僕はこれを情熱と呼ぶ

東京から高知、東南アジアを旅して妻と娘を愛するデジタルマーケターの人生です

情熱は現実に存在しないので"今"それを情熱と呼ぼう

なぜ、やりたいことが見つからないと言うあなたなのか

この記事を執筆しようと思ったのは、「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう – Taka Umada – Medium

と言う記事を読んで、「やりたいことが見つからないんです」と言う人が多くいると知ったからです。

正直、「バカな!まだそんなことを言っているのか・・・」 と疑問を抱き、試しにツイートしてみたらフォロワーの少ない私でも反応が出てしまった!

 

僕は、普段はデジタルマーケターを育成する事業に関わっています。

マーケターは人間の情熱を引き起こすのが仕事であり、当然「なぜ人間に情熱が生まれるのか」を熟知していなければならない。

 

僕は心理学者でも脳神経科学者でもないが、人を感動させて勇気付けたいと願うマーケターとして、そして一児のパパとしてみんなに伝えたい情報がある。

 

それは、

 

「情熱は現実に存在しないので"今"それを情熱と呼ぼう」

 

この記事のポイント

●意識や感情が作られるのは行動の後なので、取り組む前に情熱は存在しない

●行動を引き起こすのは情熱ではなく認知の仕方

●学習環境と会話によって認知はシフトする

●新しい行動が新しい情熱を生み出す

 

1.情熱があるから行動すると言うのは、幻想

もしもあなたが「今やっていることではなく、他に何か情熱を注げることがあるはずだ」と考えてそんなものを探しているのだとしたら、

それはそのように思わせるアドバイスをしてきた大人たちの影響とみていいでしょう。

 

一つの前提として、1994年にベンジャミンリベットらによって、人間の意識的な決定よりも先に、脳が潜在意識で行動指令を下して行動していることが発見されています。 

マインド・タイム 脳と意識の時間

マインド・タイム 脳と意識の時間

 

 

図:被験者が自らの意識で行動を決定する瞬間(0 sec)より前に、脳の潜在意識では命令が決定して行動が開始された

 

 Libet は、被験者の脳の活動が、意識的に動作を決定するおおよそ1/3秒前に開始したことを発見した。これは、実際の決定がまず潜在意識でなされており、それから意識的決定へと翻訳されていることを暗示している。

ベンジャミン・リベット - Wikipediaより)

 

つまり、行動は意識や感情に先立つ。

人はやると言ったことをやらないし、やらないと言ったことをやります。。

意識や感情があって行動しているんじゃない。

行動の後に意識や感情を作っているのが人間の仕組みです。

 

「これじゃない!」と言ってほかに何か情熱を注げるものがあると言うのは幻想であって、

「私は目の前の事に行動していないので情熱が無いのだ・・・」という意識を作り出しているに過ぎないのです。

 

そしてこれは、グッドニュースです。

その人のやる気、情熱、意識、感情、性格などと言ったものは、その人の行動とは一切関係がない。

行動さえすれば、情熱を作ることも可能です。

しかしそれでもやはり行動ができない人もいるでしょう。

それは何も悪いことではありません。 

 

では、"行動を引き起こすものは何なのだろうか?"

 

2. 認知の仕方が行動を引き起こす

認知行動心理学では、"人間の認知の仕方 "が行動を引き起こすとされています。

つまり、起きた物事をどのようにインプット(認知)したのかによって、その物事が起きたときにそのインプット(認知)に基づいて自動反応的に行動を起こすのです。

 

僕自身の事例で話しましょう・・・。

僕は、母親から電話が来るたびに「めんどくさいな」と思って、電話に出ませんでした。不在着信が2ケタになることもあった!

たまに電話に出ても、「仕事は大丈夫なの?」と言われると、なぜだか「大丈夫だよ!しつこいなあ」とイライラしていた。

電話に出ないという行動を繰り返すうちに、「母はしつこい人だ、子離れができていない」と言う意識が作られた。

(本当にごめんね、お母さん)

しかし、ある人との会話の中で、「君は忙しいから自分は悪くないという価値観があるんだね」と指摘されて気がついた!

そうだ!僕は「自分は悪くない」という世界で生きている!と初めて自分の態度が明確になった。

その日の夜、自分から母に電話をして「ごめんよ、俺は今まで自分が悪くないって言ってるだけだったよ。育ててくれてありがとう」と伝えた。

それ以降、母からの電話は最優先で受け取り、仲良く会話をすることできている。

まとめると、その時の認知の仕方はこうです。

(客観的に見るとヒデー息子だなオイ) 

 

起きた現実:母からの電話を着信した

認知の仕方:忙しいんだから俺は悪くない

取った行動:電話に出ない

意識/感情:母はしつこく何度も電話してきて子離れできないめんどくさい人だ!

 

 

つまり、認知の仕方が変わると、違う行動をする。

 

起きた現実:母からの電話を着信した

認知の仕方:俺は自分を正しいと思いたかった

取った行動:電話を発信して謝罪する

意識/感情: 相手を承認し、感謝と愛情が作られる

 

 

認知の仕方が変わると、相関して違う行動を取り、違う意識が作られるようになります。

認知の仕方は、行動全体を決定づけています。

そしてこれは悪いことではなく、人間の自動的、反射的な反応です。

 

この認知が深刻で強力な現れ方をすると、人は躁うつ病や統合失調症を引き起こし、彼らの行動は僕たちには支離滅裂に見える。

しかし、彼らは認知の仕方が深刻な方にシフトしてしまっただけで、別に壊れているわけでもないし(むしろ正常に機能している)、中身は僕となんら変わらない。

 

さて、ここでみなさんはさらなる疑問を持つでしょう。

 

そう、"認知を作るのは何なのだろうか?"

 

人間はデフォルトの認知が狂っている

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サイコドクター楷恭介 4巻 「人形と怪物」より


上記は心理学で"ロールシャッハテスト"と呼ばれるものです。

その信憑性はさておき、ここでのポイントは、

「人は現実のものを自分の見たいように認知することができる」ことです。

同じものを見ても、認知の仕方が違うと同じものに見えなくなると言う人間の性質を利用しています。

 

この性質は、僕も含めて人間なら誰しも持っていて、そのためにみんな狂っています。

 

例えば、認知の結晶体である"音楽"。

あれ、物の音が聞こえるだけですよね。

なのに、「これは音楽だ」と認知すると、物の音にお金を払う(リスクを取る)行動を引き起こすわけです。

しかも、これはクラシックだの、これはロック、ジャズ、タンゴ、レゲエなど、物の音を区別までしています。

石が転がった音と、ギターの音は、本質的、物質的には"ただの音"です。 

「音を売って食っていこう!そうだ、これを"音楽"と言って認知してもらおう」と最初に発案した人を、僕は「マジでイかれてやがる!」としか思えません。

 

"紙"を"お金"と呼んだり、

"平成"を終わらせて"令和"と名付けたり

"電気で光る鉄"を"Macbookはクールだ"などと言っています。

そう、僕らのマーケティング活動も、実は人間の認知が狂っていることを前提して初めて可能となる人間特有の活動なのです。

だから面白いし、大きな影響力と可能性がある。

 

では、僕たちの認知はどこから狂うのでしょうか?

