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二人芝居『フェイス』

9月23日(土)どんよりとした小雨の中、浅草九劇にて二人芝居『フェイス』を観劇。出演は伊藤裕一さん、坂元健児さん。

小さな四角い舞台を取り囲むような形で客席が用意されており、四方から作品を鑑賞する形式。舞台には小さな木製のデスクが一つと、同じく木製の椅子が二脚。BGMにはバロック調?のようなクラシックが静かに流れている。

公演は21日から始まっており、先に観劇した方の感想などから、なんとなく話の概要やお二人の役柄は推測していたけれど、いざ作品が始まるとそんな推測を凌駕する世界がそこにあった。

伊藤裕一さん演じる青年・瀬尾一樹。黒いシャツに黒いスラックス、どちらもサイズは少し大きめで、細めの体にだらりと布が被さっているような雰囲気。ゆっくりと登場した彼はデスクで本を読み始める。そんな彼を訪ねてやってきたのが坂元健児さん演じる精神科医・小和田。ここから二人の長くて短い1日が始まる。

前情報なしに観たいタイプなので、予備知識等は仕入れていなかったが、今回に関しては伏線を拾うために多重人格関連の知識を得ておくべきだったと思った。臨床心理には多少触れたことがあったが、『欲望という名の電車』や「ビリーミリガン」などを知っておけばもう少し伏線を理解できたのかもしれない。

まず、伊藤裕一さん演じる瀬尾一樹。最近、伊藤さんの出演される舞台や映画、ドラマなどは一通り鑑賞してきたが、この瀬尾一樹という役はある意味ファン待望の役柄だったと思う。スラリとした長身、細身の身体はまるで一樹のためにあるような感じさえした。目を泳がせる不安げな表情、言葉を話そうとして飲み込んでぐっと堪えてからぽつ、ぽつとセリフを吐き出すような演技は、これまでの伊藤さんの演技を見ても彼の得意分野だろうと思っていたが、それが一樹という役柄にがっつりとはまっていた。

多重人格障害の一樹は11人の人格を持っており、伊藤さんは作中で一樹以外に「レイカ」「ムツオ」「タクミ」という人格を演じる。それぞれ性別と性格が異なり、観劇後に調べたところこれらのような人格を「交代人格」というらしい。作中で多重人格障害を明言することはなかったように思うが、「一樹は交代人格の存在を知らず、人格を統合する治療の中でその存在を知らされた」という描写や、「目が覚めたら周りがめちゃくちゃになっていて」という一樹のセリフ(つまり基本人格である一樹は交代人格になっている間の記憶がない)があったから、一樹が多重人格障害であったことは間違いない。

コロコロと変わる人格のそれぞれを、伊藤さんは見事に演じ分けており、その人格が入れ替わる瞬間の表情にはぞっとするものがあった。

交代人格は「元々の私」が切り離した主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次のようなものである。

○主人格と同性の、同い年の交代人格。ただし性格が全く異なる。
○その他、受け持つ事件が起こったときの年齢の交代人格が現れることもある。
○子供の交代人格もよく出てくる。4 - 7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている。
○他の交代人格の存在を知らず、別の交代人格が表に現れているときの記憶を全く持たない交代人格がある。主人格もそうであるので、幻聴や健忘に困惑しても本人は交代人格がいることに気がつかない。
○逆に主人格や、他の交代人格の行動を心の中から見て知っている交代人格もある。
○怒りを体現する交代人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ交代人格。リストカット睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な交代人格もそのなかに多い。性的に奔放な交代人格が現れることもある。
○異性の交代人格なども現れる。
○逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な交代人格が現れる場合もある。ラルフ・アリソン (Allison,R.B.) がISH(内的自己救済者)と呼んだものもこの範疇になる。

レイカは異性の交代人格であり、かつ一樹を中から見てその心情や行動を理解している人格である。一樹が言えないことやできないことを、レイカが代わりにやっておく、そんな性格が見受けられた。「レイカ」という名前は、11人の人格を番号にした時の「零(0)」が由来なのだろうか。となると、一樹の名前は「一(1)」と考えられる。

同じように考えると「タクミ」は「三(3)」の人格と考えられる。誰よりも冷静で頭も良く、シャツのボタンは袖まできっちり止める。交代人格の中でもヒエラルキーが高い(と自称している)。小和田が妻誘拐事件の解決に求めたのもタクミの意見である。のちに小和田の中の第二人格を見つけて呼び出すのはこのタクミである。レイカと同じように一樹の心情や行動を内から理解しており、その理知的な様子から内的自己救済者の人格に当たるのがタクミのような気がする。

