いまだメロウならず

加齢についていろいろぐちぐち言うほんわかブログです。

もわわんが、来る

いや『ぼぎわんが、来る』は原作を読んでいて、「『いわゆるイクメン』ディスリがすばらしい」という感想だったのですが、映画もお祓いシーンに興味津々なのでいつか観てみようと思います。映画館での上映も終わった今書くのは遅いけど。

 

今回は更年期のお話。更年期は数年前、すなわち40代の間に終了したと認識しているのですが、いわくいいがたいもわわーんとした不快感がずーーーっと続くという困った期間でした。あとあらゆる音が耳障りで、大好きだった音楽が一切聴けなくなるという地獄。これでも自分の更年期はさほど重くはなかったのだと終わった後の今だから感想を言えますが、渦中にあると「いつまで続くぬかるみぞ」的な絶望感、半端なかったです。

 

当時のネットの役に立たなさ加減も半端なく。「ご主人に支えてもらいましょう」という記述を頻繁に見かけてさらなる絶望に浸ったりとか。ご主人は俺様なんだよ。スレイブも俺な。筋少的に言うと、王様は俺だー家来も俺だー。倒れそうになっている一本の棒なんだよ、こちとらは。ぎりぎり立ってんだよ。どうやって支えるの。マジョリティの傲慢さで適当なことを書いてんじゃねえぞ、本当に。

 

いや病院に行っても改善する気配も見えないので、ひたすら命の母ホワイト飲んでました。一日3回12錠と書いてあったけど、結局朝夕2回8錠だけで最後まで乗り切りました。ありがとうあなたは本当に私の命の母。引っ越してもどこのドラッグストアにも置いてあるのもありがたかったです。

 

更年期経験をポジティブに表現するならば、「100%の自分でなくてもなんとかやる!」という力は身についたかなあ。今では音楽も再び聴けるようになって幸せ、だったはずが。もわわんの次に来るものがあったのです。さすがだ老化現象。こわいぞ老化現象。というわけで続きます。

 

Say Goodbye 

TBSラジオで月曜深夜にやっている東京ポッド許可局、よく聴いているのですが、2019年6月10日放送(第322回)「食引退論」がグッと来ました(ラジオクラウドなどで聴けるので聴いてみてね)。

 

年を取ると食べられなくなるものがどうしても出てきます。何にさよならを言うか、というのがそのテーマ。ああ身につまされる。

 

いや受け付けないわけではないんですよ。食べようと思えば食べられるし、メンタル方向はいまだ闘気まんまんであります。ただどうしても物理が追いつかない。身体がついてこないのよ。うっかり食い気精神に負けて食べてしまったときには胃腸が無理をしている感がありありと感じられてしまうのがそういう食べ物。

 

例えばとんかつ。はい、とんかつには私もさよならしました。ヒレで戦ってもさーつらいのよー。かつ丼だと卵マジックでなんとかぎりぎりセーフかも。いや昔はさー水道橋の かつ吉で鳴らしたものなのになあ(何を?)。グッバイ青春。ああこのまま悲しみよ雨になれ。

 

ただ東京ポッド許可局でマキタスポーツさんもおっしゃっていましたが、カツはカツでも串カツだけは大丈夫なんですよね。そこが老化の妙でございます。年寄にはあっさり食だけあてがってたらいいわけではないぞ。たぶん肉のあぶら一本やりがつらいのですよね。肉だけではなく野菜などいろんなものが混ざると大丈夫なんですよ。アスパラのカツとか超うめえと思うし。

ポータブルスキル万歳

何度も転職していてもうだめかと思ったこと何度もあったけど、いまだになんとかなっているのはポータブルスキルが複数あるおかげで。

まだ日本企業(特に大企業)では忠誠心第一主義を改めていないし、転職を考えたりもしないような人たちからは揶揄されたり異様に思われたりするかもですが、他人にどう思われようともポータブルスキルは身に着けておくべきだと思います。

いやスキルが語学系だと揶揄されがちなんですよねえ。使うチャンスもないのに無駄とか思うのかしら。使うチャンス来るっつーの。つーか自分でチャンス作ればいいし。

美肌補正

パスポートの更新が必要なので証明写真を撮影しに行ったのです。

セルフの撮影ボックスは安いけど、椅子の調整(=たいがい自分には高すぎる)が苦手だし、炎天下できあがりを待つのもつらいので今回はやめておきました。代わりに、駅近で証明写真を撮ってくれるお店へ。いやすぐできるというし、焼き増しできるCDもついてくるし、そこまで高くもなかったのですよ。

 

行ってみてはじめて知ったのですが、今って撮影した後にフォトレタッチソフトで角度修正してくれるわ、美肌補正してくれるわ、最悪撮り直しもOKだわで至れりつくせりなんですね。まあ差別化しないと安い方に人流れますからね。最近見たニュースで知りましたけど、プリクラでも証明写真撮れるんでしょ?

