つまらなかった本を読んだ

今日は珍しく山手線の西側まで出かけた。

在宅ワーカーだからなのか、小一時間歩くまでもなく足裏に激痛が走って立つのもままならなくなるようなことが半年くらい前からあった。
面倒だと後回しにし続けていたのだけど、半ば強制的に表参道の足専門のクリニックに行くことになった。

6,000円ちょっとかけて結局原因はわからなかったのだけど、自分で「かもしれない」と思っていた偏平足はまったく問題なく、外反母趾もそう呼べるには軽症のようで、足底筋膜炎かもしれないという結論になった。

やっぱりネットは便利なので、ぼく含めていろんな症状や病気の「かもしれない運転」がとてもうまくなっている。でも、その運転でわかることは沢山の気を付けたほうが良いことリスト(運動したほうがいい、歩いたほうが良い、マッサージしたほうがいい、食事に気を付けたほうが良い、靴はインソールを買ったほうが良い)を徒に増やすだけであって、自分事としての解決にはあんまり近づいていかない。
その意味で、たしかに明確に問題ないことがわかったのは良かった気がする。

あまり本屋でたくさん積まれているような本は買わないのだけど、冒頭ぺらぺらとめくっていたら「リモートワーク」「移住」「効率化」みたいなことが書いてあったのでこの本を買ってみた。

 

じぶん時間を生きる TRANSITION

 

先に書いておくと、あんまり「読んでよかった」となる類ではなかった。とはいえ自分の状態と重なる部分はあったので、読書記録としては残しておく。

2020年ごろコロナによって多くの業種でリモート勤務が実施された。ぼくもその頃にリモート勤務に変化した類になる。
このリモートというのは以前から「できるのでは?」と思っていたであろう従業員たちの気持ちを国家命令というトップダウンにて実施されたものになる。やるのか、やらないのかという2択ではなく、やって同時に形も整えろというスタートアップやベンチャー企業のような状態だったと思う。

紙で管理していた顧客情報などの台帳や契約書はGMOサインやクラウドサインのようにデジタル化され、打ち合わせはZOOMやMeetになり、社内連絡は対面やメールの状態からSlackやChatworkになり、手元のExcelで管理していたシートはスプレッドシートなどのクラウド上に乗っかり、自社サーバーが一部無用になったためクラウド化や自宅への光回線が必要になったりと、変化への適応と新しいビジネスへのチャンスがたくさん生まれた時だったように思う。

コロナのピークを経て、その運用に耐えられた企業はリモートを(一部でも)残すことに成功し、耐えられなかった企業は出社に戻り、そもそもの利益から遠のいた企業は廃業せざるを得なくなった。
ぼく個人の考えとしては、コロナというものを体験したあとに立ち上げられた企業は「出社をしなくても良い仕組み」という運用(Ops)を前提とするので、営業から財務会計に至るまでのひとまずをスモールスタートさせることができるので、うまくいきやすい気がしている。逆に場所という側面が炙り出された企業には、なかなか耐えられない環境でもあったような気がする。

ぼくはいまフルリモートで仕事をしていて、オフィスなんて1度しか行ったことがない。フルリモート最高と思っていたが、働いてみるとギチギチの打合せ、鳴りやまないSlack通知、プライベートと仕事の切り分けられなさなど、特別な要素がわかってきた。
ただし人と会わなくて済む、起きる時間はわりと幅があっても良い、スーツを着る必要がなく靴を履く必要もなく、ジャケットさえ羽織れれば良い、Amazonの荷物はいつでも受け取れるというメリットもたくさんある。
つい最近ではBOSEのスピーカーを買い、打ち合わせ以外では音楽を垂れ流しているのもQOLを上げる要素になっている。

特に問題になっているのは結婚もしておらず、特に趣味を持っていない時分が「仕事に集中できてしまう」環境で働いていると、ワーカホリック気味になってしまうところだろう。
体調を崩さないくらいに働きづめてもよい、仕事を終えたあとの自分に虚無的な部分を抱えてしまうというくらいには浸食されてしまっていて、ようやく「あ、人とは会わないとこれは腐るな」と思ってきたところだ。だから月に1回~2回くらいはなんとかほんの少し外出して、人込みには触れておくようにしている。