認知の仕方は、それぞれの過去の体験から作られます。

目の前の現実を見ているのではなく、似たような過去を追体験しているに過ぎないのが、認知行動心理学でのコンテクスト(文脈)です。

過去にたまたま起こった成功や失敗、そのときに言われたことや感じたことなどの体験を、目の前の現実として認知している。

 

今、"自分が情熱を注げること"という現実は目の前に存在しない。

今在るのは、ただ目の前に在るものと、私たちの認知の仕方と、行動だけです。

 

・・・で?

じゃあ情熱が引き起こるにはどうしたらいいのか?

 

3. 環境によって認知はシフトできる

過去の体験は否定できませんが、認知はシフトすることができます。

それはカウンセリングなどでも起こり得ますが、自身の環境で意図的に引き起こすことが可能です。

ピーター・M・センゲ先生の著書「学習する学校」では、その"深い学習サイクル"を引き起こす構造を記述しており、この構造は認知をシフトするのに効果的であると言えます。

用語の詳しい説明は省きますが、重要な部分を抜粋します。

 

ピーター・M・センゲ著「学習する学校」P117より抜粋

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図2-1に示されたシステムは、学習する組織が依って立つ実践の骨格を示している。右側には「深い学習サイクル」が示されている。

新たなスキルや能力(生産的な会話やシステム思考など)、新たな気づきや感性(自らの願望、今の現実、メンタル・モデルの自覚)、新たな態度や新年(価値観や認知)が互いに強化し合うときに学習が起きる。

深い学習サイクルにおける変化は根源的で、不可逆的なものになり得るが、それを発生させることは難しい。

そこで、持続性では劣るがより明白でわかりやすい「行為の領域を図の左側に示している」

新しい態度や考え方を持つと、内省的に振り返りながら話ができる。それがまた、自らの気づきを育み、新たな理解につながるさらに大きな機会をもたらす。

 

それはまた、人間の性質についての味方を改めることにもなる。あなたは多くの生徒(または親、教員、管理職者)について単に「扱いにくい」と思い込んでいるかもしれない。

その結果、彼らと会話するとき、実際に彼らが言っていることには耳を貸さず、彼らの言葉があなたの中に引き起こす反応に耳を傾けているだけなのではないか。

 

個人一人では認知をシフトするのは難しい。

しかし、新しい人と新しい行動をする環境を用意することで、新たな価値観・認知が発生しやすい"深い学習サイクル"を引き起こすことが可能になります。

 

多くの人にとって、新しい物事に取り組んだ後、「思ってたんと違う」という体験があるはずです。
人間は元々の認知が狂っていて過去と現実の判別ができないので、人と一緒に新しい行動を起こす環境に身を置くことで、自分の認知と意識を初めて確認できるのでしょう。

組織の環境による個人の"深い学習サイクル"を引き起こすことで、情熱の発見に近くなります。 

 

4. 人との会話の中に新しい可能性が在る

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暴力的に要約すると、ピーター・M・センゲの理論も、認知行動心理学も、つまるところ「人と会話して自分を知ろう」と言っています。

 

まず、目を閉じて3回転半してください。

そして、タンザニアの首都がある方向を指で示してください。

一応確認しますが・・・自分だけでやるのは無理、ですよね?? 

 

「海へ行こう」と思ったとき、

今いる場所はどこなのか?

海はどこにあるのか?

そしてそこは本当に川ではなく海なのか?

今いる場所と、行きたい場所が明確ではないのなら、

僕たちはどこへも行くことはできない。

 

自分の現実を扱うためには、

「今の自分が現実をどう認知していて、他にどんな新しい認知があるのか?」

を会話を通して発見するしかないと思います。

 

認知の仕方は、人によって異なります。

それはつまり、今の世界とは違う世界も存在する可能性です。

幸いなことに、認知はあなたの過去の体験から自分が生み出しています。

他の人と認知している世界が違うことに気づけば、あなたがシフトするのは一瞬です。

 

情熱を注げる現実がどこかに存在しているという幻想には、何のパワーもありません。

今在るものは、ただ在るものと、あなたの認知と、行動だけです。

まずは、人と会話する環境に身を置きましょう。

そして、人との会話で新しい世界の可能性に触れたとき、あなたの認知はシフトし、違う行動を取り、新しい感情が生まれるでしょう。

つまり、今在るのは、"今の現実"を情熱と呼べる可能性です。

その可能性を生み出すのはあなた以外いません。

人との会話の中で新しい可能性を発見できることを、心から願っています。

 

この記事を書いて、僕は人の潜在心理とテクノロジーを融合したマーケティングを日本にもっと広めていきたいと改めて思った。

きっと大きな影響力になるはず。

僕は、もっといっぱいの人たちに、今の在るものに情熱や感動を感じて勇気を持ってほしい。

人と会話の機会を増やしたいと思う人はいつでも僕にご連絡ください。

100%で力づけます!!

 

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デジタルマーケター育成機関「Merc Education」 | Peatix

 

キャリアをすぐに答えられないので半生を綴ります。マーケティングの本当の喜びを知るまで。

「色々とお仕事をされてきたんですね」

 

僕が今までの仕事内容を話すとき、情報量が多いためか「よくわからない」と思われていたように思う。

また、僕もそのように話すことで面倒から逃げていた自分を誤魔化していた節もある。

 

手広くやっていてよくわからないぐらいが面白いだろう。

いっぱいやっているほうが、なんだかスゴいように見えるかもしれない。

なにより、自分の考えまで表現するのが面倒なんだ。ああ、ベッドに帰りたい。

 

とても愛を込めた態度で、こう言ってくれた人もいました。

「君はすべてが中途半端や」

そのときの周りの人たちはなぜか僕をかばってくれたりしてちょっと嬉しく思いましたが、

でも、それ以上にそんな言葉をかけてくれて、向き合ってくれて本当に有り難いな、と僕は感じていました。

 

「自分の考えや取り組んでいることをシンプルに表現したい」

 

あまり言わないでいるけど、実は死ぬまで一貫して持っている価値観。

そして、最近得たマーケティングスキルがもたらしてくれた喜びと面白さについて。

これが僕の仕事であり、人生であり、喜びです、と言いたくて綴ります。

 

人には素晴らしい価値があって、人に貢献できる可能性がある

 

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これはずっと無くならないだろうな、と思う価値観があります。

最近は、それがすべての仕事に出てしまっているようで、つまり僕の仕事内容を話すには少しだけ半生を綴ります。

 

僕は福祉施設の出身です。

小学3年生ぐらいまで、母子家庭支援施設という全寮制の施設で暮らしていました。

家賃や光熱費など、国からの補助がありました。

今思うと、保育園や学校では狭い思いをしていたのでしょう。

「自分は、友達の親の税金に助けられて生活できているんだ」と思っていましたし、事実そう言われた事もありました。

しかし何も言い返す事もなく、その後は勉強やスポーツ、友人関係で成功体験を得る事もなく、生活が楽になるからと言いながら母は再婚して葛飾区で暮らし始めました。

 

自分の人生を深刻に考えることもなく、運良く19歳になります。

 

そして、大学1年生のときに先輩に誘われてマレーシア地方部の児童養護施設に行ったとき、僕は"今までの人生で失ってきたもの"に直面しました。

 

マレーシア地方部の児童養護施設は「子どもの家」と呼ばれ、循環型農業で自立的な経営を目指している福祉施設でした。

自立にとどまらず、さらに周囲に素晴らしい価値をもたらす地域資源である福祉となり、

「Sustainable Welfare(持続可能な福祉)」を実現するというコンセプトがありました。

 

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図は2011年時点のもの

 

