に時間を過ごしたかったので)

 受験期、精神的にも少し弱っていた時期だったし、4月、新しい環境にもなり少し苦労した自分にとっても、確実にオーズは支えであったのだった(勉強しろよ、と私も今思うけど、ゴーカイ・オーズ・ハトプリ全部しっかり見ていた)。

 完璧な作品じゃなくてもよかった。あのカメラ越しの、色鮮やかなオーズが観たかった。これからもいつか、また観たいと思う。


 ○10

 なんてことない10年だと思っているのだけど、されど10年、だったのかも、と最近は思う。

 これまで電王主演たちの事務所の話などを聞いていたので、それに比べてこの囚われない彼らとその仲の良さをファイナルツアー辺りで見て、もしかしたらいつかの明日があるのではと思わせてくれたのが本当にありがたかった。

 いつか何かがあるかもしれないから、あの1年がありがたかったから、小説もベルトも超大全も他にも細々と買ったし、もちろん、そのたまに思い出したように出るグッズで私も楽しませてもらってた。その度オーズを思い出した。

 生きる指標が迷子になってしまったような感覚を持て余していたのだけど、公開2週目に入る頃に三浦さんがツイートしてくれた内容に少し慰められた。まだまだ駄々をこねているだけの段階だけど、一つ一つ、次のいつかの明日の為に行動できるようになればいいと思う。


三浦さん該当ツイート

https://twitter.com/ryosukemiura216/status/1504731976968060930?s=12


 「火野映司は業が深い」とか「同窓会的ではなく」と言う意味がわからなくて、これまで書いてきたように色々見返したりしてたのだけど、私と全く別の視点から作品を作ったんだなということがわかったから、これはもう、いつかはわかるかもしれないけど今はわかんないんだろうな、と思った。




 私が言いたいこと、1つだけなんです(こんなに書いておいて)

これが本当にわがままで大きな願いであるのはわかるのだけど、オーズから得たものってこういう、「わがままに気付いて、自分が抱えている欲望の正体を把握して、どう行動するか?」っていうことだったと思う。

 私(たち)が見たいオーズをまた10年後に求めててもいいんじゃない。思うのは、言うのはタダじゃない?

the Damned 2017/03/03 渋谷クアトロにてライブ見てきました

the Damned Live Shibuya Club Quattro - Tokyo, Japan

Friday March 3, 2017 - 6:00 Pm

 

ダムドのライブに行ってきました。

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ダムドとは、1976年より活動している英国パンクバンドです。現在は還暦を迎えた(迎えそうな)初期メンバーがボーカルとギターをしており、他キーボード、ベース、ドラムの計5人で活動しています。昔からメンバー入れ替えの激しいバンドですが、この組み合わせはもう10年以上続いていて、私も愛着が湧いている顔ぶれです。

 

メンバー

バニやん(デイヴ・ヴァニアン) ボーカル。最近は白塗りをほとんどしないバンパイア。お気に入りのサングラスは青みが強く、ライブ中はなかなか外してくれない。来日中は92年にちらっと外してくれたのが最後なんだとか。

船長(キャプテン・センシブル) ギター。初期(ブライアンがギターだったころ)はベースだった。ギターに転向後は曲作りの中心。今回はケツ出さなかった。ニトリのCMのメロディが気に入ったみたい。

モンティ(モンティ・オキシ・モロン) キーボード。もじゃもじゃ頭のメガネの天才。今回のライブの合言葉は「モンティオキシモロン」。船長とバニやんが連呼してた。ニューローズでいつも演奏しないでジャンプしまくってるんだけど、今回その後の、別の曲で跳ねてた…どの曲だっけ。

スチュ(スチュ・ウェスト) ハゲベース。元なんとかかんとかのバンドの人。めっちゃ好きになった。めっちゃかっこよかった。ベースいっつもよりがつがつ聴こえてきてアヘった。

ピンチ(ピンチ) ドラム。最年少(つってもたぶん50代)。ダムドに新しい風を吹かせている人(船長談)。シャツがオシャレ(菊池カメラマン情報)。

 

そのほか

菊池さん(菊池茂夫氏) 昔からダムドを撮ってたすごいカメラマンさん。3日は船長たちと一緒にプリクラ撮ってた。撮られるのはヘタっぽい(顔が金太郎飴だった)。今回のグッズに金太郎飴あったらしいんですよ、なんでやねん。