ただ同時にすこしローカルな場所へ引っ越すのもありだなと思っていて、光回線が通じていてAmazonプライムの配送スピードの価値がそれほど薄まらない(1/3とかだとさすがに解約したい)場所なら引っ越しても良いような気がしている。

GoogleMapを眺めてみる。

都道府県名が映らないので沖縄、東北~北海道は入っていないけれど、ぼくは「山より海が見えたほうがうれしい」「万が一移動するときの交通網や鉄道は簡便な形であると嬉しい」ということを考えると、静岡あたりはよさそうに見える。時点で富山や石川などもよさそうに見える。

試しに富山県で賃貸相場を見てみると、1LDKで4万~5万なので築浅、駅近を選ぶと7万くらいだろうか。海が見えてライフラインが問題なく仕事ができ、今より広い部屋でありつつ家賃が安いなら充分満足度が高そうにも思える。

それはそれとして、仕事を終えた瞬間の「自分だけの時間」にまだまだ苦痛を覚えてしまう状態であるときには、自己発見としてトランジションというものを試すチャンスがあるようだ。

 

www.kaonavi.jp

 

なにかを止め、空白・中立状態から志向性を浮かび上がらせ、新しいことを始めるという3段階プロセスだ。
ぼくのような凡人かつモノワーカーには、ハードワークをこなしながら平行して新たな道のステップを踏むような器用なことはできないのだけど、確かに仕事を辞めた瞬間~無職期間というのは本当に自分のことを見つめられているような気がする。

誰かに見られている、何が稼げるスキル・場所なのか等ではなく、無限に感じるこの期間でやりたいと思えることを生成する期間であるというのは確かなことであるように思う。特にその中で重要なことは「何かを辞める・あきらめる」ことと「空白状態の時に人に会う」ということと思われる。

まず辞めるというのは簡単ではない。ぼくのようなワーカホリック、あるいは何らかの依存症状態の人たちは「自分で自分のコントロールができている」という「否認」状態であるという(このへんは下部でGPT-4に聞いてみた)。
そのため急に辞めることはできず、自分の状態を客観的に認識できている状態(認められるというのが大事)であることが前提となってくる。
次点で、空白期間のあいだの揺れ動く期間に「どこかコミュニティに飛び込んでみる」ということも重要だという。空白期間を本当に孤独に過ごしている場合、自分の認知や関心が主観レベルで終始してしまい、周囲の人たちに形づけてもらう機会を失ってしまう。考え方次第だが、最初から最後までひとりで考え続けることと、人の声を浴びた状態からひとりの状態を作り出すということでは、効用が全く異なるように思える。

これは偏見なのだけど、この手のビジネス書で「本当の自分」というものを主題としている作者の人は、ぼくの読んできたものの中では多くの場合は結婚していたり、子供がいたりというケースがほとんどに思える。
空白期間の時に「それ、やってみたら?」という機会をくれる人が身近にいるということは、新たなコミュニティに属すことと同じかそれ以上にきっかけを与えやすいのかもしれない。

 

ぼくの読書メモと思い巡りはここで終わりになる、何か結論を得たわけではない。

ただし、確かに何かを辞めた後の空白の重要性は体感し、その後の志向性を露出させるために人との関わりはほとんど間違いなくいまのぼくには重要なのだろう。
ということはその手段がわかっていれば、苦しいときには「何かを断ち切り、時間を持ち、誰かと話をする」というプロセスを経ればよい。

方法を知っていることと、今それを実行することはequalではない。

その時までは、苦しみながらでも楽しそうなことを言葉にし続けるだけだ。

 

