産後2週間で買って良かったもの
正確には退院してから2週間ですが、その間にもこれは買って良かった、というものが続々出てきたのでご紹介します。
1.ドーナツクッション
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股のとこを切開・縫合したので、これがないと痛くて座ることが出来ませんでした……。病院内にはこの類のクッションがあったのですが、これは自宅でも必要だ!と思い慌てて購入。これは厚みも充分あって穴も大きく、リーズナブルでお勧めです。この2週間、マイベストフレンドの地位を占めました。
なお、デスクワークの夫にも好評で「要らなくなったら頂戴。会社で使いたいから」とラブコールを頂いています。
2.デジタル温湿度計
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赤子は体温調節が上手く出来ないので、部屋の温度湿度には気を配らないといけない、とのことで購入。デジタルは分かり易くて良いです。壁掛け出来るタイプと迷いましたが、置くタイプにして正解。あっちこっち移動させて使ってます。2個購入し、リビングとベビーベッドの二か所に常設しています。
もっと小さいサイズのもあったけど、このくらいの大きさの方が表示画面が見易いです。快・不快を表示する水滴マークが可愛かったのも嬉しかったです。あと、下部に表示されている時計機能が意外と役に立ちます。
3.縦開き授乳口付きパジャマ
違う開き方のする授乳口付きオシャレパジャマを用意していたのですが、デザイン性の高さが仇となって使いづらかったので、改めて購入してみたのがこの「授乳口縦開き」タイプ。合う合わない個人差があるとは思いますが、私はこれが一番合っていたようで使い易かった!スナップで開閉するので、急に泣かれてもすぐにスタンバイ出来るのが嬉しいところ。そして肌寒いこの季節、必要な部分以外はちゃんと布地に覆われているので寒くない!それから、ポケットが付いているのも地味に高評価です。ここにスマートフォンとガーゼハンカチを常備しておくとスムーズな授乳が捗ります。素晴らしい。イチオシです。
4.デジタル湯温計 ガーくん
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沐浴のお伴。優れている点? 可愛いです。ただそれだけ。でもそれが大事!
5.六重ガーゼケット
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これはプレゼントされたものなんですが、一度洗濯するとびっくりするくらいフワッフワになります。そしてサイズが結構大きいので、畳んだり広げたりすると簡単に厚さ調整が出来るので、赤子の寝具として大活躍中です。洗濯が容易なので、汚れてもすぐ洗えます。洗い替え用にもう一枚買い足しました。
6.スタイ
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正直に告白すると「スタイなんて必要になるのは離乳食が始まってからでしょ」と思ってました……すみません……。3人のお子さんがいらっしゃる先輩ママからプレゼントされて、有用性に気付きました。
赤子って結構、ミルクを吐き戻すんですね。知りませんでした。げっぷを出させる時にも意外と吐かれるので、スタイ必須です。タオル地の物が吸水性に優れてて使い勝手が良いです。
今のところさっと思い付くのはこんなとこでしょうか。参考になれば幸いです。
突然の涙
日中ぐずる子をあやしていたら、何か唐突にスイッチが入ったようですーっと涙が零れた。どうにも悲しい気持ちにぐっと傾いてしまい、そのまま泣き続ける事30分程。子に対しても申し訳ない気分になって、ごめんね、ごめんねと謝りながら余計涙が止まらなくなる悪循環。
実家で里帰り出産育児、夫は大変家事も育児も協力してくれているという、物凄く恵まれた環境にいるわけで、こんな贅沢な状況で泣くとか有り得ないよねと自分に突っ込みを入れてしまう(で、余計に涙が出ると言うマッチポンプっぷり)。
傷も癒えてきて少し行動出来る事が増えたので、無意識にあれこれやり過ぎてたのかもしれない。その後昼寝したら冷静さを取り戻した。
「産後鬱」とか「ホルモンバランスが崩れてマタニティブルーに」とか話には聞いていたが、ここまで無縁で来られたのにびっくりするくらい簡単に気持ちが落ち込んで驚いた。理性じゃどうにも出来ない部分なんだな……。いずれにせよ、甘えられる状況にいるのだから変に気張らず存分に甘えさせてもらって、心身共に元気に赤子の世話をしようと思う。
立会い出産に関する追記
妻でない方です。
私は「状況が許すならば」と前置きして立会い出産を強く希望していたので、出産には立ち会わせてもらいました。多少のグロはあるものの、立ち会えた事は良かったと思うし、出産の現場を体感する事で多少なりとも父親としての自覚が芽生えた様に思えます。
出産後、「父親はすべからく立ち会うべきだ!」と息巻いていたを起点に実際の立会率はどんなものなのか気になって調べてみました。
2013年発行の母親が望む安全で満足な妊娠出産に関する全国調査の「RQ2. 分娩期に医療者以外の付添い(立会い)が居るか?」によれば経膣分娩での夫の立会率は2006年の39%から2011年の59%へ有意に増加したとある。
体感では多くても40%ぐらいだと思っていたで60%近い数字は意外。ただ、5年で20%を維持すると2015年現在では79%になっていなければならないが、これは主観的起こらなかったと見えるので、夫の立会率6割前後がスイートスポットなのではないかと思う。日本には里帰り出産における出産時の夫の不在や、夫の仕事でプレゼンティーイズムによる不在など社会的に夫がいない背景もあるのが数字の伸び悩みの原因の原因なのではないかと考察する。
