サラリーマン1.1

サラリーマンとしてアップデートしたい。2.0ほど突き抜けなくても1.1でいいからバージョンアップしていく!

自己中心的思考術

こんばんは。

 

絶賛転職活動中のまうちーです。

 

内定が取れるまでは油断できませんが、思いのほか順調です。

決まったらちゃんとまとめておかないと、と思っています。

 

今日は会社員として自己中心的な考え方で生きやすく、という事を考えてみたのでまとめました。

 

人はいつでも何かのせいにしたがる生き物だと思っています。

 

何故いつも自分だけこんなに大変な思いをしなければならないのだ。

 

あいつがやらないからだ。

上司がイケてないからだ。

会社は分かってない。

おじさん達は何も分かってない。

時間止まってる人多くない?

 

・・・言い出したらきりがない程出てきます。

 

一時、私の会社でも前述した様な愚痴が蔓延した時期がありました。

当然グループとして雰囲気は悪くなり、信頼関係を築くにはあまりに遠い場所に居た気がします。

 

結局、その時後輩達に口すっぱく語りかけた言葉は一つ

「仕事する上で自分のことだけ考えてろ」

 

これは「自分勝手に」仕事してればいいという解釈ではありません。

 

①自分が思ってるほど周りはあなたに興味がない

②それでも見ている人は見ている

③人がやりたがらない仕事をやって信用を得ろ

 

大きくはこの3つ。これをどこかで意識していれば、他人は意識の外へ追いやることができます。

 

やらないあいつのせいにしている暇があったらやってしまえ。

誰がやるのか、と会議で決めている暇があったらお前がやっちゃえ。

 

ないですか?会議の中で責任部署を決める時間。

 

大抵は、これまでの責任範疇として明文化されている責任範囲が2部署以上にまたがっている場合に「本件の責任部署は・・・?」という会議になりがち。

 

こういう場合はやったもんがちってことです。

 

何故か。

 

責任部署がまたがる仕事というのはこれまで「前例がない」、どうすればいいかよくわからないことが多いので、「誰もやりたがらない」

 

 つまり、やりきった時に必ず「前例になる」。「感謝される」。

 

ここまで読んだ方の中には「打算的だねー」と言う人がいるかもしれない。

 

確かに文章に起こしてみて自分でも「打算的だな」と思う。笑

 

でも実際に結果がついてきた、というだけのことでもあるのだ。

つまりそうやって仕事してきた時のマインドセットは「誰かのせいにして進まない時間が勿体無い」だけ。

 

そう思って仕事を引き受けて立ち回っていると、「めんどくさいことはお前達の仕事だ、引き受けて当然だ」と言う顔をするおじさんもいるし、「いつもややこしいこと引き受けて大変だねーご苦労様。」と丁寧に対応してくれるおばさんもいる。

 

 

見ている人は見ている、と言うことです。

 

当たり前の反対は有り難い。読んで字の如く。

 

当たり前だと思う人に感謝の心はない。

有り難いことだと思う人が見てくれていれば良い。

 

そうやって仕事を進める中で信用できる人を見つけていく。

困ったことがあったらその人を頼る。

気づいたら自分が頼られる様になっている。

 

仕事は結果が全てかもしれないが、そのプロセスを見ているのは同じプロジェクトチームメンバーや身近な同僚や上司だけだったりする。

 

私自身も4人くらいの部下を抱える様になって痛感している。私がいつも通り誰もやりたがらない前例のない仕事を持って帰ってきた時に、「面白いですね!私やりたい!」と言ってくれることの「有難さ」

 

うまくいくか分からないけど、チャレンジしたい!と声あげたことが素晴らしい。

最高!素敵!頑張って!

 

周りの人たちが、そのチャレンジとプロセスを「当たり前」だと思うか、「有り難い」と思えるか。失敗さえもモチベーションにできる環境を築くことができるかどうかの分かれ道は結局「感謝の気持ち」なのかもしれない。

 

自分のことだけを考える、に話を戻す。

 

自分がやると言って止める人がいないプロジェクトは自分でやろう。

最初は自分の仕事のついでくらい近い領域でいい。これは私の仕事じゃないと思える領域に自分ではみ出せ。

 

そんなあなたを周りは結果が出るまで、気にも止めない。

 

せいぜい「あーめんどくさいこと引き受けてくれて助かったわー」くらいなもんだ。

 

それでも見ている人は見ている。

だったらやった方がいいに決まってる。

 

気づいたら「これはあの人に聞いてみよう。」「あの人ならどうするかな?」「あの人なら何とかしてくれる」

 

そう、信用を得ているのだ。

 

「あなたのことを信用していますよ」と言葉では何とでも言える。

 

でもその答えはその言葉を発した人の中にしかなくて、本当にどう思っているかは言われた本人には分からないもんです。

 

 

自然と仕事が降ってくる様になったり、前の担当者には無理だと言われたけどどう思いますか?と言われる様になったり、その人自身がイノベーションシーズになったりする。

 

これをやれば感謝されるかな。

これを解決できれば褒められるかも。

この人はいつも見てくれているから、この人に見える仕事をしっかりやろう。

 