このコンセプトは、僕には非常に強烈でした。

福祉施設にいる人間は「援助される対象ではなく、価値がある人間である」と言っているのです。

価値がない人間なんていなかったのです。その事に気づくまで、僕は今まで多くの事を諦め、人を諦め、自分を諦めていました。

愛情も親しみも充実感もない、とてもスレた生意気なガキでした。

今でも思い出すと黒歴史というか、「んなあぁーっ」となって奇妙なファルセットを出してしまいます…。

 

学生時代の僕は、「子どもの家」の支援にのめり込みました。

そして、学校から帰った子どもたちがコンポストシステムを運営したり、農作物を生産している姿を見て、

「人間はなんて素晴らしいんだ。誰にでも、誰かに貢献できる可能性があるんだ」と本当に掴めました。

今これを読んでくれているあなたにも、日常の自分の行為が、誰かに喜びや充実感、自信をもたらした体験が必ずあるはずです。

それ以降、人はみな価値があり、人が人のためにする仕事はすべてが素晴らしい!と信じてそれを実現する事が、僕の仕事のスタンスとなります。 

 

今の仕事

これまでは、主に3つの仕事がメインでした。

 

・高知県で循環型農業モデルの立ち上げ、生産販売

・地のものバル MUJOプロジェクトへの参画

・デジタルマーケティングのコンサルティング

 

ちなみに、これらの仕事にたどり着いたのはたまたまご縁があっただけですww

これからもどんどん新しい仕事にチャレンジしていくつもりです。

知識を覚える時間さえクリアすれば、どんな仕事でも成果を上げる事ができると信じています。

というか、価値ある人間が生み出す仕事はどれも素晴らしい可能性にあふれているので、どの仕事も面白そうに見えてしまいますw

 

マーケターになって気づいてしまった深刻な矛盾

 

しかし、ここ1年半ぐらいマーケターとして働いている中で、僕はある深刻な矛盾を抱えていることに気づいてしまいました。

そして、つい最近まで、自分はそのような矛盾を抱えていないと思い込んでいたのです。

さらにその矛盾は、人間であれば誰もが逃れられず、強烈なプレゼンスを放っていますが、自力で気づく事は非常に困難です。

 

それは思えば、今までの仕事や、人間関係において、明確に現れていました。

 

それは例えば、高知県で養鶏事業の立ち上げ時に卵がなかなか売れずに悩んでいたとき。

あるEC事業会社が「出品しませんか?」と電話してきました。

 

僕はすぐに聞きました。

「でも固定でお金かかるんでしょ?」

業者は答えました。

「限りなく0円にするよう稟議通しました!初月無料です!」

僕は「すごい!お願いします!」と答え、卵は全く売れませんでした。

 

それは例えば、人間関係において"自分がいかにスゴそうに見えるか"を気にしているとき。

自分への批判や忠告などは聞いているようで聞いていません。

その後ふと連絡がくることはありませんし、自分もふと連絡できる人は減っていきました。

 

それは例えば、マーケティング現場においてクライアントに「デジタルマーケのテクニック」を説いているとき。

心の中は、「どうせ相手はわからない」「無茶を言うな」「戦略が欠けている相手が悪いんだ」「広告予算が欲しい」という自分の声でいっぱいです。

 

自分が抱えている矛盾とは、

「自分のための短期的な利益・結果を優先して、人間の価値を否定している」という、まったく顧客を無視している無意識でした

 

利益とは、お金だけではありません。

自分は傷つきたくない。否定されたくない。負けたくない。

支配されたくない。支配していたい。間違いたくない。

無意識のうちに自分を守ろうとするあまり、「人はみな価値がある」という価値観を忘れてしまうのです。

そして、自分の商品にはまるで価値がないかのように、EC業者へ厳しいコストカットを要求し、安売りし、誰にも届かなかったのでした。

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 *当時の同僚と社長に謝りたい・・・

 

マーケティングを本当の意味でイチから勉強し直した

矛盾に気づいたのは、つい最近の長女の誕生がきっかけでした。

www.narimasa-kasuya.com

 

僕は矛盾に気付いても、またすぐにこの事も忘れてしまう!

どうすれば、元々のスタンスを忘れずにいられるだろうか!?

僕は、そこで初めてマーケティングを学ぶ本当の意味を知りました。

 

「いつでも、相手の世界に立って価値を届けるプロセスを身につける」

 

僕にマーケティングを教えてくれている福田社長がいつも、常に言い続けている事。

 

「マーケティング戦略では、やらない事を決めろ」

 

僕は、自分の小さな利益のために小さな仕事ばかりをやる決断をしていました。

モノが売れるのは結果であって、本来の目的ではありません。

本来の目的は、もともと人間に存在している価値を発見し、表現することです。

その意味をふまえて今までのマーケティング書を読むと、まるで今までとは情報の受け取りかたが違います。

最近の「潜在価値マーケティング」の概念には、もはや現代アートを見たような感動すら覚えました。

要約すると「人間は主観しかない。顧客に重要な情報を伝えているつもりが全然伝わっていないケースがあるので、思い込みを克服せよ」

と言っています。

身に染み入りまくりです!!

 

当たり前のことを当たり前に伝えるということに、人間がどれだけの研究を費やしてきたのかがよくわかります。

今は、本当にマーケティングを学ぶのが楽しいです。

(デジタルマーケター育成塾のクラスを運営する前に気づけて良かった…ww)

潜在価値マーケティング

潜在価値マーケティング

 

 

僕だけではなく、あなたも「自分のための小さな利益を無意識に儲けている」ことはないでしょうか。

マーケティングは「それは相手への貢献ではないよ〜」という自分の矛盾に気づくための考え方やスキルをもたらしてくれます。

もう、全員デジタルマーケター育成塾にきてほしいぐらいです。本気で。

 

これからの仕事

さて、マーケティングの面白さに気づいてしまってからは、僕のキャリアはさらに可能性が広がってきました。

誰かと話すたびに、色んなアイディアが飛び出してきます。

育児中ではありますが、今後チャレンジしようと考えている企画を少しだけご紹介します。

 

・人間プロダクション

人間の秘めたるパワーを表現するプロモーション事務所。彼らを世にプロデュースすることで、社会的認知度の向上、彼らのキャリア支援、人材が欲しい企業への紹介も可能。単なるインタビューメディアではない。人が人に熱狂する。

「料理人を料理する」「全国の難民と呼ばれる人」「声優・アイドルの人」「伝統芸能人間たち」など

 

・家族未来研究所

もっとも基本的な人間関係である家族の在り方を考える。男性の育休もいいと思うが、各家庭の育休を取得した後の家族関係の在り方を根本に据えたい。

家族未来サロン、家族未来キャンプ、家訓づくりワークショップ、企業の管理職への育児研修を企画中。

 

・畜産飼料の研究と実験圃場の運営

大学や企業では手が回りきらない実験を行う圃場を運営してみたい。個人的な研究テーマも検証し、論文も執筆する。

「家禽の配合飼料における籾米利用の費用対効果はアジアの農業経営にどのような影響を与えるか?」など。

 

さて、子どもが起きたのでミルクを作りますかね。

ブログを止めていたのは自分しか見ていなかったから。長女の誕生と"今ある自分"をすべて投入することについて

こんにちは!なりです。

この度、ブログを刷新しました。新しいブログ名は「僕はこれを情熱と呼ぶ」

そう、僕の大好きなサンボマスターの名曲「人はそれを情熱と呼ぶ」にインスパイアされています(笑)

 

