日々のこと
雨です。台風です。
今日はまだ関東地方は大丈夫そうだけど、明日がよりにもよって早番なので不安。いっそのこと、お店休みにしてほしい。
さて、今の職場に入社して一ヶ月が経ちましたが、未だに届かない保険証と年金手帳。
不安になって先日本社に問い合わせたところ、もう間もなく……とのことでしたが、こんなに時間かかるものだったろうか保険証の発行とは。
遅くても二週間くらいで届いていたと思うんだけどなあ。
というか、本社に問い合わせた二日後に「健康保険被保険者資格証明書」を持ってきた本社人事部。
初めて発行してもらったんだけど、これ持ってたら病院とか行っても保険証の代わりになるんだよ、ね……?
取り敢えず保険証以外身分証がなかった私としては一安心なのかな。
そんなこんなで、今日も仕事。
今日はさすがに暇そうだなあ、と思う。
夜も引きが早そうだし、早く帰りたいな。
雨のせいでつま先がちょっと冷たい一日の始まり。
日々のこと
お休みです。二連休。
休日くらいは寝坊しよう!と思っていても、8時には目が覚めてしまうあたり、なかなか健康的な日々を送っていると思う今日この頃。
先月頭くらいから毎日浴びるように飲んでいたお酒を止めて、仕事が終わったら基本的にまっすぐ帰宅。おうちで翌日のお弁当の中身を作ったり準備をしてから夜ごはんを食べてシャワーを浴びて。
う~ん。未だかつてないほどに、まともな生活を送っている……
今の仕事は昼も夜も割りと忙しい職場なので、疲れ果ててお酒を飲もうと思ってもあまり入っていかないっていうのが実際のところなんだけど、結果、非常に体調も良好で目覚めたときの体の重さが違う。
酒ばっかり飲んでた時は、体がだるいし重いし辛いし痛いしで、昨晩調子にのって明け方まで飲みまくっていた自分をぶん殴りたい衝動に駆られるのは毎回のこと。ついでに二日酔いではなくまだ酔っ払っているような感覚のまま急いで準備して出勤というクズ人間だった。
販売接客業にしか就いたことのない私は、毎日上司からくどくど言われ前職では店長直々の嫌がらせに遭いお客様の理不尽な要望に胃を痛めそれでも接客が好きだしリピーターになってくれるお客様もいるし辞めたくないけどこのストレスはどうしてくれよう……
と思っていた矢先、見つけてしまった家の近くのバー。
地元の方ばっかりで正直最初は入りにくかったけど、何度か通ったらあっという間に知り合いが出来て、いつ行っても誰かしら話す人がいて気がついたら毎日通うようになっていて、という具合に酒浸り生活になっていて、滞在時間もどんどん長くなって、翌日の仕事のことも考えず飲んで翌朝(というか数時間後に)後悔しながら出勤して、今日こそは飲まずに帰る!と帰りの電車の中でまで意気込んでいても気づいたらバーの扉を開けている不思議。
まあそんな生活続けていれば体調崩すのは当たり前でいつまで経っても治らない風邪のような何かを患ったことと、転職をきっかけにお酒を控えるようになり、今ではすっかりお酒なしでもストレス発散出来てる気がする。
バーで知り合った素敵な仲間たちとは、たまに普通に会って食事に行ったりするので寂しいとかいった感じではないけれども、そのバーでしか話せないような年上の方だったり珍しい職種の方だったり思想がなかなかに偏った方とお会いできないのは残念な気もするので今度久しぶりに行ってみようかな。
アル中の域だった私ですが、今のところ節酒に努められているのでもう少しがんばりたいな。まだまだお酒を飲むと、周りより飲む量が多いようなので徐々に量も減らしていきたい。
そんなこんなで最近読んだ本。
根津神社
ダイアリーの方に上げていたものをこちらにも。
先日用事があって白山へいってきました。 昔通ってた学校が近くにあるのでちょっと懐かしい気持ちで町をふらふら歩いてみると、町並みまでは変わらないものの、あーここにあったお店がなくなってるーとかこんなとこにコンビニあったっけ?と少しだけあの頃とは違ってしまったんだなあ、と少しだけ寂しい気持ちになってしまったり。 せっかく白山まで出てきたのだからと、少し足を伸ばして根津神社でお参りもしてきました。 と、そのまえに。 はらごしらえに茶そば。 それと勢いで頼んでしまったアイスグリーンティ。 普段はお酒以外は冷えたもの飲まないんだけど、炎天下の中歩き回ったこともあって、つい注文してしまった。 本当はこちらに行きたかったけど混んでたので次回はこっちで。