こうやって皆が自分の事だけ考えて仕事に臨む様になるとどうなるか。

 

自分がやらない、できない仕事を誰かがやって当たり前と思う人間。

感謝の気持ちがない人間。

思考停止している人間。

 

そういう人間が淘汰されていくはずだ。

 

そうやって属人的に信用を上げていくループを作れることが組織として強くなるということではないかと考えている。

 

 

転職を考え始める思考回路

こんばんは。

 

今日は転職を考え始めた思考回路についてまとめておきたいと思ったので、書きます。

 

入社当時は「この会社で定年まで働くんだ」と言う実感を持って入社した事を鮮明に覚えています。

 

 

増収増益を続けている安定した大企業。

初任給は決して高くないけど、福利厚生バッチリ。

 

年功序列に昇級しながら、飛び級こそ期待できないものの問題を起こさなければ20年くらいで年収1,000万円を超えてくる事を約束されている(様な気になる)雰囲気。

 

実質的なリストラなし、親も彼女も大満足の超絶安定大企業。

 

すでに入社10年目に突入したのだけれど、いつしか転職という事を意識し始めた。

 

最初は会社に対する不満、つまり私の思う理想とのギャップだった。

それはよく社会人1年目が直面する「おもてたのとちがーう!!」という類のものではなく・・・

※そういうのは月並みに感じた頃も勿論あったが、ある時乗り越えた・・・はず。

 

この時は、「こうあるべきなのに、大人の事情でできない」という事も理解した上で、それでもその理想を唱え続ける事が将来の会社の為には必要なんだ!という謎の正義感に近いものだと思う。

 

きっとマネージャーになる日もそう遠くないと肌で感じ始めたからこそ芽生えた思考だと思う。

 

今すぐはダメでもあと数年頑張ればマネージャーが見えてくる。

その時横に並んで仕事するのは今現場でリーダーを張っている尊敬できる人たちばかりだと思うとワクワクする。この人たちとは同じ理想を持っているからきっと会社もその方向へ変わるはず。

 

今は鬱憤を貯めて、出世した暁に爆発させるべきものなんだ。。。耐えろ。それまでは現場で結果を出し続けて今は信用を稼ぐ時だ。

 

しかし年を経る毎にこの理想論は経営レベルでの理想論となり、社長の理想と完全に一致しているものとは思えない、どこまで行ってもこの場所では叶わないのではないか、とさえ思うようになった。

 

つまり、会社の中で社長以外は会社の歯車でしかないわけだから、最終意思決定ができる社長にならなきゃ理想は現実にならない。

 

 

この時もう一つ入社時には漠然としていた私自身の思考回路が別のところにあった。

「出世欲とは何か?」という問いだった。

 

若い頃の私「サラリーマンなんだからやるからには出世しなきゃ。」

8年目くらいの私「出世って手段。出世した時に何がしたいのかが大事。」

今の私「出世しなきゃできない事って何?結局、私自身がどれだけ影響力を持てるかじゃない?」

 

つまり、出世そのもので得られる「立場」「責任」「肩書き」で仕事する事で影響力を持つ、という事が手段となり得るか、という思考に至ったわけです。

 

これが今の会社では「否」でした。

 

 

 

つまり、会社で理想を語り、実現に向けて人を動かす為に必要なもの。

●出世

●発信力

●信用

 

影響力を持つために必要な事の一つに会社においては出世があります。

全てではありませんが、やはり一兵卒が一人で訴えても効果は薄いですが、社内ではある程度出世すれば必然的にその影響力は増してくるものです。悔しいですが。

 

ただ、私の会社の様な年功序列の会社や、肩書きを持つ事をゴールとしているおじさんが蔓延る会社では時間がかかるのがデメリットです。平均して30代後半で課長になれれば早い方です。

これは結果を出すとか高い評価を得る、だけでは叶わない人事制度となっている現状があります。他にもそんな会社たくさんあるんじゃないかな。

 

発信力。これは言語化スキルやプレゼンスキル。いかにそのビジョンが真っ当なものでも心に秘めていても伝わらない。自分の言葉で発信し続ける。

相手によって刺さるワードを選べるかどうか。

 

信用。これがなければどんなに発信しても刺さりません。

つまり「何を言うか」も大事ですが、「誰が言ってるか」が大事と言う事。

これを稼ぐ為には「結果を出す」と言う事。

 

ここで大事なのは、自分だけが結果を出すわけではないと言う事です。

時には誰かを勝たせると言う事も重要です。

たまにいます。あたかも自分が頑張って結果を出した、という風に見せるのが上手な人が出世したという話。裏では「あの仕事で一番頑張ったのはAさんだよね」。この時信用を稼いでいるのは、会社が「結果を出した」と思っている人ではない、本当に頑張っていたAさんです。

 

この3つをある程度、手に入れたとしてどうでしょうか。

 

私の周りにも転職の相談すると「マネージャーへの昇格もそう遠くないのにもったいない」と言ってくれる人がいます。少しは影響力のレベルが上がるでしょう。

でも、自分が今の会社にいて、自分のポジションでできないことなんて、幾らかの金額に判子をついて経費を自分の裁量で使うことくらいだと感じるわけです。

 