【読書メモ】

  • 依存症の特徴は「自分で自分をコントロールできていること」らしい
  • 引きこもりなどの境遇の子どもが同じようなバックグラウンドを持つ人たちとひとつのコミュニティでつながり「あのひとは○○が好きな人だよね」と言われると社会復帰のきっかけになるらしい
  • ニュートラルゾーンにいるときには人とのつながり、会うことは重要。
    • この手の「変化した・チャレンジした」という経験を持つ人は、主観的にだけど結婚していたりすることが多い気がする、調べてない
  • 突然目の前が彩られることなんてない
  • 目新しいことは言われていない
    • 形式上のものや目前のものではなく、内面的な志向性とは?という話だったり
    • それがコロナ禍というほぼ全世界に同時に訪れた一種のニュートラルを機とし、自己投影しているような感じ

区分けされたこの場所から

 

久しぶりに息苦しい気分になった。
ぼくは昔から明日とか、未来のことを考えるのがとても苦しい。今日でめいいっぱい、未来の予定は途方もなくて考えたくもない。

だから未来の予定を立てるときは、なるべくいつも「無機質なタスク管理」としてカレンダーに入れている。いかに、その予定自体への精神的な負担を減らすかという優先度で動いている。
ずっと抱えている今日という日の終わりを望んでいる。今日の連続を痛みとともに感じ続けている、その切れ目をずっと探している。

ひとの感情というのはそのたびごとに揺れ動く。なにか暗闇に吸い込まれているときに前向きに受けとめることは難しく、光に昇華されているときはたいていの暗闇を晴らすほどに照らされる。その揺れ動きに自分が共鳴することにも、すこし耐えられなくなってきた。

柳のように、あるいはただ揺れ動く雲のようになびかせる。

どこか遠くで、自分の存在を溶かしてしまいたい。

 

仕事と多忙さは、自我や未来を自分の中から薄めることができるという意味ですごく良い。
機械的となれる作業を一部とし、ある程度のクリエイティブさが必要なのではと最初の頃は考えていた。ただ、あくまで凡庸なレベルでのクリエイティブさは普段の作業や習慣的なタスクから生まれてくることがわかってきた。引いていえば、多少の創造性は機械製の中に組み込むことができた。

たとえばいまの僕の近辺の仕事は恐ろしく忙しいのだが、忙しいときほど業務フローやプロセスをドキュメントにまとめていく。多忙さというのは局所的な部分効率化を思いつくことはあるが、たいていの場合は全体最適まで考慮がされない。
各所への連絡、契約締結・請求・入金確認、プロジェクトの進行確認、たびたび起こるトップダウン的な方針変換の確認、各メンバーへの仕事の割り振りなど。いろんな業務はそこら中で起こるわけだが、「何に時間をかけるのがうまくいきやすいのか」「何ならすぐ着手できるのか」という割り振りが業務プロセスなどのとりまとめからわかってくる。

個人的にはその中で、すぐできることはさっさと終わらせてしまうのが良い。雑食的に大小粒度問わず上から順に着手しても別に構わないのだけど、運悪く鉱床のような骨の折れるタスクをすぐやることになったときは山のようなタスクが積みあがることになる。
そういうものを見るとやや混乱が増すことが多いので、ぼくの場合は小さいものはタスク化する前に淡々と終わらせてしまうことが多い。自分という機械の性質次第でのFit&Gapがなんなのか、最適が何なのかはすこし俯瞰的に見るだけでもわかってくる。

 

どこまでを自分の機械的な作業にするのか次第だろうけど、ぼくは少しでも明日を考えなくて済むように、ただその日の作業に没頭だけしていられるように感情とは距離を取って打ち込んでいる。

自らに枷を付けることによって、生活という区分けに自らをつなぎとめている。

 

 

自分のことを語り直すということ

 

自分の「学びたい」という欲はいったいどこが原点だったんだろうと考えていた。

あまり勉強熱心ではないと自負しているものの、ごくまれに没入的に何かを考え続けることがある。自分でもすごく生き生きとしていると感じるし、とても幸せな時間だ。その始まりはいつだったんだろうか。

実は、その具体的なエピソードは思い出すことができていない。
けれども、「知識をいうものがどうやら色々と繋がっているらしい」という事実を子どもなりに実感した時から、没入感を得られるようになったような気がする。