最初はたくさん更新していたのに、いつしかこんなことを思い始め、更新をストップしていました。

 

「ブログを更新するのって面倒だな~」

「頭が良いと思われる記事が書けるまで置いておこう」

「今はブログを書くよりも勉強が大事だ!クリティカルシンキングだ!」

「そもそもブログを何のために書いていたんだっけ?」

「今やってる仕事が落ち着いたら、いつか再開しよう」

 

僕は認めたくありませんでした。

上記のすべては、「自分は良く見られたいんだー!!」といういい恰好しいな理由だったことを。

上記のすべてには、何の夢もありません。情熱もなければ、読んでくれた人の世界に何の影響も与えない。

思えば、ブログに限らず、多くの局面で、自分は自分のことばかりでした。

 

2018年の12月11日、我が家に長女が誕生しました。

退院してからは、細切れ睡眠と慣れない家事、初めての育児と個人事業の仕事の両立に悩みながらもがんばる日々。

 

妻は、「最初に言ってくれてた事と、だいぶ違うね」と僕に言いました。

僕は思いました。

(俺だって育休を取って頑張っているのに、そんな・・・どうすればいいんだ)

 

この時の僕は、自分の正しさを信じていました。

「育休を取って家事炊事、沐浴をやりながら個人事業で在宅ワークをする父親は、妻の負担を減らしているから正しいだろう!」

たしかに、僕は正しいかもしれません。でも、それだけです。

 

妻は、「最初に言っていた事と、だいぶ違うね」と言っています。

僕は、「最初に言っていた事」とは、何だったのかを思い出しました。

 

食事を頑張って作る、業務委託で収入UPを頑張る、仕事の生産性を上げる、掃除も頑張る、etc、etc…

「何のために頑張ってんだっけ?」

それは、「自分を良い夫、良い父親、良い人間あるように見せるため」でした。

何も頑張らなくても、できることをやるだけで、妻はありがとう、と言ってくれます。

そして、頑張って失敗しようが、成功しようが、長女(乃柚ちゃん)はそんなの全く気にしていません。

僕が仕事の愚痴をつぶやこうが、長女は全く気にしていません。

僕が「可愛いね~」と言おうが、長女は全く気にしていません。

僕が「ガッツ石松みたいだね~」と言おうが、長女は全く気にしていません。

 

長女は、僕が何をしても全く気にせず、許し、僕と妻に自分を全て投げ出してくれています。

僕が知る中で、何をしても自分を許してくれる人間は、赤ちゃんだけです。

自分を許していないのは、自分でした。

僕がこのことに気づいてしまった時、自分が人生の中で失っていたものが、その存在を大きく示してきます。

 

クライアントのプロモーションの相談を受けるとき、自分の知識や主張の正しさを通す言葉ばかりだったこと。そして、自分の論理ばかりで、ユーザーという人間が見えていないこと。

 

オウンドメディアの編集の依頼が来たとき、SEOを上位掲載にするためにクラウドソーシングに外注することに疑問を持っていなかったこと。そして、ユーザーは「SEOの上位に掲載してください」と言っていなくて、それは1mmも求められていないということ。

 

一緒に暮らしている義妹は、小さいころに妻が親に怒られたときに「大丈夫よ。私はしょうこちゃん(妻)のことが大好きやけんな。」と素晴らしい愛情を表現できる人間であることを忘れて、

僕は「義妹はいつまでも子どものままで、このままじゃ大人としてイカンな」などと思っていたこと。

 

人間関係において、自分に自信がなくて、自分には価値がないと思っていて、「自分はこんなやりたいことがある。夢があるんだ。どうだ凄いだろう」という"いい恰好しいな自分"を理解させるのに必死だったこと。そして、相手という人間の本当が見えていなかったこと。

 

そして、これらの全てを「恥ずかしいことです」と言って、自分は何が正しいのか分かっているフリをして、自分を正当化しようとしていたこと。

 

これが、僕がブログを更新しなかった理由です。

 

 

では、本当は自分はどう在りたいのか?

一つだけ明確なのは、

今までの自分のままで人生を終えることを、全く望んじゃいねえー!!ということでした。

 

24時間1分1秒ごとに、

「え?妻世界一可愛いくね?ヤバくね?」と思っていたいし、

子どもに「めっちゃ愛してるよ!」と伝えたいし、

友人に「お前はやれるよ!ドンと行けえー!!」と勇気づけたいし、

「今日も素晴らしい一日だな!なんて日だ!」と歓喜していたいですよ!!

そっちの人生に立つほうが、僕は本当に素晴らしいと思っています。

 

ブログのタイトルは、ふとyoutubeで流れるサンボマスターの曲に感動して、そのまま付けました。

自分を良く見せようと思ってブログを更新しない自分は、今までの自分のままです。

"今ある自分"を在るがままに表現し、"今ある相手"を在るがままに受け入れていく。

 

きれいごとだ!!と言われても気にしません。否定もしません。

気にせず、その人を受け入れます。生まれたての長女のように。

 

不可能だ!!と言われても気にしません。上手く行かないときもあるでしょう。

その時はその時にならないとわかりません。少なくとも、"今は可能であるという可能性"があります。長女の未来に無限の可能性があるように。

 

 

www.narimasa-kasuya.com

 

それでは、今後もブログ更新を続けますので、心機一転、よろしくお願いいたします。

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地方Iターンした一人っ子が実家に残した親を心配するジレンマ、そして決断

 

「は?おばあちゃん亡くなったの2日前?なんで今も布団に寝かせてんの?

早くお通夜手配するわ!!腐るよ!!」

 

僕が高知で受信した、栃木のおばあちゃんの訃報はかなりショッキングでした。

しかし、地方にIターンした人なら、誰もが思うのではないでしょうか。

 

 

「最近実家に帰ってないなあ」って。

だって田舎の方が実家っぽいですもんね。

 

 

本日は、そんな誰もがぶち当たるIターンと家族との関係をちょこっと書いておこうと思います。

 

僕を心配する親を心配する悶々としたIターン生活

 

 

僕の実家は、東京都葛飾区の下町。

 

www.narimasa-kasuya.com

 

両親は60代ですが、2人も体調はかなり悪いようでした。

一人っ子の僕を心配するあまり、毎日電話をかけてきていました。

 

 

「身体のどこそこが痛い。毎日あんたが心配で眠れない。病院に行くのに金がかかる。」

 

 

一人っ子の僕は、このまま高知で暮らしていていいものか考えていました。

「もうこれはいよいよヤバいな。この歳で介護生活はイヤだなあ」

 

と思っていたけど、正直毎日電話するのやめてくんねーかなと思って、だんだん無視しがちに。

そんなある日、父方のおばあちゃんの訃報。

 

父親は半分呆けていて、亡くなって2日間遺体が放置されていたことに、

僕と母はめちゃくちゃショッキングでした。

いやいやいや、ヤバいヤバいそれヤバい、とお互い語彙力が女子高生になるしかありませんでした。母のJK化(!!)も胸に来るものがあります。

高知にいる僕と母は緊急に連絡を取り合い、

僕は高知から葬場に予約を入れて、母には親戚に連絡してもらいました。

 

すぐに飛行機に乗り込んで東京から栃木にレンタカーぶっ飛ばしてる時に思いました。

 

 

「ああ、これは俺戻ってこないと いかんわ。」

 

 

高知から東京に戻るのを躊躇う日々

 

 

でも僕は、家族を理由に東京に戻るのを、数ヶ月ためらいました。

理由は、次のようなものでした。

半分ぐらいは、Iターンの人ならわかってくれると思います(笑)

 

・あまりにも反論できない理由だから、自分の意志が入り込む余地がほとんどない。

・本当にこのまま現場を離れてもいいのか?中途半端じゃないか?