もっと実質的な裁量権を持って大きな影響力を持って仕事がしたい。

 

でもサラリーマンは、社長にならない限り会社の歯車に過ぎない。このことを肝に銘じて考えてみると、社長になるまでにかかる膨大な時間を費やすことこそがもったいない。

 

転職という選択肢がはっきりと自分の中に出た瞬間でした。

 

他にもたくさんの要素を掛け合わせて考えた時に、転職してみたい。

月並みかもしれないけれど、自分の可能性を広げたい、挑戦したいと思う様になりました。

 

まあぶっちゃけ「起業して社長になっちゃえば」と囁く自分もいたりするんです。

でも今は転職ってことで自分が納得しているのでそれでいいかなと。

 

無邪気にもう一度挑戦してみたい。そう考えた時に妻と子供がいる身としては色々と考えたりするわけです。それにこの先どうなるとしても、このタイミングで転職しないと、一生後悔する気がしていて、ある意味勢いも必要かなと思ったり。

 

ここまで書いてどこにも内定もらえなかったら恥ずかしいなぁ。誰も見てないからいっか。

 

また報告します。

 

有形商品開発者がなぜこれからプログラミングを勉強するのか

こんばんは。

 

今日は念願のMac Book Proを購入してテンションが上がっているまうちーです。

 

なんでもそうですが、新しいものを買うというのはテンションが上がるものです。

個人的にはPCを選ぶ際にキーボードのタッチにこだわりが強い方ですが、Mac Book Proのキーボードタッチはすごく気に入りました。

 

PCやキーボードもネットで即ポチすることもできるのですが、必ず店頭で試し打ちしないと納得できない節があります。

 

そういった意味でもかなりこのキーボードのタイピング感は気に入りました。

pythonの勉強がしたくて、買いましたがプログラミングに関しては大学の一般教養レベルで挫折したので、これからが楽しみです。

 

 

さて、今回プログラミングを勉強しようと一念発起したわけですが、なぜプログラミングを学ぼうと思ったのかについて書こうと思います。

 

  • 有形サービス×無形サービスの無限の可能性
  • これからやってくるテクノロジーへの理解
  • 普通に興味あるし面白そう

 

大きくは3点です。

 

私自身はいわゆる「ものづくり」をしています。

 

普通にお店で買える様な商品の設計や開発に携わる「エンジニア」です。

細かい説明は省きますが、技術革新という意味では限界が見えてきていると現場で働きながら感じています。

 

それは何故か。

皆さんご存知もしくはお察しの通り、ものづくりは既に無人化にシフトしてきていてこれから先、製造業の技術革新は更なる速度アップです。

 

もう少しだけ詳しく書きます。

新しい商品を開発する場合、大抵は大規模な投資ができない為、自動化できずに手作りに近い生産ラインで量産化していることがほとんどですが、損益分岐点を超える目処がたった時に投資をして省人化→自動化→スピードアップです。

 

会社によってこの辺りの細かい考え方は違うと思いますが、基本的にはずれてないと思います。

 

一方で、世の中は「もの」が溢れていて、技術革新への要求が変わってきています。

「サスティナブルな事業」に向けての活動ということに帰結するのではないかと。

 

  • エコ
  • 社会的信頼や安心感

つまり、資材のパーツ点数を抑えて、再生可能な素材で実現するものづくりなどエネルギー的な引き算による設計。

 

一方で、顧客満足度を高め、品質的な問題がない状態が望ましいわけですが、「ない状態」の証明というのは難しいと思いませんか?

 

いわゆる、「無実の証明」ってやつです。

その安心感と信頼感はどこからくるか。

 

製品評価試験に時間とコストをかけているという安心感。

いわゆる、「1万回の耐久性試験」とかそんな感じですね。

 

実績、つまり使った方々のレビューからくる信頼感。

が求められていると感じます。

 

何が言いたいかというと、ここから先、私の様な有形のものづくり設計者にとって、一見関係なさそうに思えるプログラミングやシステム構築、またWebサービスやAIの活用などはエコ、品質における差別化、もっと言えば視える化は無形によってこそ成されるとさえ考えます。

 

 

例えば。

 

エコならばどうでしょうか。

過大包装や、キラキラしたいかにも高価そうなパッケージデザインは何の為にあるのかを考えると、「もの」が溢れた世界で見つけてもらいやすい様にかけられたコストであり、はっきり言って中身とは直接的には関係のないゴミです。

 

当然エネルギー的には最初に引き算の対象となるわけです。

 

でも、パッケージデザインをデジタル化してしまうというのはどうでしょうか。

今のデザインの様に2次元で目一杯加飾してデザインするよりも、使い方や効果などをわかりやすく、ウェアラブル端末で購入前に確認できたり、体験できた方が良いのではないかと思いますし、そうなってくるのではないかと。

 

1万回の耐久性試験は実施して問題ないから市場に出て行って問題を起こさないわけですが、お客さんからすれば使ってみて問題が起こらないことが大前提であるわけなので、いろんな商品を使ってみて初めて「この商品、このメーカーは信頼できる」となるわけです。

 

また、発売時点で1万回の耐久性試験は設計者のマスターベーションとさえなりうるのです。

 