ブライアン(ブライアン・ジェイムス) 初期メンバー。ギターでバンドの核。今はラットとたまにダムドしてる。

ラット(ラット・スキャビーズ)初期メンバー。船長がいない間もデイヴとゴス期を過ごしていたり、長いことバンドにいたドラム。ミュータンツとしてたまに日本に来てるよ。

 

セトリ

Melody Lee

Generals

Disco man

I jast can't happy today

Alone Again Or

Love Song

Second Time Around

Street Of Dreams

Eloise

Stranger

Ignite

Plan 9 channel 7

Blackout

The History of the World (Part 1)

New Rose

Neat Neat Neat

 

Life Goes On

Noise Noise Noise

Smash It Up

 

Anti Pope

 

 

個人的な話ですが、2013年くらいからこのバンドにハマったので、今回が私にとって初の来日公演となりました。

私はパンカーでもなければ音楽野郎でもない、ただのオタク気質の若造なので、レポを書きます。私情に溢れたレポをね。

前置きが長くなりましたが、それではどうぞ。

 

2017年の来日では大阪、東京、横浜の3日間の日程でした。うち東京は早い段階でソールドアウト。急遽横浜公演が追加されました。

 

客層は若い女の子から仕事帰りの背広のオジさんからジジババからド派手な年齢不詳者までさまざま。カオスってこれか〜。

 

そもそも、今回ダムドがソールドアウトってなんでやって話なんですよ。実際。

去年(2016年)ダムドドキュメンタリー映画が40周年に合わせて公開されまして、それを観て再熱、もしくは新規で入った方も多かったみたい。

わかる。だって、前情報なしで映画に連れてった友人が「なんかわかんないけど、かわいかった!燃える!」と一通り曲聞いてくれたくらいですもの。

いつもは逃してしまう来日情報も、まあまあ十分に回ってたと思うし、いいタイミングだったんでしょうね。

 

ちなみに私はつべやインスタに上がってる動画、DVDなどを割とチェックしているので、雰囲気とかはなんとなくわかっています。初ライブだったけど、いつもはどんな感じがわかってる〜みたいな雰囲気出して話していきます。すみません。

んで。今回間近で見て思ったけど、バニやん(客席に降りてきてくれた)あんな熱気の中革の手袋して暑くないんかって。笑 マイクはいつも通り、トランシーバーみたいに持つデカめのでした。あんまりクルクルしてなかった気がする。狭いからかなあ。

 

曲は始終テンポ普通〜遅めだったと思います。めちゃ早いのは1曲もなかった。いつもの来日公演がどんなかわかりませんが、海外の動画と比べて丁寧にやった代わりに、船長のギターソロがほとんど無く、名物の延々ソロは、アンコールでのスマシラ(Smash it up)くらい。

それだって、延々ソロやったあとに沈黙→バニやんと見つめ合う→バニやんに「オマエが(曲始める合図)しろよ」ハハハ 船長「スマシラ!」→歌に入る というコントかましてた。好きすぎて全てを諦めた瞬間。

で、船長ソロやるときっておくちをアオアオイオアオ開けながらやっているんですが。それを生で見られたときに「あ、本物だ……」って思った(アンコールで気付くって超遅い)。

 

ラブソングプリーズコールが、以前から多いらしいのは気になってたんですけど、今回はそんなことなかった。でもやっぱラブソング、ニューローズ、ニニニがめちゃくちゃ盛り上がってましたね。室温一気に上がったよね。

 

合間のMC、日本人に配慮してわかりやすい話し方をしてくれていた気がする。特にバニやん。

船長は日本で毎度毎度「ハイ、ロボットたち」って言うけど(今回も序盤で1度言った)私は感情管理ができないばかなオタクなので、まったくその通りなんだけど、少し悲しくなった。イギリス人まじ皮肉野郎〜〜って思った。

ただライフゴーズオンの曲振りの辺りで、船長が1度シリアスな話をしていてそれが内容的にも、ライフゴーズオンの前の話としても、とても救いだった。

ダムドを知って日が浅いという引け目があるけど、その船長の言葉を聞いて、ダムドの今までの長い道のりに寄り添って彼らの音楽と共に歩んでいければいいんだ、と思うことができました。

 