知識というものは単一ではなく、有機的な双方向性を持つものだ。

これは言わなくてもなんとなるわかるが、その文章をどこかで見聞きしただけなら腑には落ちない。腑に落ちるというのは、自分にとっては「自分の言葉で語り直せるとき」に起こるんだと思う。
その体験が何度か積み重なって、自分の言葉になり、昇華され、自分の原則として言葉に収まり始める。こうしてぼくにとっての言葉が出来上がり、真実を得たという幸福感に包まれた。

自分という場所での言葉では、よく「Reword」という言葉を使っていた。この自分にとっての世紀の発見がほかにも発見者がいることがわかってくる。

例えばTEDでこんなセリフがあった。

You can edit, interpret and retell your story, even as you're constrained by the facts.

www.youtube.com

6:40くらいから「Story telling」について語っている

すなわち、自分の人生という事実があったとしても、多様な解釈の余地があり、その解釈によって自分の生きがいを持つことができるということを語っている。

 

また、『<ほんとうの自分>のつくり方』でも似たような言及がある。
いまでもたまに「無意味感」に襲われてしまう自分への戒めも込めて、少し長めの引用をする。

 

日々の生活に意味が感じられない、無意味な毎日が虚しくてしようがないという人は、目の前の現実に意味を与える文脈として機能する自己物語をもっていないのである。毎日が虚しいのは、意味を感じさせてくれない現実に問題があるのではなくて、現実に意味を与える文脈を投げかけることのできない自分自身に問題があるのだ。気持ちのもちようで色あせていた世界が輝いてくるなどと言われたりするのも、こうしたメカニズムをさすものと言える。

世界と自分を意味のある形につなげてくれる自己物語をもつことで、目の前の世界に意味があふれてくる。意味を経験する前提として、現実の出来事と自分をつなぎ、世界を意味づける物語的枠組みを獲得する必要があるわけだ。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

なにもせずとも、勝手に目標を決め、そのための手順や道筋を立てられる人なら何ら問題ないと思われる。残念ながら、自分がそうでないならば唸りながらこうして「言葉じゃない状態のもの」から少しずつ輪郭を持たせ、身体に染み込ませていかなければならない。

だが、ぼくにとってはその瞬間が楽しい。

 

組織を転々としているとわかってくることがある。
強烈なリーダーシップを発揮できる人というのは、こうした「自分への意味づけ」の能力がとても高い。周りからすればこじつけ同然と思われるようなことでも、自分という物語のイベント(そしてポジティブな帰結となる)として捉えている。

それを周囲の人間含めて巻き込んでいく能力が高すぎる人が、いわゆるリーダーシップを持っている人なのだと思う。自分と無機物、自然、動物という世界で物語を語ることがひとつのStory Tellingだとすれば、組織、環境という他人の世界まで巻き込んでいくのがHistory Tellingともいえるのだとう。

解釈というのは無数にある。
心身的にシビアな状況のときはその選択肢なんて無いものに思え、事実としてつらい現実しかないように思えるが、その振れ幅から戻ってきたときに光明が見えることもある。それを光だと感じられる余裕が果たしてその時にあるかということでもあるが、それにはやはり一定「外の世界」を感じておく必要があるような気がする。

 

歩くことの理想とは、精神と肉体と世界が対話をはじめ、三者の奏でる音が思いがけない和音を響かせるような、そういった調和の状態だ。歩くことで、わたしたちは自分の身体や世界の内にありながらも、それらに煩わされることから解放される。自らの思惟に埋没し切ることなく考えることを許される。

sayusha.com

こんなことを考えていると、「ああそういえばあの本にはこんなことが書いてあったな」と本棚を眺めて探し始める。うろうろとしながら、自分の思考、物語を拡張しながら背表紙を眺める。

その昔、山本七平エルサレムに住むユダヤ人を訪問した際、そのユダヤ人は山本七平が訪れたことに気づかないほど夢中であった。夢中であるというのは、書斎そのものが心理的に安全であることに他ならない。

