少年ディストラクション
…朝だった。
瞼の向こうに滲んだ陽光に脳みそは嫌が応にも目を覚ます。
ふわふわとしていた夢から意識が浮上し、ベッドに沈む自分の姿形を自覚する。
もう少し眠っていたい思いを無理矢理叩きつけて、起床する事を嫌がる体を起こす。
世界の万人が嫌うであろう朝が今日も来た。
誰もいない家は朝になると少ししんみりしていて寂しさを漂わせる。
夜は寂しさではなく、違った形でそれは恐怖を生む。
そんなことはどうでもいい、今はとにかく大嫌いな学校へ行く支度をせねばならないのだ。
精神的にも本能的にも嫌がる体に鞭を打ちながら、ハンガーにかけ忘れてしわくちゃな制服に手を伸ばした。
どうにも世界は自分に優しくないと思う。
こんな思いをして暮らすくらいなら、路傍の草花になって踏みつけられ終わる人生の方がよっぽど何かを全うしている様に感じられる。
なにせ親からは自分は魔術を継承するためだけの道具としか思われていなく、ましてや人の心、つまり思考が読める人生なんて誰がどう望んだって渇望したくもない人生だ。
分かり合うことで人は平等になれるだとか、そんなのお伽話で十分だろうに。
こんなにまで人の心の奥底にある汚い感情だとか、恥ずかしい感情だとか、恋愛感情やらが読めるのに、それに対する恩恵だとか益だとかがどうにも見つからないし考えつかない。
若くして人類全ての悪を見てしまった様な気がした俺は、今やどうしようもない虚無感で培われた心を閉じる様にわざとらしい偽りの笑顔を貼り付けて必死に生きている。
肺に刺さる様な冷たい空気を吸い込みながら学校への道のりを重い足取りで歩いている、自分の横を通り過ぎる楽しそうな学生の集団をそっと睨みつけた。
そんな記憶を思い出していた。
何気ない毎日だと思っていた。
だって、その記憶はあまりにも鮮明で、思い出すだけで自分の心を締め付ける様に明快で、嘘偽りのないものだと思っていたから。
一体どこで順序を間違えたのだろう。
聖杯戦争に参加して、喉から手が出るほど渇望していた幸せを手にして、一人になって、心を閉じて、世界から目を背けて、ああ。
何がどこでどうなったのか自分でももう、わからない。
この感情もきっと作り物で、今までの思いも全て偽物で、美味しかった食べ物とか、あの2人との何気ない会話の楽しかったこととか、頭巾をかぶったわけのわからないサーヴァントの罠に引っかかって混乱したこととか。
全てが嘘だったのだろう。
抑えきれない嗚咽を零す。
恥も外聞も無くなった自分の姿が情けなくて、どうしようもなくて。
もう何もなくなった。
叶わなかった願い事が、自分の情けない嗚咽と夜の闇に溶けていく。
音も、光も、見つからないこの場所で。
ただ、自分の破滅と崩壊を望む小さな背中だけが存在していた。
切なる一瞬の願いを
明日の天気がどうだとか、明日の献立はどうだとか。それだけが生き甲斐に感じていた。
魔術の家系だとか、自分の境遇だとか、運命だとか生き方だとか。何も考えずに生きれる時間が一番好きだった。
それだけが自分を組み立てている世界だ。
聖杯戦争に参加する理由も曖昧だ。
表向きは「自分を魔術に特化させるためだけの道具としか思っていない両親に、自分の存在を認めさせるため」という理由だけど、実際の理由は「誰の声も聞こえない場所に自分という存在をおいて欲しい」だ。
なぜそう思うのか、答えは単純でシンプルだ。
13歳、魔術の鍛錬をしていた最中に手元が狂い左目を負傷。
摘出とまではいかなかったがほとんど使い物にならない左目になってしまった。
そして、そんな俺を嘲笑うかの様に、もっと使い物にならないもの手にしてしまった。
…言葉だ。
言葉が心に突き刺さる様になった。
ただの言葉じゃ無い。
言葉にしない心、つまりは人の『思考』だ。
誰かの『思考』が俺の心に直接届く様になった。
その日から全てが加速しながら変わっていった。
親友だと思っていた人の『心』、両親の『心』、知らない人、先生、誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か!!!!
誰かの『声』だ!
思っても無い『言葉』を口にして媚を売り、『心』で人を嘲笑う『声』!!
黙れ、黙ってくれ、頼むからそれ以上、口を開いて心にもないことを語らないでくれ。
狂ってしまいそうだった。いや、狂ってしまったほうが楽だったのかもしれない。
正気を失い人の心に触れない方が、人を信じていく第一歩としてもっと容易い道だったのかもしれない。
……無理だ。
どうしようもない虚無感と焦燥感、ありとあらゆる絶望が俺を苛んで蝕んでいく。
それでも死のうと思わなかったのは、まだ最後の希望が見えていたからなのかもしれない。
聖杯戦争。
あらゆる願いが叶うと言われる聖杯、願望器。
戦いに勝利を収めれば手に入るということを耳にした。
これはチャンスだ。
一生で最後のチャンスだ。
この聖杯さえ手に入れれば、きっと、もうこの思いをする事もなく、また最初からやり直せるのだと思った。
二度と人の汚泥を見る事なく過ごせる、この人生に意味を持てるんだ。
これを取り逃せば、もうこの人生に意味などないと思うくらい、聖杯を求めた。
きっと、何かが変わる事を信じて。
人の心に触れないで済む方法だけを模索していた。
それでも、人の心は不明で理解不能で。
本当はきっと、聞こえていたわけじゃないんだ。
本当、馬鹿だよなあ。
依存
二人には恐怖という感情があった。
自分が誰なのか、何者なのかという恐怖と、ある過去の記憶に捕らわれて逃げ惑う恐怖。
それが二人を構成していた、二人を鎖で縛っていた。
お互いに依存し合い、傷を舐め合い続ける事で取り敢えずは関係を保っていた。
ただ何かに恐れて一人を傷つける青年と、ただ殴られるがままにされる青年。
歪だったけど、それは愛と言える。
了承しあえる仲なのだから、それは二人にはとって良い事なのだろう。
周りから見れば恐らく理不尽でただただ歪な関係だけど。
ただ一人は幸せだった。
傷に気付くことができないで同じ傷を増やして いく青年には仲間がいた。
自分が死のうとすれば悲しんで止めてくれる、そんな優しい人達がいる。
幸せなのに、自分の傷に気づくことができない、そんな幸せな青年。
自分を愛してくれる人、大切に思ってくれている人、親しくしてくれている人、悲しんでくれている人、喜んでくれている人、沢山いた筈なのに。
その気持ちが、彼には解らなかった。
人の醜さなんて否が応でも見て、知って。
頭が良かったから孤独に苛まれて。
どうしようもなく、怖くて、不安で。
誰に頼ればいいのかもわからず、どれだけ泣けばいいのかもわからずに死を見つめていた。
彼が死んだ時、始めて「生きている」と感じたと思う。
織田作之助、料理が上手で少し豪快で、笑顔が少し可愛くて不器用で、ムカつく少し嫌な奴。
其奴が死んで少し心に大きな穴が空いた気がする。
そう願っていた筈なのに、そうなって欲しいと思っていたのに。
いざ、その時が来ると僕は何をしたらいいのかわからくなった。
結構な確率で依存していたのかもしれない。結局僕も彼奴も何をしたかったのは解らなかった。
だから、今また僕は、彼奴から貰った命を無碍にしようとしている。
そういう物だ、命とは。そういうものだ、自分とは。
太宰治、とは。