- ジャンル:うどん
- 住所: 文京区根津1-23-16
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- (写真提供:元ドカベン)
日々のこと
お仕事を辞めることに。
仕事自体は楽しいしやりがいも感じているけれど、毎日毎日上司のご機嫌伺いながらの仕事は非常にもどかしくて、やりたいこともやれずじまいで、残業減らすようにと本社指示が入ってからというもの、毎日勤怠を入力してからサービス残業で。
きっと世の中の社畜様やブラックで働いてらっしゃる方に比べたらチョロいもんなのかもしれないけど、「生きるために仕事をする」から「仕事の為に生きている」になってしまっていたことに気付いて、地元で暮らしていた時は不便で何もないド田舎で毎日退屈だ~~~と思っていたのがどれだけ幸せだったのか、と改めて思ってしまったからですが、もう辞めることになったので暫くは幸せってなんだろ…と先のことを考えなければならないね。
そんでここ最近で読んだ本たち。
- 作者: 堀口大學
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/05/17
- メディア: 文庫
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- 作者: 小林泰三,森山由海
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2014/01/25
- メディア: 文庫
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- 作者: 島田荘司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/03/13
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- 作者: 友成純一
- 出版社/メーカー: アドレナライズ
- 発売日: 2013/06/07
- メディア: Kindle版
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避難生活
13日朝、全く寝た気がしなかった。
こたつで寝ているので体中が痛む。喉が乾く。
午前5時、家族会議を開き、福島市へ避難することを決めた。
すべての電源を抜き、ブレーカーを落とし、少しの食料と水、毛布、お金、通帳を持って、飼い猫2匹を連れ、着の身着のまま家を出た。
きっとまた戻ってこれると思って家を出た。
福島市までの道中、家族みんなが無言だった。
先のことを考えると不安しかなかった。
福島市はたくさん人が避難してきていたようで、二カ所ほど避難所を回された。
どこもペットは不可なので、私たちは避難所の駐車場で車中泊だ。避難所では毛布と少しの食料が配られた。水は福島市でも出ないようだ。
その日の深夜に猫が1匹車から飛び出していなくなってしまって、寒い中何度も何度も探した。
結局翌日の昼になっても見つからなかった。
そして三号機が爆発した。
福島県民は三号機がどれだけ危険か知っている。
三号機はプルサーマルで使用するMOX燃料を使っている。使用済み核燃料から取り出したプルトニウムとウランを酸化物の形で混合させて作るものだ。
MOX燃料はウラン燃料と比べて中性子が著しく高く危険度が高いといわれ、中性子は金属や30cmのコンクリートでも簡単に通り抜けるといわれているものだ。
私は詳しいわけでもなんでもないが、原発の付近に住む人間として危険なことくらいは知っている。
行方不明になってしまった猫には本当に本当に、謝っても謝りきれないほど、何をやっても償いほど申し訳ないが、もう1匹の猫を連れて会津若松へ避難することにした。
道中、涙が止まらなくて、行方不明になった猫は私の妹みたいなものだから本当に申し訳なくて、死にたくなった。
でもそんなことを言っている暇もなくて、無事に連れて来れたもう1匹を抱きながら先を急いだ。
14日の夕方、会津若松へついた。
どうしてもお風呂に入りたくて、ペットOKのボロい温泉旅館に一泊した。久しぶりのお風呂と布団に涙が出そうになった。