これを発売時に実際の耐久性試験の様や開発ストーリーと一緒に販売できる仕組みがあれば、どれも同じ性能ならここのを使ってみようかと考える人も出てきそうです。

 

お、ねだん以上のあの会社がCMでやってる手法はもっと一般的になってくる様な気がしますね。

 

レビューもそうです。

数多くのレビューサイトが存在しますが、その多くはこれからその商品を購入する人のためのビッグデータです。

 

実際にレビューからマーケティングすることもありますが、今はまだそこに「落ちている」数少ない情報を拾ってきて考察していることが多い現状です。

 

そこに価値があるのであれば買うべきだし、ファンを集めておくべきとさえ考えています。

 

商品開発者にとって一番大事なことは圧倒的にユーザーであることです。

つまり実際のユーザーが一緒に考えてくれるメーカーこそが残ると思っています。

 

 

会社の外にご意見番ユーザーがたくさんいて好き勝手に文句言ってくれる。

こういう本当の意味での「ファン」を持つメーカーが強い。

 

そんなことを考えながら仕事をしていると、色々と浮かんできます。

どれもこれも世の中に出始めていたり、まだ業界が限られている為、今後は広く展開されるのではないかなーと思ってるだけですけどね。

 

 

ふと、エンジニアとして世の中のシステムや仕組みが今どうやって作られているかわかってないという現実にぶち当たった結果、興味が沸々と湧いてきた次第です。

 

何ができるのかまだまだわかってない新参者ではありますが、新しい世界に足を踏み入れる事にワクワクしています。

 

print "Hello World"

チームプレーとは現地集合である。

居酒屋退店間際、トイレの入り口辺りから後輩の声。

 

後輩「まうちーさん!?う○こですか?」

 

まうちー「いや、俺はここに…」

 

個室の住人「そや、う○こやー!」

 

後輩「まうちーさん、う○こらしいわ!」

 

まうちー「…え?」

 

後輩「…え…」

 

まうちー&後輩「あいつ誰や?!」

 

絶対、個室に知り合いが入ってる、と思い込んで話しかけた時の返事が沈黙だった時無駄に緊張しませんか?

 

いずれにせよ、不用意にトイレの個室に向かって話しかけるのは危険です。誰も得しないパターンしかないです。気を付けて下さい。

 

さて、こんばんは。

昨日は去年のチームメンバーが集まって飲んでました。

 

久しぶりに本当に楽しくてズーッと酔っ払ってたい気分でした。

 

チームリーダーになった最初のメンバーと上司だし、本当に苦しい期間を乗り越えたメンバーだったからですかね…。

 

その時ふと、チームで成果を出すと言う事について少し考えました。

 

うちの会社も例外なく、売上や利益貢献額が目標として設定されてます。

そこを達成した!というので、たくさんの人に評価してもらって、少しばかり給料も上がりました。

 

嬉しい限りです。

 

でも、それ以上の報奨として、素晴らしいチームが出来上がった、と気付きました。

 

何が言いたいかと言うと、会社の求める結果を出すチームは、必ずしも完成されたチームではなく、結果を出すことで完成されるチームであることがある、ということです。

 

僕たちのチームは新入社員から年子で7年目までいて、私が9年目という構成なので、チームとしての年齢も若く、お世辞にも経験豊富とは言えないチームです。

 

強みは、若さとフットワークの軽さ。

 

チームビルディングで心がけたのは、以下3つ。

 

①ビジョンの共有

②健全な危機感の共有

③ミッションの共有

 

①ビジョンは、簡単に言えばゴールの景色

あるべき姿、登山に例えるなら山頂の景色を写真で見せる事ですね。

 

②健全な危機感は、普通なら1週間かかる登山だが、私たちには3日しかないと伝えること。

最初はとにかく走り続けるしかないかもしれない状況なんだ、ということを伝える事です。

 

ただ、健全であることが重要です。

 

仕事や会社にはルールがある。時間内にゴールすれば良いというものではないし、危機感を煽った結果、途中で倒れたら元も子もないって事です。

 

具体的には追い詰められて病んだり、不正してはいけないって事ですね。

 

③ミッションは、各自の役割を明確にする事です。

登山で言えば、チェックポイントを明確にしたり、持ち物を決めたりする事です。

 

これだけでした。

 

まとめると。

ゴールと役割を明確にし、今マジでやばいから走り出せ。ルートは任せた。では、解散!

 

皆方々に走り出してそれぞれが違うことを考えながら、しかしゴールに向かって走りゴールを目指す。

 

チェックポイントで連絡を取り合い鼓舞する。

 

 

そうやって登頂に成功した時、泥まみれになったメンバーの顔を見ながら飯を食う。

 

ああそうか、これがチームか。ってなりました。

 

チームプレーと、共同作業を混同してはいけないと言われます。

 

チームメンバーの仕事を手伝ったりするのはチームプレーに必要なことかもしれないが十分ではない。それぞれの意思、思考で明確なゴールに向かってバラバラのルートで色んな発見を持ってゴールに現地集合する。

 

脱落する人がいてはいけない。

 

チームプレー、現地集合という結果にコミットする鉄則ではないだろうか。

 

こうして、結果を出した時に初めて色んな人に、あのチームが一番活気がある、団結力がある、と言ってもらえたのは本当に嬉しかった。

 

何より、新米リーダーの拙いビジョンを頼りにたどり着いてくれたメンバーに感謝しかない。

 

 

転職の思考法

こんばんは。

 

上司のチャックが全開だったことを言えませんでした。ごめんなさい。

 

さて、いつも仕事の相談に乗っている後輩に、オススメの本を教えたりしていたら、逆に後輩から本を勧められました。

 

転職の思考法です。

 

最初はビックリしました。後輩に引導を渡される気分です。笑

そう思いません?