これを海外の統計とくらべるとどうなのか。探してみた所、英語圏では立会はあまりに一般的で統計としては取られていない様であるが、BBCとガーディアン紙に面白い記事をみつけた。
BBCの記事では1950年代にはお産の現場には男性の姿はなく、男性が立会を望まず、女性もまたそれを望まなかったと書いている。
1948にNHS(国民保健サービス)の設立以来、お産の現場が家庭から病院にうつりだし、先進的な病院では1951年ごろから男性にお産に立ち会うように勧めていたものもあるとするなかで、1960年代後半から1970年代前半で少数派であった立会は70〜80%まで伸びたと書き。これは1970年代にお産の現場が病院にシフトした際に見知らぬ施設でお産をする女性が精神的サポートをパートナーに求めたからであると推測している。
ガーディアン紙の記事では現在の夫の立会率は優に90%を越えるとしている。
どちらの記事もMichel Odent (Wikipedia)氏の女性ホルモンの一種であるオキシトシンは女性が人やテクノロジーに囲まれていない方が出やすいとして、立会は不要論を紹介している。オデント氏によれば、男性が立ち会う事で女性は緊張してしまい、オキシトシンの分泌を悪くし、お産を長引かせてしまっており、それが英国での24%帝王切開による出産に繋がっているとの事。
BBCの記事では1962年の論文では父親が立ち会う事で女性がリラックスする効果があるとしていますし、「母親が望む安全で 満足な妊娠出産に関 する全国調査」においても夫の立ち会いは満足と関連が見られたとして、立ち会いには少なくとも精神的なプラスがあるように書いてある。
この父親立会不要論をオデント氏は1999年には唱えていたようですから、筋金入りですね。
上記のBBCとガーディアン紙の記事の同時期にデイリーメイル紙に掲載された記事ではやはりオデント氏を引用しているが、1970代以降の病院での出産の増加にともなうメディカルスタッフの不足が立会人の人足として扱うが故に父親に立会を促しているともしている。
読むに一部の医力関係者は夫が立ち会うのは不要だと強く唱えているが、情緒的には女性側も男性側も立ち会った方が良い、という構図が見えてきた様に思います。お産を長引かせるという意見を聞くと躊躇しますが、妊婦に失せろと言われない限りは傍らにいて身体的、精神的サポートをするのが夫の努めだと私は思います。
産んだ日の出来事 (夫編)
初めまして、夫の方です。
今回は夫側の視点をメモを残すかわりに書いて行きます。
遡る事、出産一週間程前。
妻が2015-10-20 - 胎動が弱くなった - 猫は人を盲目にするで言及した真夜中の産院小旅行。
この件までは予定日が近いから「そろそろ」という感があるものの、時間間隔が漠然としていて、現実感が無かった。この真夜中の事変から「そろそろ」が少しピリピリするような「何時あってもおかしくない」に変わった。
仕事をするにしても、数時間掛かる業務は「これは終わらせずに帰る事になった場合、大丈夫なのか?」と頭の隅で緊張感がとぐろを巻いている感覚が続く様になる。自分が妻を病院に送り届ける以外の大した事が出来ないと感じるからこそ、なんとかその部分はしてやりたいし、それだってタイミングが合わなければできないと思うとなんとも歯がゆい。
このとぐろを巻かれているような緊張感は出産が終わるまで続いていく。様は自分が役に立たないかもしれないというのが怖いのだ、と振り返ってみて思う。胎児を成し、育て、産むというプロセスは自分には代わってあげられない、共有できないという焦りとその中で細切れにしか来ない役立ちポイントをタイミング次第で失うかもしれないという憤りが大袈裟に言えば怖く、緊張感を産み出すのだと思う。
そんな感覚に慣れだした頃に出産日がやってくる(2015-10-25 - 産んだ日の出来事 - 猫は人を盲目にする)。陣痛が始まったかもしれないと言われた時には緊張の糸が解けたのか笑ってしまった。「やっときたか!」とに近い開放感があった。ただ、できるのは運転ぐらい。慌てず、急いで、事故らずに....。と思って産院に行くものの、半ば予想通りに一度帰されてしまう。確かに自宅の方がのんびり(?)できるし、陣痛が収まってしまったりする場合を考えれば正しい判断なのだとは頭ではわかっていても梯子を外された感覚は拭えない。待つのとその間に寝ておくのもサポートのうちだと自分に言い聞かせながら仮眠。「そろそろだと思う」と妻に起こされて再度産院へ。
自分は痛まないからと言っても、パートナーが痛みを訴えるのは見ていられるもんじゃない。少しづつ強くなっていく痛みをどうにかしたいのに出来ないのが歯痒い。「早くお産にもっていきましょう」と言う産院の人の言葉が救いの言葉に聞こえるも、それはつまり「もっと痛みを強くしましょう」とも同義に聞こえるので素直に喜べない。痛みを和らげれば長引くし、早く済ますためには強くしないといけないのはシンプルに聞こえるが簡単な、そして、痛みを感じている張本人に尋ねる事じゃないなと思う。自分だったら...という問いには痛みを感じていない自分の意見はあるものの、同じ痛みを受けながら同じ選択ができるかどうか、わからない。
そんな経緯をへて産まれた子は外側に叩きだされた事をびっくりしていた顔をしていたんだと思う。そうだよね、さっきまで臍帯さえあれば生きていけたのに唐突に肺を膨らまして、空気を吸い込まないといけないんだもの。なによりも嬉しかったのは妻が陣痛から開放された事だったと思う。
生まれたての我が子はびっくりするほど赤くて湯気をあげていた。ふやけている我が子を可愛いと思うべきなのかどうか悩む間もなく、自我をもつ個体として、我が子は食料を要求した。あゝ、食い意地って遺伝するんだなと思いながら、それが子供が生まれたという最初の実感だった。
居た事がありがたいとは言われたものの、本当に無力だと痛感した出来事でした。
おめでとう、ありがとう、そして、本当にお疲れ様。