また、ある人とぼく本屋に行ったときにはあれだこれだと話をしているといつの間にかエピソードと一緒に、手にいっぱいの本を持たされたこともある。

こういうことが、つまりは書斎や本を媒介にして「全体で考えている」ということなんだろう。世界との接点を持つというのは、こうした身体を思考させるための方法(Hand Craft)なんだと考えさせられる。

 

こんな風に考えていると、自分という物語は引用で支えられ始めるような思いをする。
誰が語ったのかはあまり重要ではない。自分が腑に落ちたその感覚・言葉がある別の場所にある場所、モノに共鳴し、あるいは人に共鳴し、その様々を自己物語の引用句の中に引き入れる。

そうして自己拡張していく。

自分という物語をある段階で振り返るとき、その引用の数々が自分の立ちゆく先をぼんやりと指し示してくれる。その風に乗るように、学び、理解し、また新たな物語として再解釈していく。こうしたプロセスへの好奇心が、ぼくの学びの原点なんだろう。

 

 

 

ふらりふらりと

 

いろんなSNSを離れ、外出もほとんどしなくなった。
働く場所は家で通勤時間はない、出歩くのもスーパーやコンビニで日用品はAmazonとかで足りる、高速道路が近いからトラック音がうるさいくらいでほかの不満も特にない。日本どこでも働けるから、1か月くらい北海道とか沖縄にいても仕事ができる。

まず感じたことは、自律的に外に出る習慣は生まれなかったこと。
出勤があるから帰り道に寄ることはあっても、今わざわざと外出するような理由は特にない。
そして在宅環境中心の生活が、ちょっと遅れてやってきてとても過ごしやすい。

以前までよく写真を撮っていたけれど、あれは「誰かに見られる」ということがあるから撮っていたのだなと改めて気づき。外に出ないこともあるけれど、写真フォルダはやや寂しい。
あとは自炊が増えてから、食材の値段を見るようになってきた。いま油って1Lで400円近くもする、醤油と日本酒と味醂、あとは適当に根野菜を圧力鍋にいれて待つだけ。あとはお米は箱型のジップロックに入れて冷凍、食べたいときにその器のままで食べられるから楽ちん。

本は相変わらず読まない。
自分にとって本はやはりある程度差し迫らないと読めないようで、頭を使わず生きていられるのでぼーっとする時間は以前よりも増えた。

仕事環境でいえば、職場の経費で賄えるものが多くて新しい椅子を買った(AKRacingのちょっといいやつ)。画面が足りないから手持ちのディスプレイの片方を使ってデュアルにしてるけど、配置的にWEB打合せの視線がよろしくないからもうちょっと変えなきゃいけないかもという感じ。

幸い、仕事で覚えることは多くてSFDC関連の勉強をしている。
また最近、データ分析の作業もさせてもらったり、未経験ながらチャレンジできることが多いのはうれしい。

働くという意味でいえば、5年後くらいには週の稼働を減らしつついい感じのところに引っ越すのもいいな~と。

まだいろんな意欲が低迷してるので、ゆっくりと生きていく。

静夜思

床前看月光

疑是地上霜

挙頭望山月

低頭思故郷

「静夜思」(李白

 

nekondara.hatenablog.com

 

以前にこんな記事を書いた。ぼく自身にとっては過去の鎖から放たれるような気持ちで、今もまだその放たれた部分を持て余している。

ここ何か月のことを思い出してみると、楽しかったり、幸せだったりという記憶が蘇る。良いものばかりではない、自己嫌悪するようなものもある。それでも幸せな記憶が多く占めていて、ぼんやりしているといい気持になる。
引っ越したのもあって、日当たりのいい部屋に住み変わった。椅子も机も新調して、カーテンも初めて買った。レースを買っていないからそのまま窓を開けると道路から見えすぎる、そのうちレースカーテン買ったらちょうどいい暖かさの位置になるような気がする。