 

もうあなたは必要ありません、転職されたらどうですか?とでも言われているような気分でした。

 

しかし…!

 

これは決して転職のススメではない…!というのが、この本を勧められたという私個人的な流れとしても非常に面白かったです。

 

北野唯我さんの著書です。

f:id:naosukeko:20190326000826p:image

 

以下、個人的にグッサリ刺さった部分です。

※抜粋ではなく私の記憶で書いてます。

 

●自分のマーケットバリューを高めろ

●いい会社とは、いつでも転職できる人が居続ける会社

 

他にも転職先の選び方や、エージェントのことも書かれてて参考になる部分は多々ありますが、個人的にはこの2つが強く刺さりました。

 

考えました。

 

仕事をすると言うことは自分の価値を高めるということなんだと。

 

少し本の内容からは飛躍してるかもしれませんが、強くそう感じました。

 

自分の価値を技術、経験、人脈の視点で高めていき、伸びている市場環境に晒す。そうやって新しい分野でまた、自分の価値を上げていく。

 

ここで大事なのは必ずしも転職しなければならない、ということではないということ。

 

今いる会社でそうやって高め続けることができるなら問題ないわけだ。新規事業開拓やプロジェクトを通じて人脈ができて経験ができて技術資産も蓄積できる。

 

こういうチャレンジが絶え間なく起こせるならいつでも転職できる人材が永く留まるいい会社なのだろう。

 

こういった書籍を、自分が仕事を教えてきた後輩が選んで勧めてくれたことが何よりも嬉しい。

 

今一度自分のマーケットバリューを見直して高めていきたい。

 

https://twitter.com/maut430/status/1110187644955181057?s=21

 

 

受験の果てに見たもの〜国立大学現役合格体験記〜

今週のお題「卒業」

 

卒業シーズンになると自分自身の数ある「卒業」をふと思い出しますが、流石に最後の卒業となる大学院を卒業して9年も経つと色々と記憶も霞んでくるもんですね。

 

それでも記憶、というよりベットリとこびり付く様にいやーな気持ちとして思い出す、それと同時に晴れやかな気分として思い出す光景があります。

 

それは厳密には卒業ではないけど、大学の合格発表。

高校の卒業式の数日前だったと思うが、私は一人で合格発表を見に行った。

 

「コイハジ」の様なインターネットで時間が来たらアクセスして見る、とかそういう感じではなく、大学構内に貼り出された合格した受験番号を白幕で隠し、時間がきたらバッと引き剥がし、歓声が上がる感じのあれだ。

 

あの時に見たもの、感じたもの、周りの反応の色々は忘れないと思う。

ついでにこれから受験勉強をがんばる人に向けて(そんな人はこれを見ていないとは思うが)勉強を頑張るコツみたいなものも伝えたい。

 

 

私は小学校、中学校とそれなりに成績はよかった。

中学は特に学年で1、2を争う感じだった。今思えば普通の公立中学だから特段すごいことでも何でもない。要するに当時は中学生らしく分かりやすく調子に乗っていた。

 

高校受験では市内で一番国立大学への進学率が高い公立高校へ入学した。

 

その高校は2年の後半くらいまでには1通りの高校の授業が終了して受験対策授業になるくらいには進学校だった。

 

正確な空気感を伝える為に重要になってくるのが、この高校の各国立大学への進学率。もちろん年によるし、私の時は以下の様な数字だった気がする。

 

現役で数人の東大の合格、浪人なら10名前後。

京大にも現浪合わせて20名前後。阪大には現浪合わせて40名前後だ。

京大、阪大の現役:浪人=4:6くらいだと思う。

 

それくらいのレベルの進学校だったから、1クラス40名のうちなんだかんだ半分くらいは浪人する。特に理系はそうだったから、6クラス。

 

国立大を目指して勉強しよう、浪人すれば志望校のレベルを1つくらい上げても合格できる実力をつけよう。そんな空気だった事を覚えている。

 

それでも私からすれば周りも勉強できるやつが多くて、それまで勉強できる子だった私は完全に2年の春休みから落ちこぼれた。「完全に」だ。

 

400人中380番とかそんな成績を出すことも珍しくなかった。

 

元から調子に乗っていたので、一気にモチベーションが下がったことを覚えている。

それでも周りのみんなも勉強だけじゃなくて、運動が得意だったり、おもしろいやつもたくさんいたから友達になれたし部活も最高に楽しかった。 

  

そんな頃、進路相談の時期がやってくるのだが、何を思ったか阪大を志望した。

 

理由は特になかった気がするが強いて挙げるとすれば3つ。

 