・高知での仕事が面白くなってきたけど、やめなきゃいけない。

・東京で暮らすのって普通すぎじゃない?それがいやで地方に来たんじゃないのか?

・高知の暮らしと出会った人たちが独特の楽しさなので離れたくない。

・まだ世話になった人たちに何も恩返しできてねえええー!

・東京に戻ったら、もう農業と東南アジアに関わる機会は激減するのでは?また遠回りするのか?

 

特に、これをずっと考えていました。

・あまりにも反論できない理由だから、自分の意志が入り込む余地がほとんどない。

自分が何を幸せと感じ、何を楽しいと感じるのか、

それを無視した決断は、絶対に後悔することを、僕は26年間学んで来たのです。

特に、外部要因が大きい時ほど、自分の内面をよく観察しなければならないと思います。

 

僕は、何を大切にして生きていたいのか?

家族?仕事?高知での暮らし?人との繋がり?

ダメだ。曖昧すぎて、どれも自分にはイマイチしっくりとこない。

 

最終的に自分が納得できたのは、夢を実現するために生きることでした。

 

別に夢なんかじゃなくてもいいんですけど、

ここが明確じゃないと、そのあとの自分の行動がほとんど外部要因に決定されます。

家族という大きな理由は、僕のその後の行動を決定づけるには十分すぎる理由でした。

 

 

自分の意志に反した行動には従いたくなかった。

 

 

ぶっちゃけた話、「1番大事なのは親だろ」なんて、緊急時以外でも誰もが本気で思っているわけではないのです。僕はそうでした。

もちろん親は大事ですが、

それは自分がそうしたいからであって、そうしなければならないとなった瞬間にただの観念になるのです。

観念からはエネルギーは生まれない。

 

一人っ子の人が地方Iターンで暮らすのに迷っている時、こんな選択肢もあることを考えてください。

 

 

ゴールが明確なら選択肢はもっとある

 

①地方が求める仕事は、都心でもできる

 

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「生まれた環境に左右されずに、人が未来を生きられるようにしたい。」

僕が高知での社長はゴールが同じだった。それだけでした。

最後にも、会社に伝えました。

「ゴールが同じだから、これからも一緒に仕事していたい。東京でもできることがあると思います。」

だから、東京に戻って来た今の方が、むしろ電話しまくっている感じがします。(笑)

 

広島での鶏卵販売が決まって、販売するまでの段取りとか。

お仕事詳細のご案内①〜独自性の高い平飼い地鶏卵の法人卸し承ります〜 - アジアのひかり

 

「インドでの養鶏指導に必要な情報を集めなきゃいけないんだけど、ミーティングできる?

ていうか、インド行く?東京でVISA取ってくれん??笑」

なんて会話もあります。(笑) 

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もし、目的があって地方で仕事している人がいるなら、これは強く言っておきたい。

地方移住するだけが選択肢じゃない。

むしろ、東京で得たスキルをまた高知と東南アジアで活かす気満々、ワクワクです。 

 

②フリーランスで2拠点生活

 

「そんなの固定費がかかりすぎて非現実的だ!!」

と思う人が多いでしょう。僕はそんなことないと思います。

 

 

ほとんどの場合、都心では実家で家族と折半した方が家賃が安いです。

また、田舎の家賃は、都心の3分の1ぐらいが相場。

つまり家賃固定費はそんなに高くないのです。

例)東京4万円/月+地方3万円/月=7万円/月

これって、東京の一人暮らしとほぼ変わらないですよね?

 

しかも、田舎の変動コストはっきり言って安いです。収穫シーズンは、日給と「おすそ分け」だけで生活できちゃうときもあります。

 

さーらーに!!WEB関連の仕事は東京で稼げます。

東京で35万円/月稼ぐのと、地方移住して20万円/月稼ぐのじゃ、全然違う。

交通費ぐらい余裕で出せそうですね。

それに、地方の家をシェアハウスかゲストハウスにでもしてみなさいな。

宿泊費だけで交通費ぐらい出ると思いますよ。

 

僕はフリーランスの生き方しか知らないので偏っていますが、

他にもいろんな選択肢を取って生きている人がいます。

まずは、そんな人たちに会いに行きましょう。

 

やっぱり、高知のあの場所でしか味わえない人との時間がある。

早く帰りたいなあ、高知。

 

Iターンは手段であって、ゴールではない 

  

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結局、いつも言ってることですけど、僕は出会いに恵まれました。

「高知で農業しようよ!!」と言う大人たちではなく、

 

「高知の未来を作るのは人だ。彼らがどこに行っても成果を出せるようにする。」と言う大人たちが周りにいてくれたおかげ。

 

地方移住は手段であってゴールではないんですよね。

むしろその環境でどう過ごすか、何を目的として生きるのかがないと簡単に外部要因に飲まれてします。

だから、自分の目的と価値観を大事にしてほしいと思います。

 

 

僕は、今はフリーランスで東京の実家で仕事しながら家族と過ごして、

週末は地方行って、たまにインド行って、みたいな日々を過ごしています。

父親の生活態度を改善するために区民農園で畑もやるですぜ!!

さらに今後は、1ヶ月ぐらいどっかの農場で技術習得に出張する予定です。

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今となっては、高知から東京に戻ってきてのびのびやっています。

実家の両親も気が抜けたように落ち着いてきて、

一緒に韓国旅行したり、

僕がトイレ掃除をやってると口開けて驚いています。(し、失礼な!)

明日は晴れそうだから、一緒に区民農園の野菜でも見てこようかなあ。

 

終わり。

あ、フリーランスになった経緯はこちらをご覧ください。

この時期、「新卒 退職」で検索されているみたい(笑)

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④東京から高知、東南アジアに至るまでの話〜青年養鶏家の藍色のランチョン日記と引越しの決意〜

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高知の山奥、三原村。

養鶏場のウッドテーブルで、2人の男は沈黙していた。

皮肉の余地がない青空と陽だまりが、

動物愛を振りまくこの男のニヤケ顔が、

ウッドテーブル上に行儀よく置かれた藍色のランチョンマットが、

僕には無性に腹立たしかった。

 

当時24歳の僕は、20歳上のベテランの男に、言い放った。

 

「F田さん、あなたが今しなければならないことは、僕たちの信用を取り戻すことです。

最後です、現場に出てください。最後に本気でやるなら、僕は付き合いましょう。」

 

「そうだな・・・お前の言う通りだよ・・・」

 

僕は、偉そうにこんなことを言える立場ではなかったが、言わずにはいられなかった。

今思うと、自分の夢を守るのに必死だったのかもしれない。

 

農業の業務提携とは、かくも難しいものなのか。

僕は、この養鶏場で過ごした楽しい日々をできるだけ思い出そうと、

iphoneのアルバムを開いた。

 

高知県の山奥、三原村の日々は驚きと感動がハプニング!!

