Solemnity is the shield of idiots.
愚か者は、まじめさを盾にする。
耳がいたーーい
たりてるふたり
たりないふたりを、ライブビューイングで観てきた。
とても素晴らしいライブでした。
1時間半フリースタイルやるって頭おかしい。こっちもはらはらしながら聞き逃さないように集中してるから、終わったら酸欠になった。
そんなライブの1時間前、リトルトゥースTシャツを着た私は、某セレクトショップへ、冬のアウターを買いに行っていた。
来たはいいものの、自分の格好のダサさ(関係ないけどダサいって語源ふわふわしてるんですね。田舎いとかだって埼玉とか)に心が折れかけ、ああなんできたんだろうと店をあとにしようとした瞬間、
「もしかしてリトルトゥースですか?」
それはKing Gnu常田大樹風のしゅっとした店員のお兄さん。イケメン。
武道館行ったって。D.C.GARAGEが好きなんだって。
今日はもしかしてみなとみらいですか。外れてライブビューイングなんです。そうなんですか。
5分後にはお目当てのアウターを手にいれて、僕は会計をしていた。
よきある大きめのアパレルあるあるな袋に服をいれて、お兄さんは、それではろいライブを。と言って荷物を渡してくれた。
その後のライブで、SMプレイはジャズ、と山里亮太はいっていた。そのとき彼と僕は確実にセッションを奏でていた。
たりないことを卒業して、新たなたりないを探すと言ったたりないふたり達の前に、僕は満ち足りたたりなさを感じていた。
サクラマスリーマン
朝早く出て夜遅いみたいな感じなんだけど、オフィス付近の公園でYouTube見てるときもあるし、勉強してるときもある。
家でもできることではあるんだけど、なんかあまり家にずっといたくないというか。
妻のことは好きだし安らぐ我が家なんですが、元々が怠け者なので、すぐ寝てしまう。YouTube見ちゃう。やらなきゃいけないことせずに。
なので、まだサボる確率が低い(それでも高確率でサボる)、外にいるのだ。
スタバだったりマックだったりするけれど、割りとそういう人を見かける気がする。
人といつでも一緒にいたいということはあまりなくて、むしろ一人の方が気が楽なのは、そういうもんだからそういうもんである。
別に冷たいとか愛が覚めたとかではなく、もともとそういうもん。
というかそうでないようにベタベタしたら、辛くなって学生時代に失敗してるのだ。
だからフラリーマンとかいう表現をされると、あたかも家庭に不満があり居場所がないような中年サラリーマンみたいな描写をされがちだが、そうとらえられないように、家庭ではフラリという言葉を使わないようにしている。
我が家では放流といっている。
私はサクラマスのような人間。日々、大海原を泳いで母川に回帰するのです。
さくらま、まで入力したら紗倉まなが出てきた。優秀だなぁ。
サクラマスのマスはますかきのマスっつってねってバカヤロウコノヤロウ
混乱する脳みそ
毎日続けてることがある。
アンテナに引っ掛かってることをTwitterに投稿すること。
Googleアラートと、メルマガに引っ掛かったものを、時系列で並べてる。
当たり前だけど新聞社、web媒体によって内容はかわる。
一時期、あるトピックに関わる報道が増えたりすると、それもまた社会の動きが見えておもしろい。