●家から近いのは国立は神大、阪大 

●なんかみんな阪大って言ってる 

●理系だしなんとなく阪大

 

うん、すごく馬鹿っぽい。

将来的なビジョンなんて全くなかったし、表向きには「選択肢を広げる為」とか言ってた気がします。

 

足して更に馬鹿っぽいw別に広がってねぇわ。

むしろ専門性が強くて狭まった気さえするわ。

 

でも言霊っていうのかな。

志望校として阪大と書けば書くほど、行きたい、行けるはず、行くってなってくるもんです。3年の夏までE判定以外見たことがなかった。

 

判定は変わらなくても手ごたえが変わっていく。

普通に考えれば手ごたえが変わっていくのにE判定のままだったら普通やる気なくなりそうなもんですが、この手ごたえが変わっていく感じが純粋に楽しかったし嬉しかった。

 

限りなくDに近いE!とか言ってた記憶もよみがえってきました。

 

それEだから20%未満なんだよ?w

 

この頃、周りも大して変わらない状況でした。

みんな志望を高く設定し、

「あいつは大丈夫やろ」

「おれは浪人やわ」

とお互いを探る様な雰囲気。

 

それを聞いて私は、めっちゃ勉強してるやつが「勉強なんてしてないよ」という類の牽制をしていたのだと思っていました。

 

実際は、皆「どうせ浪人だし」と口では言ってるけど、まさか本当にはじめから浪人するつもりで受験してるやつはいないと思っていたし、私自身も浪人はしたくなかった。 

 

正直常に「関係ない」って心の中で唱えながら勉強してました。

 

だって、受験するのは自分だし、周りが受かろうが落ちようが、自分が受かるか落ちるかしかないですから。

 

そんなこんなで毎日ひたむきに勉強に勤しみ、迎えた合格発表の日。

少し寝坊した。

 

白幕を下ろす瞬間には間に合わず、ゆっくりと阪大の長い坂道を一人で登り、親と一緒にうな垂れて下ってくる予備校で出会った可愛いあの子や、サークル勧誘のビラの束を握りしめて緩んだ知らない顔とすれ違いながら、色んなことを考えた。

 

掲示板の前に着いた。

 

既に20分ほど前からどんちゃん騒ぎになっている様子だった。

人を掻き分けて前に立とうとしたら、2つ隣くらいから自分の番号が見えた。

 

一瞬で周りの音が聞こえなくなった。

嬉しかった。それを噛み締めた。

 

声をかけられた。

高校の先輩で先に阪大に合格してる先輩が心配そうにこっちを見ている。

 

ありました…!

 

というと、よっしゃー!!と言って抱きしめてくれた。受かったの俺だよ?ってくらいに喜んでくれる先輩が前より好きになった。

 

家で報告を待ってる親、ばあちゃんに電話した。なんか涙が出てきた。

 

先生に報告しなければと思い電話をかけた。

 

喜んでくれた。

その先生は、3年の夏までE判定続きだった私に、「俺の勘だかな、お前は登り龍の様に最後にグッと成績を上げてくるタイプだ。」と言って鼓舞してくれた人だった。

 

あの時点で私が手応えを感じ始めていることに唯一気づいてくれていた人だった。

ありがたかった。本当に心強かった。

 

問題はここからだった。

合格発表当日、高校に登校してインターネットで合格発表を見たクラスメートや部活仲間がいることはわかってた。

 

自分が受かったと分かると、自分より成績がずっと上だったやつや、自分と同じ様な成績だったやつ、同じ学部を受けてるやつ色んな奴がどうなったかが急に気になった。

 

やな奴かもしれない。でも、ものすごく純粋な気持ちだ。

 

受かったからかもしれないが、少なくとも同士みたいな気持ちでいたのは確かだ。

 

捨て身で高い壁に向かって一緒にジャンプした同士たちが、越えたのか、越えられなかったのか。

やはり半分くらいは越えられなかったらしい。

 

驚いたのは、彼らがが受かった私を裏切り者と呼び、卒業旅行からも外そうとしているという噂が当日中に私の耳に入った。

 

それくらい側から見て私の成績は直前まで到底届くものではなく、周囲が思う「あいつは浪人するだろう」枠に入ってたことが分かった。

 

せっかく受かったのになんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。

裏切りでもなんでもない。私が諦めずに努力したから受かったという自負はあった。

もっと言うと二次試験が終わった時点で手応えはあったんだ。でも不安なのは皆んなと一緒だ。

他の人が自分よりできてたら…とか。今年は全体的に簡単だったとか。何を基準にするかで手応えなんて変わってくる。

 

大事なのは自分に基準を置くこと。最後までできる努力をしたし、その結果二次試験を終えた感触に手応えを感じたのは間違いない。

 

誰かにその努力を裏切り行為だと言われる筋合いはないわけだ。

だからこそ一人で結果を見に行った。

 

受かった瞬間にちゃんと喜べる様に。

落ちた瞬間にちゃんと悔しがれる様に。

 

一緒にジャンプした同士が越えたり、越えなかったりする様を見ながら結果確認してたとすると、素直に喜びを表せただろうか。もし、落ちてたら素直に悔しがらずに、予定通りだったみたいな顔をしてしまってたんじゃないだろうか。当時の彼らの様に。