  

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なぜ僕が養鶏場に住み着くことになったのかは、前回の記事をご覧ください。

ひかりプロジェクトが養鶏事業を始めるにあたり、

業務提携先として選んだのは山奥で放し飼い「しゅりの里」というところでした。

高知市から車で西へ3時間半ぐらいぶっ飛ばして到着する魔境秘境です。

 

ここでは、毎日を生きるために生きていかねばなりません。

「私の人生ってなんなんだろう」とか青年期の甘い自己陶酔に浸ってる場合じゃない。 

 

まず、正午。

「久々に缶コーヒー飲みてえ〜!」と思い立ったが吉日。

車を20分走らせてようやく自販機が見えてくる。

日によっては、林業の筋骨隆々たる男たちとトラックに「帰れ」と言われる!

「いや、林業の仕事規模がすげーわ!!帰るよ!!」と言わざるを得ない。本当にすごい。Men of men!ペスカトーレ!!

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養鶏場には、夜の害獣対策のために犬と猫たちがいます。

物音ひとつしないあまりの暗闇の中では、彼らはものすごく心強い・・・

夜が怖すぎんだよ!!お遍路さんの魂とかありs・・・

 

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はい!そこの鋭い人!思った通り、一斉に出産しやがりました!!

可愛いけど、うるせえええ可愛いいいい誰かもらってくれええええ

この頃、僕のiPhoneは画像と動画で容量瞬殺です。

うう、離れるのさびしかったよ。。。。

 

引き取り手に子猫を泣く泣く引き渡して、

明日は友人が遊びにくると言うので、食材の調達に向かう。

 

まず、ほとんど棚に商品がない個人商店で、獣とどぶろくの匂いがするオッチャンを待ち伏せして声をかける。

*どぶろく=自家製違法酒。販売禁止。

 

僕「すみません、どぶろくと猪肉が欲しいんですけど、持ってませんか?」

 

おっちゃん「おお〜、持っちゅうよ!」

 

僕「あ、卵作ってるんですけど、食べませんか?

 

おっちゃん「おお〜、家来るか?

 

こうして僕は、無難にどぶろくと猪肉と大量のブロッコリーをゲットし、卵を渡して、

帰省中のおっちゃんの娘が残したメモを眺めて、談笑の後に別れた。

「変えちょって」って、なんか可愛いですよね。

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翌日、友人を迎えに行くと、帰り道のコンビニのベンチで若いお遍路さんが座っているじゃないですか。

 

僕は「お疲れ!君いくつ?肉まん食べる?」と、声をかける。

都会では完全に不審者

 

お遍路さん「いやあ、これから宿を探しに行くんですけど、この辺あります?」

 

僕と友人は、「この辺何もないよ!うちらの家に泊まりにきなよ!!」と初対面の人に言い出す。

 

若くてスラリとしたお遍路さん

「え、、、でも、、、」と言いながら、強引に僕たちに車に乗せられる

何しろ、通り道には灯も、人気も、家も、本当に何もないのだ。身を案じてのことだった。

 

「この村はどぶろくが有名だからね!飲んで行きなよ!」

*どぶろく=自家製違法酒。販売禁止。

*若いお遍路さんの年齢未確認。

*イノシシ肉もあった。

*若いお遍路さんの性別=男(右)

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大学中退して就職したボクサーのリュウセイくん、今はどこかの島でガイドさんをやっているのだろうか・・・そろそろ行かなきゃいけないな。彼に会いに。

 

他にも、嵐の中自転車で山奥まで僕に会いにきてくれたバカ者「Okamiくん」

BBT大学で勉強しながら旅してんだから、すごく羨ましい時代に生まれたよなあ。。。

jitensha-hoken.jp

 

さて、写真の真ん中の彼は、実は知る人ぞ知る必見のメディア「ありんど高知」の編集長。

名前は「しおちゃん」

もっと高知が好きになるWebメディア - もっと高知が好きになるWebメディア-ありんど高知-

 

彼とは、別日に養鶏場の近くにあると言われている伝説の柏島」にも行ってきました。(車で40分ちょい!)

心が荒んだ時、一人でよくこの海を眺めたものです。

 

「しおちゃん」の誕生日には、

三原村で獲れたイノシシの肉ケーキをプレゼントしました。

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休日は、養鶏場近くのハンバーガーショップでアベマリアを聴きながら過ごします。

ああ、、、生きてるって素晴らしい!!

 

だが、ハプニングだけでは東南アジアには行けないのです。

外部の人と話すたびに、「このままでいいのか」と一方、僕は思っていたのでした。

 

来訪があるたびに失われていく真実

 

意外にも、たくさんの来訪者がいました。

京都産業大学の学生たち

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菅元首相。

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雑誌ソトコトの取材記者。

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シェアビレッジの武田さん。

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そして僕の友人たち。

独白します。

僕は、自分の暮らしがいかに楽しいか、意義のあることかを話さねばなりませんでした。そうしないと、この山奥での暮らしにはとても耐えられなかったのです。

 

来客対応の時は、主に提携していた「しゅりの里」の代表が話していました。

 

「ここは何もない森林で、一から開墾したんだ。この家も自分で建てた。浄水装置も、南米で自分が編み出したんだ。自然養鶏っていうのはね・・・」

 

このようなことを話すと、みんな「おお〜!!」と感嘆するのです。

 

しかし、僕はその時最大のストレスを抱えていた。

人間の裏側を見るときに、言葉は役に立たないと痛感した。全てをぶち壊して、何もかも投げ出したくなったのです。

 

真実とは何だったのか。

 

4つ、養鶏の現場を訪れたときに見ることができないポイントを例として挙げましょう。

その鶏舎での死亡率、産卵率、利益率、整理整頓です。

・死んだ鶏の数はわからず、対策も特にない。

・産卵率が下がり続けているのに、配合飼料は変わらず給餌される。

・産卵率が下がって悪化した利益率を改善するための手段がどん詰まり(詳しくは裁判所でお調べください)。

・物が定位置になく、散乱している。

 

もちろん、僕もできていないことは多くあります。

しかし、改善しようと努力する姿勢はあります。だから気づくことはできる。

 

僕たちは、未来を創る仕事がしたかった。

でもここは、過去を見つめている行き止まりのような気がした。

 

いつも思うのですが、「生産者の顔が見える」写真って、なんの意味があるんでしょうか?

生産者の笑顔と言葉をみて、「ああ、この人は信頼できる、美味しいはずだ」なんてもう生涯思えない。

見るならその人の畑、現場、数字、そして取り組む姿勢を見たいし、見せたい。

言葉なんて、現場を見せなければどうとでもごまかせる。

本当に信用できるのは、学術論文書と現場だけだ。 

 

前回の記事でも述べた通り、素人が真実を知るには、鵜呑みではなく勉強が必要です。

③東京から高知、東南アジアに至るまでの話〜ズブの素人がなぜか高知の養鶏場で直面した謎と現実〜 - アジアのひかり 

言ってしまうと自分が被害を受けてしまう、鶏卵販売へのツッコミ - アジアのひかり

 

でも僕は、来訪者がくるたびに、真実を言うと愚痴になるのでは、と良いツラしてたんです。ごめんよ。

 

「あなたをもう一度信用するには、現場に出てほしい」と言った言葉は届かず、

「しゅりの里」は産卵率が悪化していく原因もつかめず、提携先である僕たちの生産と販売はどんどんおざなりになっていった。

僕は、自分の会社の鶏たちの生産を守りながら、養鶏技術を東南アジアに伝えるための研究にこもりきり、勝手に卵の営業もし始めた。

 

かくして、僕は提携先の養鶏農家に対して、距離感を持つようになっていった。

 

当時の僕がすがるものは、もう、夢と仲間しかなかった

 