曲全体を通しての感想は、1stアルバムの曲意外と少なかった! 今までの来日公演のセトリと比べても、バランス良かったな〜と思います。ずっと楽しかった。違う人が演奏してる曲をCDでは聞いているわけだけど、やっぱり今のダムドのメンバーが演奏すると、紛れも無いダムドの曲だし。うまく言えないんだけど、ずっとダムドを感じられた2時間弱でした。

私は4thが性に合ってて好きなんですよ。もちろんアルジーがいたときの輝かしいダムダムも好き。初期メンも好き。ラットのドラムもサイコーだと思ってるし、ゴス期も船長いないけどあれはあれでめっちゃくちゃカッコいい。

そんな認識だったんですよ。だったんですけどね。

エロイースめっちゃかっこよかった。

元からカッコよくて好きだったんだけど! なんか船長好きとしての立場みたいなのを勝手に作ってて、そこからエロイスという曲を見てたんです。でも生で聴いたらそんな壁が全部取っ払われてしまった。

ゴス期、ラットが「デイヴを中心として売り出そう」と言ったのはまったくもって正しい判断だった。船長がバンドの枠だとしたら、バニやんは核だ。このバンドはデイヴのバンドだ(唯一の連続したオリジナルメンバーであることも含めて)。

同じようなことをイグナイトでも思いました。朗々と歌い上げるバニやんの声が渇いて艶めいていた。

バニやんのサービス精神の旺盛さとも話は被るのですが、エロイスのあのゆったりするところで、下手の壁に左手で寄りかかって、片足に体重乗せてめっちゃアンニュイなポーズしながら歌ってたのもうカッコ良すぎて一周回ってギャクかと思った。もっとヒューヒュー言えたらよかったね!

アンコールのスマシラ曲振りのときにも“Smash it…?”つってスルーされたしちょっとああもうすごいサービス良かった!ドタキャンバニやんの話を聞いていたのでもうヨソウガイデス!すごい好きになった!

 

わたしはヒストリーオブザワールドとカーテンコールがめちゃめちゃ好きなのですが。ヒストリー、やってくれました。

最後の"part 1"の際バニたんが両手で円を描くように、地球を描くようにしていたのがとてもロマンチックでした。

それにしてもカーテンコール1度生で聴きたいなー。本国行くしか…。

 

今までの来日で「クラッシュです!」とか言ってたけど今回はクラッシュじゃないよ!とかピストルズの名前も出てきたし、アダム・アント兄貴のお名前も出てきて非常に湧きました。船長とアント兄貴の因縁が好きです。マイケル・ジャクソン風のナポレオンジャケット買って着て行こうか迷いました。あといくつかお名前出てたけど忘れたので割愛。

 

アンコールのライフゴーズオンの話に戻りますが、船長がヴォーカルするので、暇なバニたんはなんと客席上手に降りて着て、隣のおねえちゃんと握手してた。近い〜〜ダムド近いよ〜。他の曲中でも感じましたが、キャパ800人の会場の良さというか、ダムダムを身近に感じられたライブだったように思います。

 

船長とバニやんの夫婦コントは有名ですが、今回はライフゴーズオンの前と、前半の2回ほどコントしてくれました。最初それが見れたときはパン!と一気に興奮してしまってあんまり記憶にないです。笑 とりあえずすごい萌えた。

 

ーーー追記ココカラーーー

1回目のコント思い出しました。タイミングはわからないけど、ジャジャジャジャってイントロ弾いて、バニやんになんか止められてた。たぶんアレ、ハッピートーク(船長のソロ曲)だと思うんですよね〜。違うかな〜。あまりにもハピト聴きたすぎた私の勘違いかもしれません。ハピトはバニやんもライブでたまに歌ったりしてるので是非一瞬歌って欲しかったです。

ライフゴーズオンの前の船長の長話の途中、バニやんに後ろから肩叩かれてなんか言われてたからきっと「時間押してるよ」みたいなこと言われてたんだと思うけどね。

ーーー追記ココマデーーー

 

とりあえず、自分の覚え書き程度に覚えてる範囲で書き出してみました。あと細かい雰囲気はツイッター検索すればわかるぜ。今ほんとうに2017年?というコメントがたくさん溢れています。

今回見て思ったのは、生で見なきゃわかんないこといっぱいあるってこと。もっかい会いに行かなきゃいかんってこと。行かなきゃだめだ。後悔する前に。