その日の晩、旅館のおじさんに、県から避難区域から避難してきた人には接触するな、とのFAXが届いたと聞かされる。
安全安全と国は言っておきながら、結局はこうだ。
翌15日はお礼を述べて早々に旅館を出た。
友人に教えてもらった避難所へ行くと防護服を着た係りの人に止められ、スクリーニング検査を受けろと言われた。
ガソリンに限りがある中、会津大へ向かうと中学時代の友人に会った。
南相馬市在住だった友人の親戚が一号機の爆発で軽度の被曝を受けたこと、避難区域外の新地町でも軽度の被曝者が出たことを知る。
怖い。怖い。怖い。怖い。
もうそれしかなかった。
スクリーニング検査には随分と待たされた。朝早くに受付をした私たちは2時間弱で済んだが、10時頃に受付をした人は夕方まで待たされたそうだ。
検査前に名前、生年月日、住所を用紙に記入して数十分後にようやく検査。
防護服を着た人の前に立たされ、腕を広げさせられる。
映画やドラマなのでしか見たことがないような丸いマイクのようなものが、目の前で体のあちこちを探るように行き来する。
前、後ろ、腕の内側、掌、靴の裏、顔、喉、頭。
頭のところ、ちょうど左の耳あたりだけ、針が少し振れた。
ここだけ反応ありますね、の言葉が耳から離れない。意味が分からない。
寒くてはマチコ巻きしていたストールの左耳のあたりだけ。
どうしてだろうと考えてたどり着いたのが、携帯電話だった。
親戚が被曝したと言っていた友人から携帯電話を借りて電話したことが頭に浮かんだ。
マチコ巻きしたストールの上から電話したのだ。
後々聞いたら、その友人は服の至る所から放射性物質の反応が合ったらしい。
ストールは洗えば良いと言われたが、ビニール袋に入れて捨てることにした。
その後、なんとか避難所へ入所する事が出来た。
そこは福島市の避難所と比べて、天と地ほどの差があると思う
。
暖かいし、床に畳まで敷いある。水も止まっていない。
何より食料が十分足りている。
それだけで十分幸せなんだと思った。
南相馬市の隣、浪江町の人に聞いた話だが、津波の被害が大きかったようで行方不明者がたくさんいるそうだ。
でも避難区域なので誰も捜索しない。出来ない。
例え生存者がいたとしても、だ。
浪江町の海にはたくさんのがれきと共に、たくさんの遺体が浮いている。
冷たい海の中、もしかしたらまだ生きている人がいるかもしれない。助けを待っているかもしれない。
でも私たちにはどうすることも出来ないのだ。
地震と津波は天災だが、原発事故は人災だ。私はそう思っている。
知り合いも多く家を流された。
それに加え原発事故での避難。
私たちは帰る家も、場所もないのだ。
避難所生活を始めて8日が過ぎて、もう精神的にも肉体的にも疲れている。
避難先に恵まれた私は食べ物や暖に困ることはないが、やはり固い床で、見知らぬ人を横に寝起きするのにも限界がある。
ガソリンが徐々に流通し始めた今、他県へ移動する人は少なくない。
毎日一家族、二家族と避難所を去り、一家族、二家族と新たにやってくる。
避難所では風邪が流行り、あちらこちらで咳が聞こえる。
巡察に来てくれる医者の診察を受ける人は増えるばかりだ。
医者が来てくれるだけここは恵まれているとは思うが、高齢の方は体力が限界に近い方も多く見受けられる。
子供たちも飽き始め、最近は随分と静かだ。
子供がいるところではもう地元には戻らないと言っている人も多い。
私も戻るつもりはない。
私は甲状腺疾患を患っているので恐ろしくてもう帰れない。
幸いにも、関東に叔父がいるので宛てはある。
だけど、避難している人すべてがそういうわけではないので、行く宛もなく途方に暮れている人も多い。
隣の家族には透析を受けている人がいるが、一番近い病院までタクシーで二千円、3時間の透析で一万円だそうだ。
お金も限られている中では大きな出費だが、命に関わるので4日置きには受けたいと言っていた。
他に喘息の人もいる。5月が予定日の妊婦さんもいる。生まれてそう経っていない赤ちゃんもいる。
他より恵まれた避難所ではあるが大変なことには変わりはないのだ。
みんな、みんな疲れている。
こんなこと言っては元も子もないが、「頑張って」はもうたくさんだ。
これ以上なにを頑張ればいいのかわからない。
正直、私たちが頑張って出来ることは生きることだけだ。