思いは行動に移そう
インターネットや人工知能が発展しても、人は人でしかないのです。スマホやネットの恩恵は、自分の力以上のものを手中に収めたような気分になるものですが、それはあまりに脆いものです。
それは借り物の恩恵であり、自身の力ではないからです。自分自身の力を磨き続ける人だけが、正しくその恩恵を利用できるのです。欲に駆られては、正しくネットの恩恵を受けることはできません。
ネットの力を善の力として使おう。誰かを励まそう、癒そう、教えてあげよう、孤独じゃないよ、寂しくないよ、と伝えよう。そんなに急がなくてもいい、比較しなくてもいいんだよ。
人の実力は、知識も技術も体力も、すぐには身に付きません。そのスピードの遅さが、人本来のスピード感なのです。例えば、文章を読むことはとても素早くできますが、文章を書くことはとても時間が掛かります。
人が作ったものを享受するだけでなく、自分が誰かを励ましたり、誰かのためになりたいと思えば、それはとても時間と労力が掛かるものだと気付かされます。手間暇を掛けた割には、納得いくものはできないことにも気付きます。
それでも、下手でも、納得いかなくても、行動することには意味があります。行動した時点で、行動しない圧倒的大多数から、一歩踏み出したのです。人生も、そうではありませんか。
思いは行動に移そう。行動に思いが伴っているならば、一見無意味に見えても、それは無意味ではないのです。
目に見えるものだけが全てではありません。私たちは、あまりにも身に見えるものだけを気にし過ぎます。人は、目に見えないものの影響も受けるものです。
ゆえに、思いは行動に、思いは言葉にしよう。
necokame
2018.8.20
当たり前だと思ってはいけない
便利で豊かなことを当たり前と思ってはいけません。そこには必ずその便利さを支えている人なりシステムなりがあります。
便利を求めるならば、自分もその便利のために働かなければならなくなるでしょう。タダや安さや速さ求めるならば、自分の仕事もタダで、より安く、より速く提供しなければならなくなるでしょう。
今日の私たちの日常も、豊かで安定した社会によって成り立っています。そのことを、当たり前のことだと思ってはいませんか。日本の各地で大地震が起きたことを、大雨による洪水が起きたことを、忘れてはいませんか。
日々、犠牲になった人々に祈りを捧げていますか。自分たちの境遇に不平不満を漏らし、他人を攻撃するのではなく、傷ついた人たちを励まし、癒すために何ができることは何でしょうか。
それは、日々を良く生きることに尽きます。与えられた命と人生を喜び、楽しむことです。どん底でも、希望を持ち、行動することです。
2018.8.20
necokame
男は弱さを見せて良い
男は自分の弱さを妻にみせてはいけないと思っている。弱さを、見せて良い。妻は、夫の心の支えになりたいと思っている。妻は夫から必要とされたいと願っている。
妻以外の女性があらわれたとき、弱さを見せると受け入れてもらえることがある。それは悪魔の誘惑に他ならない。何か隠さなければいけないような気持ちがあるならば、それは渡ってはいけない橋なのである。
男が帰るべき場所は妻のもとにある。それを間違えてはいけない。
2018.8.19
necokame
今日を良く生きた
今日一日を、良く、全力で生きただろうか。今日は、全力で生きたと自信を持って言える。今日一日を良く生きたのだから、明日も良い日になるだろう。
遠くの大きな目標があるならば、目の前の小さな課題に集中して、その時間その時間を一生懸命に生きること。
見返りを求めるような行いは、気持ちが遠くに向いているのだ。見返りを求めない、やるべきこと、愛のおこない、言葉を積み重ねること。自分の手が届く範囲だけでも幸せにすることが、なんと難しいことか。
自分の手が届く距離、両手で持つことができる量だけで充分幸せなのである。
明日も良く生きるために、夜は眠ろう。夜は早く眠り、朝早く起きれば一日はとても長く、有意義になるのだ。
2018.8.15
necokame
手の届く距離にある
愛がなければ生きられないと分かっていながら、愛から遠ざかる。どうして愛を壊すことはこんなにも簡単なのだろう。
それでも愛のために生きよう。難しくても、再生のためには素直な気持ちを伝えて一歩一歩前に進んでいく。
いっそすべて投げ出し、切り離し、壊してしまえば楽になるだろうと思う。選びやすい選択は、一見素晴らしいものに感じられるもの。
自分にとって難しい選択をすること。困難な選択ほど、今の自分に本当に必要なものだと思うこと。
周囲の人々や、ネットの声に、影響を受けやすい。けど、そこには良い手掛かりはない。自分自身と、最愛の人の声に耳を傾けること。
最も近い存在の声ほど遠く、遠くの存在の声ほど近くに感じられるもの。遠くの存在の声は置いておいて、近くの存在に目を向けよう。自分たちのとって本当に大切なものは、自分の手が届く範囲にしかないのだ。
2018.8.14
necokame
今日一日を、良く生きる
今日一日を、良く生きる
今日一日をどう生きたか、必ず振り返って、見直す。朝は起きたい時間に起きられたか、家事をし、朝食の支度をし、休みの日でもひげを剃り、最低限の身支度を行ったか。
やけに早起きの次女と、なかなか目覚めない長女、おもちゃを振り回しては取り合いし、賃貸ゆえに音の響く室内でケンカし、プリキュアのダンスを踊り、親の言うことを聞かない娘たちに対して、理性的に注意し、優しく接することができたか。
感情的に怒ったり、苛立ちをぶつけなかったか。妻の目を見て朝の挨拶をし、会話をしたか。家族でいる時間に、スマホを使わなかったか。スマホを見ながら妻や娘たちと会話しなかったか。
蒸し暑く過ごしにくい日でも、掃除洗濯をし、部屋と身なりを清潔に保ったか。妊娠9カ月、この暑い日々に、お腹が大きく、自由に動くことも難しくなっている妻に対して、労いと感謝と愛の言葉を掛けたか。娘たちに私たち夫婦のもとに生まれてくれたことの感謝と愛を伝えたか。お腹の息子の無事の出産と、産後の妻の健康を祈っているか。
人の気持ち、ことば、行動はとにかく一般に悪いとされている方向に傾くもの。その方が楽しい、便利、気持ちいいから。こんな嫌なことがあったから言いたい、ムカつくから吐き出したい、のも同じ。悪いことばや感情ほど、人に影響を与える強さもスピードも早い。すごいスピードで広がっていく。
それでも私は正しく、明るく、誠実に生きたい。それはとにかく今日一日、いまこの時を良く生きるということに尽きる。損得で考えるなら、損な生き方を選択することになるのだと思う。
なにより妻を何度も悲しませたし、私自身も十分失った。それでも、あれがない、これがない、何かが不安・不満だと思いながら生きるのは止めよう。なにより今日、家族の命と健康がある。いま、私は良く生きているだろうか、もし心に引っ掛かることがあるならば、明日は修正しよう。小さな積み重ねが、唯一の未来への希望になるのだから。
2018.8.13
necokame