 

人に裏切られた、と言う場合それは、相手に何かを期待していた、と言うことに他ならない。

 

受験に限った話ではない。仕事にしても誰かに何かを期待すると言う事は、裏切られる可能性を孕んでいると考えるべきです。

 

現役で落ちた友達は一部を除いて、皆翌年に大学の後輩として入学してきたり、京大に合格したりしてその当時のことを笑って話せるバカばかりだ。

 

これから受験勉強に立ち向かう人へ

●目標は高く持ち、志望校だと言い続けよ。

●一度解けた問題は何度も解け。

●周りに流されていいのは高い目標だけ

●結果は全て自分の努力に帰属すると心得よ

 

目標が高くなるならその時は流されてもいい。でも、人のせいにするな。

 

努力は裏切らない、はイチローの名言かもしれないが、名言には名言たる所以もある。

 

ついでにサラッと言ったが、勉強のコツは、解けた問題を何度も解け、ということ。

解き方のパターンをたくさん知ってる奴が回答用紙に「書ける」。

 

解ける、ではなく書ける、です。

 

私自身、手応えがあったと言った二次試験の数学は完答0です。でも回答用紙いっぱいに導けそうな方程式をたくさん書いた結果合格した。

 

だから解いた問題の数ではなく、解き方を覚えた問題の数が大事。

 

今回、卒業のテーマに受験の終わりを思い出しながら書いてみたが、これは仕事する上でも役に立ってる経験の一つだ。何度も解きながら、他人に期待せずに高い目標に手応えを感じながら日々努力を続ければ、結果は自ずと付いてくる。

 

被害者意識を捨てて、己を鼓舞せよ。

勉強が全てだとは言わない。

だが、目標を設定しやすく、努力した結果が出やすいのも勉強だ。勉強した内容そのものよりも、その結果、何を学ぶかということは学んだ奴にしかわからない。

 

まだ本気出してないだけの人は一度本気出してみたらいいと思う今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信用するということ

遅ればせながらあけましておめでとうございます。

 

年々免疫力の高まりを感じるまうちーです。

 

何故か段々と風邪引かなくなってきました。

良いことなんですが、怖いくらいここ何年か体調が良いです。

 

さて、私の会社は数年前に決算月が3月から12月に変わって、大きな人事異動がありました。

 

と言っても私はステイ。

 

後輩や上司を見送り続け、また迎え続けております。

 

新しいメンバーになり、今年はどうやって仕事していこうかーと同じチームのメンバーと雑談している中で唐突に…

 

まうちーさんが部長なら良いのにーと言ってくれる後輩たち。

 

お世辞でも有難い話です。

 

ただ、それはあくまでも私がチームメンバーに近い存在であり、最も理解できる都合の良い「先輩」という立位置にいるというだけで、所謂信用されている状態が私と彼、彼女らとの間で限定的に築けているに過ぎない、と思いました。

 

もちろん、それが彼、彼女らの本音と信じたいですが、ポジティブに受け取り過ぎという可能性も否めない。笑

 

一方で、課長や部長にはどこか遠慮がちで、言いたいことも言えずに悶々している様をよく見かけるので、近い存在である私の方が相対的に信用されている、とも考えられます。

 

要因は大きく3つありそうです。

 

①他愛ない会話ができない。

世代の違いからか共通の話題も少なく、二人からになると話がもたないし、話が通じないので人となりが理解し難い。

 

つまり自分という枠が歳のせいで狭まっており価値観などの重なりが薄い。

 

②信用されている感じがしない。

信用する前にされているかどうかを気にしている為、こんなこと言っても良いのかな…?という二の足踏むモードに勝手に入ってる。

 

③本音と建前の見分けがつかない

実はこれが一番大事じゃないかなーと思います。

 

その場は取り繕っても辻褄が合わないことが出てくると信用は失われる。

 

ひとつずつ説明します。

まず、①。

お互いが自分自身の振り幅を広く持っていれば歳の差など関係ないが、基本的には年上が居心地のいい場所に根をはるという意味で、「老いている」可能性が非常に高い。

 

経験値、という強い武器を「分からない」という一言と交換してしまったおじさんの溢れるポンコツ感はとどまる事を知らない。

 

若い人の感覚を信じずに「今の子は…」と言い放つ呪文はまるでスカラ※のように味方の守備力を上げて壁が分厚くなっていくばかりだ。

ドラクエの呪文

 

かと思えば、「俺たちの頃は」と振りかざした経験値という武器は何年も前にアップデートする事をやめた為に鯖まみれだから当たると傷口が膿んでしまう。

 

あぁいてぇよー。

まずは若者の言うことに耳を傾け、若者が生きている世界、まさに現場を体感して経験値という武器をアップデートしてみんなから見える場所に飾っとくくらいがいいでしょうね。

 

それは他愛のない会話から生まれる。

 

②。

信用を得る為にはまず、相手を一度信用する事。

求められた結果を出す事。

 

結果を出しながら要求しないと誰も信じてくれず、ただの「クレーマー扱い」されてしまうだろう。

 