ここ最近、引っ越しや転職でバタバタとしていた。なし崩し的に住んでいた町、なし崩し的に、逃げるように出た会社、自分の負の部分を少し清算したような気持ちになる。体力的にはかなりきつく、不手際で1週間弱のあいだ陽の光だけで生活したり、ごみ捨てで大変な思いをしたり。嘆きながらではあるけど、引っ越せて本当によかった。もう当分引っ越すことはない、新居でだらだらと生きていく。

仕事ばかりしてると、人間的な部分がどんどん欠けていく。30歳までの人生しか見えなかった頃は労働で摩耗することも厭わなかったが、少しずつバランスとって働いても良いなと思える。もう少し仕事以外のことを見てみたい。
仕事はロジックの部分が大半を占める、ロジックじゃない部分は普通の社員ならやる必要がない。誰が得するとか、この利益にはこれくらい必要だとか、端的に言えば頭をそんなに使わなくてよかった。その意味で、自分の意見を持つ必要がなかったし、仕事の大義名分で自分を納得させればよかった。「仕事だからやる」というだけで充分働けた。
あるとき、それがあまりよくないと教えてもらった。それはつらいと。そうかもしれないと見つめなおすと、一気に疲れがやってきた。知らない間にため込んでいたのかと涙が出た。

どこかでガタが来る生き方をしていたのかもしれない。これも少しずつ改善が必要。

でもここ最近は、とても幸せだ。幸せだから、これからのことで迷うことができる。地盤が無ければ、たぶんぼくはまだここに立てていない。

 

「三十歳までになんか死ぬな」と思っていた

物を書くことは生み出すことであるけれど、うっかり楽になってしまうと言葉が出なくなってしまう。何かを生み出すということは、一定の苦しさの中でしかあり得ないような気さえする。幸せになると言葉が不要になる、一定の強度でちょっと不幸くらいになっておかないと、ぼくは文章を書けなくなってしまう気がする。

20歳くらいの頃から、30歳で死のうと思っていた。

理由ははっきりとしていなかったけど、30歳以上の自分が生きているような気がしなかった。環境のこととか、両親のこととか、自己否定的なところとか、そういうのがずっとずっと重なってか、30歳以降の自分を描くことができなかった。
昔、将来設計をしましょうと言われて30歳以降のプランを書けなかった。周りのひとたちは時間をかけてプランを練って、30歳以降の自分たちに疑念もなかった。それが不思議で、周りの当たり前に自分がついていくことが出来なかった。
ぼくの周りで飄々と30代を迎えた人もいれば、苦しみながら、取り残されながら迎えざるを得なかった人もいた。

20歳のころから20代のころは手が届いた、出来そうだった。
けれどそれ以上なんて途方もなくて、日本の平均寿命が伸びていくほどに苦しかった。もっと早くみんなが死んでくれれば、平均寿命が30歳になればこんなに苦しまなくて済むのだろうかと、勝手に呪って、勝手に恨んだ。みんなが長生きすることで、見えない未来を考えなきゃならなくなって、それがみんなに当たり前になっていることがぼくには耐え難くて。途方もない数字がぼくを蝕んでいた。

もう7年も近く、ずっと自分が30歳で死ぬと思ってきた。
そういう風に考えて、いつ死んでもいいように心も、身体も対応してきた。けれど、親しい人が増えるほどに、なんとなく死ぬのが申し訳なくて、みんなの記憶から自分がいなくなればいいのにと思うようになった。このあたりで、死にたいという言葉より、消えたいという言葉が肌に合うようになった。消えたいという気持ちと、ぼくの願いとは逆に一部の人たちに受け入れられていくという生活は、とても苦しいものだった。
生きることが苦しいから、たくさん働いて、仕事だけに没頭できるようにした。

どんどん自分の気持ちが吐き出せなくなり、文章を書くことが増えた。目に触れる文章も、触れられない文章も、とにかく文章を書いていた。多産ではなかったけれど、嘘ではなく、綺麗なものでもなく、周りの目を気にせず自分の本心をなるべくそのまま言葉に置き換えるようになった。そうして出来上がったのがブログだったり、noteだったりする。ずっと、その中でも自分の終わりを考え続けていた。

 