自分で突き放したくせに、ほぼアウェーな環境に、さすがの僕も少し参っていた。

少し前から「しゅりの里」に追加派遣されてきた同僚がいなかったら、本当に参っていた。

 

同僚の彼は、素晴らしい夫になる可能性を秘めている。僕がボラをもらってくると、

「気持ちわり〜!ボラとか食わないからね普通!」とか言いながら刺身をつまみ食いし、

「やばい美味すぎるわ。俺が間違ってた。え!?カラスミ作れんの!?ごめん、ボラ。」と訂正する素直なやつです。(笑)

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同僚は身体を使うのが得意で作業も速く、

僕は養鶏技術をロジカルに探求していくという役割分担ができてきた。

世界中で役立つ畜産技術は、僕たち自身で習得せねばならない」と思い始めていた頃で、文献解読に集中するのに本当に助けられた。

また同い年ですが、僕の方がわずかに7ヶ月社会人として経験者で、この時いつも思うことがありました。

 

「こやつの最初のキャリアを、この養鶏場から始めちゃだめだ。」

 

生意気にも僕はそう思い、前職で鬼のように仕事をしていた上司の言葉や見習うべき考え方を毎日伝えていました。

同僚がおらず、僕一人だったら潰れていたでしょう。役割分担ができて、唯一、現場の表と裏を知り尽くし本音で話せる相手でもありました。

 

四万十町(ニラの生産現場)での売上にも助けられていました。

僕には、養鶏をいきなり黒字化するのは無理だった。まあ、色々理由もあったけど(裁判所に聞いてくれ)、特にそれを詰めずに会社の仲間が支えてくれていた。

 

現場を移す決断

 

日増しますます撤退するべきだと強く思うようになりながら、

しかし、僕らだけで本当に生産できんのか?

現場を移すとしても、やはりプロを入れた方がいいんじゃなかろうか・・・?

と自問自答をする日々。

 

そんなある日、ついに社長が決断した。

今思い出しても、会社史上で最大のリスクテイクだったんじゃないかと思う。。。

僕がここまでやってこれたのも、自分にリスクを賭けてくれる大人たちがいたことがとても大きかった。 

 

 

「粕谷くん、現場の場所を四万十町(ニラ生産現場)に移すき。うちらだけでも絶対やれる。今の現場は撤退しよう。」

 

 

うちらだけでやる。

まだか。まだチャンスがあるのか。まだやれるのか。

 

僕たちは、次にやるべきことを思い浮かべた。

四万十町で土地を探して、近隣住民に養鶏の許可を得て、水や電気を用意して、鶏舎を建築して、初期投資はどうする、いつ回収できるか、飼料配合倉庫も整えなければ、、、あ、役場にも根回しせにゃ、

うああ、やることめっちゃある。教えてくれる人はもういない。

どれもどうすればいいのかまるでわからん!!

 

 

でも、僕は待ちわびたように答えた。

 

 

「やってやりましょう。」

 

 

こうして、藍色のランチョンとともに、僕らは現場を引っ越すことになった。

 

次回は、「畜産の新規参入はもはや日本では不可能に近い!!」

をお送りします。

どうして情報伝達の速い時代に地域現場のリアルが都市部に届いていないの?〜インダストリーラフティングで伝えたいこと〜

 

「ここまで現場に突っ込んだ話が聞けて面白かった。知らないことがたくさんあった。話の中にあったところ、行ってみたい。いつならいい?」

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先日、僕が関わっている

世界の「子どもたちの支援」と「青少年育成」、NPO法人CFF(シーエフエフ)

の事務局で、僕は高知の農業現場で感じていたこと、これから準備して実現していくことを、15人ぐらいに2時間しゃべり倒した。

参加者の方々は1時間お互いの考えをしゃべり倒し、合計3時間の長丁場に耐え、それぞれ得たものがあったらしく、次の動きが出始めていて内心かなりホッとしています。

 

一方で、ずっと感じていた違和感があった。

今までも赤提灯揺れる飲み屋でしゃべくったことはあるが、改めてちゃんと伝えて、返ってきたリアクションを見て思った。

 

 

・・・会場がもっとも盛り上がったと感じたのは、高知での具体的な現場でのエピソードや、実際に起こった課題、それらを解決するための動きだった。

 

例えば、

僕が養鶏で一番困ったのは、夏場に鶏が弱ってしまう時期の飼料配合をどうするかだった。これに関しては、和歌山県のとある養鶏農家の技術提供がなかったら解決にもっと時間を費やして事業が頓挫してしまっていたかもしれない。日本の研究はパターンが少なく、僕らの現場にそのまま当てはまることなんて稀だからだ。

しかし、老齢の養鶏農家は後継者もなく事業を終える。その膨大なノウハウやデータが書かれた日本の宝「養鶏日誌」には、どの文献にも記載されていない現場で得た答えが記されている。騒音による産卵低下を防ぐ技術なんて、行政機関では研究不可能だ。

僕たち(個人的には?)は、これからも各地域の養鶏農家のデータと繋がって、ICTで残していく。このデータは、日本が世界に提案できる最後の技術だと思っている。この技術が、日本の田舎と世界をつなげていく・・・。(以下、詳細は割愛)

 

これは、取り組みの中の一つで、他にもいろんな話をして終えたところ、

ある女の子(最初にアクションを起こすのは現代ではいつも女性だ。しかし、彼女たちがCEOになるのを日本社会は許さない)

が、

 

「今までもなんとなくは知っていたけど、現場の現実的な話は初めて聞いた。これからできることがいろいろあるように感じた。実際に〇〇に行ってみたい!」

 

と言ってくれた。

 

僕は逆に、驚いた。

嬉しい反面、こんなこと話しても今更な人もいるだろうに、と思っていたからだった。

 

「なんで他にも開示されている情報がこんなにもあるのに、現場のリアルを知らない人が多いのだろうか。企業秘密なんて悠長なこと言ってるフェーズじゃあるまいによ。」

 

地方の現場の人が発信するのは現実的ではない

 

実は、情報を伝えるのに色んなハードルがあるんですよね。

 

①行政関係者は、ポジティブな情報しか発信できないので当たり障りない「ほんわか記録」になってしまう

彼らは、国民の税金で食っているので、ネガティブなことを言うと有権者からのクレームが怖い。また、行政の研究機関も、長期的に失敗する研究はしない。短期的に、成果の上がる研究になる。

現場の失敗や課題などはサラッと流され、本当に向き合うべき価値ある研究は予算がつきにくい。

 

②現場の人は情報発信にリソースを割く余裕がない

名前は伏せるが、ある新規就農家は農作物を作りながらあちこちのセミナーやイベントに顔を出していった。しかし、その結果現場の管理がおろそかになり、地域の信頼を下げ、継続困難になった。今、彼がどうしてるのかは知らない・・・・。

現場でやることはたくさんある。生産の仕入れ、現場管理、出荷作業、販売営業、会計などetc.....