それに加えて、相手を一度信用してみる事で、

言いたいことも言えるかもしれない。

とにかく言ってみる、ぶつけてみることが大事だ。

 

①②が出来たとしても、嘘や建前だけでは必ず辻褄が合わない場面に出くわす。

 

また信用は、失うは一瞬、築くは一生といっても過言ではないだろう。

 

会社組織で働く以上は本音だけでは立ち行かないことも多々あるので、建前は少なからず必要だと思うのです。

 

環境によって嘘をつかされるってやつですね。

だけど、本当はどう思っていて、どうしたいと思っているのか。

 

また、今はその建前を通さなければならないが、その先にどんな未来を作りたいと思っているのか。

 

その為に今それがいかに必要かを伝えることで前に進める。

 

ここをサボる人が多い様な気がしています。

 

少し話がずれますが、世間ではオンラインサロンが流行ってますね。

私も一つ入ってますが、本質的には会社とオンラインサロンは同じだと思います。

 

理念があって、ビジョンがあって、ミッションがある。

 

オンラインサロンの場合はいろんな形があるが、会社の場合は事業を通じて社会に貢献しつつ、利益を上げるってことだと思いますが、組織という点では本質的に同じ。

 

そこにいる人同士の信頼関係。

 

会社の場合は、会社が賃金を払う。

それによって会社→社員への信頼を可視化しています。

 

これが時間に対して、成果に対して、高いとか安いとかというのが信用の可視化ですよね。

 

社員→会社の信用とは何か。

人によりますが、仕事のやりがいがあるか、固定給で安心感が得られるか。可視化は難しいですが、この双方向性が何可視化の理由で成立しなくなってくると離職率として可視化されるって感じでしょう。

 

一方でオンラインサロンの場合はどうか。

フォロワーが課金して参加するので、これはフォロワー→リーダーに対する信用が、人数として可視化されていますよね。

 

では、リーダーからフォロワーへの信用はどこで可視化されるのか。否、可視化できてないにしても、どうやって感じるのか。

 

お金じゃない別の形、前者で言うところのやりがいとかワクワクを感じられる。

または何かしらのスキルを得られるなど。

つまり所属していて良かったと思えるメリットみたいなものが必要です。

 

こういったものを閉鎖的コミュニティに向けてとは言え、フォロワーを信用して発信していく必要があると言えるでしょう。

 

つまり、ここでも共通理念、共通言語があると言う双方向性が求められるわけなので、会社で言う離職率、サロンメンバー数で可視化されると思います。

 

しかも、オンラインサロンの場合は月単位での契約で、しかもフォロワー側がお金を払ってるのであれば、会社→社員のそれを軽く超越し続けなければ破綻しやすいのは明白です。

 

どちらも組織であることには変わりなく、何でつなぐかの違いであって本質的には同じく双方向の信用が必要です。

 

そう考えるとオンラインサロンの運営って難しいなぁと思うこの頃であります。

 

経営者でありながら現場一人ひとりとオンラインで対話して信用を勝ち取るってことが必要で、それができてるオンラインサロンは規模も大きくなっている気がします。

 

何が言いたいかというと、前述の①と②をクリアした状態でスタートしてる分信用としては会社よりも強いと思うのです。

 

あとはこの共通言語や共通の話題がちゃんと本音で語れているかという部分かもしれません。

 

会社組織に話を戻すと、大きくなると現場との距離が遠くなりがちで、社員一人ひとりを信用するとは言うものの社員本人がそう感じられるかどうかはなかなか見えなくなります。

 

固定給はベーシックインカム的になり、もっと小ユニットではトークンエコノミーでお互いの信用を可視化できればおもしろくできそうです。

会社組織が、ベーシックインカム付のオンラインサロン化するイメージですね。

昇給制度も直属上司の主観などでなく、持ってるトークンで、信用が可視化される。

しかもどの世代、どの職掌から信用を得ているかもわかりやすくできそうです。

 

会社というクローズコミュニティに新たなトークンエコノミーを作ることでお互いがお互いを評価しあい、上が評価した人が昇格するのではなく、客観的に評価されている人が昇格できるシステムになる気がします。

 

長い目で見れば、そうすることで正直者がバカを見るより、小さな声の正直者が報われやすい環境になるのではないかと思いました。

 

相手が信用できる人かどうか。

本音で話す人なのか建前を大事にする人なのか。

 

これまでのその人の仕事の成果ではなく、プロセスでどう評価されてきたかを知ることで、信用が集まる人には仕事も集まり、信用が足りないと仕事も回ってこない。

 

旧態依然とした年功序列文化が色濃く残る会社組織の中で、「これからは実力主義だ!」と言えば聞こえは良いが、結局その仕事の成果が出るまでにどこでどの人がどれだけ正当に汗を流して、どんな信頼関係の中に成り立った仕事なのかを評価できているのか?

売上や利益という財務諸表上の数字だけでは限界があるはずだ。

 

オンラインサロンで脱社畜とか、やりたいことをやろう!とか色々なものがありますが、この仕組みや運営から学んで会社組織の在り方を問い質す事が、サラリーマンとして働く上での本当の面白さに気づくきっかけになる気がします。