 

そうそう、美肌補正はオプションで+500円とのこと。

 

うん、そもそも顔なんてついていればどうでもいい派だし、化粧もいい加減だし、今節約もしたい状態なので、普通なら選ばないと思うんですよね、こんなの。肌がいくら綺麗でも顔だちが変わるわけでもなし。

 

でもつい美肌補正オプションを選んでしまったのは一体何心ゆえなのか。女心の未練でしょうか。あなた恋しい。北の宿。…違う。自分ですらどうでもいいものって、他人から見たらより一層どうでもいいと思うんですよ。ばばあの肌なんて本当どうでもいい。誰も見てねえ。でも選んでしまったの。この気持ちは一体何?胸が苦しいわ。わからないわ。関係ないですが、時かけ原田知世本当にかわいかったですよね。いやアラフィフ以上で胸が苦しいとやばいですよ。それは愛じゃなくて心筋梗塞

 

「パスポートは10年使うものだからなあ」というのはきっと自分を納得させるための後付けの理由で。

 

確かにレタッチソフトで使用前・使用後を見せてもらったら「おおお!変わってる変わってる」と面白かったんですよね。補正はちゃんとされておりました。この面白体験に500円なのか。コト消費の時代だし。

 

でもねえ、できた写真はまあいつもの証明写真な感じでした。元の顔が元の顔だからねえ。粛々とパスポート更新に行ってまいります。

 

 

 

 

 

下り坂と生老病死

仏教における四苦、すなわち生老病死については若い頃、あんまりピンと来なかったのです。いや何もかも思い通りになってきたのかというとそうでもなかったのだけれど、それでもなんとなく生きてこれたから。

 

でも気づけば下り坂。いつ坂が下りになっていたのかすら認識していない鈍感者だとは言え、確実に下っているんです。そして老い。つらいよ身体の衰え。

 

実際の衰えよりつらいのは、ネットでは老いの話は確実にタブーというか過剰にネガティブにとらえられがちで、あんまり大っぴらに言えないことなんですよ。いや自分が弱みをさらしたくないだけなのかもしれないけど。

 

ごちゃごちゃ考えたとしても、着実に一日一日老いている。昨日の自分より今日の自分の方が老いていて、これからもこの老いはとまらない。

 

つれえ。

 

いや、ブログでも書くしかないでしょ?

 

 

おそろしいほどの放置

最初の記事書いたあと1か月以上放置するのってどうなんだ。

やる気あんのか。

加齢で問題となるのはモチベーションの枯渇なのか。

 

…違います。ネタはないことはないのです。

やる気だってあるさ、それなりにね。

ただ、自分の中の検閲官が

「そんな当たり前のこと書いたって仕方ないだろ?」

「おもしろいの自分だけじゃね?」

「どうせ誰も見てないんだろ?無駄無駄無駄ァ…!」

とかささやくんですよ。ささやくというよりキングスマンのバーチャル会議室みたいなところでよってたかって叩いてくる感じ。あるいは脳内ポイズンベリーというか。関係ないですが、水城せとな先生、新作は不幸競争みたいな話で一体どうなるんでしょうか。

 

ともかく検閲官の眼を盗んで書くようにしないと。何も書けなくなってしまうので。

 

 

無視できない

よくよく考えると、40代ですでにいろいろなところにヤツの姿が見え隠れしていたのに、必死に目をそらしていたのだと思う。まだ自分を信じており、残された時間が少なくなりつつある、ということに気づきつつも、いまだ「自分も何ごとかを成すことができるのではないか」という幻想が消え切っていなかった時代のことである。

 

だが、もはや目をそらすことなどできはしない。ヤツはすでに隠れたりなどせず、白昼堂々とその姿を晒しているから。あまりにも威風堂々すぎて、自分本体よりも大きな顔をしているのかもしれない。

 

ヤツの名は老化現象。

 

このブログでは否が応にもヤツと対峙せざるをえない事態を迎えてしまった50代が感じることを書き記していきたいと思う。