そして「怒りを体現する交代人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ交代人格」がムツオ(六)であろう。切り替わった瞬間、小和田に殴りかかるその性格、喋り方も立ち方も一変して、そこに一樹の面影はない。スッと目の光がなくなり、だらりと身体を弛緩させながらその怒りや憤りを暴力に変えてくるその姿はまさに狂気であった。

それらの交代人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり、嗜好についても全く異なる。 例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。 絵も年齢相応になる。 また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。 顔も全く違う。 勿論同じ人間なのだから基本となる骨格、目鼻立ちは同じではあるが、単なる表情の違いとは全く異なる。 そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す。

レイカは甘いものを好んでいたが、他の人格はそうでないのかもしれない。話し方も、一樹は実年齢より少し幼げな感じであったが、レイカは若い女性そのものだったし、タクミは論理的で整った話し方をしていたし、ムツオは乱雑で凶暴な話し方をしていた。ただ、ラストシーンで小和田の第二人格と対峙した時は、それまでタクミが表に出ていたはずだったのに、だんたんと性格が統合されていったような感じがした。「先生の奥さんは殺させない」と叫んだあの声やあの表情は、確かに一樹だったように思う。人格が交代しているという描写はなかったのに、演技と表情でそれを感じさせる伊藤さんの、渾身のシーンだった。

 

精神科医の小和田を演じた坂元健児さんは、ミュージカル『ライオンキング』 で初代シンバ役をやっていたと聞き、どんな演技をされる方なのかと思っていたが、冒頭の一樹の部屋に訪れるシーンで落ち着きのある物腰の柔らかそうな雰囲気を醸し出しており、いい意味で想像を裏切られた。そして第二人格が表れたシーン、これはまさに度肝を抜かれた。坂元さん、悪顔が似合いすぎる。それまでの小和田は一体どこへいったのか、急変した表情に乱雑な声色。目を細めながらニタリと笑うあの感じは、伊藤さんの演じる狂気とはまた別の、本能的な恐怖を覚えさせるものだった。

1時間強という、普段の舞台作品に比べては格段に短い作品だったのにも関わらず、がつんと頭を殴られたような、しばらく呼吸を忘れてしまっていたかのような、そんな衝撃を与えられた作品だった。

 

以下は備忘録、個人的な引っ掛かりや気になる部分など。

・冒頭、小和田が一樹を訪ねるシーン、わたしはデスクに座った一樹を背中から見る側にいたので、一樹がどのような様子で小和田の訪問を待っていたのか分からかったが、その時の表情が見える側に座っていた方によると、なんとも嬉しそうな、そわそわした表情だったらしい。見たかった……。

・現在一樹は27歳、小和田とは9年ぶりの再会なので、最後に会ったのは18歳の時になる。2年弱治療をしていたということは、一樹が小和田と出会ったのは彼が16歳くらいのときと考えられる。一樹にとって、16歳頃、まだまだ幼さの残る年の頃に、絶望の果てで出会ったひとつの光が小和田だったと思うと切なすぎる……。

・一樹はいつ頃から交代人格を発症したのか?交代人格があることさえ親に気持ち悪がられていたのかもしれない。

・せっかく統合し始めていた人格が再び分裂を始めたのは、小和田の結婚報告を受け取ってからだとタクミは言う。一樹の小和田に対する感情というのは、もしかしたら。

・一樹はガンで亡くなるが、これはビリーミリガンのオマージュだろうか。ムツオの動きを見ていると、末期ガンの人間があんなに動けるのか?と思わなくもないが、痛覚さえ人格ごとに異なるのであれば、ガンを患っていた別の人格がさらに存在していてもおかしくはない。

・小和田の妻が閉じ込められていたのは井戸だった。これはフロイト「イド」とかけたもの?本能が閉じ込められているのがイドであるとしたら、小和田の第二人格にあった攻撃性や死に対する執着みたいなものはそこに通じるものがある。それを解放する一樹はエゴであり、この作品のキャッチフレーズでもある「魂の片割れ」というのは、つまり二人で一つ、イドとエゴということなのかもしれない。深読みしすぎかな……。

・ラストシーン、一樹からの手紙を読む小和田の前に一樹が現れるところ。椅子に腰掛けて片膝を抱くように首を傾ける一樹の表情が、本当に儚くて切なかった……。

・伊藤さん、苦悩する演技が美しい。細い手首とその先の長い指が美しさを助長させている。一樹が小和田に首を締められて気を失うシーンも、その苦しげな表情から目が離せなかった。

・坂元さんより伊藤さんのほうが割と身長が高いのに、なぜか伊藤さんのほうがちんまりとして見える不思議。わざとそう見えるように猫背にして視線を泳がせているのだろうけど、終演後に一礼する際、背筋を伸ばしているのを見てその具合に驚いた。

・まだまだ気になるところがありすぎる。台本を読んでみたい。