最近、そんな呪いが解けてきた。30歳以降も生きていてもいいと思えるようになった。

おれにとっては受け入れがたい話なのに、それをすっと受け入れることができた。生活とか、人生とか、大きな主語は苦手だ。でも、そういうものは結局自分自身だけのもので、けれどどこかで他人と融和してちょっと救われたり、ちょっと道を踏み外したりする。ひとりばかりでいると、自我が大きくなって、人の言っていることが飲めなくなってくるひとが多かったけれど、ぼくは少し素直だったのか、勝手に感化されたり、触発されたりする感覚はずっと残ってくれていた。

そういう変化もありつつ、精神的に大きな支えを得ることができた。偉そうに一匹狼のふりをしていても、支えがなければ簡単に崩れてしまう。ひとりで生きてきたってのは嘘だ、必ずどこかで助けられている。それを無視し、あたかも自分ひとりのように宣うことはぼくには難しい。
精神的に支えられて、人間っぽさも取り戻して、やっと自分に苦しんだりできるようになってきた。ひとりばかりだと、苦しみながら進むしかなかった。いまも、そんな風に進まざるを得ない人たちのことを考えてしまう。

30歳以降の自分を肯定することは、たぶんひとりでは無理だった。精神的な支柱を得て、自分に対する肯定の反動を受けつつも言葉が馴染み、やっと今になる。人生が最高だとか、幸せだとか、簡単な言葉に収斂させたくはない。けれど、この7年間の呪いが解け、7年分の苦痛が気化し、今どうしていいかわからない。それまでの感情だったものを持て余している。

沢山遊びたい、いろんなところに行きたい、これまで足かせだったものを外して学んでみたい。子供のような感情だけど、ぼくにとっては今まであまり感じることができなかったものに感じる。

普通の人間に戻ったみたいだ、良いことなのか、良くないことなのかはまだわからない。多分これからも、支えられながら生きていくんだろう。

 

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さくら

桜が散るように、人が散った。今では顔も思い出せない、そこに居たのだという記憶の実在。記憶の中で、他の記憶と混ざり、別のものに変わり果てている。愛したのは一体誰かもわからない、実在を愛したのか、記憶を愛したのか、無を愛したのか。消失があるから有限は栄える、だがその有限が栄えるのはそれが消失してからのみという矛盾。人間は固形しか愛せないのだろうか、変化を含めて愛するというのはそれもまた変化まで含めた固形として見ているような気もする。見えるもの、考えられるものの可能性までしか見ようとしない。だから、終焉や、完成とは、一応に全体の見取り図である。そして、そこから感情を決定的に呼び起こすことも出来るのだ。他者が可変的である限り、自己の受容形態も可変的である。だが、他者が固定化されれば、自己受容は一旦完成を迎え、そこから先の形は自己変容を起こさぬ限り不変である。

空を見る。薄暗く、これは白か、グレーか、青か、などと考えめぐらせられる。薄暗いものを見ると、気分も薄暗くなってくる。尤も、綺麗な色を見たところで良い気分にはなったりしない。「良い気分」を忘れつつある。人間的とも呼ばれうるような歓喜と絶望の行き来をしなくなってきている。ただ薄暗い気分のまま過ごし、啓蒙もその薄暗さに落とし込まれ、退屈さに毒され続ける日々。案外これも悪くなくて、怠惰に過ごし続けることは生きているという実感を忘れさせてくれる。生きているという肯定的な実感は負担をかける、生きているだけではない、日々の言葉の氾濫に流される肯定的ニュアンスを心理的に感じさせる言葉もそうである。そこからの逃避の行き着く先は虚無的な薄暗い、あの空のようである。

4年前にこんな文章を書いていた。
死ぬこととか考えたり、笑えなくなったのはこのあたりだっただろうか。今でこそたくさん笑ったり、人の笑顔を撮ったりしているけど、やはり暗い時期はあった。

そういう昔をたまに思い出して、自分の生活は変わったのだなと思って昔の自分を懐かしく見つめたりする。いつでもその昔に戻ることはできる、だが戻るとまたどこかに出て行ってしまうんだろう。