その上で情報発信が的確にできる人は、

「まだ東京で消耗してるの?」でお馴染みイケダハヤトさんみたいな鬼ブロガーか、

現場レベルが高くて、かつマネジメントが上手い久松農園サラダボウル、などのレベルになる。

専門性と言語化が非常に面白い自家製天然酵母パン&クラフトビール&カフェのタルマーリー

事実、僕が経験してきたことをブログで言葉にし始めたのも、現場を同僚に任せて離れてからだった。

在籍時代は、主に社長があちこち外部との折衝をほぼ一人でやってくれていた。株式会社というチームプレイだったからこそ為せたことだと思う。

 

③そもそも、言語化がなされていない

第一次産業の数値化・言語化は過去も今も課題だ。生産者同士では言語でのやりとりが可能だが、お客さんとの対話になると、なぜだか「こだわり」「自然な」「美味しい」「ビタミン何倍!」となる。

農業現場の要因の多さ、複雑さ、作業の細かさは、とてもわかりやすい言葉で説明するのは難しい(てか不可能?現場に来てくれるのが早い。)。

共通の言語化は、僕らにとっても大きな課題です。

 

各地の現場と都市部の人をつなぐ情報発信

 

僕自身、別に地域の情報発信をしたいと思っているわけじゃないのであまり詳しいわけではない。

しかし、もしかしたら、その道の人が見たらかなりナンセンスなことを言っているのかもしれない。その場合は、ぜひその人の情報発信を勉強したいと、今は思う。

 

現場の深い話を未経験の人たちと対話することは、とても大事だ。

僕たちも最初はそうだったように、彼らが抱く素朴な疑問は、生産・販売にとってたくさんのヒントがある。 

僕はその疑問に対していつでも現場から一次情報を持って来て答えたい。いつだって答えは現場にある。知ったかぶりや畜産理論を振りかざしてマウントポジションをとってボコボコにトークしたり、記事にして欲しくない。真摯に、彼らとの対話の機会を大事にしたい。

現場と都市部をつなぐ企画を展開・発信している小谷あゆみさんの活動や、

現場に深く根ざした灯台もと暮らしのようなメディアが、これからもっと大事になってくると思う。

また、株式会社のようにチームプレイによって伝えられる量・質が上がってくる。

 

 

あ、忘れてました。

そういえば、7月21日(金)19:00から、新宿にて

ONEれいほく | 高知のNPO法人の事務局長(男 21 or 22歳?)が来て、

僕と参加者が対話する機会を設けてくれると言う。

イベント名は「インダストリーラフティング

 

ありがたい機会なので、ぜひ来場された皆様と一緒に勉強したいと思います。

仕事は何をしているの、と聞かれると僕は戸惑って夢を語り出しては空気をぶち壊すのでサルベージ求む

これは出会い頭に聞かれて僕を追い詰める10の質問ランキングで、常に第2位を張っている。

 

「で、今仕事は何をしているの?」

  

なんだなんだ、この人はどんな意図でいきなりこんな質問をしてくれるのだろうか。

いきなり枝葉の話をしてこの人は満足してくれるのだろうか・・・?

見知らぬ土地で「あなたが運転するバスはどこに行くのですか?」と聞いて、

大歩ですと答えられて、「え?ごめんもう一度言ってくれる?」と微妙な表情になりはしないだろうか?

*大歩(わご) - 茨城県猿島郡境町

 

想定①:別に何をしていようが興味ないが質問している

この人はいきなり壮大な矛盾を投げかけている。興味がないのになぜ質問してくるのか。きっと一つのユーモアなのだ。何を答えたところで、「ふーん、あっそう。死ねば?」と返すつもりだ。そうならば、むしろ「全然興味ないのになんで聞いたん?!生きるわ!」とツッコミ、お互い笑う、別に何をしていようとお互いの存在があればそれでOKというアットホームな関係になれる気がする!

よし!

 

僕「高知から循環型農業の普及、及び農産物の販売。あとはプログラミングとWEBマーケティング。川上から川下の地域農業モデルを海外に展開します」

 

「へえ〜、色々されているんですね」

 

な・・・!ツッコミづらいぞ!?

これは、「どういうことですか?」と相手が聞いてくれるのを待つしかないという待ちの一手!聞いてくれるのか!?

たまに、食や農業に興味があるので詳しく聞きたいと言ってくれるサルベージ精神溢れる海人たちがいて、僕は彼らを崇め尊敬している。いつも掬って(救って)くれてありがとう。それを期待して、このまま詳細を話し続けてもいいのだろうか!?

しかし、その後会話は進まず、喫茶店の冷房温度は低下し、寒いのが苦手な僕は沖縄の海に思いを馳せ、変わらず寄せては引いていく波音を再生して落ち着きを取り戻し、私は貝になりたい。

 

結局、「How about you?」とカナダ人にならざるをえない。

 

 

想定②:僕がふらふらと仕事していないのではないかと心配してくれている

心配してくれるなんて、素敵な友人じゃないか。だとすれば、ちゃんと仕事していることをスケジュール帳を見せながら話さねばなるまい。しかしいけない。7月のスケジュール帳には解読不能な文字で

 

「7/8 サステイナブル大塚」

「7/21 オモローで農業現場スピーチ」

 

としか書かれていない。

これで「なるほど〜!」と言ってもらうためには、お互いにスタバでダベる女子高生の精神的な悟りがないと不可能だ。・・・できない。リスクが高すぎる。少なくとも僕はスタバでダベる女子高生の精神的なそれを持ち合わせていない。

僕はスタバでダベる女子高生の精神的なそれが欠落した人間なんだと思うと、喫茶店の冷房温度は低下し、寒いのが苦手な僕は沖縄の海に思いを馳せ、変わらず寄せては引いていく波音を再生して落ち着きを取り戻し、私は貝になりたい。

 

結局、「How about you?」とニューヨーカーにならざるをえない。

 

 

想定③:僕をスカウトするつもりでいる

 

間違いない。

僕がプータローなのを確認した上で、スカウトするつもりだ。しかし、残念ながらすでに着手している仕事はある。

・・・なっ、そうか!仕事があるならそれで年収を見極め、僕を結婚相手としてスカウトできるという隙を生じぬ二段構えの質問なのか!?出会い頭で僕をそこまで評価してくれているなんて・・・もう相手が男でも構わないじゃないか。そうだ。結婚しよう。

 

しかし、「じゃあ仕事変えちゃったらこの人は僕と離婚するのか」という疑問が頭から離れず、「う、、と、、えーと」を繰り返し戸惑う自分はスカウトリストから高速で除名され、喫茶店の冷房温度は低下し、寒いのが苦手な僕は沖縄の海に思いを馳せ、変わらず寄せては引いていく波音を再生して落ち着きを取り戻し、私は貝になりたい。

 

結局、「Y usted?」とメキシカンにならざるをえない。

 

どう答えるのか

 

僕は答えます。

 

「生まれた場所で未来が限定される社会を変えるための仕事は問いません。今はご縁があって農業、WEB系、それ以外の仕事もしています。」

人によっては、「いきなり夢を話されても、、、」と訝しげな表情をされますが。

 

「多動力」というワードがバズっているようですが、僕の性格もそのようで、仕事の種類にこだわりはありません。方針さえ合っていれば、なんでもいいんです。どこにだって飛び込みます。

もちろん、一つ一つの現場を深く知ることは大事なことです。答えは全て現場にあるから。

自分はどんな能力を持っているのか、

その現場にはどんな一次情報があるのか、

 

大事なのは、自分の想いは何か、というだと思います。そこに、自分の特性や経験、ご縁が繋がって枝葉ができていく。今、26歳の僕にとって仕事はたまたまなんです。

そこで出会った仕事が、また夢を広げて進めてくれているなあ、と痛感しています。

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だから、僕はひねくれた質問をします。別に崇高な目的や肩書きなんか求めていないです。時間を割いて出会った人がどんな人か知りたいだけなのです。

 

「あなたは何を大切に思って今を過ごしていますか?」